天国と地獄の堺(3)
「別れ話……てっ! か、彼女!? ええ!? オレとキミ付き合ってるの!? こんなに可愛い子がオレの彼女!?」
「……え?」
「ま、マジで付き合ってるの、オレとキミが? やばい、何そのステキすぎる状況!」
直久の表情から、嘘をついているわけではないと悟ったのか、彼女が直久に詰め寄り、がしっと両腕を掴んできた。
「……嘘! 本気で忘れてるの!? だって、さっき、私の名前を呼んでたじゃない! 私よ、ゆずる!」
「……はい?」
「そう! 幼馴染のゆずる! いとこのゆずる!」
彼女は、必死な形相で訴えている。直久はじっと彼女を見つめ返した。
(あれ?)
直久は首をかしげる。
シルクのように輝く、長い髪。
透けるように白い肌。
淡いピンク色のフワフワとしたワンピースからは、美脚が伸びている。しかも生足だ。
「……ゆ……ゆずる?」
「そうよ!」
「…………」
その彼女の必死さが、逆に直久を冷静にさせた。
確かに、言われてみれば、ゆずるだった。目の形や大きさ、眉の形、まつ毛から唇に至るまで、そのパーツの一つ一つはゆずるを作るそれと同じものに見える。背丈も、体の華奢さも、肌の透けるように白いところも、全て直久の記憶の中にあるゆずると一致する。
それに、確かに声は、ゆずるの声なのだ。それは最初から気付いていたじゃないか。
だけど――。
(どう見ても……ゆずるに……いや、ゆずるなんだけど……てか、ゆずるこんなに可愛いかったっけ? いや、そうなんだ、可愛いんだよ。普段、可愛い格好してないし、可愛いくない事ばっかり言うからわかんないんだけど、顔とかメチャメチャ良い素材で出来てるんだよな……でもなぁ)
一つはっきりしていることがある。
確かに目の前にいるのはゆずると同じパーツで出来ている人間に見える。でも中身が違う。
そう、それはちょうど、直久と和久が別人であるのと同じように。
「キミは――オレの知ってるゆずるじゃないよね」
「え?」
「オレの知ってるゆずるは、キミみたいに可愛いこと言わないし、女らしい格好もしない。てか、まずオレを心配して、駆け寄ってきてくれたりなんか、絶対しないし。それに何より……」
(オレに、心からの笑顔を見せたことなんて一度もない――)
最後は、言葉にしたくなかった。
言葉にすると、永遠に、ゆずるの笑顔が見られないんじゃないか――そんな気がした。
「――とにかく、オレの知ってるゆずるは、ちっとも可愛くないんだ。キミとは似ても似つかないよ」
「……」
「どこにいる?」
ずっと、それまで見せていた笑顔を引っこめ、彼女を睨んだ。
「ゆずるはどこにいる」
「……」
ただ、じっと直久を見つめ返すだけで彼女は答えない。だからもう一度、語気を強めて言い放つ。
「ゆずるはどこだっ! 言え!!」
その瞬間、彼女がふわりと笑った。そしてゆっくりと口端を引き上げると、この世のものとは思えないほど不気味な笑顔で言った。
―――――― モウ ドコニモ イナイヨ……
「うわあああああああっ!」
叫び声を上げながら、直久は我に返った。
恐怖からか、大きな声で叫んだからなのか、直久はぜいぜいと肩で息をしていた。
『よく戻って来れたのう……ククク』
声に導かれるように、左前方に首を回すと、目の前に見慣れた山神の顔がある。
「萌葱……てことは今のは夢か……?」
『夢ではない。己の心だ』
「え?」
己の心……?
直久は、深く息を吐き、とにかく落ち着け、と自分に言い聞かす。
『己が一番望むものや、恐怖するもの、それを映すのが“水鏡”の力』
「オレが一番望むもの……?」
さっきのが?
女の子っぽい格好のゆずるが?
「…………オレの望み?」
確かに、考えたことは何度もある。
いや――――――嘘だ。このところ、直久の頭の中は“ゆずる”と“女”という、この二つの単語しかない。
もし、ゆずるが男としてではなく、女として育てられていたら?
もし、ゆずるが九堂家ではなく、ごく普通の家庭に生まれていたら?
そんなことを、何度も、何度も考えた。
そうだ。ゆずるが女だと知ってから、そればっかりだ。
危険な目にあうことも無く、毎日を平和に楽しく過ごせていただろうか。
恋をしたとか、テストで赤点取ったとか、部活で明日の試合がどうだとか、そんなクダラナイ内容を、何時間もファーストフード店で駄弁ることができる、そんな普通の女子高生になっていたのだろうか。
そんな毎日だったら――もっと声を上げて、けらけら笑って過ごしていたんじゃないだろうか?
もっと笑顔を向けてくれたんじゃないだろうか――オレにも。
直久はしばらく、萌葱の顔を焦点の合わない目で見つめていたが、何かを思い出したように頷いた。




