イケメンはつらいよ(2)
その晩、寄宿舎が完全に寝静まった頃を見計らって、加藤は直久を外に連れ出した。その手慣れた動作に、初犯ではないな、と直久は確信した。在学中も、何度か抜け出していたに違いない。
「センセーは、こんな田んぼと畑しかないド田舎で合宿すれば、夜中に抜け出す気も起きないだろうって思ってるらしくてさ、ノーマークよ。ノーマークっていったら、抜け出ないわけにはいかないよな、バスケットマンとしては」
寄宿舎からだいぶ離れたから、もういいだろうと思ったのか、加藤は、聞いてもいないのに語りだした。面倒くさいほど得意げだ。
「マークされてても、抜け出せるのがバスケットマンなんじゃ?」
「あん?」
「いえ、何でもないっす加藤大先輩」
「よろしい。では大伴直久くん、ついてきなさい」
「どこへ?」
「いいところー」
最後のセリフは、文字表記したら音符マークがついてそうだな、と直久は口端を引きつらせる。
本当に残念なことだが、加藤とは波長があってしまう。何年か後に、自分が後輩に同じことをしてそうな気さえしてきた。
加藤の後ろについて歩くこと十数分。
まだ目的地につかない。
いい加減、街灯も無ければ車も一台も通らない道路を歩くのも飽きた。当然、商店はおろか民家もない。道路はかろうじて舗装されているが、道幅は車一台が通るのがやっとという細さ。両側は畑と雑木林のみ。
都会のネオンに見慣れた目には、確かに満天の星空は称賛に値する。まるでプラネタリウムだ。
そろそろ、天の川ってこんなに星があったんだなぁ、なんて頭上に見惚れながら歩くのにも満足したし、首も痛い。
それに、妙に周囲の音が大きく聞こえて、落ち着かない。
都会の車の音や、漏れ聞こえる店内放送、家々の生活音の方が、よっぽど大きい気がするが、こうして田舎道を歩いていると、草木が擦れる音や虫の音、自分の足音や呼吸音の一つ一つが、きっちり聞こえてくるから不思議だ。
(さむっ……ほんと、どこまで連れて行くんだよ)
直久は、加藤の背中を追いかけながら、心の中でぼやかずには居られなかった。
七月下旬とはいえ、夜間の山里は冷える。さすが避暑地だ。半袖一枚で出て来たことを少し後悔した。
「あれ?」
ふいに、そう呟いた加藤の足が、ぴたりと止まった。
何事かと、直久も加藤の横に並び、前方に目を凝らす。
「先約がいる」
加藤が驚いたように目を見開いた。
確かに、加藤の言うように、数十メートルほど先に何かあるように見えなくもない。
遠いし、月明かりだけで暗いしで、色もよくわからない。その上、動かないから何とも言えないが、人に見えなくもない。
でも、こんな時間に、こんな何にもない所に人がいるものだろうか。とにかく、周りには民家すらないのだから。
こんな所に、たった一人で、何をするでもなく立ってるなんて――。
ぞわぞわっと、心が騒いだ。
(幽霊じゃないだろうな……まさかな)
そう思ったとたん、右腕の皮膚に無数のミミズが這い上がってくるような悪寒がした。
(逃げた方がいいのか?)
どうだろう。
(逃げるべきなのか?)
わからない!
直久の瞳が動揺に大きく揺れた。
直久の思考と同調するように、急に足が重く感じて、前に進まない。
しかし、「マジかー!」と、なんだか嬉しそうな加藤の楽観的な声が、直久をはっとさせた。
「変だなあ?ここは俺だけの秘密の場所なのに。地元の人かな」
直久は、一気に脱力する。そして、そうだよな、幽霊のわけないよな、と小さなため息とともに、不安を吐き捨てることにした。
「秘密の場所って?」
「ああ、地元の人でもあんまり知られてないはずなんだ」
「何を?」
加藤は、それ以上答えずに、再び足を進めた。仕方なく、直久も追いかける。
だんだんと目標物に近づくにつれ、何故か速度を増す加藤の足。
(ちょ、カトちゃん、なんだよいきなり!めっちゃ早いしっ!)
首をひねりながら直久もペースを上げるが、加藤はさらに足を速めた。だが、どんどん引き離されていく。
ついに、五メートルほど引き離された時だった。
「こんばんは」
誰の声だ、誰の!と突っ込みたくなるほど、爽やかな声が、加藤の背中越しに聞こえて来た。
ほどなく鈴が鳴ったような可愛らしい声が答える。
「こんばんは」
(若い女の子の声だ!)
すぐさま直久の『美人レーダー』が、ピンと反応した。
急いで、加藤に追い付くと、直久は背伸びをして加藤の頭の右側から、どれどれ、とその人物をのぞき込むことに成功する。
(お!美人!)
大きな目が印象的な、清楚な美人だった。
その笑顔は、今が満開という紅梅を思わせた。可憐さの中に、凛とした強さがある。
女子大生だろうか。少なくとも自分より歳上だな、と直久は思った。あどけなさと同時に大人っぽい色気も感じた。
これは是非とも、お近づきになりたい!
直久の全身がそう訴え始めた折、目を輝かせた直久とその女性の間に、加藤の頭が割り込んだ。
仕方なく、加藤の逆側から女性を見ようと首を傾けたが、再び加藤の後頭部に視界を遮られてしまう。どうやら、直久には見せまいとしているらしい。
(むっ)
さすがバスケットマンというべきか。こういう時の加藤のディフェンスは、誰も抜けないに違いない。なぜ、本番のゲームで同じ動きが出来ないのかは、問うてはいけない。
そして、同時に直久は悟る。つまり、直久より先に声をかけようとして、先ほど急に加藤の足が加速したのだ。
先に声をかけた方が、優先的に話ができるというルールはどこにも無いのだが、なんとなく納得できてしまう直久は、やっぱり加藤と同族なのかもしれない。
「あなたも、蛍を見に行くんですか?」
背後でひょこひょことジャンプする直久を完全に無視して、加藤は女性に話かけた。
「え?あなたたちも、その先の水田へ行くんですか?」
「うわ、誰に聞いたんですか!?俺が見つけた穴場だと思ってたのになぁ!」
「まあ、穴場なんですね」
「そうですよ。地元の人でも、あまり知られてないって聞いたのに。毎年、すっごい数の蛍が見れるんですよ」
「そうなんだ。ラッキーだわ」
「ラッキーですよ!」
「ふふふ。お二人でいらしたの?」
「あ、後ろのちっこいのは気にしないでくださいね。あなたこそお一人ですか?」
「いえ、友達と一緒に来たんだけど、カメラを忘れたって、取りに帰っちゃったの」
すっかり弾みだした加藤と美女の会話を聞きながら、さっぱり面白くなくなった直久は、完全に加藤に背を向け夜空を見上げる。
満天の星空も、今はなんの癒し効果もありゃしない。完全に本来の目的を忘れた加藤を放置することにした直久は、しゃがみ込んで白い石を探すと、道路に、
『加藤のばか』
『あほ』
『ずるい』
『せこい』
『どすけべ』
『オレは天才』
などと、次々に思いの丈をぶつけ始めた。
だが、それにもいい加減飽きてきた直久は、加藤の半袖シャツの裾を引っ張り、帰宅を促してみたが、やっぱり無駄だった。加藤に裾を引っ張り返されただけで、帰ろうという気配も感じない。
「それにしても、危ないですよ!こんな綺麗な子が一人でこんな暗い道にいるなんて!」
「田舎だもの、大丈夫よ」
「いやいや!最近、このあたりで誘拐事件だか、失踪事件だかが多発しているらしいですから。気を付けた方がいいですよ」
「え、そうなの?」
「はい。今朝も全国ニュースでやってましたよ。四人だか五人だかの男性が行方不明になっているらしいです」
「この村で?」
「ええ、この村で。でも村人じゃなくて、県外から来ている人ばかりが行方不明になってるらしくて。自殺しに山に入ったんだか、失踪なんだか、遭難なんだか、事件なんだか全然分からないらしいですよ」
「そうなんだ。怖いですね」
「でしょう?だから、気をつけないと!」
(……やべえ、なんかトイレ行きたくなってきた……)
暇を持て余しきった直久が、そわそわし始める。
しかも、良く考えたら、明日も朝から練習だ。なんでこんな男の、ナンパに付き合わされているのだろう。
(あ、ほんと、ヤバイ。トイレいきてー!)
祈るように、もう一度、加藤の袖を引っ張る。気づいたのは、彼女の方だった。
「お友達、すごく帰りたそうですよ」
ナイスアシストだ。なんていい人なんだろう、と目を潤ませて見上げると、彼女はにっこりと微笑み返してくれた。
「いいのいいの、こんなの気にしないで」
「もう帰ろう!」
直久は、今がチャンスとばかりに口をはさんだ。
「帰ろう!今すぐ帰ろう!さあ帰ろう!」
そう言いながら、ぐいぐいと加藤の腕を引っ張り、来た道を戻り始める。
加藤は、心底、邪魔するなと目で訴えながら、直久だけに聞こえるように言った。
「お前、ふざけんな」
「ふざけてないから。オレ、漏れそう!!さあ、帰りましょう!ほらほら!」
「はあ?その辺で、すればいいだろう、小便なんて!」
「やだ」
女性はそんな直久たちのやり取りを、静かに見守っていたが、見るに見かねたのか、それとも加藤に気があるのか、不吉な言葉を口にする。
「また明日」
そう彼女は言ったのだ。
まるで呪いの言葉だ、と直久は思った。
加藤は、それまでの抵抗をぴたりと止め、にこやかに彼女に手を振り始めたではないか。
「はいっ!!また明日!!おやすみなさい!」
加藤は幼児のように、大きく、何度も手を振っている。
絶対、明日もここへ来る気だ。間違いない。
直久は、ちっと舌打ちをすると、諦めたように加藤を引きずりながら、寄宿舎に向けて邁進したのだった。