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九の末裔 ~蛍狩り~  作者: 日向あおい
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10 愛だねぇ、愛!(1)

 

 10  愛だねぇ、愛!





 ゆずるは恐る恐る目を開けた。

 予想に反して、視界は良好。水族館で水槽を眺めているかのように、クリアーだ。

 直久を追いかけて池の中に飛び込んだはずだというのに、自分の皮膚が水を感じていない。

 なのに、まるで水の中にいる時ように、着ているTシャツの裾や袖が少し捲れあがっている。前髪もふわふわと漂っている。何より、重力を感じない。

 水中にいるのか否か、脳も様々な感覚の主張に判断しかねているといったところだ。

 けれど、きっと水の中にいるわけではないのだろう。なんとなくゆずるはそう予感していた。確信に近い。念のため飛び込む前に大きく息を吸っておいたが、その必要は無かったに違いない。

 断言してもいい。

 きっと息はできる。

「……」

 そうは思っても、僅かな不安がゆずるを躊躇させる。溺死するのは御免だ。

 確かめるために、小さく息を吐いてみた。

 すると水の中でそうする時とは違い、気泡が口から登っていくことは無かった。

(やっぱり……)

 今度は自信を持って肺を大きく膨らませて、息を吸い込んでみた。直ぐに肺は、新鮮な空気でいっぱいになった。

 人間は目で見えるモノを信じすぎる。

 だから騙される。

 ここは水中に見せかけられた異空間だ。

 予想はしていたが、あれは池に見えて、異世界へと続く入口に過ぎなかったということだ。

 そこでゆずるから、ふっと笑いが漏れた。

(……とっさな判断だったとはいえ、後先考えずに敵の巣穴に飛び込むとは)

 全ては直久が悪い。

 勝手なことばかりするから。

 そんな怒りもあるが、普段、慎重に慎重を重ねて論理的に行動することに慣れ過ぎたゆずる自身が、こんな感情的な行動をとっている自分に驚いていた。と、同時に、ゆずるは冷静さを取り戻すことができたことも自覚した。

 しっかりと呼吸ができることで、脳に酸素が行き届いたおかげかもしれない。そんなことを考えていた。

(……まずは状況把握だ)

 ゆずるは自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやくと、胸の前で両手を合わせる。

 パンっと音がした。数秒間、ゆずるを中心にその音は反響していた。

 空気中とはやはり違うようだ。

 だが、水の抵抗を感じることなく体は動く。

 体は浮いているように感じるのに、無重力状態とも違う。上下逆さまになったりもしないし、コントロールも効く。

 ゆずるはそのまま瞳を閉じ、自分の周りに小さな結界を張った。

(大丈夫だ、防御術は使える……相手に通用するかどうかは置いておいて、だが)

 皮肉めいたことを言葉の中で呟いて、ニヤと口端を上げた。

 案外、楽しんでいる自分がいる。

 強大な神、しかも未知の敵を前に、心が落ち着いている。不思議だった。

 次に、ゆずるは周囲に視線を送った。

 三六〇度、見渡す限り水色の世界が広がっている。そして、不思議なことにどこに視線を送っても、水中から水面を見上げたような風景なのだ。揺れ動く光の波が、実に幻想的で心地よい。ただし、上下左右すべて同じ風景だと、方向感覚が無くなる。

 入って来た入口すら見当たらない。

 一番最悪なのは、和久の姿を視界に捉えることができなかったことだ。逸れたらしい。

(霊気を探ろう)

 ゆずるはそっと目を閉じ、再び胸の前で両手を合わせる。

 全神経を胸の中心に集中させるようにして、和久の霊気を探る。

(だめだ……完全にはぐれたな)

 微かな霊気も感じられなかった。

 小さく息を吐くと、とりあえず和久の元へ瞬間移動が出来ないか試してみることにした。

 数秒後、ゆずるは目を開けたが、そこに柔らかな笑顔の青年の姿はない。瞬間移動できなかったようだ。

(瞬間移動はできないのか……てことは、ここからどうやって脱出するかっていう問題もあるわけだ……じゃあ、次は……)

 ゆずるは右手の中指と人差し指で、するすると文字を書くように動かした。

 描き出されたのは『風』と『酔』。ゆずるの式神、つまり妖狼たちの名だった。

「出でよ、風酔かざよい

 ゆずるの声が再び反響する。

 だが、反応がない。

(呼べないのか、ここへ来れないのか、単純に水が嫌で拒否してるのか……たくっ、風酔のやつ……)

 同様に、指を宙に滑らせ先詠さきよみ炎刈ほがりの名を呼ぶ。やはり別の妖狼たちも反応がない。

(呼べないってことか)

 落胆しつつも、自分が置かれた状況が一つ一つ把握されていく。

 使えるのは結界系の防御術だけ。

 瞬間移動が使えないし、式神も呼べないということは、空間移動系の術が封じられているということだろう。つまり一種の結界の中に閉じ込められていると考えればいい。

 だが、妖狼たちが呼べないということは、ゆずるに残された攻撃手段はかなり少ない。

 こんな状態で、怒り狂って我を忘れた邪神に立ち向かうなんて、誰が考えても愚行だ。

 早いところ、直久や和久と合流して、脱出した方がいいに決まってる。

(これは……マズイ気がしてきた)

 妖狼たちが側に居ない分、夢魔のアジトに殴りこみに行った時より達が悪いかもしれない。

 一刻も早く、脱出したい。

 だが、どうやって出よう。

 その前に、どうやって双子を探そう。

 今さらながら、後先考えずに飛び込んだ自分の無謀さが恨めしい。

 そもそも、全ての元凶は直久だ。

 アイツが、勝手に動くから!

 むしょうに脳裏に浮かぶ、普段のへらへらした直久の顔を殴り飛ばしたくなってきた。

(だいたい、あのバカが悪い! ぶっ殺してやる! どこに居やがるんだ!) 

「このバカ久―! 出てきやがれー!」

 力の限り怒りを吐きだす。

 コダマのように反響する自分の声を聞きながら、そういえば、こんなに大声を出すのは久しぶりかもしれない、なんてことを考えていたときだった。

(?)

 一瞬、前方で、何か光ったような気がした。

 気のせいだろうか。

 じっと目を凝らすが、再び発光は見られない。

 でも、他に手掛かりはない。見渡す限り、何処までも同じような水面が続くだけだ。

(行ってみるか……)

 歩くことはできなそうだから、とりあえず平泳ぎのように両腕で掻いてみる。

 すると、体が水中を移動したような感覚を捉えた。視覚的には、変化がないので前進したような気がしない。が、この際、視覚は当てにしないことにした。

 そのまま平泳ぎの要領で手足を動かしながら、そういえば直久のことを“バカ久”と呼んだのも、何年振りだろうか、と口端を緩める。

 子供の頃、クダラナイことで喧嘩していた時は、毎日のように呼んでいたのに。

 本気で喧嘩しなくなったのはいつからだろう。

 殴り合いや取っ組み合いの喧嘩も良くしていたのに。

 和久が、自分をいつの間にか特別扱いをするようになった頃からかもしれない。

 自分は二人とは違う……男じゃない。


 ――女なんだと自覚したのは――いつからだっただろう……。


(――……あれか……)

 初めて、自分の躰から赤黒い、汚いモノが流れ出て来た時だ……。

 なんて自分は汚れているのだろう。そう思った。

 自分の躰は真っ赤な血が流れていると思っていたのに。

 こんなドロドロとした、錆びた色をしたモノが出て来ることにショックを受けた。

 自分は汚れている。

 自分は汚れた血が流れている――あの男の子供だから。

(……生理なんて知らなかったもんな。学校で習うのだろうけど……)

 10歳にも満たない子供が、学校にたどり着くことは難しい。

 途中に“ヒトでないモノ”に襲われ、死にかけたことは一度や二度じゃない。

 普通の子供だって誘拐だのなんだのと命を落とすことがあるというのに、九堂一族の子供はさらに、自分を喰らおうと狙う妖怪たちの群れをかいくぐって学校に向かうのだから、至難の業だ。

 きっとそのころからだ。

 自分が女であることが疎ましくなったのは。

 そして……女に生まれた自分が疎まれていたと気づいたのは――。


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シリーズ一作目『九の末裔 ~寒椿~』はこちら
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