つながってます的な(3)
和久は、はっと息を飲んだ。
ゆずると共に直久の気配を追って瞬間移動した直後、目に飛び込んできたのは、今にも発光する池の中に飛び込もうとする直久の姿だった。
「直久!」
「直ちゃん!」
ゆずるとほぼ同時に叫んだが、直久の足はそのまま地を蹴って飛び上がった。
無謀すぎる! と和久も思った。
「あのバカっ!」
が、一瞬反応が早かったのはゆずるの方だった。腹の底から絞り出すような怒りの一言を吐きだしたゆずるが池へ駆け出す。和久も反射的に後を追う。そして、迷うことなく池の中へと身を投じたゆずるに続いた――はずだった!
(――!!)
和久は一瞬何が起きたかわからなかった。
池の中に飛び込もうとした瞬間、まるで雷にでも打たれたかのように大きな衝撃が体中を駆け抜けたのだ。
不覚にも背後からの敵に襲われたのかと思い、振り返ろうとしたが出来なかった。動かないのだ。足も、腕も、指の先までも、まるで金縛りにでもあったか、自分の体が石になったかのように全く動かない。すぐさま、何かの術をかけられたと悟った。
「誰だ!」
出してみてから、声が出ることにホッとする。首も動いた。
部分的に術を解くことができる能力があるモノが、全身に術を掛けられないわけがないので、わざわざ首から上は術をかけないでいてくれているということだ。口が使えるのなら、呪文が唱えられる。ならば攻撃もできるし術も解ける可能性がある。こんな中途半端な拘束方法で仕掛けて来る敵の不可思議さに和久は気持ち悪さを覚えた。最初から和久を殺すつもりなら呪縛などしない。何かの意図があるとしか考えられない。たとえば――こちらと話がしたい、とか。
「こそこそしてないで姿を見せたらどうだ?」
相手の出方を探るように、背中の神経を研ぎ澄ます。
だが、殺意は感じられない。
攻撃も仕掛けてこない。
(ただの足止めか? 俺に池に入られたら困るということか?)
数秒待ってみる。
反応はない。
もう、術を解いて、無視してゆずるの後を追うってしまおうか。
そう思った時だった。
ザザザ……。
(!)
和久はその時、風が草木を擦る音に混じって、その場にあるはずの無いものを感じ取ったのだ。
一気に和久の体に緊張が走る。
どくん。
どくん。
心臓の音がどんどん早く、大きくなっていくのが分かる。
(……居るわけがない!)
そんなはずはない。
そうは思っても、和久の嗅覚が感じ取っている花の香り。
こんな山里のど真ん中で香るはずのない、アノ人の纏う――――百合の香り。
だが、この香りが全ての答えでもある。そう一瞬で理解した。
こんな悪趣味な呪縛の仕方も。
本家に水神の情報がなかったことも。
自分たちの力が水神に通用しないことも。
(全部、アノ人に繋がっているとしたら……辻褄が合う)
和久の頭の中で全てが一本の線で繋がった瞬間、まるで駄目押しのような声が背後から聞こえた。
―――― そう 急くなよ
和久の背筋がぞくりと凍りついた。
振り返らなくても、声の主が分かった。
「……なぜ……あなたが……」
まるで条件反射のように湧きあがる恐怖に、声の震えを抑えるのに必死だった。
すぐ後ろにいる。
アノ人が自分を見ている。
怖い。
怖い。
怖い。
恐怖と緊張とで、和久は正気を失いそうなほど頭が真っ白になっていた。
―――― もう少し遊んでいったらどうだ?
最後は声に笑いが含まれていた。実際に目にしなくても分かる――アノヒトの熱湯も一瞬で凍りつくような冷たい笑顔。
何か言わなきゃ。
言葉が出てこない。
言いたいことは沢山あったのに。
なんで僕に――。
どうして――。
そんな言葉がぐるぐると頭を回る。ユリの香に邪魔されて、頭がうまく働かない。
数秒後、和久がやっといつもの落ち着きを取り戻した時には、あたりからユリの香が消えていた。かわりに妖気が漂い始める。
ガサガサ……。
ガサガサ……。
妖がウジャウジャと歩きまわり、草を揺らす。
和久の背中が感じ取った妖の気配は、百はくだらない。完全に囲まれている。
(……これで遊べってことか……)
この呪縛を解かないと、遊ぶどころか喰われてしまう。でも、きっとこの呪縛は簡単には解けないだろう。
アノ人がかけた呪縛なら強力な結界の一種だろうし、最悪の場合、言霊だ。
言霊――その最強にして凶悪な邪術は、対象物の体を意のままに操ることができるという性質上、九堂一族では唯一、禁忌の術とされてきた。
そもそも、言霊を使うには強力な霊力が必要になる。言霊を使えるほど霊力を持つ者は限られてくる。なおかつ、結界を得意とする者であるという条件に当てはまるらねばならない。それだけ高度な術なのだ。
だが、この術が邪術と呼ばれる理由はもう一つあった。
言霊を使えるようになるには、その術を使う妖怪を式神にくださなくてはならない。
しかし、言霊を使えるほどの大妖怪は、人間ごときに下らない。九堂一族でも、かなう相手ではないのだ。
そうなると、言霊を手にいれる方法はただ一つ。大妖怪と取引をして“契約”を結ぶしかない。
取引をしようとして、大妖怪の逆鱗に触れ、死ぬこともある。そもそも相手にされず、問答無用で喰われることも多い。
その禁忌の術を、九堂一族で一番最初に使った者こそ、小夜の父親である。小夜の父親・大伴泰成は、小夜の母である、狼の大妖怪と契約を結んだのだ。ついでに子供までもうけてしまったところから、九堂一族の歴史が始まるのだ。
いつしか、一族の血が薄まり、霊力が衰えていくのと同時に、言霊を扱える術者も減った。
現在、言霊を扱えるほどの霊力を持つのは、一族でも当主直系とその近親くらいだろう。
だが、祖父が言霊を使うとは聞いたことが無い。
(お爺様は真面目だからなあ。でも――だからこそ、お爺様にはアノ人を抑え込む力はない)
だからこそ自分は……言霊を――。
一族を捨てて、妻と娘を捨てて、邪の道を進むアノ人に対抗する為に――。
(とにかく……)
このままここで生きながらに妖怪の餌になる趣味はないし、冗談じゃない。そして、アノ人もそんなことは望んでない。だからこそ、首から上の自由が与えられているとしか考えられない。
(僕が邪魔な理由はなんだ? ゆずると直ちゃんだけにしたい理由はなんなんだ?)
除所に狭まる妖たちの包囲網に、和久の脳裏には恐怖よりも疑問ばかりが湧いてくる。
アノ人の狙いが分からない。
だが、何か恐ろしいことが始まろうとしていることは分かる。
(お爺様に報告しよう……まずはこの呪縛を解いてもらってからかな)
和久は、そこで大きく息を吸い込む。そして、瞼を閉じると瞬間移動した。




