プロローグ
風は止んだ。
――それなのに、聞こえてくる草音。
右。
いや、左か。
その度に、首を振り子のようにひねり、暗闇に向かって眼を凝らす――何も見えない。
(どこだっ!?)
何が、どこから襲って来るのか。見当もつかない。それが、いっそう恐怖を煽り、心拍数を上昇させていく。
(くそっ! どこにいる!?)
どこから喰らおうか、物色されている。そう思った。
ぞわぞわと恐怖が足元から湧きあがってくる。
何してるんだ、逃げろ!
早く!!
頭では分かっていても、体が言うことをきかない。脳からの命令系統は完全にマヒしていた。
力の抜け切った腰は重く、全く立ち上がれない。
カサカサカサ……。
また草音がした。
右。左。また右。今度は一秒と空けず、次々と。
もはや人間が反応できる速度を超えていた。
刻一刻と迫ってくる――死の影。
体が敏感に反応した。全身が、がたがたと震え出し、寒くもないのに歯が鳴る。
「く、来るなあああっ!!」
叫んでみたが、日本語が通じる相手ではない。
だが、思わぬ反応があった。目の前の一点が、一定のリズムで青白い光を放ち始めたのだ。ヤツが光だしたのだと理解するまで時間はかからなかった。
自身の放つ青白い光で、ぼんやりと浮かび上がったヤツの姿に、息を飲んだ。
それは、まるで―――。
「まさか……」
ヤツの名を口にしようとしたその瞬間だった。
ヤツの光に誘発されたように、周囲で同じような発光が次々に起きた。
(――なっ!?)
ぎょっとして、首を右に左に動かし、状況を把握する。
一つや二つではない。
数百でもたりない。
数千だろうか。
自分を中心に、光のサークルが完成していた。
地面に落ちた銀河――そんな表現がふさわしい。
全ての光が同調して光り、消え、また光る。
地表のサークルだけではなく、空中にも無数の小さな光が軌跡を描きながら集まってくる。
どこか、地表のそれとは違う、儚さをもつ空中の青白い光は、自分に降ってくる流星のようだった。
――美しい。
他の言葉が見つからない。
誰もが羨むだろう。
金銭を差し出してでも、見たいと望む人もいるかもしれない。
それほどに幻想的な空間になっていた。
だが、美しい光景に目を奪われると同時に、気がついてしまった。
――そう、囲まれているのだと。
どこにも逃げ道はない。
動きが素早いのではない。
最初から、囲まれていたのだと。
……カサカサ。
真夏の生温かい風が、つい美しい光景に感動してしまった彼をあざ笑うかのように、その場の草木を、彼の汗ばむ頬を撫でていく。
再び、風が止んだ。
次の瞬間。
「うわああああ……」
男の断末魔が小川の静けさを引き裂いた。
人間の形を模したような弱い発光物体が形成されたように見えたが、数十秒後、何事もなかったように、その場に暗闇が戻った。