第三話【鋼鉄のアインヘリア】
「ワーム!?」
アルフレッドは姿を現したその化け物の名を叫んだ。
砂埃を巻き上げながら迫るのは、全長十メートルはある赤色の甲殻を纏った巨大な芋虫だ。
ワームと呼ばれるこの魔獣は、世界中で発生している巨大種と言われる危険な魔獣だ。砲弾すら弾く甲殻は大小幾つもの棘が生え、さらには鋼を難なく咀嚼する無数の牙や、魔導車に匹敵する速度を発揮する百を超える足。
生身の人間では、魔法を扱える者であっても抗うことが出来ない自然の脅威。
そんな恐るべき災厄の黒光りする複眼が、獲物であるアルフレッド達の姿を捉える。まるで餌を前にした獣のように、いっそう高い鳴き声をあげたワームは、手近に居た作業員のところに突撃して、情け容赦なく口から伸ばした触角で彼らを掴んだ。
「ぎゃぁぁぁ!」
「助けてくれぇぇ!」
「嫌だ! 嫌だぁぁぁぁ!」
触手に捕まった者達は必死に抵抗をするが、個人携行が出来る程度の火器や刃物では触手一つにすら抗うことは出来ない。
一瞬の後、ワームは悲鳴すらもその口内に取り込むと、骨と臓物が奏でる不協和音を響かせた。
原初的な捕食される恐怖がその場の人間を支配する。逃げなければならないというのに、体は蛇に睨まれた蛙のように動かない。
だがそれでもこの場に居るのは熟練の遺跡発掘者だ。即座に我に返ると、一同は全力で撤退を始めた。
勝てるかどうかではなく、戦いにすらならないのは目に見えている。
突如として現れた絶望に対して抗う術はない。それは、先ほどは勇敢にゴブリンメイジへと挑んだアルフレッドも同じだ。
「急げ! 騎士の居るベースまで逃げろ!」
声を荒げて周囲の作業員を率いているだけでも充分だろう。一部、混乱している作業員へ向けて激を飛ばしながら、アルフレッドも撤退を開始する。
しかし、逃げ出した人々を逃すほどワームは優しくなかった。逃げている中でも数が多い方に迫ると、再度触手を伸ばして食事を始める。
「固まるな! 狙われるぞ!」
アルフレッドはワームの動きからそのことに気づき、周囲へと伝えた。だがベースキャンプへの最短ルートからわざわざ離れて遠回りしようという者は殆どいなかった。原始的な恐怖が思考を麻痺させているのだ。
散り散りになったのは全体の三割にも満たないか。このままではまとめて食われるのが目に見えている。
「だったら!」
アルフレッドはその場に止まると、ワームのほうへ体を向けた。
そしてシリンダーに弾丸を込め、立ち止まって人間を食い散らすワームに向けて発砲する。魔法を使っていないとはいえ、ワームの甲殻は強化されたゴブリンメイジの皮膚を遥かに凌ぐ堅さを誇る。弾丸ではダメージを与えることは出来ない。さらに言えば百メートル以上も離れているため、どんなにワームが巨体とはいえ当たることもなく、弾丸は虚空を貫くだけに終わった。
だがアルフレッドの狙いはダメージではなく、発砲音によってワームの気をこちらに引くことだ。
案の定、銃声に反応したワームの巨躯がアルフレッドへと向く。
まだ距離は充分離れているというのに、押しつぶされるような圧迫感がアルフレッドの体に圧し掛かった。
気のせいだ。死の恐怖を重さと錯覚しているだけだ。
「こっちだ虫野郎!」
己で己を鼓舞して、アルフレッドはワームに向かって叫ぶ。
そして発砲。奇跡的にも複眼の一つに当たった弾丸は、火花を散らすだけでダメージを与えることは叶わない。
しかし、怒ったようにワームが奇声を上げてアルフレッド目掛けて突進してきた。
「そうだ! ケツを追いな!」
当然、真っ向からぶつかるつもりはない。アルフレッドは幾つもの古びた建造物がある遺跡の方へと走り出す。
勝算はないが、逃げ切る算段はある。一キロ四方にも及ぶ広大な遺跡によって足止めをして、時間を稼いだ後撤退。
これしか方法はない。覚悟を決めて、アインヘリアの残骸も放棄されている遺跡の残骸地帯へ突入した。
数秒遅れてワームも残骸地帯へ侵入する。錆びた鉄の柱や壁を砕き散らしながら愚直にアルフレッドへ迫るワームは、幾人もの人間を捕獲した触手を伸ばした。
背中越しに触手を見たアルフレッドは、目前の柱の裏側に隠れる。勢い余って触手は柱に激突した。
まずは一撃。
だが安堵も束の間、頭上の影が濃くなってきているのに気づいたアルフレッドは、空を見上げて驚愕した。
「いぃ!?」
触手によって大きく抉られた鉄の柱が倒れてきている。咄嗟に飛びのいた直後、砂塵を巻き上げて柱は大地に落ちた。
アルフレッドはせき込みながらも砂塵を抜けだす。背後にはこちらを探すワームの姿、逃さぬためにも発砲。
「死にたいのかよ、俺は……!」
時間稼ぎとはいえ、戦う手段も持たない癖にワームの気を引く己へ悪態をつく。だが始めてしまったことを今更悔やんでも仕方ない。
こちらに気づいたワームが方向を変える間に、より建造物の密集した場所へと走り出す。
再び始まる絶望の鬼ごっこ。死に物狂いで走り続けるアルフレッドの体を何度も触手が掠める。そのたびに死を予感しながら、奇跡的にも命の手綱を握り続けて、さらに走った。
行動がやけに煩い。荒々しい呼気も耳障りだが、何より背後の奇声と地鳴りが煩わしい。
疲労が蓄積された体は徐々に動きを鈍くなってきている。これ以上は限界だというのに、ワームは一向に離れないどころか、その距離を詰めていた。
──こんな馬鹿げたことで死ぬのか。
諦めがふと脳裏を過ぎった瞬間、それは必然ともいえるように、アルフレッドの爪先が瓦礫に引っかかって無様に地べたへ転んでしまった。
「しまッ……!?」
「■■■ッッ!」
咄嗟に体勢を立て直そうとするが、ワームはその隙を逃さずに触手を伸ばしてきた。真っ直ぐにアルフレッドの体へと迫る死への呼び水。死を前にして極限まで高まった集中力のせいか、アルフレッドは迫る触手の緩慢になった挙動を、他人事のように見た。
これはもう死ぬ。
予感ではなく確信があった。仮にこの触手を逃れても、ワームの巨体に踏み潰されてしまのがオチだ。
あの口で餌のように咀嚼されるか。
あの体でゴミのように潰されるか。
最悪の選択肢。活路はない。
「だからってぇぇぇぇぇ!」
死地にあって、アルフレッドは諦めを超えた。
夢があるのだ。そして夢のために誰かを守ると誓い、夢があるから生きようと足掻く。
自ら死地を望みながら、自らの生を望む矛盾。しかしその矛盾を成立させる夢に突き動かされて、アルフレッドは絶叫しながらリボルバーを触手に向けて発砲した。
シリンダーの四発目に仕込んでおいたLMBが火を吹く。奇跡的に触手の先端に炸裂した幻想の炎は、甲殻とは違って生身である触手を貫いた。
「■■■ッッ!?」
唐突に敏感な触覚でもある触手に発生した痛みにワームの軌道が乱れる。その僅かな乱れを見切って、アルフレッドは持てる全ての力を両足に込めて左に飛んだ。
足先を掠めるワームの巨体が、背後にあった巨大建造物に激突する。錆び付いた鋼鉄の柱やコンクリートの壁が崩れてワームに降り注ぐ。
「うぉぉぉ!? 俺、生きてる!?」
荒れ狂う鼓動。あふれ出す冷や汗。死線を越えたアルフレッドは、信じられないといった様子で腰を抜かしていた。
もう限界だ。ありえない。俺、今、死んだ。さっさと部屋帰ってうんこして寝る。
脳裏を駆け巡る意味のない思考。
直後、目の前の瓦礫の山が破裂した。
「がッ!?」
吹き飛んだ瓦礫がアルフレッドの体を強かに打つ。運悪く鳩尾にめり込んだ石のせいで、物理的に体の動きが停止した。
「ぐ……ぃ」
口から唾液を流して悶絶するアルフレッドの前に、瓦礫の山に沈んだはずのワームが現れる。
その複眼は憤怒のせいか赤く点滅していた。たかが餌にいいようにされた屈辱か、あるいは単純に危機に瀕した獣の焦りか。いずれにせよ、アルフレッドを生かして返すつもりはないらしい。
「■■■ッッ!」
絶望の咆哮が響き渡る。口内から十を超える触手を出したワームは、未だ痛みによって動けないアルフレッドに、その全てを解き放った。
今度は反応する暇すらなかった。神速の勢いで砂塵を貫いた触手は、苦痛に悶えるしか出来ないアルフレッドの体すら貫かん勢いで迫り──
その神速すら穿つ銃声が、濁流の如く荒野を荒れ狂った。
「■■■ッッ!」
戦車の砲撃にすら耐えるワームの甲殻に無数のひび割れが走り、その巨体が大きく仰け反る。その体目掛けて、砂塵を引き裂くローラージェットのタービン音を引き連れて、巨大な人間が激突した。
いや、それは人間ではない。人間を模した巨大な鉄の鎧。巨大魔獣や、人類の天敵たる魔族が蔓延る世界で、脆弱な人類が生き抜いてきて、あまつさえ覇権を握るまでに至った証拠物品。
「増魔兵装……アインヘリア」
そこには二足歩行で歩く八メートルはあるだろう巨大な人型の機械が立っていた。
流した魔力量によってその強度を変える神秘の金属『呼吸する鉄』によって作り上げられた人型の機械は、戦車を凌ぐ重量があるワームをその四肢でしっかりと持ち上げている。そして、四肢関節から余剰魔力が蒸気のように吐き出されると、力任せにワームの体を押出した。
現在も陸、海、空、ありとあらゆる戦場で最強の兵器としてとして活躍している魔法具、増魔兵装アインヘリア。アルフレッドの危機を救ったのは、アリストテリア帝国の量産型の中でも初期に作られた第一世代アインヘリア『サドン』だ。
所々塗装が剥がれた白色のメタリックボディ。初期型のせいか、重量を支えるために全体的に装甲が分厚く作られたためずんぐりとした見た目だが、ローラーダッシュによる加速で、一瞬にして時速百キロを突破する。
それでも、現在、最新鋭機である第四世代と比べるとありとあらゆる面で劣っているが、単純な構造と、戦争で作られた大量の予備パーツのおかげで、未だに前線でも主力として活躍している機体だ。全身が太い見た目とは対照的に、頭部に装着されたシャープな角から、『冠付き』という愛称で呼ばれている。
再度の窮地を救ったのは、アルフレッドの底力ではなく、現実に存在する機械の兵士だった。
サドンはワームを押出すと同時、右手を虚空に伸ばす。その掌から白色の魔方陣が展開され、黒光りする巨大なライフルが召喚された。
パイロットである『魔奏者』の魔力を増幅させるエンジン、『フェイク・レギオン』によって、アインヘリアの魔奏者は通常では扱えないような術式や魔法具を難なく扱えることが出来る。
そして今召喚したのは、帝国が量産配備している『ラインライフル』と呼ばれる魔力砲撃専用銃だ。アインヘリアからの魔力によって形成された弾丸の威力は、先ほどの通り、戦車砲では傷つかないワームの甲殻にひびを入れるほどである。
それほどの火力をマシンガンのように連射できるこの魔法具は、最も標準的なアインヘリアの兵装にして、最も凶悪と言われる武装だ。
ワームに向けられたラインライフルの銃口が火を吹く。内臓を震わせるような重低音にアルフレッドが悶絶している間に、無数の白い閃光がワームに突き刺さった。
「■■■ッッ!?」
ついに甲殻を砕かれて中身を抉られたワームが、紫色の血液を噴出しながら苦悶した。そんなの知ったことではないとばかりに、サドンは魔方陣にラインライフルを召還すると、続いて左手に小さな筒のような物を召喚した。
燃えるような白い魔力があふれ出したと思うと、その魔力の全てがサドンの持つ筒に集まり、魔力で形成された白色の刀身が展開された。
鋼鉄を遥かに凌ぐアインヘリアの装甲すら貫く出力がある近接武器、魔力結晶剣『ソードシリンダー』。
初期型のため、形状は剣のみしかないが、それでも威力は充分。足の裏についた砂漠用ローラーを回転させて加速したサドンは、腰溜めにソードシリンダーを構えると、体ごとワームにソードシリンダーを突き立てた。
高熱と超振動によって対象を切断するソードシリンダーを前に、ワーム程度の甲殻では抵抗すら不可能だ。容易に脇腹を貫き向こう側まで突き抜けたソードシリンダーを受けて、ワームは体を捩じらせる。
噴出すはずの血液すらその刀身で蒸発させながら、暴れれば暴れるほど傷口が広がることすら理解できていないワームの体を、サドンはトドメとばかりにソードシリンダーを斬り上げて切断した。
滂沱とあふれ出す血潮と裏腹に、先ほどまで煩かったワームの声が小さくなっていき、流血が収まると同時に物言わぬ骸となった。
戦いは、戦いとすら呼べぬほど一方的な決着をみせた。それは先ほどのワームとアルフレッドの差と同じ。いや、彼我の戦力差はそれ以上か。
これぞ、人類を守る巨大な砦にして、人類の争いを加速させた悪魔の兵器。
アインヘリア。
戦いに祝福された鋼鉄の尖兵よ。
──それはまるで、幼き日に見た鋼鉄の背中と同じ。幻想に抗う鉄─くろがね─の雄雄しき姿。
「あぁ、畜生……」
生き残った安堵より、その背中を見られた興奮のほうが勝っている己の愚かさに、アルフレッドは笑みを浮かべながら愚痴を漏らすのであった。
愚直と目指す夢がある。だが上を見上げる君の瞳は、その足元の歪さに、きっと気づいていないから。
人知れず不安と心配によって埋められた大地。その意味を知るのは、きっと、すぐ。
第三話【夢と希望】
上を見るのが子どもなら。下から支える大人が居る。
だから君の愚かな歩みは、穢れもなくて美しい。