第二話【銃は魔法より強し】
アルフレッドの愚直な突撃にゴブリンメイジは即座に反応する。既に数人が突撃を行っていたが、そのどれもが火球に炙られて倒れていた。
ゴブリンメイジの持つ杖の先端に炎が灯る。人間の顔ほどもある巨大な炎だ。顔面に直撃すれば眼球が沸騰して、そのまま器官を焼かれて窒息死。他の部位に当たっても重症は逃れられないのは目に見えている。
しかしアルフレッドは走る。それしか知らぬと、後退の螺子を吹っ飛ばしたかのように猛進しながら、左手のリボルバーの銃口をゴブリンメイジに向けた。
撃鉄を起こし、叩く。薬莢が弾かれ、炸裂した火薬が轟音と共に鉛弾を押し出した。螺旋の軌跡を砂塵に描きながら鉛の塊はゴブリンメイジに向かい、その顔の横を掠る。距離があるのと走りながらの射撃のために狙いが定まらないのだ。それでも立て続けに二射目、三射目。一発は肩に当たったが、ゴブリンメイジの体を僅かに後退させるだけにとどまる。
「■■■ッッ!」
むしろゴブリンメイジを激情させてしまった。耳を揺さぶる咆哮と同時、巨大な熱量は間髪いれずにアルフレッド目掛けて放たれた。
弾丸の速度と比べて遅いとはいえ、人間の反射神経では反応すら難しい火炎の軌跡に対して、アルフレッドは避けるでもなく前方にヘッドスライディングをしてみせた。
一瞬の交差。頭上を通り過ぎる炎の熱量を感じながら、勢いを殺さないように前転してから立ち上がり、走る。
「■■■ッ!?」
必殺の一撃を避けられて、醜悪な顔を驚愕にゆがめるゴブリンメイジ。その目前まで到達したアルフレッドは、異様に細長い眼球目掛けてナイフを振り下ろした。
全体重を乗せたナイフが杖に阻まれる。盛り上がる上腕。しかし強化の魔法で弾丸すら受け付けない肉体を得たゴブリンメイジに比べて、魔法を使っていないアルフレッドはまるで無力だ。
己の半分もない背丈の相手と、拮抗状態にすら持ち込めない。仕方ないとはいえ少々の虚しさを覚えつつ、そんな余裕を掻き消すように、杖を押出して距離をとったゴブリンメイジは、立て続けに力任せに杖を横薙ぎに振るった。
木製の杖とはいえ、でたらめな筋力で振るわれる一撃をまともに食らえば骨の一つや二つは簡単に持っていかれる。だが距離を離せば再び炎の餌食となる。
──なら前だ!
砂塵を蹴って、アルフレッドは空を舞う。足元を空振りした杖を飛び越えて、その銃口をゴブリンメイジの顔面に向けた。
「今度は外すか!」
引き絞られた銃爪。振り下ろされる撃鉄に遅れることなく弾かれた弾頭は、見事にゴブリンメイジの右目を貫いた。
「■■■ッッ!?」
激痛に悲鳴をあげるその目から、紫色の血涙が溢れる。この機会を逃さずに、着地にあわせて再び銃口を向けようとしたアルフレッドだったが、その視界を杖の先端が占拠した。
痛みに悶絶しながらも、戦意はまるで揺らいでいない。噴出する魔力を感じたアルフレッドは、総身を駆け抜ける悪寒に突き動かされるようにして横に飛んだ。
「『穿て、一掴みの灯火よ』」
所々発声が濁っていたが、言語に込められた魔力は世界に意味を成して炎じゃ再び顕現する。
ぎりぎりで回避が間に合ったアルフレッドの頬を掠めて炎は飛んでいく。炎熱は遠くで着弾して砂塵混じりの火柱を上げた。
当たれば体もろとも蒸発する。まさに必死の一撃から逃れたアルフレッドは、安堵も束の間、迫り来る杖を避けることもかなわずに、痛烈に吹き飛ばされた。
数メートルの滑空を経て乾いた大地を転がるアルフレッド。咄嗟にナイフとリボルバーを盾にしてみせたが、突き抜けた衝撃が脳を揺らして、即座に立ち上がることがかなわない。
両者の立場は逆転した。今度は外さぬと突きつけた杖の先端に火球を灯す。
「やばッ!?」
気づいたときには既に遅い。醜悪な顔をよりいっそう歪めたゴブリンメイジは、問答無用と無慈悲の炎は放った。
迫る紅蓮を避けることは出来ない。アルフレッドに出来た抵抗は、左手を射線上に翳すだけであり、そんな抵抗すら燃やし尽くして、爆発した。
直撃は、すなわち死だ。
これまでゴブリンメイジに向かってきた者達と同じく、彼もまた無様な焼死体を晒して──。
直後、火柱で舞い上がった砂塵の向こう側から鳴り響いた銃声と同時に、ゴブリンメイジの頭が大きく後ろに仰け反った。
「■■■ッッ!?」
額の痛みと、ありえぬ方角から聞こえてきた銃声に混乱する。何故という疑問は、遅れて飛び出してきたアルフレッドによって考える余地すらなくなった。
「う、ぉぉぉぉぉ!」
砂塵を抜けたアルフレッドの左手は炎の熱によって焼けどを負っていたが、それ以外に怪我を負っている様子はない。火球の火力に比べてあまりにも軽症すぎる。その理由を考えるほどの知能までは備わっていないゴブリンメイジは混乱するばかりだ。
必殺を超えることはおろか、軽症で済んだのは何故なのか。教えるつもりも、そもそも教えられるわけもないため、アルフレッドは左手の痛みを紛らわすように叫びながら、未だ熱のこもった銃身を握って、ハンマー代わりにグリップ部分をたたきつけた。
狙いはゴブリンメイジのこめかみだ。人間と似たような構造をしているため、弱点も似通っているゴブリンにとっても、例え強化されているとはいえこめかみに堅いグリップ部分を叩き込まれればひとたまりもない。
混乱のせいか反応が遅れてしまい、見事グリップの一撃はゴブリンメイジに炸裂し、そのまま吹き飛ばした。
地面を舐めるゴブリンメイジは、揺らぐ意識の中、本能が発する警告に体を震わせた。
命の危機が迫っている。
早く魔法で迎撃をせねば。
焦りは集中を乱すとも知らず、ゴブリンメイジは歪んだ視界に捉えたアルフレッドへ杖を向ける。
その間にアルフレッドはシリンダーを解放して薬莢を吐き出した。左手は使えないため、グリップを口に咥え、運よく引火することなく残っていた腰のポーチから弾丸を一発つまみ出す。
それは、弾頭にそれ自体が微量の魔力を含んだ鋼。そして炎を意味する術式を刻み込まれた、十発とないアルフレッドの切り札。
「アインヘリアの装甲にも使われている『呼吸する鉄』のカスで作られた特別製の『LMB(低級魔法弾)』」
指で弾丸を虚空に弾いてから再度右手にリボルバーを持ち直し、落ちてきた弾丸をそのままリンダーへ装填する。乾いた音と共に弾丸がシリンダーを回り、上がった撃鉄は弾丸の尻に向く。
差し向けた銃口と、杖が交差するのは同時。
睨み合う両者。
一陣の風が砂塵と共に吹きぬけ、両者の姿を隠す。
勝負は次の瞬間。互いの姿を捉えた時にこそ。
死線を跨ぐ刹那。
その前に敵手を葬るべく、ゴブリンメイジは魔力を乗せた言葉を口にし、アルフレッドもトリガーを絞った。
互いに差し出した命。
コール、そして、オープン。
互いの切り札を解放しろ。
「『穿──」
「遅い!」
銃爪が絞られ、シリンダーが回る。押出されたハンマーが炎の魔法を刻まれた弾丸の異能を目覚めさせた。
幻想の言霊を引き裂く鋼鉄の炸裂音が響き渡る。
炎の術式の後押しを得て通常の倍を超える速度で放たれた弾丸は、魔法や銃声が轟くよりも早くゴブリンメイジの脳天に風穴を空けた。
「早撃ち勝負だ。それなら銃は魔法より強しってね」
脳天を抉られて絶命したのを確認してから、アルフレッドは安堵の溜め息を吐き出した。周りで足掻く残党のゴブリンも、直ぐに制圧されるだろう。
加勢に行く必要もないし、何より大物を倒したことで疲労困憊かつ怪我も相当だ。腰に装着した水筒を取って、火傷を負っている左手にかける。
多少ひきつけを起こしているが、動かすことも可能だ。薬を塗って包帯を巻けば自然に治るだろう──火傷跡が残るのは仕方ないとして。
「おーい!」
遠くから先ほど助けた作業員がアルフレッドに駆け寄ってきた。気だるげに右手を挙げて応じる。男は屍を晒すゴブリンメイジと、ほぼ無傷のアルフレッドを見て、感心した風に目を見開いた。
「すっげ……流石、魔法を受け付けない体質だな、オイ」
「とはいっても完璧じゃないですけどね。完全な神秘系ならともかく、炎とか物質として顕現しちゃった魔力はこの通りですから」
火傷を負った左手を見せてアルフレッドは乾いた笑みを浮かべる。
「いやいや、それでも充分凄いぜ? そりゃ魔力使えないってのは残念だが、魔法使えるレベルの魔力なんて持ってる奴は少ないからなぁ。俺はアルフのその体質が羨ましいかぎりだわ」
手放しに褒めてくる作業員に、困ったような笑みをアルフレッドは返すばかりだ。
魔力。それはこの世界が生まれたときから、あらゆる生命に備わった神秘の力だ。それ自体はただのエネルギーに過ぎないが、意味ある言語、意味ある式などに魔力を付加することによって、様々な幻想を現実に起こすことが出来るのだ。
だがかつては誰しも扱えていた魔法も、現代では殆ど扱える者が居なくなっていた。それは単純に、人間が保有する魔力が魔法を扱えるほどの量ではなくなってきていたからである。
今では魔法は一部の選ばれた者にのみ扱える神秘であり、本来なら容易い相手であるゴブリンですら、魔法を扱えるようになれば、銃を持った人間の数人程度なら難なく倒せるほどになる。
その中でもアルフレッドは特殊な体質だった。魔力が一切扱えないのはおろか、外界に顕現した魔法をある程度無効化するという抗魔力体質。
ここで日夜危険と隣り合わせの作業員からは羨ましがられる体質であるのは確かだ。しかし、アルフレッドからしてみれば、己のこの体質は単なる落ちこぼれの総称でしかなかった。
「この体質のせいで俺は──」
「ぎゃあああああ!」
葛藤を露にしようとしたアルフレッドを遮る形で、荒野に新たな叫び声と大地を揺るがす地鳴りが響き渡った。
アルフレッドを含めて、その場に居た全員が叫び声の方角へ目を向ける。直後、苦悶の絶叫が頭を揺さぶった。
遠くから聞こえる地鳴りと、昆虫に似た鳴き声。砂埃の向こう側から、それは恐ろしい速度で姿を現した。
襲いかかる脅威。潜り抜ける死線。追いすがる心臓と脈打つ破砕。
屈しようとも前を向け。いつか見つめた背中を信じるならば、熱砂と唸る堅牢に、君は祈りの意味を知る。
第三話【鋼鉄のアインヘリア】
臆せず朗々と、その手に掴む神秘の光は、迫る終わりを砕いて散らす。
そして君は、夢を見た。