最終話・3【愚かと呼ばれる、君の名を━━】
このままでは危険だ。
ぶつかり合う両者の死闘の最中、クロガネは現状を冷静に分析していた。
性能面では、あらゆる部分でクロガネを纏ったアルフレッドがアールを上回っている。幾らその機能の殆どを失っているとはいえ、そこは最強のアインヘリア。魔神兵装を駆るに相応しい性能を秘めたパイロットスーツの力は、例え魔道強化兵とはいえ一対一であれば圧倒するのは容易だ。
しかし、経験値が違う。それに伴った技量の差が違う。
例えるなら拳銃を扱う兵士に、最新式のライフルを持った素人が突撃するような無謀さがそこにはある。
確かに一撃を与えればこちらに形勢は一気に傾くだろう。今アルフレッドが行使している力は、それほどまでの潜在能力を秘めている。
だが扱いきれない兵器を持った素人では、旧式でも、武器の扱いに慣れている兵士に万が一にも勝てる見込みは薄い。
アールはまさに己の力をしっかりと把握し、使いこなしていた。こちらの攻撃を回避し、逃れきれぬものは障壁でいなしつつ、反撃の手は丁寧に叩き込んでいる。
今はこちらも展開している障壁で防ぎきれているが、それもいつまで持つことか。こちらの障壁の最大強度がばれれば、後はそれを上回る一撃を叩きつけられておしまいだ。
当然、アールに果敢と攻め込むアルフレッドも、巧みに力をいなされていることは理解していた。
文字通りの年季が違いすぎる。性能差という決定的なものが、経験という確固たるもので互角のところまで引き上げられていた。
「意外に冷静だな魔神兵装の適格者」
悪戦苦闘しながらも、何とか一撃を与えるべく必死に体を動かすアルフレッドを、アールは冷めた眼差しで観察する。
仲間を殺した原因が目の前にいるのだ。もっと分かりやすく怒り狂ってもいいだろうにとアールは思うのだが、そんな彼の思考を斬り捨てるように、アルフレッドは鍵爪を袈裟に振るった。
「確かにアンタの言うことが真実なら、俺はアンタを許せないし、今もハラワタが煮えくり返って喚き散らしたくなる気分さ」
「では、何故その怒りを発露せん」
「そんなこと!」
追撃の拳はアールの展開した障壁を横合いから叩きつけられて空を切る。その流れに乗ったアルフレッドはさらに一歩踏み込んでアールの呼気が感じられるくらい近くまで顔を近づけた。
「結局、殺したのは俺だ! 俺が、選択を誤った!」
「……」
「だから、アンタにだけ全ての責任を押し付けるのは違う! そもそも……この後悔は、俺のものだ!」
クロガネの性能を遺憾なく発揮した膝がアールの脇腹目掛けて駆け抜ける。
咄嗟に飛びのいたアールだったが、その腹部の鋼鉄が僅かに触れ合い、夜に煌く火花を散らした。
惜しい。そう思ったのも束の間、後方に飛び退いたアールが、着地と同時にアルフレッド目掛けて飛び出してきた。
「ッ!?」
「遅いぞ! その程度の覚悟か、魔神兵装!」
振り上げられた拳から身を守らんと両腕を掲げたアルフレッドだったが、アールの放った拳は、両腕の隙間を抜けてアルフレッドの顎に炸裂した。
「ご、が……!?」
首ごと根こそぎ持っていかれそうな衝撃に苦悶する。いや、実際クロガネをまとっていなかったら、アルフレッドの首はおろか顔面が四散していただろう。
それほどの一撃が顎に炸裂した。障壁と鎧自体に備わった堅牢さと衝撃吸収能力で致命的ではなかったが、しかしアルフレッドの動きを止めるには充分な一撃。
「シッ!」
その隙を逃さずに、アールは鋭く呼気を吐き出すと、その間に人体の中心線にある急所に怒涛と突きをお見舞いした。
強かに打たれた肉体に、吸収しきれなかった力が痛みとなって襲い掛かる。揺らされた意識を取り戻すには充分でありながら、それ以上に体を突き刺す痛みのほうが強烈だ。
「こ、のぉ!」
しかしこの程度の痛みなら耐え切れる。苦痛を押し殺して、アルフレッドは目の前に立つアールの顔面に神速の蹴りを放った。
風を引き裂く一撃は、優しく添えられた掌に押されて、あらぬ方向へと流される。もろとも体を投げられながら、アルフレッドは虚空で体を強引に捻ってアールへ踵を振り下ろす。
不細工ながらも放たれた胴回し回転蹴りは流石に予想外だったのか、アールは僅かな驚きを覚えつつも、やはり顔を後ろにそらして何とか断頭台如き踵から逃れうる。
「まだまだぁ!」
だがアルフレッドの怒涛は止まらない。
地面を片手で弾き、その性能を生かして強引に虚空へと舞い上がる。
飛び上がったアルフレッドは、腰から漆黒のナイフを引き抜いた。
「ぬっ……!?」
「おぉぉぉぉ!」
ワームの甲殻すらバターの如く切り裂いてしまうナイフが弧を描く。上空より振るわれた乾坤一擲を、アールは体を捻って逃れた。
だが避けきるには至らなかったのか、胸部を浅く斬られ、胸の水晶にも僅かに傷が入る。
「やるな!」
アールは鮮血を流しながらもアルフレッドの腹を全力で蹴り抜いた。カウンター気味に入った蹴り足によって体がくの字に曲がり、炸裂した威力のまま砲弾のようにアルフレッドは吹き飛び、そのまま家屋に激突した。
「ぐはっ!?」
「怯むなアルフ!」
悶絶するアルフレッドにクロガネの激が飛ぶ。倒壊する家屋の残骸に飲まれながらも、アルフレッドは両目を強く光らせて応と答えた。
言われずとも、臆病になるつもりはない。腕の巻き布が腰の拳銃に絡みつく。アルフレッドの意思に呼応してそのまま引き抜かれた拳銃を握り締めれば、言うまでもなく魔力探知センサーが前面に展開された。
視界は家屋の残骸で閉ざされているが、アールの放つ膨大な魔力量を探知すれば目に頼る必要はない。
体に纏う鎧が白熱する。狙う先に一点集中。漆黒の熱量を充満させて、その全てを掴んだ撃鉄に叩き込め。
「『群れなす心臓』出力安定! 射線確保! 目標捕捉! 誤差修正完了! 今だアルフ!」
銃口に充満する魔力の塊。隷属させたおぞましき漆黒球へ、破壊の意思を込めた鋼鉄の切っ先をここに。
燃え上がる思いを力へ。叩きつける祈りこそ、『群れなす心臓』の源なり。
「ぶちかます!」
引き絞った銃爪から最大出力の魔力弾が放たれる。周囲の残骸をその余波だけで吹き飛ばすほどの恐るべき魔力砲撃、必殺の一撃を、あの冷めた面に叩き込む。
「ッ!?」
だがこちらがしたように、アールもまた魔力探知にてアルフレッドの一撃を事前に察知していた。体を丸ごと飲み込む闇が迫る直前、反射的に空へと飛び上がったと同時、巨大な魔力弾が先程までアールが立っていたところもろとも、射線上の家屋を根こそぎ食らい尽くしながら夜の闇へと消えていった。
「流石は魔神兵装……封印状態でこの威力とは……」
削られた大地を見下ろして戦慄するアール。だがそんな余裕が許されるほど状況は優しくなどない。
アールは充満する魔力反応を察知して、左手から魔力を放出することで中空にある体を動かし、遅れて突き抜けていった魔力弾を回避した。
眼下に目を向ければ、地表でこちらに銃口を向けるアルフレッドの姿。その両手にはいつの間にか二挺の拳銃が握られていた。
「行けるかクロ!」
「装填済みだ! 派手に散らせ我が主よ!」
「行っけぇぇぇぇぇ!」
銃爪が連続で引き絞られる。炸裂するマズルフラッシュと銃声を引き連れて、夜の闇よりも濃い漆黒の魔力がアールへと疾駆する。
経験が性能を凌駕するならば、さらに性能を引き上げて経験を凌駕する。
質より量でもなく、質を超えた質。圧倒的なポテンシャルでアールの全てを圧倒するしか方法はない。
空に昇る暗黒の流星群。轟き叫ぶ銃火の雨の中、アールはそれでも魔力による姿勢制御と障壁によって弾丸の直撃を逃れている。
だからといって止めるつもりはない。当たらないならば──
「当たるまで! 叩き込む!」
烈火の勢いで銃撃を繰り返すアルフレッド。アールはその果敢な攻勢に押されつつも、自身も空中で姿勢を制御しながらその左手をアルフレッドへと向けた。
「遠距離ならば……こちらも望むところだぞ!」
収束する魔力光。連続する銃声の音色に、アールが放つ不協和音が重なった。
左手からアルフレッドの展開する弾幕を貫く閃光が降り注ぐ。咄嗟に飛び退いたアルフレッドは、大地に突き立った閃光の起こす衝撃に体を揺らしながら、巻き起こった煙の向こう側へと目を向けた。
煙幕の向こう側から魔力反応。
「来る!?」
横っ飛びすると同時、突き穿つ光の槍が間一髪で横を抜ける。あまりの威力に目を見張る余裕すらない。「連続だ!」叫ぶクロガネの声に押されるように、アルフレッドは跳躍した。
煙幕を引き裂いたのはアールの放つ魔力の一撃。クロガネを纏うアルフレッドですら、本能的に直撃は危険だということが理解できるほど。
「えぇい! あんな切り札を用意していたとはな!」
「だけど、やるしかないだろ!」
悪態をつくクロガネと、覚悟を決めたアルフレッド。屋根の上に飛び退いた二人を狙って閃光が立て続けに襲い掛かる。
力に身を任せ屋根伝いにアルフレッドは走る。だが逃げるだけではない。アールの弾幕を縫って、アルフレッドもまた魔力弾を撃ち続けた。
二人の放つ銃声が重なり合う。荒野に轟く鋼鉄の二重奏。冷たい闇の中にありながら、燃えるような熱砂に心を震わして、白熱し続ける銃撃戦はさらに加速していく。
「やるな魔神兵装!」
「ハッ! 貴様なんぞに褒められても嬉しくも何ともないわ!」
「無駄口叩く暇あるなら、弾丸の一発でも撃ってみせろよ!」
高揚するアールに苛立ちを込めた弾丸を撃ち、そして撃ち返される。
身を削るようなスリル。
鼓膜を揺るがす銃声と、肌を燻る銃火の熱量。
込められた意思を力に変えて、漆黒と闇は終わることのない死闘を繰り広げる。
弾け飛ぶ木材と砂利。煙幕は二人を隠すカーテンとは成りえない。魔力の流れを目で見つめ、互いに鋼鉄を纏った男が煙に隠された世界で火花を散らした。
強い。
アルフレッドはアールに対して率直にそう思った。
彼自身が持つ力の強大さ。それを扱う技量。どれをとっても一級品。少なくとも、力を手にして日が浅いアルフレッドからすれば、胸の葛藤はおいておき、アールの強さは尊敬に値するものであった。
だからこそ、疑問に思うのだ。
「アンタ……どうして! どうしてアンタは俺の仲間を殺すような真似をした! その胸の魔法具がワームを操るもので、アンタ自身も力を十全に扱えるなら! アンタならこの世界をもっといい方向に変えられたはずだろ!?」
気づけばアルフレッドは思ったままにアールへと叫んでいた。その間にも重なり続ける銃声の中、煙幕の向こう側で薄く笑うアールを確かに見る。
「知れたこと。この力は陛下のために。我が忠誠はこの世界の未来を越えた先にあるのだ! ならばこの力、たかだか世界如きのために使ってやるものかよ!」
「そんな……そんなの! そんなことでアンタは俺の仲間を殺したっていうのかよ!」
いつの間にか接近した両者。伸びる左手を手の甲で払いつつ、銃口を向けて銃爪を引く直前にやはり腕を払われて弾丸は明後日の方角へと消える。
至近距離の銃撃戦。鼓膜を狂わす銃声にありながら、互いに吐き出す言葉だけは外界から切り離されたかのようによく聞こえた。
「力の是非など個人で違うものだ! 魔神兵装の適格者よ! お前が今纏っているその鋼鉄もまた、神にも悪魔にもなりうる力だと知れ!」
「確かにクロは特大の力だ! 俺みたいな素人がアンタみたいな奴と戦えてるのは、それだけクロが強いってことだろ! でも!」
咄嗟に左手の拳銃をアール目掛けて投げつける。その僅かな間に、アルフレッドは腰からナイフを引き抜くと、虚空を舞う拳銃を一閃した。
「ぐぅ!?」
両断された拳銃が破砕し、漆黒の閃光がアールとアルフレッドを飲み込む。四散した純粋魔力に目をやられてたたらを踏むアールへ、初めから覚悟を決めていたアルフレッドは魔力の爆発で悲鳴を上げる鎧を強引に動かし飛び込んだ。
「俺は! 英雄になるんだ!」
その覚悟が、この体を突き動かすから。
アルフレッドの両目が輝きを増す。腕の巻き布がナイフを持つ手に絡みつき、流出する魔力がナイフへと集い、その刀身が暗黒の光を宿した。
一閃。
煌く鋼が一瞬反応の遅れたアールの右手を肘から斬り捨てる。
アールは己が遅れを取ったという事実に、苦痛よりも早く驚きながら、返しの一閃から逃れるために後方へと飛び退いた。
「……驚嘆すべきだな。戦いの中、まさかさらに性能を底上げする。いや、これはお前自身の成長か、魔神兵装の適格者」
「違う。俺とクロ、二人の成長だ」
一人だけではない。
アルフレッドとクロガネは、二人で共に強くなる。
「だから俺は間違えない。アンタみたいなくだらない理由に力を使わずに、ましてやクソッタレな現実に屈することもせずに……不確かだけど真っ直ぐに英雄になってみせるんだ」
「英雄、か……神でも悪魔でもなく、あくまで人の身で人を超えると、そうお前は叫ぶか……しかも、具体的な道も定かではないと知りながら」
「そんなの知るか! 知らないけど、なるって決めたんだ! だったら我武者羅にやるだけだろ!」
「滅茶苦茶だな……だが──」
面白い男だ。アールは口元を吊り上げながら、流血する右腕の切り口に左手を軽く添えた。
殆ど失われた生身だった部分のさらなる喪失に思うことはなかった。ただ、アルフレッドとクロガネ。その二人の成長に喜びだけを感じていた。
「確かに、お前から見れば俺のようなものは間違っているようにみえるだろう。だがな、知るがいい……お前にとってくだらなくても、否、諸人が見てくだらないと思えることも──私にとっては、至福なのだよ」
故に、この忠誠に全てを捧げる。
瞬間、アールの左手から最大規模の魔力が放出された。
「ッ!?」
「……全霊を注いだところで! 行けアルフ! 出力勝負なら、我がレギオンに勝るものなどこの世に存在せぬわ!」
左手の魔力砲に全ての魔力を収束させて放つ算段か。そう当たりをつけたクロガネは、直後、違和感を覚えて口を噤んだ。
そのクロガネの様子にアルフレッドは疑問を覚え、アールはさらに口角を吊り上げる。
「程度を示せ魔神兵装……最早、加減はせぬ。我が全霊、我が渾身──」
アールの放つ魔力が渦を巻いてその体を覆い隠す。小規模の竜巻となった魔力の螺旋の中、視覚化された魔力が鋼鉄を肉として、新たな身体を作り上げていた。
「コレはまさか……!」
クロガネは自身のデータベースに登録された情報を引きずり出し言葉を失う。だが即座に気を持ち直すと「早く奴を潰せ我が主!」とアルフレッドを炊きつけた。
「ッ。おぉ!」
その声に呼応してアルフレッドは右手の拳銃に両手の巻き布を絡め、現在放出している全ての魔力を一発の弾丸に変化させる。ワームの体を貫く力を誇る今の両手ですら、押さえきれずに手が震えるほどの破壊力。アールを十度殺して余りあるほどの力を強引に収束させ、迷うことなくアルフレッドは銃爪を引いた。
「コレで最後だ!」
特大の魔力弾。大砲のそれと遜色ない轟音が響き渡り、反動で踏ん張った足が地面にめり込むほどの火力が顕現する。
眼前の竜巻を飲み込むほどの規格外。アールが何をしようが関係ない破壊にて、この戦いに決着を──
「いや、遅い」
もたらすには、彼らの行動は僅かに遅かった。
直後、白銀の閃光が魔力弾と拮抗を果たし──結果、渾身の一撃は突如現れた白銀と混ざり合い、消滅した。
「なっ!?」
これ以上ない全力を防がれた。
絶対的な性能差があったはずの両者。だが放った最大は、圧倒的に劣っているはずのアールの力と拮抗した。
それはつまり──
「着装したか……!」
クロガネが歯噛みをしながら前方を睨む。
絶対的な力に比肩する絶対の力。魔神兵装に拮抗するその力の正体こそ、同じく鋼鉄の城。
煙の向こう側、赤に染まった二つの双眸がアルフレッドとクロガネを射抜いた。
それは鋼鉄。
それは巨人。
聳え立つ極限の名を、人は畏怖と畏敬、そして憧れを持ってこう呼んだ。
「増魔兵装……アインヘリア……!」
アルフレッドの呟きに応じるように、煙幕を引き裂いて、人間を遥かに越えたその巨体が姿を現す。
灰色に染まった鎧は、まるで悪魔の如きシルエットだ。サドンと比べると一回りほど細い装甲だが、それは決して防御が薄いという印象を与えない。むしろ手の指や肘、肩や顔に至るまで剣のように鋭く尖った姿は、より攻撃的で、さながら悪魔の如き威容であった。
それこそ人類の敵を圧倒する最強の人型極大魔法具、増魔兵装アインヘリアのオリジナル。かつての大戦で猛威を振るった究極の兵器の力こそ、先程のクロガネの一撃を防いで見せた力の正体だった。
だが二人の衝撃はその巨人を見たからではない。
いや、確かに驚きはある。だがそれは、アインヘリアを見たからではなく──
「馬鹿な……あれは」
「クロガネ……だよな?」
先日サフランと共に見た封印されたクロガネの完全なる姿と、そのアインヘリアの姿は完全に瓜二つであった。違うのは装甲の色だけであり、それ以外は細部に至るまで全てが魔神兵装と呼ばれる最強のアインヘリアそのもの。
戦慄に震える二人を前に、その鎧を纏ったアールは厳かにその名を告げる。
「強化型魔人兵装『ヴィジョン』……魔神兵装クロガネを正確に模した至高の贋作。これぞ、陛下より賜った我が絶対の矛盾なり!」
かつての大戦で、数多のアインヘリアを生み出した恐るべきオリジナル。魔神兵装クロガネ。
その力を模倣して作られたアインヘリアの、その『試作型』。
「さぁ、この力を超えて! 俺に貴様の全てを示せ! 魔神兵装クロガネェ!」
燃え上がる魔力だけで周囲の残骸が吹き飛ばされる。大戦で猛威を奮った最強の人型兵器は、五百年の時を越えて、そのオリジナルに向けて鋼鉄の牙を剥くのであった。
─
遠くから音が聞こえる。響き渡る音は、腹の底から響く重低音。鼓膜を弾く轟音は、脳髄を芯から揺さぶる死の音色だ。
「……あぁ、こいつぁ」
懐かしい、前線の歌だ。
誰も彼もが音色が一つ奏でられるたびにくたばっていく。悲鳴は繰り返され、怨嗟は場を満たし、それでも足りぬ足りぬと戦場音楽は広がっていく。
本当に、懐かしい。
サフランは朦朧とした意識の中、今も繰り広げられている王国と帝国による闘争の場を思い出しながら、静かに覚醒した。
「……ここ、は?」
視界に入ったのは目を焦がす火花だけ。うっすらと曇っているのは、フェイク・レギオンより漏れ出た魔力のせいか。
「ぐ、は……ゴホッ! ゴホッ!」
意識が浮上すれば、曖昧だった痛みも戻ってくる。肋骨をやられたのか、咳き込むだけで身体に痛みが走る。
一先ず、億劫な指先だけを頼りに、緊急用の動力炉の稼動スイッチに触れて起動させた。完全に停止していたコックピット内に明かりが灯り、サフランは口元を僅かに歪めた。
「おいおい……マジかよ」
破砕したコックピット内。本来なら周囲を映し出すモニターも半分が欠けており、今も尚火花が散っている。
だがサフランが驚いたのは、そんなことよりも、破砕したコックピットのパーツの一部が、己の胸部に突き刺さっていることだった。
「ごふ……」
自覚と同時に、こみ上げた熱血が口元から溢れ出た。
苦しいのは肋骨をやられたのもそうだが、肺を片方潰されたからか。冷静にそんなことを思うが、状況は好転するわけでもなく、こうしているだけで意識が再び途切れそうになる。
一応応急キットは搭載されているが、これほどの傷では手当ては難しいだろう。なのでサフランは胸に生えた鉄はそのままに、痛みを堪えながらネイルブを操り各部のチェックを開始した。
「……フェイク・レギオンは無事か」
動力炉たるフェイク・レギオンは健在。
しかし、メインカメラは全壊し、サブカメラも見る限り殆ど機能していない。登録された召喚魔法も喪失。何より、フェイク・レギオンから流れる魔力を全身に伝える主回路が断絶し、外に漏洩しているせいでサドンは殆どの機能を失っていた。
おかげで、コックピット内に充満した膨大な魔力のせいでサフランは魔力中毒に似た症状を引き起こしていた。
肺が潰れたことと、魔力中毒のために呼吸の苦しさは尋常ではない。常人なら苦しみもがきそうなところだが、サフランは冷静な思考のまま、サドンのコックピットを開放した。
「ッ……」
瞬間、サドン越しで遠かった外の音が耳を震わし、吹き付ける熱砂と炎にサフランは目を細めた。
「……あれ、は」
ぼやけた視界の先で、二つの漆黒が踊っている。
一方は見慣れた影。悪魔の鎧を身に纏ったアルフレッドと、その鎧自身であるクロガネ。
そしてもう一方は、ワームの群れすら打倒する力を持ったアルフレッドに、生身で互角以上の戦いを繰り広げる見知らぬ男。
「……そういう、ことか」
サフランはあの男こそ、先日のワーム戦でこちらを狙い打った閃光の主であると直感的に悟った。
ならば統制された動きをみせるワームを先導したのもあいつだろうか。定かではないが、そう考えれば今回と前回の異常なワームの動きには納得がいく。
何せ、『喪失された秘術』を操るアルフレッドと戦えているのだ。あれもまた、同じく『喪失された秘術』の使い手と見ておかしくない。
「油断、か……」
サフランはサドンのコックピットからゆっくりと抜け出し、頭部が完全に消し飛んだサドンを一瞥した。
アルフレッドと決闘で気が緩んだのか。いや、それは言い訳にもなるまい。
「俺も、まだまだだな」
戦場を乗り越え、一角の騎士になったつもりだったが、この様だ。肺を潰され、魔力中毒で四肢の末端の動きも怪しくなっている今のサフランでは、直ぐ傍で繰り広げられる戦いから逃れようにも動くことは出来ない。
今は運良く流れ弾を受けていないが、それもいつまで持つか分からないだろう。
ならば、このまま静かに戦いが終わるのを待つのが最善か?
「そういうわけにも、いかねぇよな」
俺は、帝国を守る騎士で──そうだ。
嘘吐きで、裏切り者で、それすらも中途半端でどうしようもない、騎士とは呼べない男かもしれないけど。
「そんなんでも俺は……大人なんだよ、アルフ」
ならば、若者を守り、導くのも自分の役目だ。
サフランはそう己を叱咤すると、血反吐を吐きながら、今の己に出来るたった一つの役目を果たすべく行動を開始した。