最終話・1【愚かと呼ばれる、君の名を──】
一方、地上のほうは突如として現れたワームの軍勢に飲み込まれ、混乱の極みにあった。
暴れまわるワームは、兵士達の放つ砲火の雨に飲まれながらも次々とベースキャンプ内を荒らしまわっている。
最早、この状況では戦力の出し惜しみは不要だろう。住民達を避難させていることも幸いしたため、現場の指揮を取っていたサフランは即座にベース内でのアインヘリア戦力の投入を決意した。
クロガネとアルフレッドに関しては──確保は不可能だろう。まさに奇跡的ともいえるタイミングでワームの横槍が入り、そのドサクサにまぎれてクロガネは姿をくらまし、そしてアルフレッドのいる駐屯地は今まさにワームの蹂躙で倒壊してしまったのだから。
サフランは何とか駐屯地から離脱し、崩れ落ちるその姿を神妙な面持ちで見つめていた。
「……」
「サフラン魔術騎士。サドンはいつでも出撃可能です」
「……わかった。準備急げ」
「了解!」
兵士達と共に、サフランはアインヘリア輸送用のコンテナへと踵を返す。
すまないという思いは脳裏に過ぎった瞬間振り払った。
死んだのなら、帝国の脅威がなくなったというだけであり、生きていても捕獲するだけでしかない。
いずれにせよ、サフランは彼らを裏切ったのだ。その事実は覆しようがないし、今更覆すつもりなどない。
「……ツケは払うさ」
混乱する戦況の中、このワームの群れが何故ここを襲ってきたのかを考えることをサフランは止めた。
或いは、これこそ未来の芽を摘み取った己に課せられた罰であると思って。瞳に浮かびそうになった悲壮感は乗り込んだ鋼鉄の鎧で覆い隠し、サフランは両腕より放出した魔力をサドンの内部へと注ぎ込んだ。
「『フェイク・レギオン』起動! サドン、緊急発進するぞ!」
暗いコンテナの中から、サドンの両目が閃光を放つ。魔力という血を注がれた鋼鉄は鼓動を奏で、搭乗者であるサフランの意思を汲み取り、その両足のローラーを駆動させて一気に外へと飛び出した。
勢いがつきすぎて危うく目の前の家屋に激突しそうになりながら、巧みにバランスを取り方向を切り替える。半回転したサドンの視線の先には、兵士達の弾幕をものともせずに暴れまわるワームの姿。慌てずにラインライフルを召喚したサフランは、モニターの右上に展開されたセンサーのほうを見た。
「……ベース内のアインヘリアは俺を含めて四機。外周の戦力は十機のアインヘリア……敵ワームは百以上。クソ、いつの間にこんな大規模な集団が出来上がったんだ?」
悪態をつきながら、既に分かりきっている予測を三つ瞬時に脳裏へ浮かべる。
可能性は三つだ。
クロガネの膨大な魔力をかぎつけたワームが群れを成して襲ってきたか。
捕縛されるという窮地を乗り越えるため、クロガネに搭載された何らかの能力がワームを誘い出したか。
そしてもう一つは──
「あの閃光の持ち主か?」
センサーにも映らぬ超長距離から、サフランのサドンを半壊にまで追い込んだ謎の攻撃を行った者。
可能性として三つ上げたが、まず間違いなくこの謎の襲撃犯が犯人だと思っていいかもしれない。サフランは思考している間にラインライフルでワームを一匹撃破しながら、アインヘリアの魔奏者全員に通信を飛ばした。
「報告の通りだ! このワームの襲撃にもう一つの『喪失された秘術』の介入がある可能性は高い。全員周囲の警戒を怠らず、盾を召喚することも忘れるな! ありがたいことベース内のワーム以外は全員一方向からしか来ていない! 予備の魔奏者も居るんだ、五機で前衛、後衛を分けて、前衛は魔力切れを気にせず踊りまくれ!」
サフランの檄に心地の良い返答が幾つも返ってくる。
その返事に満足げに頷きを返したサフランは、再度ローラーを回すと、背後から飛び掛ってきたワームをソードシリンダーの一振りで縦に斬り裂く。
「邪魔だ!」
サフランは振り上げたソードシリンダーを振り下ろした。闇に輝く白色の刀身が、光の尾を引いてワームの体を容易と引き裂く。
断末魔の悲鳴をあげる暇すら与えない。顔面を大きく切り裂かれたワームのその複眼に一つにソードシリンダーを根元まで突きたて、切り上げる。半身を裂かれたワームは最早動くことも出来ず、その瞳から光を失って力なく荒野に倒れた。
これで残りは一匹。
センサーの反応を確かめたサフランは、ベース内に居るサドンに外の迎撃を命じると、自分は残り一匹のところにまで走り出した。
一刻も早く外に合流を果たさなければならないだろう。現状は何とか押さえ込んでいるようだが、百匹のワームの軍勢を食い止めるなど何れは限界が来るのは目に見えている。そして戦線が瓦解すれば、後は乱戦となり、物量の差は重く圧し掛かるだろう。
既に補給基地側に増援は送っているが、それまで耐え切ることが出来るかどうかは半々といったところ。
その前に一匹でも多くワームを蹴散らし、場をもたせてみせる。サフランは、あらゆる葛藤を飲み込んで、今はそのことだけに意識を集中させた。
そんなサフランの意思に感化されたかのように、瞳の色をより強くしたサドンのローラーが回転数を上げる。荒野を流れる一陣の風となったサドンは、尚暴れ狂うワームを遂に目視できるところまで近づいた。
「一気にケリをつけるぞ……!」
目前の敵を凝視して、手にしたラインライフルの銃口に魔力の光を収束する。
ワームはこちらに見向きもせずに破壊活動を繰り返していた。サフランは無防備にもその醜い体を晒すワームに断罪の一撃を与えるべく銃爪を引こうとして、違和感に気づいた。
「あれは?」
無秩序に暴れているように見えたワーム。だがその動きはまるで何かを探し当てようとしているみたいであり。
そんなワームだったが、おもむろに動きを停止して一点にその複眼の視線を注いだ。
警戒するように複眼を輝かせるワームの視線につられるように、サフランもサドンの体を視線の方角へと移す。
一体、ワームが何を見つけたというのか。その答えは、瓦礫と化した駐屯地を吹き飛ばした黒色の何かが指し示した。
「ッ!? 魔力反応……こいつは!?」
センサーがサドンを遥かに凌ぐ魔力を感知する。それは目に見える破壊として、駐屯地を吹き飛ばした黒き閃光。
そしてそれは、サフランが数日前に目撃したあの黒色に違いない。
夜空を駆け抜ける暗黒の煌きは、遥か上空まで飛び立った後、目を焦がす白い閃光となって弾け飛んだ。
「ッ!?」
サフランはおろか、その場で戦いを繰り広げていた全ての者がその閃光を目撃する。戦場に現れた神聖でありながら堕落した白色。それは一瞬で収束すると、夜空の黒にまぎれることない確かな漆黒として具現する。
僅かな点にしか見えない黒から、億の骸から搾り出した鮮血で編まれたような真紅の帯が二つ伸びた。
存在を示すのは、暗く輝く二つの赤い瞳。強固な意志を戦意として漲らせる瞳を輝かせ、天に生まれた漆黒は、流星となって虚空を蹴り飛ばし一気に地表へと飛び出した。
「■■■■ッッ!?」
落ちる先には、サフランが狙い撃とうとしたワームが立っている。ワームもそのことに気づいたのだろう。咄嗟に触手を伸ばして流星を迎え撃とうとしたが、そんな抵抗を気にも止めず、一筋の煌きはワームの触手を引きちぎり、その鋼鉄を凌ぐ甲殻を突き破って尻の部分まで突き抜けた。
激突の瞬間、発生した土砂のカーテンが距離を隔てたサフランの下にまで広がる。一瞬ではあるが視界を奪われたサフランは、咄嗟にサドンのローラーを回転させて後方に下がった。
「ぐっ……こいつは……!?」
砂塵を抜け出したサフランは、センサーの感度を最大まで上げて砂塵の方角を警戒した。
知っている。
あの時も、突如として自分の目の前に現れたあの漆黒を、俺は知っている。
そして、サフランの予想の通り、吹き抜けた強風によって洗い流された砂塵の奥からそれは姿を現す。
愚直なまでの意思を秘めた漆黒の鋼。両腕に巻いた鮮血の帯を靡かせて、ワームの死骸を背中にして真っ直ぐにこちらを見つめる二つの双眸。
「アルフレッド……! お前は……!」
「……その声は、サフランさんですね」
現世に具現した悪魔の如き鎧──魔神兵装クロガネを身に纏ったアルフレッドが、静かに呼応した。
生きていた。という思いは後回しだった。僅かに感じた安堵の思いなどもってのほかだ。
生きていた。ならば、成すべきことは只一つで、この混乱した状況下で、その力を野放しにするなど出来なかった。
サフランは何かを言おうと開いた口を紡ぎ、代わりとばかりにラインライフルの銃口を差し向けた。
「……武装を解除しろアルフレッド。今ならまだ間に合う。抵抗せず、こちらの言うことを聞くなら──」
「そんな状況ではないはずです。さっき飛び出して見ました。ワームの軍勢が来てるなら、俺だって!」
「子どもの力なんかアテにするか。あの程度なら現状のアインヘリアで何とか持ちこたえることは出来る。そして、既に救援のほうは送っておいた。いざというときに待機させていた補給基地の兵力の全てが今こちらに急行している……お前の力は要らない。むしろ場をより混乱させるだけだ」
「……サフランさん」
問答無用の言葉に、アルフレッドは何かを堪えるように下を向いた。
だがそれも束の間、纏った鋼鉄と同じく、揺ぎ無い意志を宿したその瞳で、アルフレッドは抗うようにサフランの乗るサドンを見据えた。
不意に、その瞳から感じた見えない圧力とでも言うべきものに、サフランは僅かに顔を顰める。
鋼鉄に覆われているが分かる。あれは覚悟を決めた男の目だ。
「降伏しないのか。アルフレッド」
「降伏はしません」
「……なら、どうするつもりだ!」
知らず荒げた声に対する答えは、踏み出された力強い一歩だった。
「例えサフランさんや、他の人に何かされようが、まずは目先の脅威を取り除く。そしてそれから速攻でここから逃げ出す……これが俺のするべきことだ」
「……お前を騙し、そして今まさにお前に銃爪を引こうとしている俺を前に、よくそんなことが言えたもんだな。分不相応な力を纏って増長したか?」
「そんなことないですよ……なぁ、クロ」
アルフレッドは胸に刻まれた『鉄』の一文字に左手を重ねた。
再び重ねた唇が教えてくれた。
一方的に心を露にするのではなく、クロガネは己の心も自分に晒してくれた。
不甲斐なさ。
己への憤り。
無力への悔しさ。
何より、今も心を痛めている自分への申し訳なさ。
その全てをクロガネはアルフレッドへと伝えてくれた。
ごめんなさいと、言葉ではなく心で伝えてくれた。
「俺は……俺たちは弱いんだ」
それはアルフレッドも同じだった。
クロガネと同じで、頼りなく、無力に嘆くだけの情けない奴だけど。
「でも、二人なら前に進める。二人なら言葉に出来ない胸の誓いだって、嘘じゃないって叫べるから」
「それも所詮、力を持った増長に過ぎないぞ! お前のものでもない力で何を語れる!?」
心を穿つサフランの言葉は真実だ。事実として、アルフレッド本人には何の力も無くて、この身の鋼はクロガネの力でしかない。
返す言葉もないアルフレッドにサフランはさらに言葉の刃を叩きつけた。
「事実を見ろ! お前の持っている力は個人が持つには大きいが、世界を変えるには矮小すぎる! 中途半端な力で英雄だなんだとほざくな! 目の前の現実に返す言葉も無く、只無駄に大きな力を得られただけの小僧に!」
「叫べる!」
アルフレッドは漆黒の腕を顔の前に掲げて、強く握りこむ。
強く握ったその手にこそ、叫ぶべき真実があると知っているから、アルフレッドは返す言葉も知らないままに、叫ぶことを闇雲に叫んだ。
「俺は英雄になってやる! この世界を丸ごと守れるくらいのでっかい英雄に!」
「それは子どもの屁理屈だ! 現実も見れず、力の恐ろしさも知らず、お前の──」
「理屈なんてどうでもいいんだ!」
アルフレッドは叫んだ。
言葉通り、理屈など何処にも存在しない子どもの我侭な絶叫で、まるでそこには説得力なんて何処にもなかったけれど。
しかし、サフランは飲まれた。
理屈も現実もどうでもいいという子どもの純粋な我侭。
それしかないから、それを叫んでみせたアルフレッドの意思に飲み込まれた。
「あぁそうさ! 現実とか理屈とかそんな小難しいことはどうでもいいんだよ! 俺は俺だ! 俺だから英雄になりたいって思ったんだ! あの鋼鉄の砦になってみせるって誓ったんだ!」
だからこそ──あぁ、訂正しよう。
この意思を通すために、サフランを避けては通れないから。
「だから! この胸の誓いを証明するためなら、アンタとだって戦ってみせる!」
意思を貫くために、刃を掴み、銃を握る。
覚悟を決めたアルフレッドの姿を見据え、サフランもまたネルブを掴む手に僅かに汗を滲ませた。
互いに引く気はない。
外の喧騒が遠くに感じられるほどに両者の間に流れる空気は静寂していた。
「……そうか」
なら、最早言葉は不要だ。
サフランは手に持ったラインライフルを召還すると、再度右手から溢れさせた魔力にて、虚空に召喚陣を描いた。
自分でも何を愚かだとは思うが、目の前の少年との戦いには、正々堂々と騎士らしい一騎打ちが相応しいと思ったのだ。
「抜け……その瞬間、お前を撃つ」
裏切った自分が、今更正々堂々とは愚かだがな。
内心でそう己を詰りつつ、サフランは鋼のように冷たく硬い声でアルフレッドにそう言った。
対するアルフレッドもまた、腰のホルスターに備えられた漆黒の拳銃の上に手を添える。朝日に誓った思いを胸に、その意思を表す力にて自分の全てを証明してみせるために。
「分かった……勝負だ、サフランさん」
闇夜の荒野に二つの影が相対する。
白と黒。
騎士と悪魔。
裏切った者と裏切られた者。
現実と理想。
大人と子ども。
二人を表す言葉は無数とある。そのどれもが相反するものであれば、きっとこの決闘は必然だったのかもしれない。
だからこそ、交わす獲物は只一つ。
「……」
「……」
この手に握る──鋼鉄でつける。
「アルフぅ!」
「サフランさん!」
サドンの右手が魔力の結晶を握りこみ、その手にラインライフルが顕現するのと、アルフレッドが腰のホルスターから拳銃を引き抜くのは同時だった。
思考が加速し、世界が遅延する。伸びきった意識が、両者共に必殺を抜いて構えるのを捉えた。
銃爪を引く。その動作の一瞬、サフランは鎧を纏ったアルフレッドの横に、クロガネの幻影を見た。
一人ではない。
共に拳銃を持ち、銃爪に指を添える。互いを支えあうようにして立つ漆黒の姿。そこには最早、先程は言い様に言われ続け、惑いに惑っていた少年は居ない。
そこに立つのは、鋼鉄の意思を鋼鉄の鎧で武装した戦士。
非道にもなりきれず、外面だけを取り繕って騎士であらんと思い続けていた自分とはまるで違っていて。
「あぁ……畜生」
惑っているのは俺のほうだった。
銃声が響き渡り、魔力と鋼鉄が合わさった漆黒はラインライフルの銃口に突き刺さる。
勝負は一撃で決着する。ラインライフルを砕かれ武装を失ったサドンへと銃口を向けたままで立つアルフレッドは、サドンが抵抗しないのを見て静かに銃口を下ろした。
「……殺さないのか」
「俺は証明するために戦いました……別に殺すつもりなんてなかったですよ」
「ふ……甘いな」
「でも、甘いほうが、優しいです」
アルフレッドの返事にサフランは苦笑すると、ローラーを稼動させてサドンを反転させた。
「サフランさん……」
「行け。我々はワームの襲撃により『喪失された秘術』及びその使用者を見失った……それ以上の譲歩は出来ん」
「俺も、戦い──」
「ワームは明らかにお前を、いや、お前の纏っているクロガネを狙っていた」
アルフレッドはサフランの言葉に声を失う。
「……お前が居なくなれば、ワームはお前を狙って移動するかもしれない。そして、もしそれが事実なら、お前は英雄になるといいながら、いたるところにワームを呼び寄せる災いの如きものとなるだろう」
それでも、お前はまだ胸の誓いを掲げられるのか?
そう問いかけようとして振り返ったサフランは、鮮血の如きアルフレッドの両目を見据えて、止めた。
「もしそれが本当だとしても……それならそれで、ワームをこの世界から根こそぎ全滅させられる。それだけの話です」
アルフレッドの迷い無い応えに、サフランはどうしようもないくらいに呆れ、それ以上に楽しい心地になっていた。
「ったく、お前の答えは穴だらけすぎて……本当に出来ちまいそうで、笑えるよ」
「サフランさん……!」
「これ以上、外の奴らを待たせるわけにもいかん! ……元気にやれよ、アルフレッド」
大人になんてならないでいい。
子どものまま、無垢で純粋に強くなれ。
そう願い、サフランは外の戦場へ合流するために、ローラーを回転させてサドンを前進させていった。
アルフレッドとクロガネは、遠く走っていくその白銀の背中を見守る。
裏切り者で、でも、目を逸らしていた現実の厳しさを教えてくれた大人。もう二度と会うことはないから、せめてその背中だけは目に焼き付けておこうと。
そう思った、その目の前で、サドンの巨躯が爆発した。