第二十一話【私の力と、君の心・2】
アルフレッドが尋問を受けるより僅か前、それはあまりにも唐突に姿を現した。
「何だ、アレ……」
始めに気づいたのは誰だったか。
夜の荒野。星と月明かりだけしかない荒地の地平線の向こう側から、それは黒い影の塊となってゆっくりと、だが確実に迫ってきた。
徐々に迫り来る闇の大波。荒れ狂う大海の波とは違う不気味な闇は、現実に追いつけぬ兵士達がライトを当てた瞬間、その影の正体を露にした。
「ワ、ワームの群れだとぉ!?」
それは五十を超えるほどの不気味な赤い瞳の群れ。まるで何かに惹かれるかのように我先にと、ベースキャンプ目掛けてワームが迫っていた。
「拙い、本部に連絡を──」
急ぎ魔道車に搭載された通信用魔法具で応援を要請しようとした兵士だったが、それが叶うことはなかった。
反応することも出来ず、魔道車が突如襲来した白銀の閃光に飲み込まれて消滅する。
ワームほどではないが人を乗せて走ることが出来る魔道車を容易く飲み込めるほどの閃光と威力。抵抗することも出来ず消えた魔道車の向こう側から、その破壊をもたらした物が静かに姿を現した。
「……つまらん。かつての大戦の魔法具ならば、この程度は防いでみせたぞ」
機械で構成された鋼鉄の義手を構えた男の掌。そこから展開された魔法陣から放たれた閃光こそその正体だ。
男は無表情のまま消滅した魔道車のあった場所を一瞥すると、駆け抜けてくるワームへと視線を向けた。
既に間近まで迫りつつあるワームに男は向き直ると、おもむろにマントで隠された胸部を外気に晒した。
衣服を纏っていないその上半身は胸の中心からほぼ腹部の全てが鋼鉄で覆われている。
その中心。心臓部分に当たるところには真っ赤に輝く水晶のような丸い結晶が搭載されていた。
「『異質の杖』、起動」
男は淡々とした口調でそう告げると、その体から闇に染まった魔力を流出した。現代では考えられないほどの膨大な魔力は体全身を覆い隠すほどだ。
それほどの魔力が全て胸部の水晶へと注がれる。暴食するかのごとく魔力を飲み干した水晶は直後、一際大きな輝きをワームに放った。
赤い光は暴走するワーム全員に降り注ぐ。だがワームに対して何かが起きるわけでもなく、その体に光が浸透するだけに留まった。
「制御コード……『停止』」
しかし男は焦ることなく『ワームに向けて命令を下す』。
すると、人間の命令になど従うはずのないワーム達が、突如その動きを止めた。それはまるで男の命令に従うかのようで。
否。
確かにワームは男の命令に従っているのだ。
「……制御は完璧だな。これならば先行させて地下に待機させたワームを動かすことも可能だろう」
男はそう言うと、胸の『異質の杖』を一撫でした。
それはアインヘリアとは別種の技術。巨大魔獣を制御するために作り上げられた『喪失された(ロスト・)秘術』の一つ、魔法具『異質の杖』。
巨大魔獣を、正しくはワームに限定されてはいるが、人間はおろか魔族の命令すら殆ど聞かない程度の知能しかないワームを制御するという魔法具を用いた男は、やはり平然とした表情のまま、群れなすワームの先頭に立ち、状況をようやく察した帝国の兵士達とその最大の武装であるアインヘリアの軍勢と相対する。
「……程度を示せ。お前が世界に吼えるに相応しいならばな」
男はゆっくりと手を掲げると、指揮者の如くその手を振るった。
すると、その命に呼応したワームが一斉に進軍を開始する。そして、己の脇を抜けて駆け抜けるワーム達の巻き起こす砂埃で、瞬く間に男の姿は見えなくなった。
十秒も経たずに鋼鉄と硬質の咆哮が荒野の夜に轟き渡る。
それを皮切りとばかりに、ベースキャンプの至る箇所からも轟音が鳴り響き、無数のワームの影が内部から暴れ狂う。
一瞬にして戦火は拡大する。荒野を疾駆する意思を飲み込んで、今宵、最後の舞台は幕を開くのだ。
だが、激突する人間と巨大魔獣の舞台を演出した男は、舞い上がった砂埃にまぎれるようにしてその場から姿を消す。
残るのは無数の炸裂音と重なり合う人と魔獣の絶叫ばかり。
激動する今に流されるように、抗う術すら定かではない少年少女は、未だ会合を果たすことなく荒野を流離うのであった。