第二十一話【私の力と、君の心・1】
信頼を裏切られたことへの憤りと、信頼をしてしまった己への憤り。
何より、サフランという男を信頼していたアルフレッドの心を思いながら、クロガネは宿屋から急ぎ離脱を果たした。
それに僅か遅れて十を超える完全武装の兵士が宿屋になだれ込んでいく。その光景を猫のような身軽さで隣の家屋の屋根に乗ったクロガネは体を伏せながら見守った。
「……どう見ても穏やかではあるまい。ぐぬぬ、我が主を一人行かせたのは一生の不覚だ……!」
吐き捨てなければやっていられない。だが統制された動きで宿屋を包囲、制圧を完了した兵士達がいつこちらに気づくかわからないので、クロガネは愚痴も早々に屋根伝いにおそらくアルフレッドが向かったはずの帝国の駐屯地へと走り出した。
辺りを警戒している兵士達の視線から外れつつ、一先ず冷静な思考を張り巡らせたクロガネは、現状で己が出来ることを思い浮かべた。
魔神兵装クロガネ。着装すれば人間大のままワームはおろか、魔術兵装級アインヘリアを上回る性能を発揮する恐るべき『喪失された秘術』。
しかし、着装が成されていない現在は、見た目どおりの少女の身体能力程度の力しかクロガネには発揮できない。
他に行えるのは、体内に蓄電された電気を用いた周囲の索敵、簡単なジャミング、そして体内に僅か溜めた魔力を使用する魔法くらいだ。
幾ら彼女自身の性能がこの世界の基準を遥かに超えていようと、魔奏者がいないアインヘリアと同じく、一人で出来ることなど殆ど何もない。
それこそ、魔力も使用できない現状ではアルフレッドと同じような、否、身体能力を考慮すればアルフレッド以下でしかないだろう。
「待っていろアルフ。今、行くぞ」
だがクロガネの瞳には諦めの色も、己の無力に悲観するような感情も見えない。真っ直ぐと前を見据え、夜の闇を切り裂いて少女は走るのだ。
「おい! 屋根に誰かいるぞ!」
「待て! 止まれ!」
「……見つかったか!」
しかしいつまでも見つからないわけではない。駐屯地の手前、後一歩というところで、クロガネを探すためにベースキャンプ全域を魔力駆動巨大ライトで照らしていた光に、その影が捉えられた。
兵士達の動きは性急だ。見つけたと同時に向けられた銃口を見下ろしたクロガネは、歯噛みをしながらも、覚悟を決めて光の前に出た。
「邪魔をするな……」
「目標発見。駐屯地周囲を全班包囲しろ」
「相手は前例の無い『喪失された秘術』だ! 見た目に騙されるなよ!」
「するなと言った! 三下!」
気勢を上げながらクロガネは両足に力を込めて屋根を蹴った。
兵士達は屋根を飛び降りて前方に現れたクロガネに銃口を向ける。掃射すれば少女の肉体など容易く穴だらけはどころか消滅させてしまうほどの火力だ。
しかしクロガネは怯むことなく彼らが構えるライフルを見た。
「サーチ開始」
体内に残留した僅かな魔力を外に流出させることなく体内で循環。索敵機能を応用した武装の観察を行う。
文字通り目を輝かせて彼らのライフルの構造を見たクロガネは、即座にそれが『LMB(低級魔力弾)』を使用する特殊なライフルだということを見破った。
(敵の数は五、周囲からの増援は二十、三十……えぇい。考える暇はないぞ!)
覚悟を決めるしかない。このままでは全方位を囲まれるしかないと悟ったクロガネは、僅かでも奇怪な行動を見せたら銃爪を引くだろう兵士達を真っ直ぐ睨んだ。
「『接続─アクセス─』!」
クロガネの瞳が金色から虹色へと変貌する。色鮮やかに闇を照らすその瞳の輝きは、兵士達が銃爪を引くよりも早く、クロガネの体内に残留した魔力の残り香をライフルに装填されたLMBの術式に強制介入を果たした。
結果、一斉に兵士達のライフルが内部より爆発を起こす。
「ぐぉ!?」
「がぁ!」
悲鳴をあげながら内部が破裂して浮き上がったライフルを顔面にしたたたかにぶつけられ兵士達は苦悶しながらたたらを踏む。介入とはいえそれぞれの弾薬の一発目のみに介入したのみ。その他の弾頭にまで引火した物は少なく、ライフルを機能停止に追いやっただけだ。
だが隙は出来た。クロガネは介入を行ったと同時に駆け出し、痛みに悶える兵士達の合間を縫うようにして駐屯地の土地へと飛び込んだ。
『行かせるか!』
「ッ、出来損ないか……!」
その行く手を遮るのは白銀の巨人。第一世代魔術兵装型アインヘリアのサドンだ。見上げるほどの巨躯は、クロガネと基地の入り口の間に、まさしく壁としてそそり立つ。
思わず立ち止まってしまったクロガネに対して、サドンはその手に持っていたラインライフルを躊躇することなく向けた。
『抵抗するならば……!』
「そういう気合の入れ方は、嫌いだ!」
その銃口の奥に輝く白色の魔力光を捉えたクロガネは、言うが早く銃口から逃れるべく、あえてサドンの前へと飛び出した。
後退ではなく前進。距離が近すぎたことが仇となったか、ライフルの威力が放たれる前に銃口の下へと潜り込んだクロガネはその勢いのままサドンの股を潜り抜けた。
『なっ!?』
「見た目どおりの亀だな! もっと痩せてから出直せ!」
口元に嘲りの笑みを浮かべつつ、クロガネはようやくアルフレッドの生体反応を捉えることが出来るまでの距離まで到着した。
反応は地下より伝わってきている。最初に基地へと入ったとき、こっそりと基地内の全ての構造を把握した。
問題は無い。後は彼らを振り切って、最短距離でアルフレッドの下へと走りぬける。クロガネは勢いのまま基地の扉を開こうと試みて。
「ッ!?」
殆ど直感に近い危機意識のままに横に飛びのいた直後、今まさに開こうとしていた扉が爆発した。
「ぎ、ぁぁぁぁぁあああ!」
辛うじて爆発そのものは逃れたものの、吹き飛んだ扉の破片がクロガネの右肩に突き刺さる。
生まれて初めて感じる痛みに、クロガネは地面に倒れ傷口を庇うように身を縮めた。
「痛ッ……! 痛い……! う、ぁ……痛い……う、うぇ……う、ぅぅぅぅ……」
生まれてからこれまで、感じたことなど一度もない『痛み』という恐怖がクロガネの心を埋め尽くしている。
痛い。
痛すぎて思考も定まらない。
先程まで冷静に対応していた姿など何処にもなく、思考は肩の痛みと異物感のみに飲み込まれる。
これが、痛み。
喜怒哀楽を経て、初めて感じた恐怖の感覚。
物理的な恐怖。
最早、考える余裕すらなく、クロガネは見た目相応の少女のように顔を痛みに歪め、涙を流して恐怖に震えていた。
「……上手くいったか。馬鹿正直に突っ込んでくることはないとは思ったが、それでも念を入れてトラップを仕掛けたのは正解だったな」
「う、うぅ……え、ひっぐ……お、前……」
「ついさっき振りだなお嬢ちゃん」
涙を滲ませながらも、それを上回る激情に心を燃え上がらせたクロガネは、苦痛をかみ殺し、悠々と破砕した扉より現れたサフランを震える瞳で睨みあげた。
やはり。
やはり裏切ったのか。
「アルフを……ぐ、ぅ……我が主の、信を切ったな……!」
「そりゃあっちの勝手ってやつだ。むしろ、俺が帝国の兵士であることを知りながら、お嬢ちゃんのような恐ろしい力を勝手に持って行くと言ったあいつのほうに問題があると思うがな」
「そんなこと……! 人の情を、お前は……!」
「情の枯れたこの世界で潤いを求める理想なんざ反吐が出るし……人間でもないお嬢ちゃんに情を語られるとはな。面白い冗談だ」
「少なくとも……ぅ……! ぬくもりを捨てた、ぐ、うぅ……お前よりは、人の情を知ってるつもりだ……!」
「……言うねぇ」
サフランは疲れたような、或いは自嘲するように溜め息を吐き出すと、腰のホルスターから拳銃を引き抜いてクロガネへと向けた。
遅れて数秒後、サドン及びその他の兵士も全員集まり、一定の距離を保ちながら痛みに震え倒れたままのクロガネへと銃口の戦列を構える。
背後には鋼鉄の巨人たるアインヘリアが堂々と立っていた。
四方八方、逃れることの出来ない鉄の殺意。先程の行動で蓄積していた魔力を全て使い果たし、最早何も行えないクロガネでは、ここからの逆転は不可能だ。
望みは絶たれた。
希望なんて、何処にもない。
「詰みだ。諦めて投降しろ」
「……」
「殺さないとでも思っているのか? 暴走した魔王兵装の件然り、制御の出来ない『喪失された秘術』は確実に破壊する。躊躇など何処にもないぞ」
殺されないと思っているのなら大間違いだとサフランは付け加える。それは彼だけの意見ではなく、クロガネに銃口を向ける兵士全員から感じる意志からも伝わってきた。
抵抗すれば、殺される。
痛いのだ。
肩の痛みに涙が出て、初めての痛みが怖くて恐ろしくて。
泣いてしまう。
痛くて怖くて、泣いてしまう。
「……だから、どうしたというのだ」
クロガネは、笑った。
不恰好でも、無様でも、本当は喚き散らしてしまいたいのを押さえ込んで、無理やりに笑みを象ってみせた。
向けられる殺気が怖い。
銃口から放たれる鋼鉄で貫かれたときに体を駆け抜けるだろう痛みが怖い。
頼るべき人が何処にも居ないことが怖い。
「でも……」
クロガネは視線をサフランより右に逸らした。
地べたではない。彼女が見据えるのはその奥。きっと今、信頼を裏切られ涙しているだろう少年を、思う。
「お前は、もっと、怖いよな……」
きっと、身を引き裂かれるよりも辛いはずだ。
信頼を裏切られるというのはとても怖い。狭い世界しか知らないクロガネからすれば、アルフレッドの信頼を失うことは何よりも恐ろしいことだ。
体の痛みなんて二の次だ。
心は、痛む。
クロガネは知っているのだ。アルフレッドがクロウ達を、仲間を失った喪失感に絶望したときの心を、文字通り『理解している』。
何故なら、心を見せてもらった。
黒く、冷たい心を見せてもらった。
そして今、彼はまた別の形で心の傷を負っているはずだ。
「辛いよな……怖いよな……泣いちゃうよ私なら。だって今も、涙が止まらない」
「何を言っている? 無駄口を止めろ!」
「……私は、お前みたいに強くないからなぁ。泣き虫で、一人ではなにもできないくらい弱いんだ」
サフランの制止を無視して、クロガネはアルフレッドへと語りかける。
言葉は伝わらないけれど、言わなければならないと思ったから。
アルフレッドという少年の強さをクロガネは知っている。サフランのような大人から見れば現実を見ない理想主義の子どもだと言われる彼の強さは、きっと現実という重石に潰された大人には分からない。
失って、傷ついて。
それでも穴だらけの理想を目指そうと思える強さは、きっと奇跡だから。
「でも、傷つけさせない……お前を、守るから」
クロガネは恐怖を噛み殺して一歩を踏み出す。
その動きに周囲の兵士達が僅かにどよめくが、即座にライフルを構えなおした。
「抵抗するのか?」
サフランの言葉を無視し、クロガネは激痛に震えながら右肩の木片に手を添えた。
「う、ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
握り締めた木片を強引に引き抜く。血肉と神経を直接削られる痛みに視界が点滅し、こらえることも出来ず涙が溢れた。
それでも木片を抜いたクロガネは、人間と同じ真っ赤な血潮を流し、体をふらつかせ、息を荒げながらも前を向いた。
「わ、私が、守る……!」
迷いも、恐怖もある。
だがそれら全てを押し殺し、心を鋼鉄で武装した。
「話を聞かぬなら……仕方ない」
サフランはクロガネの目に宿る意志を感じた。
いつからか。もしかしたら生まれた頃から持っていなかった命の煌き。閃光と輝く魂の強さを誇る瞳に、最早止める術はないと知る。
羨ましいと思う。
素晴らしいと思う。
「……俺は騎士だ。国家を守るアインヘリアの騎士なんだよ」
サフランはこみ上げてきた感情を押し殺し、覚悟を決めた。
「撃ち方準備!」
片手を上げると、場を満たす空気がさらに引き締まる。
ここは既に死地だ。
油断と慢心。何より信頼という甘さに身を浸した結果だ。
だがそれでも、クロガネはアルフレッドを責めるつもりはなかった。
「私はお前の──『鎧』だから……!」
何よりも、その優しさこそ、『力』を扱う者に必要な一番の資質だと思うから。
「だから、待っていろ……!」
優しさのある人がいる。
纏うに足るべき人にある。
クロガネは意思ある鋼としての輝く光を携えて、眼前の鋼鉄の軍勢を超えるべくさらに一歩踏み出した。
「撃て」
だがしかし、理想に現実が潰されるという事実と同じく、冷徹は熱血を容易く蹂躪しつくす。
現実は何処までも無慈悲だ。
炸裂する轟音と悲鳴。破裂した悪意は容赦なく濁流となって全てを飲み込んだ。