第二十話【無力・2】
目覚めると、動けなくなっていた。
だが何故という疑問は直ぐには浮かばなかった。サフランに飲まされた睡眠薬の影響で、その思考は鈍り、正常に全てを認識出来ていない。
「こ、こは……」
「起きたか」
目を覚ましたアルフレッドが顔を上げると、帝国駐屯地の休憩室ではなく、周囲を無機質な壁に囲まれた部屋が目に映った。すると、それに気づいた数人の兵士がまるで飢えた猛獣を前にしたように銃口を向けてきた。
どういうことなのか。そう言おうとして、両手が後ろ手に、両足も手錠でそれぞれ拘束されているのに気づく。そこでようやく朦朧としていた意識が繋がり始めた。
「確か……俺、サフランさんに呼ばれて……」
「それで、お前は警戒することなく睡眠薬を飲まされたってわけだ」
「サフラン、さん?」
繋がった視覚が、部屋に入ってきたサフランの姿を捉えた。サフランは不安げにこちらを見つめるアルフレッドの視線を無視して、彼に銃口を向ける兵士の一人の肩を軽く叩いた。
「悪いが俺とこいつの二人にさせてくれないか?」
「ですが、彼は『喪失された秘術』の所有者であり、危険があれば即時射殺を──」
「頼む。五分でいい。それにこいつ個人では何も出来ないのは提出した資料を読んだならわかるだろ?」
「五分だけですよ……時間には早いが入れ替えを行うぞ、付いて来い」
兵士は困ったように苦笑を一つすると、残った兵士を引き連れて部屋の外へと出て行った。
後には先程と同じく、サフランとアルフレッドの二人だけが残る。違うのは、今のサフランが兵士であり、アルフレッドは危険な犯罪者予備軍だということか。
「これ、は……」
「悪いが、盛らせてもらったぜアルフ」
「どういうことですかサフランさん!」
拘束されている己と周囲を囲んでいた兵士。そのことからはじき出される一つの回答にアルフレッドは憤りのまま咆哮した。
「俺を、売ったってわけですか!?」
「売ったっていうのは語弊があるな……帝国のためにお前らを野放しにするのが危険だと思っただけだ」
「そんな詭弁……!」
「騙されたお前が悪い。帝国の兵士である俺が、場合によっては町の一つや二つを灰にすることが可能な兵器もある『喪失された(ロスト)秘術』を、しかも第一世代の旧型とはいえ、アインヘリアを掌握するのはおろか、スペックを超えた性能を生み出して、ワームの群れを一掃したような危険な代物を放置すると思うか?」
「だけど……でも、応援するって!」
「そりゃ方便ってやつだよ。詭弁ですらない」
サフランは物のように転がるアルフレッドの前に置かれた椅子に座ると、怒りに表情を歪めるアルフレッドの顔を見下ろした。
「悔しいか?」
「そんなの……」
「だがこれが現実だ。理想だけを語っていた小僧には相応しい末路だろうよ」
夢を語るだけで現実を知らぬアルフレッドでは、何も手にすることは出来ない。語るだけなら誰でも出来る。
だからとはいえ、力があるからと全てが出来るわけではないのだ。
「世界を知らないお前に何が出来る? ガキの妄想のために、今、そこで行われている戦場で散っている戦友達の力になるかもしれない力を、はいそうですかと手放すと思ったか? 何より、無数のワームを駆逐する力を生み出すお前らを放置することを誰が望む?」
「それは……」
「そうさ、誰も望んじゃいない。あぁ、確かに暴力に悩む者には必要とされるだろう。だがそれはつまり、そんな力の持ち主が必要なところなんて、戦場以外に存在しないってことだ」
「でも、この世界には……弱い人たちが、俺みたいに無力だったから、ワームみたいな魔獣の被害を受けた人たちが……俺は、そんな人達のために」
言い放たれた現実に喉を詰まらせながら、それでも必死に搾り出した返答。だがサフランは呆れたように鼻を鳴らして切って捨てた。
「弱者に手を差し伸べる? 馬鹿だなアルフ。この荒野の世界でワームに襲われて、被害だけですむような場所が幾らほどある? 荒野に点在する集落の殆どは、一度のワームの襲撃もあればあっという間に崩壊し、ワームの襲撃を防げるような場所じゃここのようにアインヘリアの警護がある。被害はイコール死で、遅れて駆けつけたところでそこには何も残っちゃいない。そして被害を防げるようなところからすれば、お前の手にした力のほうが脅威となりえる恐るべき『災厄』だ」
「そんな……」
「誰かの窮地に駆けつけられる英雄なんていない。それともアルフ。お前はあの恐ろしい力で、今すぐ世界中で窮地に陥っている誰かを救えるのかよ」
アルフレッドは今度こそ何も言い返せずに、歯を食いしばってサフランを睨んだ。
言葉は返せない。
だけど今ここで視線を逸らしたら、それこそ語った理想すら裏切る気がしたから。
その子どもらしい純粋な怒りの感情を嘲笑うように、いや、そんな感情を向けられる己を嘲笑うようにサフランは疲れた笑みを浮かべた。
「どのみちお前らは終わりだ。あのお嬢ちゃんは帝国の研究室に輸送され、お前もあれの搭乗者として尋問を受けるだろう……だが安心しろ。俺も鬼ってわけじゃない。ある程度境遇が良くなるように上には掛け合ってみるさ」
「誰がそんなことを頼んだんですか……いや、誰が頼むか! そんなこと!」
「やれやれ、嫌われたものだな」
余裕の態度に怒りがさらに沸騰したのか。アルフレッドは体を捻らせて何とかサフランに飛び掛ろうとするが体は備え付けの机に繋がれているために動かない。
その時、部屋の扉が数度ノックされて先程とは違う兵士が部屋に入ってきた。
「報告をします。対象の『喪失された秘術』の姿を発見。現在ベース内を逃亡中のため、警戒しつつ包囲網を敷いています」
「そうか。見た目があれだからと油断するなよ。刺激しないように気をつける必要があるが、場合によっては手足の一つくらいは撃ってしまえ」
「了解」
報告を済ませた兵士が部屋を出て行くと、サフランは「聞いた通りだアルフ」と、苦渋に身を震わせるアルフレッドに語りかけた。
「アンタって人は……! クロを撃つだって!? ふざけるなよ!」
「……むしろ人道的だと思うがな。『喪失された秘術』に対する処置としてはこれでもまるで足りないくらいだね。ともかく、これであのお嬢ちゃんを捕獲すれば終わりだ」
「サフランさん……! サフラン!」
「恨むなら恨めよ。だが、俺はお前ほど理想を信じられないのさ」
最後に吐き捨てるようにアルフレッドに言葉をかけると、振り返ることなく部屋を後にした。
そして部屋に一人。怒りの矛先が居なくなったことで、アルフレッドは悔しさに悶えながら顔を俯かせた。
「畜生……どうしてだよ、サフランさん」
厳しい人だった。でもアルフレッドを救ってもくれた立派なアインヘリア乗りだったはずだ。
そんな人に裏切られた。言葉を素直に信じて、言われるがまま、ベースへと残って、最後に何も疑うことなくクロガネを残して付いていったらこの様である。
これでは只の阿呆ではないか。まさにサフランの言うとおり、現実なんてまるで知らない子どもでしかないと自分で証明しているようなものだ。
「俺は結局、英雄なんかに……」
英雄になる資格などは存在しなかったのかもしれない。
アルフレッドは只の子どもで、たまたまクロガネという力を手にしただけでしかない。否定したくても、それは純然たる事実だ。
クロガネがいない今、こうして無様な姿を晒すしか出来ない。
そんな自分に何が出来るというのだろうか。
「駄目だったんだ。力に浮かれて、まともに現実を見なかったから……そんなの、クロウさんが死んだとき、分かったはずなのに」
現実を見ることも出来ず、無謀な行いに赴いた結果、アルフレッドの愚かな行動で無数の人々が死んだ。
そして今、力に浮かれ、あくまで帝国のために己を殺してアルフレッドを捕獲しにきたサフランによって、手にした力を剥奪されようとしている。
くだらない。
ちっぽけだ。
この手にあるのは、無力ばかり。
一人では何も出来ないから。
「俺は……駄目だ」
力なく吐き捨てられた絶望は、項垂れたアルフレッドの肩に重く圧し掛かる。
だがその絶望を照らす光は何処にもない。
静寂に包まれた室内。
無力に響く反応は、無慈悲なまでの空虚だけであった。
弱虫で、情けなくて、ちっぽけで、醜くて。
悔しく溢れる涙の跡に、少女は君を求めて疾走る。
痛くても、辛くても。
それが、胸に刻んだ鋼鉄の願いだから。
第二十一話【私の力と、君の心】
答えはない。
それが答えなんだって、君は笑った。