第二十話【無力】
現在、ベースキャンプを取り囲む兵士達は、新たに発掘された『喪失された秘術』を逃さぬように周囲を警戒していた。
現在は二個小隊分の人数をベース外に配置している。これはクロガネが自立行動可能な『喪失された秘術』であり、万が一ベース外に逃げられないようにしたためだ。
本来なら蟻一匹逃れられないように人員を配置すべきだが、クロガネの能力が未だ定かでない現状、完全武装の兵士五人で一組として、周囲の警戒を行っていた。
だがそれでも兵士達の表情から不安の色は拭えない。作戦前に見せられたサフランの記録した映像。そして未知なる『喪失された秘術』への畏怖。ワームの軍勢を制圧する能力を見せたクロガネは、記録上ではアルフレッドという装着者に纏うことで能力を発揮していたが、クロガネ単独で能力は使えないという保証は何処にもないのだ。
「……だけどまぁ、正直信じられないよな」
兵士達を纏めて運んできた大型魔道車両を運転する兵士が、助手席で周囲に目を光らせる同僚にそう呟いた。
クロガネ捕縛の報告が無い以上、私語をするなど持っての外なのだが、助手席の兵士もその言葉には同意なのか。警戒は緩めることなかったが、口元に浮かぶ微妙な笑みを抑えることは出来なかった。
「とんでもなく可愛らしい女の子だったからな。だけどサドンの映像を捏造する意味なんてない以上、あの女の子が『喪失された秘術』なのは間違いないだろう」
「それもそうだな……ったく、バルド帝国の学者様方の思考は全くわからないぜ」
そう語る兵士は、幻想世界中に埋没した遺跡のことについて考えた。
オリジナルのアインヘリアも含めて、五百年前に世界を混沌とさせたバルド帝国の残した様々な技術は謎が多い。その恩恵で帝都や敵国の王都も潤っているのだが、中には発掘したものの、未だ使用方法が分からずに封印されている技術も多い。
それ以上に、あまりにもバルド帝国の残した遺跡の数が多いのだ。魔王兵装の自爆により焦土と化したバルド帝国。国家を崩壊させる程の破壊を受けながら、何故地下の遺跡は無事でいられたのか。何故様々な技術の研究施設をいたるところに設置したのか。
戦火の火種を絶やさないがためにとでも言うような異常。未来永劫戦いを繰り広げるためだけに遺跡を残したような──
「なんてな」
「どうした?」
助手席の兵士の問いかけに「何でもねぇよ」と返すと、無駄な推測のせいでおろそかになってしまった意識を引き締めて周囲を警戒する。
くだらないことを考える暇があったら、目先の脅威に対する思考を働かせろ。そう己を鼓舞していると、魔道車のライトがベースの外に立つ人影を捉えた。
「ッ……男?」
一瞬、それが目標かと思った二人だったが、ライトに照らされたその影が男のものであることに気づいた。
ぼろぼろの黒いマントを羽織った男は、直視することも出来ないくらいの輝きに照らされながら、まるで気づいた様子もなく、ベースのほうをジッと見つめていた。
「おい……」
「分かってる。後ろの三人に伝えろ」
運転をしていた兵士はそう言うと、男より十メートルは離れた場所で魔道車を止めると、ライトで男を照らしたまま車より降りた。
両手でセーフティーを外したライフルを構え、銃口を男のほうに向ける。遅れて降り立った仲間達も、不気味な雰囲気を醸し出すマントの男にライフルの銃口を向けた。
「動くな。両手を挙げて膝をつけ。抵抗しなければ、状況の終了次第解放してやる」
「……」
「聞いているのか!」
銃口を突きつけられているというのに、マントの男は視線すら向けることもなく、ベースを見つめるばかりだ。
「……僅か、制御の猶予を与えたのが裏目に出たか。いや、これも運命の采配ならば、これ以上待つ義理も、ましてや助け出す意味もないだろう」
「こちらを向け! 現在、『喪失された秘術』特例によって、許可なき発砲が我々には許されているのだぞ!」
「これも試練。或いは、俺の襲撃こそ奴らの希望となりえるのか」
「この……!」
銃口を無視するどころか、ぶつぶつと独り言を口にする男の態度に苛立ちを覚えた兵士の一人が、威嚇の意味も込めて男の足元に狙いを定めて銃爪を引いた。
乾いた音と共に、炸裂した弾丸が男の足元で弾ける。当たれば人体に風穴を容易に空ける鋼鉄の脅威に対して、男はようやく視線を兵士の方へと向けた。
「ひっ……」
その時、兵士の一人が照らし出された男の顔を見て小さな悲鳴を上げた。
生身の顔の左半分を象る機械の顔。皮膚と繋がった部分は、無理な施術のせいかひきつけを起こしており、機械を強引に埋め込まれて壊死すらしている。
だというのに感じられる生気が逆に不気味だった。静かな意思を秘めた右目と、無機質な輝きを放つ緑色の硝子で作られた眼球。
その内側で拡大縮小を繰り返すカメラが、兵士達一人ひとりの顔を確認した。
「……魔力反応零。旧世代型、いや、現代では最新式の火薬式のライフル銃。マガジンを四つ。炸裂手榴弾を二つ。防具は防弾ベストと、低級魔法抗体具。大型魔道車両には魔獣用の大砲型魔道具が二門……危険度D。大砲型魔道具の即時使用が不可能であることを考慮し、損害を与えられる可能性は2パーセント未満と判断」
男は文字通り機械のように淡々と兵士達の武装を言い当てると、動揺する兵士達に向けて一歩踏み出した。
「く、来るな!」
兵士の警告には一切耳を貸さない。無言で迫り来る男の圧力は、兵士達を混乱させるには充分なまでの迫力があり、直後、あふれ出した恐怖の赴くまま、五つの銃口が一斉に火を吹いた。
マズルフラッシュと銃声が響き渡る。例え強化魔法を施したゴブリンメイジであっても一瞬で挽き肉に変えるだろう鉄鋼の雨に晒された男は、マントより金属の輝きを放つ左腕を突き出した。
「『障壁』」
魔力を伴った言語と共に、突き出した左腕を中心に、虚空に紫色の魔力で編まれた魔方陣が展開される。
男の身体を包み込むほどの巨大な魔方陣は、降り注ぐ鋼鉄の殺意を遮断した。
「な、なんだよこいつはぁ!?」
ライフルの掃射をものともしない男の魔法に恐慌した兵士の一人が、腰に備えた手榴弾を取り出して、安全ピンを外した。
迷う暇などない。一歩一歩、確実に近づく男の足元へと、兵士は渾身の力で手榴弾を投げつけた。
枯れた大地に突き刺さった手榴弾の上を男は通過する。その直後、内部から破裂した手榴弾の破片が、砂塵と共に周囲へと撒き散らされた。
「やった……!」
煙幕の上がる荒野を見つめ、兵士が安堵に笑みを零す。
だがそんな淡い期待を切り裂くように、砂塵を引き裂いて飛び出してきた黒い何かが、手榴弾を投げた兵士の額に根元まで突き刺さった。
直後、兵士が恐怖を感じる暇も与えず、脳髄に刺さった黒い針のような物体が、間髪入れずに爆発した。
内側から吹き飛んだ頭部から撒き散らされた脳漿と鮮血が周囲の兵士へと降り注ぐ。脳髄を完全に潰された兵士は、何が起きたのか把握しきれない四人の視線が集まったのを見計らったように仰向けに荒野へと倒れた。
「……まずは、一人」
ライフルを撃つことすら忘れた兵士の前に、発生した煙を引き連れて、マントを脱ぎ捨てた男が現れる。
むき出しの上半身の左側は全て機械で構成されており、生身の右半身は、肉眼で確認できるほどに膨大な紫色の魔力による強化で輝きを放っていた。
全くの無傷。その事実に戦慄するまでもなく、男は右手に掴んだ先程投擲した針を再度投擲した。
弾丸を超える速度で空を走った黒い針が新たに兵士の頭部へ食い込む。
そして、爆破。
瞬く間に砕け散った二人の仲間の死によって、ようやく兵士の間に現実感と恐怖、そして使命感が戻ってきた。
「う、うぉぉぉぉぉぉ!」
兵士の一人が雄叫びをあげながら男の前に飛び出した。距離的に狙いを定める必要もない。フルオートで引き絞った銃爪から無数の弾丸が吐き出され、男の前方に展開された障壁と火花を散らした。
「連絡をしろ! 緊急だ!」
「了解!」
得体の知れない恐怖に晒されたとはいえ、彼らは兵士としての本分を忘れたわけではない。咄嗟の判断で身を挺して僅かな時間を稼いだ兵士が盾となる間に、残った二人は急いで魔道車に戻ってアクセルを踏んだ。
その目の前でライフルを掃射していた兵士の頭がこれまでと同じように破裂する。人間花火の生まれる光景に震えそうな身体を押し殺し、運転席に座った兵士はアクセル全開でバックをして男の下から逃れた。
「クソッ! クソッ! 何なんだよアレはぁ!」
「本部! 本部! こちら三号車! 敵に襲われた! 数は一! 身体の半分が機械の男が──」
錯乱しながらも、運転手は必至でその場から逃れる。
ライトに照らされた男と仲間の死骸は徐々に遠くなっていた。男はこちらを追うつもりはないのか。視線を送ったままその場に立ち。
突然の浮遊感と共に、聞きたくも無かった硬質な奇声を、耳にした。
「■■■■ッッ!」
「え?」
浮遊と共に反転した視界。何事かと首を傾げた二人が最後に見たのは、前方一面に広がったワームのおぞましき口内であった。