第十七話【力の理由・1】
結局、クロガネに合った靴がないため、彼女自身の提案もあっておんぶをして二人は帝国の詰め所まで到着した。
人が居ないので、当然ながら詰め所の入り口には誰も居ない。そのまま入り口を抜けて建物に入った二人は、玄関口で待っていたサフランに出会った。
「ようアルフ。一晩寝て少しは元気になったか?」
「ハハッ、おかげさまで」
「そうか……うん、まぁその子と寝れば、うん」
遠くを見るような眼差しで背負われたクロガネをサフランは眺めた。不思議そうに目を瞬かせるクロガネと違い、やはり勘違いしているサフランの反応にアルフレッドは呆れた風に首を振った。
「言っておきますけど、サフランさんが思うような展開は一切なかったですからね」
「ハハハッ、そう照れるなよアルフ。そんな可愛い子と一緒なんだ、一晩の過ち程度問題ないだろ」
「過ち?」
「お前は知らなくていいことだよ、クロ」
言っても無駄と判断して、アルフレッドは早々にサフランの説得を諦めて、さっさとその横を抜けて建物の中へと入っていった。
サフランもそれ以上茶化すつもりはないのか。黙ってその後ろについて行き、三人は先日と同じく休憩所に到着して席についた。
「まずは……昨日は助かった。不可思議なことは多いが、お前らのおかげで助かったのは事実だからな」
改めてサフランはアルフレッド達に頭を下げて感謝した。
照れくさそうにするアルフレッドと、胸を張って鼻を鳴らすクロガネの二人の反応を面白がりつつ、直ぐに表情を真剣なものに変える。
「さておき、今回の件が特殊なのは実際に体験したお前らならよくわかっているだろう。そこのお嬢さん……クロガネはどうか知らんが、俺とアルフにはわからないことが多すぎる。その中でまずは一番分かりやすいことから聞くが、いいか?」
サフランの視線を受けて、クロガネは堂々と頷いてみせる。
「ふむ、続けろ」
「ありがとよ……単刀直入に聞くが、お前は一体何者だ? アルフレッドが纏った鎧、あれはお前が何かしたのか?」
その問いかけに、クロガネは隣に座るアルフレッドに同意を求めるように視線を向けた。サフランの問いかけはアルフレッドが聞きたかったことでもある。頷き一つ返すと、クロガネはゆっくりと語りだした。
「ざっくばらんに答えると、私はお前らが言うところのアインヘリアという奴だ」
「アインヘリア、だと? 馬鹿な、君はどう見ても人間じゃないか」
サフランの疑問は最もだ。傍目から見て、クロガネを見て彼女をアインヘリアと呼ぶ人間は居ないだろう。
「疑いたくなるのも事実だがな。だが脆弱サフラン、そしてアルフよ。お前らは現に私が鋼となって装着されているところを見ているだろう?」
それは疑いようのない事実だ。
だが一つ、新たな疑問が浮かぶ。
「そうだと仮定して、何故人間大のサイズなんだ? もしや君は帝国が秘密裏に開発した人間大のアインヘリアとでも?」
『喪失された秘術』。これは何もアインヘリアだけを指す言葉ではなく、他にもバルド帝国が開発した数々の超兵器は存在する。サフランはクロガネがその一つではないかと考えたが、クロガネは「それは誤りだ」と真っ向から否定した。
そして、面白い冗談でも聞いたように肩を揺らして笑ってみせる。
「私が帝国の開発したアインヘリア? クククッ、これはまた面白い。いやさ、帝国が私を回収してから数えて大体五百年。かつての時代の記憶は風化したのはわかっているが、まさかそんな勘違いをされようとはな」
「勘違い?」
「そうだ、お前らは決定的な勘違いをしておる。私が帝国の開発したアインヘリア? ハッ、違う違う、その逆だよ」
逆とはどういうことなのか。続きを促す二人の視線に応じるまま、クロガネは得意げに語りだす。
「私こそ全てのアインヘリアのオリジナル。バルド帝国が模倣した唯一絶対のアインヘリア、魔を超え神を従える兵器、魔神兵装クロガネよ!」
堂々と告げた言葉に、アルフレッドとサフランは互いに丸くした目を合わせた。
「魔神? 魔の人じゃなくて、魔の神と書いて?」
「うむ。どうやらバルドの坊主は初期のアインヘリアに私を模した名前をつけたがったようでな、魔人と魔神、上手く文字をいじったというわけだ」
「いや、待て待て待て! いきなりすぎてわからんが、オリジナルアインヘリアのオリジナル!? そんなこと言われてもはいそーですかと納得は出来んぞ!」
何故か無意識に納得して話を進めようとしたアルフレッドとは違って、サフランの反応は当然のものだ。
幾ら驚異的な能力を見せられたからとはいえ、いきなり全てのアインヘリアのオリジナルですと名乗られて納得できるわけがない。
「とは言ってもなぁ。言い方変だが、私がお前の言うオリジナルのオリジナルなのは事実ゆえ」
「だとしてもだ! アインヘリアというにはお前を纏ったアルフレッドは人間大のままだったし、大量のワーム相手に立ち回ったとはいえ、あの程度なら魔法兵装を引っ張り出せば容易に殲滅できる程度だぞ!? それともオリジナルのアインヘリアは試作品なだけあって、性能は低いとでも言うのか!?」
「最後の言葉は聞き捨てならんが……確かに、今の私では魔法兵装ほどの能力は発揮できないだろう」
「だったら──」
「話は最後まで聞け脆弱サフラン。『今の私では』と言っておるだろ」
そう言ったクロガネは静かに立ち上がると壁に身体を向けた状態でアルフレッドの首筋に掌を触れさせた。直後、その瞳が輝いて、虚空に魔力で描かれた映像が浮かび上がった。
「な……」
そこに描かれているシルエットを見た瞬間、サフランの混乱は一瞬で吹き飛んでしまった。
それはアルフレッドもサフランも見たことのないアインヘリアであった。どころか、現在存在するありとあらゆるアインヘリアのどれにも当てはまらない機体だった。
丸く、重厚なデザインのサドンと比べるとまるで逆の姿である。装甲は黒く、各部のパーツは全体的にシャープで鋭角的だ。特にそのまま攻撃に使えそうな尖った指先や、膝から延びた剣のようなパーツ、そして鋭い眼光から、まるで悪魔を髣髴とさせた。
まるでアルフレッドが纏った鎧をより攻撃的にしたその姿。映像だけでも、圧倒的な力を内包しているのは目に見えていた。
だが現在、その見たこともない謎のアインヘリアの各パーツには使用不可の文字が書かれていた。
右腕『エ■■■』。使用不可。
左腕『■■ュ■■■■』。使用不可。
脚部『■■■■ニ■■』。使用不可。
胸部『■■■タ』。使用不可。
頭部『■ロ■■』。使用不可。
背部『イ■■■■』。使用不可。
『■■■■・■■■■■■■■』。使用不可。
その殆どが使用不可能どころか、文字が隠れて何なのかわからない。その中で唯一使用可能なのは──隅に小さく描かれた、アルフレッドが纏ったのと同じデザインのパイロットスーツのみ。
「これは……」
「フフフ、これぞ、最強のアインヘリア、魔神兵装の全容よ! ……尤も現在は殆どが使えんし、見た目以外さっぱり忘れたが」
「忘れたってどういうことだよクロ」
「うむ。アルフにはちょろっと語ったと思うが、現在の私は、アインヘリアとしての肉体、つまりこの図に書かれたパーツの全てを失った状態にあるのだ。五百年前に奪われ、散り散りに封印されてしまった今、残っているのはアルフに纏わせたパイロットスーツと、我が心臓として脈動する無限魔力機構『群れなす心臓』のみだ」
「そうだ、その『群れなす心臓』ってやつ、他のアインヘリアに搭載されたレギオンとどう違うんだ?」
聞いたことのある単語にアルフレッドは反応する。それにクロガネは淀みなく答えた。
「簡潔に言えば、他のアインヘリアに搭載されたレギオンが、搭乗する魔奏者の魔力を一定値取り込んで起動するのに対して、我が『群れなす心臓』は、これ単体で魔力を生み出すことが可能なのだ。しかも魔力量は無限、どう扱おうが永久に底を尽くことはない優れものよ!」
得意げに語るクロガネの言葉に、ようやくアルフレッドは自分が魔法を使えた理由を理解する。
「つまり、魔力が使えない俺が魔法を使えたのは、お前が魔力を生み出して、俺の意志を汲み取って魔法を行使したからか」
「そういうことだ。契約のときチューしたろ? そのときに魔力とは違う電気的なラインを繋げたことで、肌が触れていればそこを通した思考を電気信号として私が受信、ほぼラグ無しで魔法を扱えるという寸法よ」
「なら、誰にでもお前は使えるってことなのか?」
電気という聞きなれない言葉は一先ず保留しておき、クロガネの特性ならば誰にでも扱えるという単純な事実を聞いたが、クロガネは肩を竦めて首を振った。
「そうもいかん。我が身体で練られる魔力は膨大な上、その特性上生命体には有毒だからな、少量ならともかく、魔法を扱う規模の量を摂取すれば、どんな生命体だろうが我が魔力に汚染されて死に絶える」
「そうか、だから俺が……」
「あぁ、我が魔力の影響を受けぬお前だからこそ、我が力を存分に扱えるのだよ」
この世界の人間は大なり小なり、魔力を扱うことが出来る。その中で唯一の抗魔力体質、魔力を扱えず、魔力を受け付けぬアルフレッドは、まさにクロガネを扱える唯一の魔奏者に他ならなかった。
落ちこぼれの自分だから扱える。
脱落者ではなく、選ばれた特別なる者。アルフレッドは開いた掌を握りこみ、その事実を噛み締める。
一方、怒涛と聞かされた情報の数々に押し黙ってしまったサフランは、既に疲れた様子で身体から力を抜いていた。
「まぁ、事実の確認が出来ない以上、君の話を一先ずは信じることにしよう」
「事実の確認も何も、私がその証拠──」
「はいはい、論争するつもりはない。それよりも聞きたいのは、その力を扱う人間……アルフ、お前はこの子の力をどうするつもりだ?」
茶化した風な言い方だが、サフランの瞳は真剣そのものだ。返答次第では、というのを暗に示しているように見えてアルフレッドは緊張に喉を鳴らす。
だが、一度決めた道を踏み外すつもりはない。落ち着かせるように軽く肩を叩くクロガネに背を押され、アルフレッドは真っ直ぐにサフランを見た。
「俺は……俺は、この力で誰かを守りたい。小さいとき、俺を救ってくれたあの鋼鉄と同じように、誰もが希望を見出せる背中に……世界を守る英雄になりたいんだ」
英雄。
人の希望を一身に受け止める存在を志すのだと。それが、背負った力の与えた意味なのだ。
「ったく、子どもらしい曖昧で現実感のない言葉だよ」
「それは──」
「一体どうやって誰かを守る? その力を持って帝国の騎士にでもなるか? いいとこ面白い実験サンプルとして長い間飼われるのが関の山だ。それに、お前の力は現状、絶対ではないし、だからといって放置するには危険な代物だ」
淡々としたサフランの指摘に言葉が詰まる。
なりたい姿が現実に重なるようには、世の中簡単には出来ていない。理想と現実が違うのは世の常であり、基本的に理想を上回る現実が来ることは少ない。
「中途半端な力で、世界を守る英雄なんかになれるわけがないだろ」
ワームの群れを倒せる力があっても、この世の全ての災厄から誰かを守り抜くことは出来ない。そんなこと、少し考えればわかるだろうと、サフランは言外に語りかける。
だからこそ、アルフレッドは迷いを振り払った瞳で、真っ直ぐにサフランを見返した。
「なります」
「ッ……」
「無理だ、無茶だ、ただの理想だって言われても、そこに通じるか細い道があって、その権利が今の俺にあるなら……俺は何度だって悩みながら、何度だって目指します」
今はサフランの言葉に返すべき答えはない。
しかし、だからと言って諦める理由は何処にもない。アルフレッド自分が愚かだとわかっているが、愚かだからこそ描けるものは存在する。
無知ゆえに理想は高く掲げられる。
そして無知ゆえに掲げた理想を、現実を知っていく中で、アルフレッドは掲げ続ける決意を固めた。
「だから、俺はクロガネと行きます」
「行くったって……何処にだ?」
「一先ずは、帝都を目指して……それから、今思いついたことだけど、やりたいことをやってみようと思います」
「その思いついたこと、俺には話せないのか?」
「だって、話したらサフランさん絶対に怒るからね」
そう言って、アルフレッドは悪戯っ子のように無邪気に笑ってみせた。
どうやら、迷いは殆どないらしい。それが子ども特有の無鉄砲からくるものかは知らないが、こうなったら男の子というのは頑なだ。
「……ったく、わかったよ。好きにすればいい。あの力なら大抵のことくらいじゃピンチになることもないだろうしな」
それに、危なっかしいところはあるけれど、アルフレッドもここでそれなりに経験を積んだ一人だ。むしろ年齢を加味するなら、そこらの大人よりも逞しいといえるだろう。
「だが、まずは色々と後始末を済ませてからだ。お前らのことはこっちで誤魔化しておく。だからは明後日までに準備を済ませろ。それまではここで荷物だけじゃなくて、心の整理もしっかりつけておくんだぞ?」
話は終わりだと言わんばかりにサフランは投げやりに手を振った。
「ありがとうございます! よし、行くぞクロ」
「おう、おんぶだな、おんぶ」
「おっと、そういえばこいつを忘れてた……持ってけ」
サフランはクロガネを背負って帰ろうとするアルフレッドに、持ってきていた袋を手渡した。
「ここにあった女性仕官向けの制服だ。一番小さいサイズだから、多分その嬢ちゃんでも着れるだろう」
「ありがとうございます……って、何でこんなのがここに?」
「制服フェチの整備兵が居てな。わざわざこっちに取り寄せたらしい。まっ、あいつの観賞用になるくらいなら、嬢ちゃんに着られたほうがいいだろうよ」
サフランは気まずそうに語り終えると、自身もサドンの格納されたガレージに向かうべく椅子から立った。
「さて、後のことはこっちに任せろ。とりあえず、まだワームのことやお前ら達自身の用意や今後のことを考える時間も必要だろう。明後日までにちゃんと準備を済ませて、旅に出られるようにしておけ。それまで避難した奴らがこっちに来るのは抑えといてやる」
「いいんですか? そんな無茶させちゃって」
申し訳なさそうに聞いてくるアルフレッドに、サフランは少し寂しげな笑みを返した。
「クロウからお前のことは頼まれているからな。それに、個人的にお前のその無鉄砲さは嫌いじゃない。まっ、これも大人の役割だ。面倒ごとはこっちに任せて、子どもは前のことだけ見てろ」
「……ありがとうございます」
アルフレッドは深く一礼を一つすると、そのまま休憩所を出て行った。
その姿を見送ったサフランは、突如表情を引き締めて、ガレージへと向かう。
「……あの嬢ちゃんの話が本当だとしたら、アレはその関連か?」
本来は統率された動きをするはずのないワームの奇怪な動き。
そして、サドンを中破まで追い込んだ謎の閃光。
まるでクロガネという魔神の目覚めに合わせて、全ての事件が引き起こされたかのような一連の事件。
「悪いなクロウ。お前の頼みは叶えてやれそうにない」
アルフレッド。この荒野の世界で理想を吼える眩しい少年。サフラン個人としては彼は好ましい少年だし、彼の夢は応援したいというつもりはある。
だがそれ以前に、サフランは騎士なのだ。
帝国を守る使命を託された鋼鉄の騎士であるならば、クロガネとアルフレッド、そして一連の動きの関連が状況証拠としてある以上、放っておくことは出来ないのだ。
いや、それは所詮建前だ。
本当は。
「あの未知の力にビビッてるんだ。俺は……」
あの時遠目からでも背筋が凍るような心地になってしまった漆黒の悪魔の姿。たとえアルフレッドとクロガネに力を害悪に使うつもりはなくても、もしもあの力が帝国に向けられた場合──
「ったく、笑顔と口で人を騙せるようになったなんざな」
──ずるい大人になったものだ。
「ホント、歳はとりたくないね」
最後に自嘲を一つ、その後、彼の表情はまるで鋼鉄のように無機質なものになるのだった。