第十五話【力の代償・2】
「ふぅ……」
身体もさることながら、精神も随分と疲弊していたらしい。食事を取るのすら億劫になりながらベッドについたアルフレッドだったが、当然のようについて来たクロガネの賑やかな声で眠ろうにも眠れなかった。
「ヌハハハハハッ! 蟲毒より練られ五百年! 身体を与えられ千年! 鋼鉄をもがれてさらに五百年! ただ忘我と眠るのみと悟っていた私の身体をこうして動かせる日が来ようとは! フハハハハッ! 嬉しいな! これが肉を動かす喜びね!」
「……お前、少しは静かにしろよな」
「むぅ、とは言うてもな。考えても見ろ、二千年だぞ二千年。その間ずっと鎖で縛られていたのだ。そりゃ動けるとなれば気分はウヒョヒョイだろ?」
「ウヒョヒョイはよくわからないけど、嬉しいってのはよくわかったよ」
「むふふー。そうであろう? そうであろう?」
どうにもキャラがぶれまくりなクロガネだが、ともかく自由になったことが嬉しいらしい。シャツから色々と覗くのも気にした様子を見せず、その場で鼻歌を歌いながら小躍りをしてみせていた。
その愛らしい姿を尻目に、アルフレッドは思考の海に沈みこむ。
「ホント……色々あったな」
まさに激動といえた一日を振り返る。現実味のなさと疲労のせいか、まるで他人事のように感じてしまうが、今日起こったことは全て事実なのだろう。
ベッドの横でくるくる回っているクロガネを横目にして思う。
現実味がない絶望と、手にした力。思い出すのも億劫な戦いの最中、手にした力だけは確たる真実だったのは間違いない。
そこでふと、アルフレッドはクロウが言い残した言葉を思い出した。
「確か……天井に隠してるとか言っていたよな」
「どうしたアルフ? ハッ!? さては遊ぶのか!? 良いぞ! 私、じゃんけんがずっとしてみたかったんだよね! ぐーだろ! 最初はぐーなんでしょ!?」
「それは後でな」
「ワーイ!」
諸手を挙げて喜ぶクロガネをあしらい、アルフレッドは億劫そうにベッドから出ると、二段ベッドの上に上って天井を触り始めた。
すると、天井の板の一部が外れて、天井裏が覗いた。
「ここか?」
周りの板も外せば、一人分が入れるスペースが出来る。アルフレッドはその隙間に身体を滑り込ませて、天井裏に入り込んだ。
既に周囲も暗くなっているため、天井裏は真っ暗で視界が閉ざされている。
「明かりを……」
「ちょっと退けアルフ」
置いてあるランタンを取りに行こうとして、只でさえ狭い隙間にクロガネが強引に割り込んでくる。身体を圧迫される息苦しさに思わず唸るが、クロガネはそんなことも気にした様子も見せず、アルフレッドの首筋に掌を添えた。
「そら、明かりだ」
もう片方の掌をクロガネが掲げると、その指先が黒光りする魔力を放った。眩しいほどではないが、充分周りを照らし出せるくらいの光が、周囲の光景を照らし出す。
「……助かる」
「良い、良い。私はアルフの力だからな。お前が欲しいと望んだとき、私はどんな些事にも力を行使しよう」
だから褒めろと言わんばかりにクロガネは満面の笑みを浮かべた。しかし女の子と触れ合う機会すら少ないアルフレッドは、目の前で華やかに笑う美少女にどう接していいかわからず、頬を僅かに染めると周囲を伺うように視線を切った。
「あ、あれだ。多分あれだろ」
気恥ずかしさに言葉を詰まらせながらも、アルフレッドは背後に置かれていた丸々と太った皮袋を発見した。
手を伸ばして皮袋を手繰り寄せ、二人は天井裏から出る。ベッドから降りて床に置いた皮袋は、硬質かつ重量感のある音を響かせた。
「随分と重いや……」
「ご飯か?」
「いや、多分この感じは金属──」
「ご飯だ!」
「……そうかい」
金属と聞いて食料を連想するとは、クロガネという少女の正体はわからないが、おそらく人類とはまた違う生物と見たほうがいいのかもしれない。
だがそのことを聞くのは後回しだ。今はクロウが残した言葉を守って、この袋を開封しよう。
口を結んでいた紐を解くと、中から現れたのは各種ばらばらな硬化の数々だ。
「これは……!」
「お金に、宝石もあるの……おっ、それなりに大きなハーツもあるぞ。私の好物だ、とは言っても食ったのは五百年以上前だから、味なんぞ忘れてしもうたがな」
親指大の青く輝く水晶、ハーツを掴んでクロガネは目を輝かせた。
だが喜ぶクロガネとは対照的に、アルフレッドの表情は途端に曇った。その手には、皮袋に入っていた一枚の紙。
汚い文字で書かれた『退職金』という言葉。それを震える掌で握り締め、アルフレッドは手放すまいと胸に抱きかかえた。
「……ずるいよクロウさん。こんなの残されたって……!」
手垢に塗れた硬貨。
所々欠けた宝石の数々。
それは一朝一夕で集まる量ではないし、ましてやクロウ一人で集められる量ではない。
アルフレッドに気づかれないように、仲間内でこっそりと集めてきたのだろう。自身が汗水流して、危険を冒してまで手にした宝の数々を。それも一ヶ月程度の期間ではない。皮袋一杯に入った貴金属の数々は、軽く見積もってもアルフレッドが受験しようとしている騎士学校の受験費用はおろか、当面は不自由なく暮らせるほどの金額になるはずだ。
自分がこれまで稼いできた分を加えれば、ちょっとした財産になるくらいの金額。どうやって集めたのか、そこにこびり付いた汗の臭いを感じれば馬鹿でもわかる。
「アルフ、泣いているのか?」
汚い文字の書かれた紙を抱きしめて俯くアルフレッドに、クロガネはどうしていいのかわからず目を泳がせた。
だがクロガネに見られているにも関わらず、アルフレッドの瞳からはこらえ切れない涙が溢れてきた。
喪失していた現実感が、残された手紙とともにアルフレッドに圧し掛かる。
ごめんなさい。
ただ、ごめんなさいと言うしかなかった。
「わかってるんだ……」
現実感がないなんて嘘だった。アルフレッドはずっとわかっていた。わかっていながら、目線を逸らして、その事実から逃げていた。
何せ、今回の殺戮の元を辿るなら──
「俺が、勝手に扉を開いたから……皆死んだんだ!」
あの時、不用意に台に近づかず一旦撤収していれば、クロガネに通じる扉は開かず、内に沈殿していた膨大な魔力は外に出なかっただろう。
そうしていれば、ワームによる襲撃はなく、後日ちゃんとした装備を整えた状態で向かうことで、ワームに襲われても無事に逃げ切れたかもしれない。
それに、もしもワームが襲ってきたとき、自分が呆けたりしなければ、クロウ達は無事魔道車に乗り込んで離脱できたはずだ。
もしも、自分が不用意に動かなかったら。
もしも、自分が呆けたり、無謀を行おうとせずに逃げていれば。
もしも。
だったら。
はずだ。
可能性の坩堝にはまり、既に過ぎ去った事実から派生したありとあらゆる可能性を考えてしまう。
だがどんなに考えても、結果は只一つ。
殺したのは、自分だ。
クロウを。
仲間を。
そして他の作業員を。
「殺したのは……俺だ!」
一人で通路に飛び込んでから逸らし続けた事実。若さゆえの無鉄砲が生んだ悲劇。いや、悲劇などと美化するつもりはない。
これはアルフレッドという少年が起こした惨劇だ。
荒野を潤す血の湖。
飛び散った肉片の山。
熱砂に巻かれたあらゆる命。
この全てがアルフレッドを起因とした事実。
冷たいまでの現実。
「ごめん、なさい……!」
追いついた現実が、自責に姿を変えてアルフレッドを苦しめる。聞こえない怨嗟の声さえ聞こえてくるようだ。
殺した事実。
惨劇の現実。
「英雄だなんて……俺が……」
夢見た理想に対して、足元の現実をおろそかにした結果がこれだ。
クロウは何度も口を酸っぱくして言っていた。お前は向こう見ずで、無鉄砲なのだと。だから子どもなのだと。
大人ではない。
深い思慮など何処にもない、ただの子ども。
そんな愚かが、理想などを掲げるから──
「それは違うと思うぞ、アルフ」
いつの間にか胸に重ねた掌を優しく包み込んだクロガネが、涙を流すアルフレッドの顔を下から覗き込んでいた。
無邪気な姿は影を潜め、アルフレッドを落ち着かせるように優しい微笑を浮かべている。
だがそんなクロガネの気遣いも、今のアルフレッドには毒となり、牙となった。
「お前に何がわかる!」
駄目だと分かりつつも、大声でクロガネを怒鳴りつけてしまう。
「見てないくせに何が……! 今更、力なんて……! 守りたい人を見殺しにして、あまつさえ殺す原因さえ作った俺が!」
八つ当たりだ。クロガネの好意に甘えた、最低の行為だ。
だが吐き出された言葉は止められない。涙とともに次々とアルフレッドの感情は吐き出されていく。
「俺が弱かったから! 俺が馬鹿だったから! 俺が、俺が子どもだったから──」
「でも、そんなアルフを、その大人達は好きだったよ」
か細いが、有無を言わさぬクロガネの言葉に、アルフの叫びは止められた。
空いた掌で皮袋に入っていた銅貨を一枚摘む。それを額に当てるとクロガネはまるでそこに込められた思いを代弁するように語りだす。
「夢を見るお前が居るから、希望の明日を信じるお前が居るから、理想に燃えるお前が居るから……その背中を押してやろうとしたのだ。夢も希望も理想も失ったから、せめてその子が踏み出す世界の悪意に負けないように、少しでも支えになりたかった」
クロガネは額から銅貨を離して目を開けると、その言葉に聞き入っていたアルフレッドの頬を両手で挟む。
「それに、全てが駄目だったような言い方をするでない。犠牲はあった、過ちはあった、しかし、お前が救った命があるのも事実だろ?」
「そんなの──」
「少なくとも、私はお前と出会わなければ、死んだように眠り続けるしかなかった身だ」
母親が子にするように、クロガネはその胸でアルフレッドの頭を抱きしめた。
自身の汗の匂いに混じって香る、優しい花の香り。少女特有の甘くて柔らかな感触。
「だから、あまり悲しいことを言わないでくれ。お前にとっては辛い出来事かもしれんが、お前と出会えたこの日は、私にとっては最良の日に違いないのだから」
震えを抑えるように、クロガネの腕に力が篭る。より強く感じるのは、クロガネの冷たい掌、冷たい吐息。
そして暖かな鼓動と、優しい言葉。
「私にとって、アルフはまさしく『英雄』だったよ」
「クロ……」
「そして、この皮袋に詰められた全ての思いが、お前の背中に『英雄』を感じていたさ」
──それだけは嘘ではない。
何故か、クロガネの言葉をアルフレッドは信じることが出来た。
「そう、かな……?」
「あぁ。お前の背中を見てきた大人は、こんなことでお前が自棄になるのを良しとしないよ」
「でも、それでも……」
「許せないなら、そんな自分を許せるまで理想を目指せばいい。勿論、自棄になっても私は付き合うぞ。この力、災いに使おうが救済に使おうが、私はお前の傍から絶対に離れないから」
「クロ……」
「だから今は眠れアルフ。眠って、疲れをとって、朝日を眺めて、その時過ぎった答えがお前の目指す大切なものに違いないからな」
クロガネの言葉は最後まで聞こえたのか。優しい腕に包まれて、アルフレッドの意識は穏やかな暗黒の中に沈んでいくのであった。
朝日に遠い、鋼鉄の夢を見る。
掴んだ実感と、圧し掛かった重責。その両方を抱きしめて、それでも尚空を見上げることが出来るなら、前を行くために今は振り返ることをやめよう。
第十六話【朝日に君と】
何よりも、真っ直ぐと自分を見てくれる少女が居るから踏み出せる。
痛みに苦しみうずくまるより、痛みに耐えて疾走ることを、君は理想に誓いを捧げた。