第十一話【鋼鉄のボーイミーツガール】
一瞬の浮遊の後、何とか階段に着地したと同時、通路全体を揺るがす振動がアルフレッドを襲った。何とか踏みとどまって振り返れば、通路にめり込んだワームの口が目の前にあった。
どうやら迂闊にも首を詰まらせて動けなくなったらしい。もがく口から溢れ出る体液、その隙間から微かな唸り声を上げるワームに対して、アルフレッドは怒りのままに銃口を向けようとして、押し留まる。
「違うだろ……」
唇から血が出るくらい食いしばって、アルフレッドは衝動のままの行動を押し殺す。相手がクロウ達を食い殺した化け物だとしても、アルフレッドを突き動かすのは死した彼らが託した未来だ。
決して、復讐なんかを望んでいるわけではない。地上が近いせいか、あるいはこの遺跡の入り口付近で暴れているのか、通路は揺れ動いている。こんなことで時間を潰している暇はないのだ。
濃厚な魔力が傷口に染みるのか。ワームはうめき声にも似た鳴き声をあげている。そのことに少しだけ溜飲を下げつつ、アルフレッドは地下深くに駆け出した。
通路の明かりが生きているのは幸いだった。黒い魔力による薄い霧が満たされているこの通路で、明かりが無ければ一歩歩くのも難しかっただろう。ランタンは先ほどのワーム襲撃で紛失したため、下手したら完全なる暗闇が視界を埋め尽くしていたはずだ。
でもそうだ。ランタンが無いとあの扉の向こう側を進むのも大変だ。
どうしようか、何か他の手段はないか。そういえばリュックにマッチがあったはず。いざとなったらあれを使って進めばいい。
あぁ、でも、やはり光がないのは心細い。今はいいけど、奈落にどんどん進んでいるようなこの感覚の中、暖かい光は必要だ。
暗い場所を照らすマッチ。
そうだ、マッチでいい。
目の前の深淵も照らし、体も温めよう。
うん。
そうだ。
温かいのがほしい。
寒い。
体が震えているのは寒いせいだから。
マッチ。
あたたかいので体を。
「うぅ、クソ……畜生」
意味の無い思考をしているという自覚はあった。だがこうでもしていないと、クロウ達を犠牲にして生き延びたという事実に押しつぶされてしまいそうだった。
力が無いから、こんなことになった。もしも自分に力があったなら、ワームの群れを一蹴してみせたはずだ。
もしも力があったら。
力があったら出来たはずだ。
もしも、だったら。
「そんなこと……!」
だが、思わずにはいられない。英雄に必要な資質、純粋たる力が己にあったのならば、と。
しかしそれが今の状況で考えても意味が無いことだ。不毛な思考を続けるよりも、一歩でも前に進むことが重要である。
「……こっちに来る気配は無い、か」
微かに通路が振動しているものの、ワームが地中を掘ってここまで来ることはないようだ。あるいは、ここの通路が頑丈に出来ているのか。
「……だったら、無理してでもクロウさん連れてくればよかったや」
魔力が濃いとはいえ、あそこで逃げるよりは可能性はあったはずである。
いや、そういうわけではないのだろう。アルフレッドには問題は無いが、他の者にとって、あの扉から吐き出された魔力は毒そのものであるのは事実。
ならばあの時──。
「……進もう」
アルフレッドは脳裏を過ぎった一つの『もしも』を振り払うように頭を振ると、歩みを再開した。
随分と地下に来たためか、地上の喧騒は殆どしなかった。もしかしたらワームは別のところに出て行ったのではないか? などという甘い考えをしてしまうが、すぐにそれを否定する。
もしも地上に残っていたら本末転倒だ。この通路で暫く待機するという選択肢もあるにはあるが、通路を揺さぶった振動を考えるに、確実に安全というわけではないだろう。
故に、ここは進むのが正解だ。運良くワームのいない出口に通じているかもしれない。
「ハッ……」
ふと、結局『もしも』という甘い可能性に頼っていることに思わず笑ってしまう。
「こんな極限状態なのにな」
だからこそ、笑ってしまうのかもしれない。というよりも笑わないとその場に倒れてしまいそうだ。
そう結論付けたところで、ようやく階段を下り終わり、黒い扉の前まで辿り着いた。アルフレッドが前に立つと、閉じられていた扉は自動的に開く。
一瞬、体を吹きぬける魔力が煤け赤い髪を揺らした。本来はそのままでは光る程度であり、外界に影響を及ぼさない魔力が、単純な密度だけで物理的な現象を引き起こしているその異常。
だがそこまで考えを巡らせる余裕が無いアルフレッドは、ただその奥から感じる気配に警戒心を高めた。
先程は感じなかった引力を感じる。
さらに密度を高めた魔力は、まるでこちらを試しているかのようだった。
この黒を超えて来れるなら来いと。
嘲笑うような漆黒の霧を見据え、アルフレッドは意を決すると、扉の向こう側に足を進めた。
扉を潜ると背後で扉が閉まる。一瞬で視界全てが暗闇に飲み込まれる中、アルフレッドは足元の光だけを頼りに歩き出した。
その光は未来へと続く希望の光か。
あるいは絶望へと続く破滅の光か。
先程以上に暗いせいか、アルフレッドの心を不安の影が覆い始める。
無意識に腰のリボルバーに手をかけながらも、それでも慎重に歩を進めた。
「……また、扉?」
それから数分もしないうちに、入り口と同じような扉を見つけた。
進むべきか否か、悩む余地は無かった。一本道であったのもそうだが、今更戻ったところで安全が保障されているわけではないのだ。
なら、前に向かうべきだ。アルフレッドは入り口とは違って自動では開かない扉に手を添えると、渾身の力を込めて前に押した。
「ぐ、ぬ……」
扉が錆付いているのか、金属の軋む音をいたるところから響かせながらゆっくりと開いていく。隙間からはこれまで以上に濃厚な漆黒。空間そのものを埋め尽くすほどの魔力は、まるでこの世界の荒野を作り出した、魔王具の暴発による過剰魔力と同じだった。
だがそんなことは知らず、そしてそこまでの魔力であっても抗魔力体質によって変調を起こすことなくアルフレッドは扉を開ききった。
そして、アルフレッドはその先の部屋の全容を、驚愕とともに見た。
「ここは……」
ようやく入り込んだ扉の先、漆黒の闇が通路を抜けて外に吐き出され照らし出されたその部屋は、あまりにも異質な光景だった。
アインヘリアを数機置いても余るほどの広い部屋。その全体にアルフレッドが通ってきた通路の壁にあるのと同じようなパイプが広がっていた。他にも、見たことのない機械の数々が点在しており、その機械のモニター部分は、今も絶え間なく文字列を走らせて何かを計算しているようだった。
ここにある機材の一つでも持ち帰るだけで、多量の金貨が得られるような資源の宝庫。謎の実験室のようなその部屋で、何よりも異彩を放つのはその奥だった。
足元すらも無数のパイプが敷き詰められた部屋の奥、全ての管が繋がった、アインヘリアが丁度収まるほどの巨大な鋼鉄の棺が置かれていた。
だがそれ以外には何も存在しない。慌てて部屋を探しても、他の扉は一切見つからなかった。
「行き止まりかよ……!」
アルフレッドはパイプの張り巡らされた壁に背中を預けると、力なく尻をついた。
もしも遺跡発掘に来ていたのなら浮かれていたかもしれないが、ワームがいつこの部屋にまで地中を掘って迫るか分からない以上、他の出口が見つからないというのは絶望的な心地だった。
入り口のワームが抜け出していて、さらに周囲にワームが居ないのを信じて地上に戻るか?
それともここでワームが消えるのと援軍が来るのを信じて待機するか?
「……いずれにせよ、早く決めないといけないな」
壁に預けた背中から、微かな振動を感じる。勘違いではなく、ワームが迫ってきているのだろう。この部屋の強度がどの程度かわからないが、最早状況は予断を許していなかった。
「繋がれたんだ……なら、足掻くさ」
数秒後、アルフレッドは緩慢な動きながらも立ち上がった。
もしかしたらあの見慣れぬ機材を見れば、突破口が見えるかもしれない。機材に近づいたアルフレッドは、絶え間なく文字列が変動するモニターを覗き込んだ。
「これは……封印魔法の言語と術式?」
独学ながら魔法の勉強をしていたおかげか、断片的にだがアルフレッドはその内容を理解した。だが、あまりにも複雑な言語魔法と術式魔法の混合された内容のため、わかったのはこの機材のどれもが封印魔法の媒体であるということだけだ。
「あの魔力は……この機材に使う余剰魔力?」
アルフレッドはこの空間を満たしていた黒い魔力が、この封印に使用されているのではないかと考えた。
「じゃあ、あれに何かが、封じられている?」
パイプを通して何処かしらから流れ出た魔力があの鋼鉄の棺に集まっているのか。そしてその魔力をこの機材が封印魔法に変換しているのだろう。
よく観察すれば、棺の隙間から黒い魔力が滲み出ているのが見えた。さらにアルフレッドは、棺の中心に何かが書かれているのを見つけた。
「これは、記号か?」
七つのラッパと十八体の天使の印が刻まれた術式の中心に書かれた『鉄』の一文字。初めて見る文字に首を傾げつつ、アルフレッドは再度モニターに目を移した。
「……こいつが封印魔法の基点なら」
これを破壊すれば、あの棺に封印されている『何か』を解放することが出来るのではないだろうか。
そして、その封印された『何か』ならば、この状況を打開する切っ掛けになりえるかもしれない。
『喪失された秘術』。遺跡に眠る現代魔法科学では解明しきれない超絶なる魔法具があれば、或いは──
腰からリボルバーを取り出して、モニターに銃口を向ける。これで壊れなかったら手はなく、さらに言えばあの封印を解放できたとしても、それがこちらにとって危険な物だったらその時点で終わりだ。
「分が悪いよなぁ」
しかし、そんな無謀をアルフレッドはいつも行ってきたのだ。
「なら、やってみるさ……!」
己を鼓舞するようにそう叫ぶと、アルフレッドは構えたリボルバーの銃爪を引いた。
放たれた弾丸は、モニターに炸裂するとその画面を破砕した。画面に描かれていた術式が消滅し、さらに穿たれた穴から紫色の魔力が漏れ出す。
「よし……」
正直、勿体無いと思いつつも、アルフレッドはその場にある機材の全てに弾丸を放った。次々に暗転していくモニター。
「これで……」
そして最後の一つを破砕する。響き渡った銃声が室内を虚しく木霊し、静寂がその場を満たした。
駄目か?
棺のほうを見てアルフレッドが諦めかけたその時、棺の隙間から流れていた黒い魔力の量が一気に増大した。
「ッ!?」
噴出す魔力によって発生した突風が顔を強かにたたきつける。堪らず顔を庇ったアルフレッドは、室内を吹き荒れる魔力の嵐の中心。ゆっくりと開かれていく棺の中身を見た。
「なっ!?」
それを確認した瞬間、突風が荒れ狂っているにも関わらず、視界を遮っていた手を下ろして目を見開いた。
目に付いたのは──鎖だ。
しかも一本や二本ではなく、アインヘリア一機が入る巨大な漆黒の棺を満たすほどの大量の鎖だ。
左右に分かれて開いた棺の中から、重力に逆らうことなく無数の鎖が床に降り注ぐ。耳につく鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合う音色を響かせながら、鎖の向こう側が──
「女の子……?」
降り注いだ鎖の奥から現れたのは、御伽噺にでも出てきそうな裸の少女だった。
鎖に絡め取られた様は、まるで蜘蛛の巣にとらわれた蝶のようだ。
見た目はアルフの年齢と然程変わらないように見える。腰まで伸びた銀色の長い髪に、この荒野の世界では見たことも無いくらい白い肌。瞼を閉じて眠る姿は、体を拘束する鎖にさえ目を瞑れば、童話に出てくるお姫様のようであった。
あるいは、鑑賞用にケースに収まった人形か。
いずれにせよ、現実離れした美しさの少女が巨大な棺の中で眠っていたのである。
「なんだよ……!」
知らず、アルフレッドは声を荒げていた。目まぐるしく展開された全ての事柄が、ここに来てアルフレッドの許容限界を超えたのだ。
「なんだよこれ!」
片手で頭を抑えながらアルフレッドは唸る。その声が広い部屋の中を虚しく木霊した。
返ってくるのは冷徹なまでの静寂のみ。脱出の望みを絶たれた悔しさか、あるいはこんな場所に少女を捕らえていたことへの憤りか。
その時、部屋を震わせた叫び声に呼応するかのように、眠っていたはずの少女の眼が開かれた。
繋がれた少女は、問う。
「力を望むか」
無力を嘆く少年は、叫ぶ。
「力が欲しい」
抗えぬ激流に抗う力。無力に散った命を想い、願い、叫ぶ力の渇望。
その祈りを契約とし、触れ合わせた吐息は幻想を編み理想を纏う。
第十二話【鉄─クロガネ─】
君を弄ぶ絶望の意味も、纏った力の意味も、その全てが君にはまるでわからないけれど。
疾走れと叫ぶこの胸に、刻み込まれた鉄は、成すべき『英雄』を君に示した。