第十話【託す者、託された者】
「サドンが、やられた?」
アルフレッドは、炎上しながら倒れたサドンを、信じられないといった様子で見た。
彼も含めて、サドンが何故いきなり爆発したのか、原因を理解した者はいない。ただ突然、サドンの頭部が爆発炎上して沈んだという事実のみがそこにはあった。
「呆けるな! さっさと魔道車に飛び込め!」
誰もが愕然とする中、クロウの荒々しい叫び声が全員を現実に戻した。慌てて荷台に飛び乗っていく作業員達。アルフレッドも急ぎ魔道車の元まで駆け出したが、絶望を伝える地響きと共に、遺跡のほぼ手前からワームがさらに三体現れた。
だが彼らに絶望をするような暇などはなかった。間髪入れずに襲い掛かってきたワームが作業員達の中に飛び込んできたのだ。
「や、やめ──」
「う、おぉぉぉぉ!」
「ぎぃぃぃぃああぁぁぁぁぁ!」
悲鳴と苦悶。そして肉をすり潰し、咀嚼する音色が重奏する死地。目の前で再び始まった絶望の宴に愕然と見せ付けられる。
アルフレッドは茫然の後、ワームに対する怒りを燃え上がらせた。腰のホルスターからリボルバーを取り出し、その銃口を──
「馬鹿野郎! 死ぬつもりか!」
クロウが慌てた様子で恐慌に走ろうとしたアルフレッドを後ろから羽交い絞めする。
「離してください! 人が死んでるんですよ!?」
「だからってお前に何が出来る!? これまでは上手くいったからって、これからも上手くいく保障なんてないんだぞ!?」
「だけど──」
「現実を見ろ!」
クロウはアルフレッドの頭を掴むと、強引にワームが人を食らう醜悪な光景を見せた。
「人間には何も出来ないんだ! 頼みの綱のサドンがやられちまった以上、俺らには逃げるしか選択肢がねぇんだ!」
「でも! だけど!」
それでもまだ何かこらえるように首を振るアルフレッド肩を掴んで振り向かせる。
真正面から交差した視線。
クロウの目は真っ直ぐで、アルフレッドの目は揺らいでいた。
「理想のために、今は逃げろ!」
「ッ……!」
「お前はこれから英雄になるんだろうが!」
今はまだそのための力がない。だけど、この先の未来にその力を得られるのなら。
明日のために、今は逃げるのだ。そう訴えかえるクロウの言葉を、アルフレッドは受け入れるしかなかった。
わかってはいた。その事実を自覚させられたアルフレッドは悔しそうに顔をゆがめながらも、小さく頷きを一つ返す。
「よし、それじゃさっさと逃げるぞ!」
魔道車のほうは、荷台が埋まった順に撤退を開始しているが、帝国の兵士はワームの注意を引こうとライフルを連射しながらぎりぎりまで粘っている。
まだ間に合う。クロウはまだ傍に残っていたメンバー達に目配せして駆け出した。
「■■■ッッ!」
だがそんな彼らの希望を砕くように、食事を終えたワームがクロウ達と魔道車の間に立ちはだかった。
「この芋虫が……!」
苛立ちをぶつけてみせるが、ワームに言葉が通じるはずがない。
あるのは単純明快な捕食の本能。点滅するその複眼に見据えられたクロウ達は、一斉に逃げ出した。
「クソッ!」
ばらばらに散ったが、運悪く狙われたメンバーが即座にワームの餌食になる。アルフレッドと共に逃げ出したクロウは、次々に食われていく仲間達を思って顔を歪めた。
「あ、あぁ……」
アルフレッドは口をわななかせて、消えていく命を絶望の眼差しで見送るしかなかった。
逃げるだけ。無力。力が無いから、何も救えない。
「クロウさん……!」
アルフレッドはすがるような心地でクロウの名を呼んだ。だがワームを相手に何か策があるわけではない。ワームに道を遮られて逃げるタイミングを逸したクロウ達、既にこれ以上は限界と判断した魔道車は荷台が埋まるのを待たずに発進していた。
後はもう食われるしか道がない。
どうする?
どうすればいい?
走りながら目まぐるしく回転する思考。だが打開策は何一つ思い浮かばず──
いや、一つだけ、運がよければ助かる道が存在した。
「こっちだアルフ!」
「は、はい!」
二人が全速力で向かったのはあの地下へと通じる遺跡だ。
その入り口の前に立ったクロウは、腰に備えた拳銃を取り出すと、アルフレッドに背中を向けた。
「行け! あいつらがここの魔力に誘われたのは事実だが、もしかしたらこの先に別の脱出口に繋がる道があるかもしれん!」
「クロウさんは!?」
クロウは振り返ると、この状況下にありながら眩しいくらいの笑顔を浮かべた。
「わかるだろ? 今立ってるここでも、そこからあふれ出す魔力で意識が朦朧としてるんだ」
「そんな……俺一人でなんて!」
「黙って聞け!」
荒々しい声にアルフレッドは体を震わせて声を詰まらせる。その間にクロウはリュックから爆薬を取り出して、すぐ導火線を歯で短く噛み千切る。
「ベースキャンプの俺らの部屋。天井にプレゼントを残しておいた。帰ったら確認してみろ」
「クロウさん! それって!」
「サフランなら多分この状況でも生き抜くだろう。いざって時は面倒を見てもらえるように前から頼んでおいた」
「そ、そんな、そんなの──」
「だから進め、アルフレッド」
「遺言みたいじゃないですか!?」
涙目になったアルフレッドに向き直り、クロウはいつも彼の無鉄砲に対してするように、肩を軽く竦めてみせた。
「安心しろ。実はここにワームをおびき出して、お前を餌に俺はさっさと逃げ出すって寸法だからよ。むしろ遺言があるなら聞いてやるぜ?」
誰から見ても嘘だとわかる言葉だった。子どもだからといって、クロウが持っている導火線の短い爆薬の意味するところくらいわかるつもりだ。
「クロウさん。俺も──」
「駄目だ。大人は子どもより人生の残り時間が少ないからな。子どもの駄々に付き合う暇はないんだよ」
最後まで聞くこともなく、クロウはアルフレッドの体を通路のほうへと押した。たたらを踏んで後退するアルフレッドを最後に優しげな眼差しで見つめたクロウは一転、迫りくるワームへと向き直った。
アルフレッドという希望を未来に繋げるため、か細い光だが、クロウは大人として子どもに道を示すのだ。
「ここから先は行かせねぇぞ!」
「クロウさん!」
ワーム目掛けて特攻しようとするクロウを止めようとして、その顔面にクロウのリュックがぶつかって動きが止まる。
「ガキは荷物持ちでもしてな!」
そう言い残して、クロウは振り返ることなく真っ直ぐにワームへと走り出した。我武者羅に銃爪を引いて全段発射するが、ワームの甲殻には当然傷一つつけることができない。
そんなことはわかっていた。拳銃を後ろに投げ捨てたクロウは、走りながらポーチに手を伸ばし、アルフレッドと同じ炎の術式が刻まれたLMBを取り出した。
「嫌だ! クロウさん!」
「生きろよ、アルフ……」
きっと、ワームに食われていった誰もが、同じ言葉を残しただろう。
アルフレッド。
この荒野に生まれながら、理想に燃える未来ある少年。
明るい明日、夢のある未来。それら全てを荒野で見失ったクロウ達にとって、何よりも眩しいその姿。
そんな子どもに未来を託していけるなら、こんなに嬉しいことはない。
「……大人はずるいんだ。背負わせるだけ、背負わせちまうんだからよ」
せめて彼が、この苦難を経て重責に押しつぶされないようにと、最後に祈りを一つ。
指先から流れたなけなしの魔力で覚醒したLMBを導火線に近づける。炎の術式が発生して火が点いた爆薬。十秒もすれば、鉄の扉も吹っ飛ばす威力を誇る自慢の爆弾は破裂する。
「だが、死ぬつもりはねぇ」
決して、自暴自棄になったつもりはない。
言葉を残したが、死ぬつもりはない。これをあのワームの口の中に突っ込んで倒し、そのドサクサに紛れて逃げ切ってみせるのだ。
「そうさ、俺だって──」
──お前のように真っ直ぐと。
覚悟を決めたまさにその瞬間。
閃光の如く放たれた触手の先端が、クロウの体を貫いた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
アルフレッドは絶叫しながら駆け寄る。しかし貫かれた状態で引き寄せられたクロウには手が届かず、伸ばした掌が掴んだのは、クロウの腹部から溢れ出た鮮血だけだった。
「柄にもねぇな……!」
どっかの誰かが英雄に憧れるから、こっちまで英雄になれるんじゃないかと、一瞬思った。
それがこの様。
貫かれた腹部から触手が絡まり、体ごと手繰り寄せられる。最早、どう足掻こうがこのままワームの餌になる運命しかないだろう。
その結末を、クロウはただ事実として受け入れていた。
クロウは枯れた大人だ。いや、この世界に生きる殆どの大人が、夢も忘れ、希望も失い、枯れた世界で枯れ果ててしまった。
そんな自分が、英雄みたいに颯爽とワームなんて倒せるはずがない。アルフレッドのように魂を輝かせる閃光は何処にもないから。
「だけど……」
迫るワームの口。
口にあふれ出した血を飲み下し、激痛で途切れそうな意識を手繰り寄せる。
「そんな俺でも……!」
残された選択肢は殆どない。手から落としそうな爆薬をしっかりと握り締め、目前まで迫ったワームを睨み、クロウは叫んだ。
「希望を繋ぐくらいはなぁぁぁぁぁぁ!」
血を吐きながら絶叫したクロウの体がそのままワームの口内に飲み込まれる。
噴出す鮮血。
抵抗もむなしく、クロウの命は砕かれて。
だが、彼が託した命の光を示すように、口内で炸裂した爆薬がワームの口を内部から吹き飛ばした。
「■■■ッッ!」
触手とこれまで食べてきた人間の残骸を撒き散らしながら、ワームは空に向けて咆哮する。
「クロウさぁぁぁぁぁぁん!」
アルフレッドは目の前で散ったクロウの名を叫んだ。
だがいつもなら返ってくるはずの気の抜けた声は返ってこない。
返ってきたのは、いつも頭を乱暴に撫でる大きな手。千切れ飛び、ぼろぼろになったその手だけが、アルフレッドの前に飛んできた。
「そんな……」
ただ力なく膝を折った。見せ付けられた現実が、どうしようもない絶望を背中に乗せてくる。
「ずるいですよクロウさん……! 俺を餌に逃げるんじゃなかったんですか……!」
勝手に全て決めて、勝手に何かを背負わせて、そして勝手に死んでしまった。
溢れる涙も、全部クロウのせいだ。
「生きろだなんて……!」
それでも、この状況に抗えと彼は言い残した。
周囲をワームに囲まれ、魔道車もなく、アインヘリアは大破して動けない現実しかないというのに。
抗えと。
生きろと。
未来を、託されたのだ。
「勝手すぎるんだよ、大人は!」
ならば、涙を流す暇なんてなかった。死を悼むのは今ではない。散っていった命を嘆くのはこのときではない。
走るのだ。
道を示されたから。
走るしかないのだ。
口内を爆ぜて悶えながらも、ワームはその複眼を点滅させてアルフレッドを捕捉する。口が爆薬で爆ぜようが、その程度で死ぬわけが無い。傷ついた口から体液を滴らせ、ワームは荒野に屈したアルフレッド目掛けて走り出した。
そのときには、既にアルフレッドも駆け出していた。
「■■■ッッ!」
「うぉぉぉぉぉ!」
迫り来る死から逃げる。
そうではない。抗うのだ。生きるために足掻き、地を這ってでも一秒でも逃れるのが託された意志ならば。
アルフレッドは心を引き裂くような悲しみを振り払うように、絶叫しながら遺跡の入り口目掛けて走り出した。
ワームの速度は人間のそれを遥かに上回る。追いつかれれば刹那、この体はずたずたに引き裂かれ、果てることだろう。
だが後ろを気にする余裕などなかった。必至に逃れた先、跳ね上がる鼓動の赴くままに、アルフレッドは地下通路の入り口に飛び込んだ。
「死ぬかよぉぉぉ!」
暗がりに一人。駆け巡る絶望に心折り、温かさを求めて彷徨い歩く、君の明日は何処にある。
泣き出しそうな瞳。震える両足。流離う腕は手探りで、それでもと足掻く君の胸に託された意志に押されて、行け。
第十一話【鋼鉄のボーイミーツガール】
薄暗い地下。
そそり立つ棺桶。
埋め尽くされた鋼の戒め。
それは、暗黒の檻で紡がれる、鋼鉄のボーイミーツガール。