猛烈にって言うな
そんなやり取りを経て、俺は藤咲に対する関わりを最低限に保つことに気を遣い始めていた。
元々お節介な性格だと自覚しているし、その所為でこんな職業に就いてしまっている部分もあるのだが、それでも本人が望まないお節介までしようというほど押し付けがましい性格ではないつもりだ。
何か事情があるのだろうし、そこを無理に探る気にもなれない。
相手に頼られた場合は可能な限り力になるのだが、頼ろうとしない相手に対して力になりたいというのはただの傲慢でしかない。
クラス担任であり、尚かつ隣の部屋に住んでいる人間に極力関わらないようにする、というのはやはり想像以上に堪えるものがあったが、藤咲自身がそれを望んでいるのだから仕方がない。
だがしかし、ニアミスというのはどうしても発生してしまうものである。
俺が関わらないように気を遣っていても、藤咲が関わりたくなくて俺を避けていても、それでも必然的に関わってしまう状況は発生してしまうのである。
そして状況によってはどうしても放っておけなくなる俺の性格が、この場合は災いした。
「あ……」
「お?」
夜七時前。仕事上がりに晩飯の材料でも買っていくかと近所のスーパーマーケットへと車で立ち寄った際の出来事である。
店内のインスタントラーメン売り場の通路で俺は藤咲と遭遇した。
「……ちっ」
「………………」
第一声が舌打ちとは、俺もなかなかに嫌われたものである。何故ここまで嫌われているのか、既に考えることはやめている。
「こんばんは。お疲れ様です。失礼します」
この上なく無感情な三拍子台詞を残して藤咲は俺の前から立ち去ろうとしたのだが、しかしそれを許すほど俺は甘くない。
「待てい」
がしっと掴んだのは藤咲の華奢な右肩。
「痛っ」
「あ、悪い」
多少腹立たしかった所為もあって、掴んだ手に必要以上の力が入ってしまったらしい。そこは素直に謝っておいた。
「何か?」
用でもあるのか、と俺を睨み上げる藤咲六花。その目つきは非常にアレだ。敢えて言葉にして表現するならば『虫を見るような』という感じだろうか。
「そのカゴの中身」
「?」
俺が気になったのは藤咲が持っている買い物カゴの中身だった。
一人暮らしの女の子。当然、食事に関しては外食か自炊、もしくは月単位でのメニューサービスなどの利用が考えられる。
しかし藤咲が持っている買い物カゴの中身はそのどれもを裏切るものだった。
二リットルペットボトルの緑茶。これはまあいいだろう。炭酸飲料とかよりは健康的だと思う。
しかし問題はここから先だ。
インスタントラーメン・カ○リーメイト、ライトミールえとせとら……
こいつの持っている買い物カゴの中身に『なまもの』は一切入っていないのだ。野菜・果物・肉・魚など、調理が必要な食材が一切合財皆無なのだ。
その中身を目にしただけで藤咲六花の生活習慣が垣間見えてしまう。
「藤咲、お前って自炊とかしないわけ?」
「……料理は不得手なんです」
「………………」
誰だこいつに一人暮らしを許可した奴は。
「じゃあ普段はインスタントかライトミールが主食なわけか?」
「コンビニのおにぎりや弁当なども重宝しています」
「………………」
ジャンクという面では大差ねえよ!
……という訳で今日は俺の部屋に藤咲を招待することにした。
隣人として、教師として、それ以前に人として、目の前にいる女の子の荒みきった食生活を見逃してやることなど出来なかったのだ。
むしろ矯正してやらなければ! などという奇妙な使命感が芽生えてきたりもした。
藤咲の方は最初こそかなり不機嫌そうに拒否したものの、よくよく考えると俺の招待を受けた場合には一食分の食費が浮くのだという事に思い至った瞬間、あっさりと受け入れた。がめついというか、しっかりしているというか、意外と逞しい性格をしている。
親からの仕送りだけで生活していると、節約した分だけ自分の小遣いになる。藤咲も自分の自由になる金が入り用なのだろう。
自分に関わるなという最初の主張をある程度緩和してでも、それは必要なことなのかもしれない。もしくは単に節約できるという状況に流されているだけなのか。
その辺りの判断は難しいが、しかし考える必要もないだろう。
その後、藤咲を車に乗せて時風荘へと戻り(どうせ帰る場所は同じなのだから乗っていけと勧めてみた)、玄関前で別れた。
一時間後くらいに俺の部屋に来いと告げてから、もうすぐ五十分ほどが経過する。
俺の部屋のテーブルには二人前の食事が並んでいる。俺の分と藤咲の分。
今日のメニューはトンカツとサラダ、それとニラ玉にしてみた。皿から立ち上る湯気は今が食べごろだと主張しているかのようで、自分で作っておきながら早速食欲を主張する腹の虫が元気よく声を上げた。
「思ったより早く出来たし、藤咲の奴を呼びに行った方がいいかもな」
せっかくの食事も冷めてしまっては台無しだ。
そう思って腰を浮かせかけたところで、
ぴんぽーん、とインターホンが鳴った。
「お、タイミングばっちりじゃないか」
俺は早速立ち上がって藤咲を出迎えてやる。
「おう、待ってたぜ」
「……どうも」
藤咲は仏頂面のまま上がり込んできた。
自分の部屋と変わらない間取りなのに、部屋の様子だけかなり違うのでちょっと不思議そうにきょろきょろとしている。
ちなみにちゃんと片づけている。見られてマズいものとか足の踏み場もない無惨な部屋とか、そういう状況では断じてない。
「ではごちそうになります」
「おう。味の方は多分保証する」
俺の味覚と藤咲の味覚が大幅にずれていなければ、不味いとは感じないはずだ。
俺も藤咲も箸を手に取って食事に口を付ける。
「………………」
藤咲は一口食べて二秒ほど固まった後、ひょいぱくひょいぱく的な勢いで食べ始めた。頬か紅潮している。多分、美味しいと思ってくれているのだろう。
うんうん。好評なようで何よりだ。
そう言えばこうやって誰かと食卓を囲むのは随分久し振りかもしれない。実家を出てからだから……うわ、もう四年も経つのか。時の流れは早いものだな。ついでに言うと残酷なものだなとも実感する。
「どうかしました?」
藤咲が口をもきゅもきゅさせながら不思議そうに首を傾げる。その仕草だけを見れば凄まじく可愛らしいのだが、しかし内面を知っているだけに素直に萌えられないのだった。
「いや。そんな風に美味しそうに食べてもらえると作った側としてもちょっと嬉しくなるなと思ってさ」
「………………」
藤咲は一瞬だけ心外そうになりながらも、箸だけは進んでいる自分の状態をようやく受け入れてから、
「まあ、不味くはないですね。手作りの食事も久し振りなので、嬉しくないと言ったら嘘になるかもしれません」
「って、やっぱり自分じゃ全く作らなかったのかよ!」
「だから料理は不得手なんです」
「ちょっとは挑戦しろ」
「適正のないものを無理に鍛えようとするのは非効率だと判断したので」
「女の子が料理に関して適正がないとか言ってんじゃねえよ」
「それは女子に対する偏見では?」
「う……」
女の子は料理が出来る方がいい、というのは男の過剰な期待と偏見によるものだが、しかしそれを差し引いたとしても一人暮らしで自立していかなければならない以上、料理スキルだけは必須だと思うのだが。
「それでも先生は男の割に料理がうまいんですね」
「一人暮らしならこの程度は普通だろ」
「それもそうですが内容が繊細というか、もっと男の料理って大ざっぱなイメージがあったんですけど味も細かいし。このトンカツソースも市販のものではなく手作りでしょう?なんだか猛烈に意外というか……。」
「猛烈にって言うな」
せめて『ちょっと意外』程度にしておいてくれ。
「でも美味しいとは思いますよ」
「そりゃ良かった。つーか美味しいと思ってくれるんならちょくちょく食べに来ていいぞ。隣人兼教え子がインスタントやライトミールオンリーで生活してるなんてのは俺の精神衛生上よろしくないからな。むしろ食べに来てくれた方が安心する」
「それはまあ助かりますけど、でも二人前って大変じゃないですか?」
「そうでもない。逆に一人前にする方が結構大変なんだ。料理ってのは少量に抑えるのが難しいからな」
「そんなものですか」
「そんなものなんだ」
「といっても奢られっぱなしというのも気分が悪いので、というか気持ちが悪いのである程度の食費は出しますよ。半分くらいは」
「気持ち悪い言うな! それと年下の女の子から金を取るほど生活に困ってねえよ。どうしてもって言うんなら気が向いた時に食材を差し入れてくれればいい」
「……分かりました。では夕食だけお世話になってもいいですか?」
「構わないぜ。残業の時とかはちょっと遅くなるだろうけど、大体これくらいの時間には食事に出来ると思うからさ。一緒に食おう」
「………………」
「?」
今、一瞬だけだけど藤咲が笑ったような気がした。
安らいだような、つい漏れてしまったような、本音の表情。
「藤咲……?」
「? 何ですか?」
「いや、今……」
「?」
きょとんとした表情で首を傾げる藤咲。どうやら自分が笑っていたことに気付いていないようだ。
「いや、何でもない」
「はあ……」
その事を指摘してしまうと、藤咲は多分意識的に表情を殺してしまうだろう。そんな気がした。
これはきっと、藤咲自身も気付いていない本音なのだ。
一体何が藤咲をそうさせたのかは分からないけれど、ほんの少しだけでも、無意識レベルだけでも心を許してくれたことが自分でもどうかと思うくらい嬉しかった。
手作りの食事なのか、それとも誰かと囲む食卓なのか。
今日の出来事のどれかに、藤咲が諦めてしまっていながらも無意識の内に求めていた何かがあったのかもしれない。
学校でのあからさまな外面も、本性を垣間見せながらも本音だけは頑なに見せようとしない態度も、きっと寂しさの裏返しだと思うから。
「これから色々よろしくな、藤咲」
「まあ、夕食のみお世話になります」
「………………」
道のりはまだまだ遠い気がするが、それでも少しだけ手が届いた気がした。
俺が自分から藤咲六花に関わろうと決めたのは、この日からだったのかもしれない。