小さな背中
それから数日経ったある日の出来事。
メイド魔人……もとい七原さんに頼まれている以上、俺は藤咲の三食を面倒見なければならないのだが、たまには外食とかしたくなるのである。
別に料理は嫌いじゃないのだが、時々面倒だという気分になる。
なので日曜の昼くらいはどっかに飯を食いに行こうか。そうなると藤咲の昼飯が無くなるからまあ藤咲も誘うか、と部屋を出た時のことだ。
「………………」
なんと、藤咲の部屋の前には先客がいた。
藤咲とそう歳の変わらなさそうな、少し上くらいに見える青年だった。
玄関先で藤咲と何か話している。
「いいから黙って付いてこい、六花」
「絶対に嫌だ」
「……オレに逆らうつもりか?」
「私があんたに従わなければならない理由はどこにもない」
……何やら物騒な会話が繰り広げられている。
「藤咲……?」
どうにも険悪になりそうだったので取りあえず割り込んでみる。
「せん……春名さん……」
「………………」
先生、と呼びかけて春名さんに変更したということは、俺の立場を知られたくないのだろう。一体どういう関係なんだ?
「……あんた、誰だ?」
青年が不審の眼差しを向けてくる。
「………………」
こいつの担任教師だ、というのは簡単だが、藤咲はどうやらそれを知られたくないらしい。だったら……
「ただのお隣だよ。近所迷惑なんで何事かと思ってね」
まあ、嘘は言っていない。
「それはすまなかった。すぐに静かにするからお構いなく」
「ちょ……離して!」
そいつは無理矢理に藤咲の腕を掴んでつれていこうとする。下には車を待たせてあるようだ。
「いいから黙ってろ」
「この……!」
藤咲が掴まれていない方の手で青年を殴る。
……そりゃもう何の手加減もなくぐーで殴った。
しかも顔面を。
「っ!」
殴られた頬を抑えた青年が忌々しげに藤咲を睨むと、そのまま右手を振りかぶろうとする。
殴り返す気だ。
「藤咲!」
俺は咄嗟に藤咲の手を引いて背後に庇う。
青年の拳を受けとめてからその腕をねじり上げる。
「っ! 何するんだ! 離せ!」
痛みに顔を歪めた青年が忌々しげに叫ぶ。
「何するんだはこっちの台詞だ。いきなり女の子を殴ろうとするのを見過ごせるわけがないだろう」
「そいつが先に殴ったんだ!」
「それはお前が藤咲を無理矢理連れて行こうとしたからだろう。誰だって自分の意志を曲げられたら反撃の一つくらいはするものだ。藤咲の行動に非があるとは思えない」
「そいつはオレのものだ! オレがどうしようと自由だろう! 他人にとやかく言われる筋合いはない!」
「……藤咲が、お前のもの……?」
聞き捨てならない物言いに不快感が込み上げてくる。
「藤咲は藤咲自身のものだろう。誰のものでもない。お前に彼女の所有権を語る権利はない」
「はっ! 何も知らない他人が余計な口を挟むな! そいつは生まれた時からオレのものだ。オレの子供を産むために存在しているんだから当然だろう」
「……お前、まさか」
瑠璃條の関係者か?
以前藤咲が言っていた兄貴か。
「……お前の家の事情は知らん。興味もない。たが藤咲が嫌がっている以上、見過ごすわけにはいかない」
瑠璃條……一根、だったか?
彼の腕を押さえながら淡々と告げる。
俺が事情を知っていることは言わない方がいいだろう。
「く……そ……! こいつをなんとかしろ!」
一根が車に向かって叫ぶ。
「!?」
すると黒服の男が二人出てきた。
男は俺の方へと真っ直ぐ向かってくる。
「ちっ!」
不味い、と判断して俺は咄嗟に一根を離してそいつらへと押しつけた。
二人とも屈強な身体付きをしている。
恐らくはボディーガードというヤツだろう。
まったく、金持ちらしいことだ。
だが自分の力じゃなくて他人の力をアテにしてことを進めようとするのはどうにも胸くそが悪い。
しかし俺がどうしようか悩む暇は与えてもらえなかった。
「がっ!」
ボディーガードの一人がいきなり俺の腹を殴ってきた。
「っ! ぐっ! がはっ!」
そのまま容赦なく胴体を殴られ続ける。顔を殴られないのは幸いと言いたいところだが、どうせ見えるところに証拠を残したくないだけだろう。
「ぐはっ!」
散々殴られて立っていられなくなった俺はそのまま跪く。
「ぐ……!」
背後には藤咲がいる。
「あ……」
藤咲は一瞬だけ心配そうに俺を見てからすぐにそっぽ向いた。
「……ったく。手間かけさせやがって」
「っ!?」
俺が無力化された途端に一根が近づいてきて、そのまま蹴り上げる。
跪かされていた俺はそのまま倒される。
その脚で頭を踏まれた。
……なんか、すげー屈辱感があるな、これ。
「……この、クソガキ……」
睨み上げることくらいしか出来ないのがもどかしい。
こいつの力でそうされたのならまだしも、他人の力に頼った挙げ句それを自分の力だと勘違いしているヤツにこういう扱いを受けるのは甚だ不愉快だ。
倒れている間に少しは回復したからこいつを蹴り上げてやろうかと俺が考えていると、
「やめて」
「………………」
どちらに言ったのかは定かではない。
だが藤咲が静かに言う。
「付いていくから、やめて」
「……やけに素直だな、六花。こいつを庇うつもりか?」
「その通りよ。だけどこの人だから庇うわけじゃない。私のせいで巻き込まれた人間を私が庇うのは当然だからよ」
「……まあいい。大人しく付いてくるっていうんなら見逃してやるさ。腕の痛みも引いてきたことだしな」
「………………」
そう言って一根は俺の頭からその脚をどけて離れた。
お陰で反撃のチャンスを逃してしまった。
……まあ反撃したところでまたボディーガードにフルボッコにされるだけだろうが……。
「……大丈夫ですか?」
「ああ……なんとか」
藤咲がしゃがみ込んで俺の具合を確認する。
「それよりも、いいのか……?」
藤咲は付いていきたくないから抵抗していたんじゃないのか?
「……まあ、今回は仕方ありません。それに、慣れてますから」
「………………」
藤咲が目を伏せながら苦笑した。
「おい、六花。いつまでそんなヤツに構っている。さっさと付いてこい」
「………………」
藤咲は盛大に溜め息をついてから立ち上がる。
「じゃあ、ちゃんと怪我治してくださいね。酷いようなら病院に行ってください」
「いや。そこまで酷くない。嫌な感じに加減されていたからな。湿布でも貼っていれば大丈夫だ」
「そうですか……」
藤咲はホッとした表情になってから踵を返した。
「巻き込んでしまってすみません。でも出来れば次からは関わらないでください。私は大丈夫ですから」
「………………」
大丈夫だと言った藤咲の手は、確かに震えていた。
それが強がりだということは俺じゃなくても分かる。
だけどその小さな背中にかけられる言葉は何一つない。
遠ざかっていく藤咲に対して、俺は何も言えない。
「くそ……」
何も言えず、何も出来ない自分が酷く歯痒かった。
悔しくて、腹立たしかった。
藤咲が決めて、自分の意思でそこにいるのだから、俺が口出しする権利はないのだと理屈では分かっている。
だがあの小さな背中で、華奢な身体でどれほどの苦痛に耐えているのかを垣間見てしまうと、どうしようもない気分にさせられてしまうのだ。
俺が藤咲に出来ることは、本当に何もないのだろうか。