カンネの戦い~前夜
最初の戦いが思わぬ大会戦になり、意図せずして大軍を失ったカオスは、今回こそ雪辱を晴らすために、主力軍を動員してきた。前回は大軍ではあったが、指揮官が上将軍どまりであった。今回は総司令官がカオスでも3人しかいない最高クラスの将軍、フレスベルク大将軍が務め、10人の上将軍、30人の将軍が率いる総数は60万人という大軍団であった。
対する魔界軍は「激熱の魔王」源元馬率いる4万5千、「イレギュラーの魔王」こと土緒夏率いる(といっても彼自身は30人であるが)5万余、天智の魔王自身は都に留まるが、エセル・バール率いる6千と魔将軍アンドロマリウス伯、セエレ子爵率いる2万、それに天界の援軍であるジークフリート大司教の5万を合わせて17万余である。カオス兵の3倍の力がある魔界兵からするとほぼ戦力は拮抗しているといっていいが、最終的には指揮官の能力に左右されるために、新生魔王とその妻たちの能力にかかっていると言っていい。
「宗治先輩が反旗を翻さなければ、この戦いも楽勝だったのに…」
元馬は予定の戦場であるカンネ平原に布陣して、カオス軍を待ち受けながらそうつぶやいた、確かに宗治がこの戦場に来れば、隆介も来れたわけで魔界軍の絶対優位は間違いなかった。だが、現実は3方向を山で囲まれた交通の要所に広がる平原の北西から南西にかけて囲むように布陣する予定の魔界軍は17万。敵の3分の1弱である。
「陛下、天智の魔王様が立てた作戦、うまくいくかどうか?」
アレクサンドラが本陣のテーブルに広げられた地図を見て言った。彼女の衣装は直接打撃系だけあって、攻撃に使う手足、頭以外は動きやすさを重視した軽装で、セクシーなへそがちらりと見えている戦闘ドレスであった。硬派な元馬はその姿に微動だにせず(彼は夏妃に対するラブラブビジョンが発動しなければ、女の色香には強いのだ)、これまたベレー帽にワンピース型のセーラー服という戦場には似つかわしくない格好の妹の源満天の顔を見て、反応を待った。満天は幼いながらも頭脳明晰で、橘隆介が立てた作戦の意図をよく理解しており、実際の戦場を照らし合わせて考察できるから、自分の判断と彼女の見解を比べたかったのだ。
「お兄様、こちらの陣形が完成すれば、我が軍はカオスに対して半包囲体制を取れます」
「確かにそうだが…」
すでに布陣している元馬の率いる5万はカンネ平原を囲む2つの山、ぺテル山、ミラース山の山際に布陣しており、カオスが攻めるにはこの両山の谷を走るロビス街道を突破しなければならない。だが、この街道には元馬の主力軍2万と満天の1万余、宮川スバルの5千が布陣し、その左翼をアレクサンドラ、エセルの1万6千余、右翼を魔将軍2名の2万が布陣している。
「まだ反包囲が完成したわけではない。もう一つの山、ジゼル山の峠を下って、イレギュラーの魔王率いる5万と天界の援軍5万が到着して、味方右翼の右隣りから反包囲体制を取らないと隆介の作戦は完成しない」
そう元馬は顔をしかめた。実際、どうしたわけかイレギュラーの魔王の進軍が予定より遅く、布陣が遅れていることにあった。イレギュラーの魔王自身の兵力はわずか30人に過ぎないので、本当に欲しいのは彼の配下の妃殿下元帥、立松寺華子率いる2万、第1側室リィ・アスモデウス率いる1万8千、エトランジェ・キリン・マニシッサ率いる1万4千、ファナ・マウグリッツ率いる1万2千だ。これに天界軍ジークフリート大司教の5万が加わる。
「陛下、カオス軍先鋒がカンネ平原に侵入してきました。数およそ3万」
「早いな…だが、敵は大軍ゆえ、全軍がそろうまでまだ時間はかかるだろう」
「おそらく、我が軍の3倍以上に達するまでは、仕掛けてはこないと思いますが」
満天はカオス軍がすべてカンネ平原に布陣するまでの時間を計算していた。結果はおよそ8時間後。夜襲がなければ、戦いは明日である。
(こちらから仕掛けるべきか…)
と満天は思ったが、こちらが数では劣勢で有利な地形を利用していることを考えれば、早計だろう。それは賢い自分の兄も理解しているようで、味方の到着について伝令兵に確認をしている。
(夏の野郎、いったい何してるんだ!)
元馬は、到着すれば分かるであろうジゼル山の尾根を見上げてそうつぶやいた。