スバルと共に その2
混雑する電車に揺られながら、スバルの思案は続いていた。
(なによ、元馬の奴、何か話せば、それをきっかけにしてこちらも話せるのに。私から口火を切るなんて、ちょっとタイミングが…)
「あの…」
スバルは無意識に何か言おうとして、ふと自分の胸に変な感触を感じた。サワサワ…と撫でられる感触。しかもそれは大胆に両胸を鷲掴みにしてくる。
(げ…元馬の奴、よりにもよって、電車の中で触ってくるなんて!)
スバルは傍らの元馬をにらみつけたが、どうも様子が違う。元馬の左手は吊り革のバーを掴み、右手にはかばんを抱えている。自分の胸を両手で鷲掴みなどできるはずがない。
しかもその手は微妙に動き、あろうことか乳首をつまもうとしてくるではないか。
(ち…ちかん!)
スバルの頭に中は真っ白になった。今まで痴漢にあったことは一度もなく、もし、被害にあったら犯人を捕まえてやる!と思っていたが、いざ、触られると恐怖で何もできない自分がいる。しかも痴漢は自分の耳元に臭い息を吹きかけて、
「うひひ…お嬢ちゃん、でかい乳してるねえ。彼氏はいるのかい?彼氏にもんでもらって大きくなったたんだろう。このメス牛め」
(嫌、いや、いや…)
頭の中で叫ぶが声にならない。痴漢はそれをよいことにますます調子こいて、胸の突起をつまんでくる。
(た、助けて…だれか、だれか…げ…元馬くん!)
声にならない声で力いっぱいスバルは叫んだ。
「おい、おっさん!」
急にスバルの胸の気持ち悪い感触が消えた。元馬が初老のサラリーマンの両手を掴んで上に上げた。サラリーマンはズボンから出してはいけないものまで出していたから、電車内は騒然となる。
「俺の彼女に手を出すな!」
ものすごい元馬の一喝で痴漢は観念した。次の駅で駆けつけた駅員と警察官に現行犯で逮捕されることとなった。
思いがけない事件でスバルはことの成り行きに身を任せるだけだったが、元馬がてきぱきと進めて帰り路に着いた。
「大丈夫?少しは落ち着いた?」
自分をかばうように歩いている元馬が優しくそう言った。スバルは、
「あ、ありがとう…」
と言うのが精一杯であった。元馬はスバルを気遣って送ってくれるつもりなのであろう。黙って歩いていたのに励まそうと必死に話しかけてくる。
「まったく、ひどいよな。痴漢なんて最低の犯罪だ」
とか、
「ああいう混雑した状況を放っておくから、こういう輩がでるんだ」
と鉄道会社(橘隆介の会社)を批判したりとスバルの気を紛らわそうと必死である。
(なんて、不器用な人…)
思わず、クスッと笑ってしまうスバル。
(この人(源元馬)って、いい人よね)
そう思った時にふいに聞きなれた声が後ろから聞こえてきた。
「おや、スバル、今、お帰りかい?」
「お…お母さん!」
スバルは振り返って母を目にしたとき、かあ~っと恥ずかしさで顔が真っ赤になった。今の状況、どう見ても彼氏と歩いている娘である。
「お母さん、この人は、その、あの…」
しどろもどろのスバルだが、元馬は動じない。一直線のさわやかな声で、
「源元馬です。スバルさんとは同級生で、今、お付き合いさせていただいています」
スバルの母親は買い物帰りだったようで、買った食材を入れたかごを抱えて目を丸くして、このでかい男の子の足の先から頭のてっぺんまで見て、にっこりほほ笑んだ。
「まあまあ、この子ったら、何も言わないから。スバルの母です。初めまして、元馬くん」
母親はニコニコしながら、元馬にあいさつした。そしてスバルに目配せした。
(いい彼氏じゃないの。スバル、でかした!)
とこの快活な母が目で語っていた。
(付き合ってるって、それは誤解!)
とスバルは思ったがこの状況では言える雰囲気ではない。しかもあろうことか、母は元馬にご飯を食べていくように言って、元馬もその気になっている。
(ちょっと待て!家にはお父さんもいるし、生意気な弟もいる。それに今日のご飯はカレーだ。母の買ってきた食材を見れば一目瞭然。御曹司に我が家のカレーは恥ずかしすぎる!)
「ちょ、ちょっと、元馬くん、まさか、食べてくんじゃないよね?」
「いや、せっかくのお誘いだし、断る理由ないよな」
「だって、私たち付き合っていないし…」
「いや、君を側室にもらうのだから、ご両親にはご挨拶しなきゃならん」
「や、やめて!」
そんなことを聞いたら、父も母もぶっ倒れるだろう。ここは彼氏ということで収めないとこの男がとんでもないことを言い出す。それに…スバルは先ほどのことを思い出した。
小声で元馬に口止めをする。
「今日の痴漢の事件、親には言わないでね。心配かけたくないから…」
「ああ、分かったよ」
元馬も小さな声でスバルに応えた。