経理ガールを口説け その1
橘隆介は生徒会室に中村杏子を呼び出していた。一応、他のメンバーはすでに下校しており、生徒会室には会長の隆介ただ一人だ。
「呼び出されてきたけれど…会長一人だなんて」
杏子はトレードマークの赤い眼鏡をちょっと上げた。この眼鏡が彼女の美貌をいくらか損なっているのだが、眼鏡をはずせば絶対美人なのに中村杏子はコンタクトにはしなかった。目が悪いのは細かい数字を見ることが好きだから、視力は年々悪くなる一方だったが、杏子には、
(容姿で世の中を渡っていきたくない)
という頑なな信念を持っていた。だから、きれいな格好はわざとしないし、制服も学校パンフレットに出てくる生徒そのものの着こなしをしていた。
「君に何ていうか、その、つまり、オファーがあるんだ」
杏子は腕を組んでこのイケメンの生徒会長をにらみつけた。杏子は性格上、イケメンは嫌いだったが、この生徒会長は嫌いではなかった。才能豊かでイケメンで、しかも家は大金持ちに関わらず、それを鼻にかける様子もなく、モテモテの状況もまったく感知しない態度が気に入っているからだが、それは好意というだけであって、恋愛感情はまったくないと思っていた。だから、オファーと聞いて、
「生徒会会計でしたら、新堂さんがいるじゃあないですか」
とごく自然な受け答えをした。暗に(そんな役は引き受けませんという響きがある)
「いや、君の能力は高く評価している。こんな生徒会の財政規模を取り仕切る程度の力とは思っていない」
「じゃあ、オファーって?会長の会社のでも雇ってくれるの?」
杏子はまだ2年生だが、そちらのオファーだったら話を聞いてもよいと思った。なぜなら、彼女の家は母子家庭で、母が小さい時から自分を育ててくれた。自分はこの先、大学を出て、留学してMBAを取って外資系金融会社でバリバリ働くことを夢見ていたが、母の苦労を思うと早く就職して楽をさせてあげたいと強く思っていた。
だが、高校を出た女の子にまともな職はそんなにあるわけがない。一流大学を出たところで、一流企業に就職するのでさえ、男女平等が叫ばれて久しい日本でさえ、女子には厳しいことは承知していた。
「それは、君が望めば君のダミーはそうしてもらってもいい。いや、高校出てすぐ就職するのでは、君の才能がもったいない。奨学金はうちの会社が出すから、大学で専門教育をさらに学んで、経営の中核になる人材になってもらいたいぐらいだ」
杏子にはありがたい話であったが、隆介はダミーと言った。(ダミーってなんだ?)
隆介は知っている。あと2か月もしないうちに自分たちは魔界に行く。そこで20年、魔界を治めるのだ。その間、人間界の自分たちは当たり障りのない人生をダミーが送って待っていてくれるのだ。20年後に役割を終えて本人と入れ替わる。
本人の実力もあるので望んだ人生をそのまま送れるとは限らないが、自分の分身であるダミーはまじめに取り組んでくれるから、前魔王の塚菱氏のように新興IT企業のオーナーという立場で返り咲きということも可能だ。
それは魔王夫妻だけでなく、人間出身の側室も同じで、そのまま、魔王から解放された愛人というのは人間界ではまずいので、それなりの人生を送ることになる。そこで新しい伴侶を見つけるなり、自活して生きていくのだ。
そういった意味で、杏子には自分の将来受け継ぐ会社の貴重な人材として働いてもらいたいが、その前に魔界での活躍を期待していたのだ。立場が「側室」であるのが、隆介が率直に杏子に言えない理由であるのだが…。
だが、側室は魔界では、ただ単に魔王の愛人ではない。夜伽をするだけの女は魔王にはいらない。側室とは魔界軍を率いる将軍であり、屈強な戦士であり、魔王を支える軍師である。隆介はこの目の前の才女が、魔界軍にとって重要な役割を果たすと確信していた。彼女の右首に小さな染みがある。見ようによっては15に見えなくもないそれが隆介を動かしていた。
「怒らないで聞いてくれ。いや、これから話すことで僕が変になったとは思わないでほしい」
「あ、そう。話によっては怒らないし、会長が変だとは思わないわ。要は私にとってプラスかマイナスかだけ」
中村杏子は、この超優秀な男の話を聞いてみたくなった。色機沙汰ではないことは百も承知で、これがビジネスの話だと直感していた。