5
すっかり静かになった部屋の中、アデルは怯えていた。
「よくもやってくれたな。ルカをたぶらかして契約なんかして」
柔和な笑顔を浮かべ自分の頭を撫でるコーネリアスの挙動を見上げ、透明な黄色い目を震わせる。
コーネリアスは生乾きの髪に右手を滑らせて、躊躇う事なく掴み上げた。傷んだ髪が途中から千切れる音をアデルだけが聞く。
「私との契約は? 長らく離れていただけでまだ続いているだろう」
「ごめんなさい」
「謝れば済むとでも?」
「ひっ」
純粋な力で言えば無論アデルが遙か上、それは両者分かり切った事。しかしそれが力関係に結びつくとは限らない。
左手が首を擦り胸元へ下る。コーネリアスが最後に見た時にはいなかった火蜥蜴を見て顔をしかめ、爪を立ててなぞる。他より遙かに敏感な契約印はむず痒いを過ぎて痛みを脳へ伝える。
「カウンターは生きてるのだろう。契約する必要はないじゃないか」
「あれは、死にそうな位痛いから、なるべく、使いたく、ない」
「ルカが契約に耐えきれない可能性は考えたか?」
「カーネルは僕と契約できて、オルカーニャはカーネルの子供だから大丈夫って、思ったから」
コーネリアスの目に哀れみの色が浮かぶ。無知を嗤うでもなく、ただ二つの栗色で見下ろす。それを死刑執行の時を待つかのような顔で、アデルはただ黙って見上げる。
「痛かろうと何だろうと簡単に死なない事は確かだろ」
長い髪を一度離し、また掴み直して左手のナイフを契約印の外周に這わせる。突如として現れたナイフにアデルの恐怖は一層深いものとなる。
何をされるか悟ったアデルは咄嗟に自分の右手に噛みついた。
「これより痛いなら、その契約を許すが、どうだ?」
「―――っ、」
契約印の中心にナイフの切っ先が細く沈み、動きに合わせて赤い糸を引く。肉体だけでなく精神を切られるかの様な錯覚に襲われ痛みが増す。
手を噛んで押し殺す悲鳴が苦痛の大きさを物語る。血が流れる傍から塞がり、傷の痕跡は白いバスローブの染みだけ。
「この様子だとこちらが痛い様だな」
火蜥蜴の首を断ち切る様に深くめり込ませ、抉る様に引き抜いた。耐えきれず手の肉を食いちぎってしまったらしく、口元から少なくない血を流す。
「アデル、身の程をわきまえろ」
傷の失せた契約印に口付けを落とし、コーネリアスはアデルから手を離した。力無くソファに横たわる姿を満足そうに鑑賞した後、振り向きもせず部屋を後にした。