7
通路に転がされ、埃まみれ薄汚いと、そんな感想を抱いていた。肩口の傷は奥から新たに生える組織により着実に塞がっていく。痛みは未だ残っているが血はとうの昔に止まっていた。
「乗客に傷を付けるなと言ったろう」
「ボス………あいつ、」
「滅べ、散れ、去ね、地獄に落ちろ」
いくらアーデルハイドが傷を負う側から治ると言っても素手で戦うようには出来ていない。両手を背に縛られ、それも魔術を使えない状態で戦えはしない。
だが口は普段以上に鋭く、乗客らを拘束する彼らを穿つ。
「お前しつこいぞ! だいたい怪我」
「しとらんぞ。私を黙らすには心臓を刺せば」
「だからしつこい! 静かにしろ!」
何回も繰り返した問答をまた行っていた。ついにボスと呼ばれた男まで頭を抱え初めた。彼だって何もしていない訳ではない。持っているカトラスで横っ面をペシペシ叩き、細い切り傷を刻み、あっという間に治る切り傷に驚き。努力しているのだ。
尤も、アーデルハイドは煽るのを止めない。恐らく泣くまで止めないだろう。
「頼む。静かにして」
「黙ると死ぬ!」
「死んでくれ」
「だが断る」
ボスやその部下らしき武装員だけでなく乗客達もうんざりした目でアーデルハイドを睨んでいた。彼らは十年もの間声と体が痩せるのみで、真っ当な変化を見せなかった英雄を英雄と認めないらしい。
ボスに向いていた山吹色の目が不意に外を向く。口角を釣り上げボスに向き直る。
「それに、我が親愛なる御主人様がいらした」
「お前、何を、」
コンパーメントの扉の向こう、森縁の炎が駆けて行く。にたりと笑うアーデルハイドを不気味に照らし、先頭車両側の扉が開いた。
「魔術の使用を全面的に許可する、乗客を最優先で守れ。半精霊の軍神」
「了解した、緑炎色の我が主。私は立ち上がり応えよう」
車両中に響き渡るルカの声に、アーデルハイドが答える。彼の精霊として発した声は、つい先程まで掠れていたとは思えぬ程に堂々としていた。 後ろ手に縛るロープから手を強引に引き抜き、あらぬ方向へ曲がった関節があるべき方向へすぐさま修正される。
「|守護を司る風は人をも包み込もう《P・R・W・P・A》」
「|全てを焼き払い灰塵へ還れ《マジシャンオブサラマンダー》」
ルカの目の前から放たれた火柱は口を開けた大蜥蜴の様に武装集団の者を飲み込む。本来なら彼らのすぐ近くにいる乗客らも火に巻かれるが、アーデルハイドの操る風はそれを一切許さない。
一片の熱も伝えず、一人の例外も残さない炎は程なくして止んだ。
「平気か? オルカーニャ」
比較的深い火傷と酸欠で倒れた武装集団の一人を跨ぎ、一人を踏みつけてアーデルハイドはルカへ歩み寄る。アーデルハイドの右肩に深い傷を負ったと語る血痕が残っており、だがそれは心配に及ばぬ事をルカは既に知っている。
「やっぱり融通効かないんだな」
「契約だからな。しかし死傷者無し、大円団だ」
「………だ、」
「え?」
「ん?」
「………が、もくひょ、倒れ伏せ!」
互いに顔を見合わせ、一呼吸置いて低い呻き声の方を同時に向いた。他の乗客の悲鳴、上半身に火傷を負った武装集団のトップがカトラスを持って突進している。赤黒く焼けた顔と見開いた目の白さがおぞましく、最後に一矢報いようとする気力はそれを上回る迫力だ。
横からの衝撃を受け、ルカは床に倒れた。カトラスに気を取られていた為に細い腕で簡単に突き飛ばされたのだ。側頭部を強かに打ち付けてしまい彼の視界が妖しく揺れ瞬く。
「大丈夫。終わるから」
アーデルハイドは助かる自信たっぷりに笑い、トップは殺す自信たっぷりに笑い。やせ細った体をカトラスが貫き、ルカの顔に返り血が飛んだ。