第11話 新生活
新居に入って三日が経ち、段ボールはすべて片付き、家具も家電も所定の位置に収まり、生活はもう仮の状態ではなく完全に動き始めていた。
リビングに立ち、改めて部屋を見渡す。
広い。
前の部屋とは比べものにならないほど天井が高く、窓も大きく、午後の光が部屋の奥までまっすぐ差し込んでいる。
「……広すぎるだろ」
思わず呟く。
ソファ、テーブル、壁面モニター、無駄のない配置。生活感はあるのに、どこかモデルルームのように整いすぎている。
『導線は生活効率を基準に設計しています』
脳内に響く声は、いつも通り落ち着いている。
「俺の家だよな、ここ」
『はい。塔攻略のための拠点です』
言い切られると、否定の余地がない。
廊下に出る。
寝室の手前、横にもう一つ扉がある。
それを開けると、小さなフリースペースが現れた。ヨガマットが敷かれ、可変式ダンベルとチューブ、簡易的な姿見が置かれている。
走り回れるほど広くはないが、軽いストレッチや自重トレーニングなら十分にできる空間だ。
『こちらはコンディション調整用スペースです』
『本格的な高負荷トレーニングは外部施設を使用します』
用途がはっきりと区切られている。
ここは身体を整える場所。
ここは回復を促す場所。
生活の一つ一つが、目的別に切り分けられている。
「……恐ろしいな」
思わず、そんな言葉が漏れる。
ここまで完全に設計されていると、驚きよりも先に、少し怖さがくる。
『効率を最大化しています』
感情のない返答が、静かに返ってくる。
寝室も同じだった。遮光カーテン、温度自動調整機能付きエアコン、寝具の硬さまで指定済みで、休息のためだけに整えられている。
生活が、目的に合わせて分解され、再構築されている。
その日の午後、食材を買いに出た。
塔から徒歩七分の距離にあるスーパーまで歩く。以前なら往復するだけで小さな疲労が溜まっていた距離だが、今は散歩の延長のように感じる。
『鶏胸肉を800グラム』
『卵10個。ブロッコリー2株。無脂肪ヨーグルト3個』
「細かすぎるだろ」
『七日間の栄養計画に基づいています』
迷いがない。
カゴに入れる。
『玄米2キログラム。アーモンド無塩タイプを1袋』
棚の前で立ち止まる時間がない。
気づく。
今日何を食べるか考えなくていい。量も回数も、全部すでに決まっている。
楽だ。
だが、自分で選んでいない感覚が、わずかに残る。
帰宅後、キッチンに立つ。
『フライパンを中火に設定』
『油は5グラム。入れすぎないでください』
『鶏肉は片面2分40秒』
秒単位で区切られる工程に従い、淡々と手を動かす。
まるでレシピ動画を完全にトレースしているような感覚だ。
『塩分は控えめに。代わりに胡椒を増やしてください』
指示どおりに仕上げる。
皿に盛り付け、椅子に座り、一口食べる。
「……うまいな」
自然に言葉が漏れる。
味は単調ではない。派手ではないが、毎日続けられるちょうどいい味に整えられている。
『継続可能性を優先しています』
合理的すぎて、少し笑えてくる。
夜、フリースペースで軽く身体を動かす。
マットの上でストレッチをし、チューブで肩周りをほぐし、ダンベルで軽い負荷をかける。
本格的なトレーニングは外部施設で行う予定だが、ここで身体を整えられるだけでも、明らかに準備の質が違う。
以前の部屋では、ベッドと机の隙間で無理やり動くしかなかった。
今は、動くことが前提になっている。
汗を拭き、リビングに戻る。
窓の外に塔が見える。
近い。
距離だけでなく、生活そのものが塔へ向いている。
「……拠点、って感じだな」
『目標到達確率、上昇しています』
淡々と告げられる。
自由は減ったかもしれない。
だが環境は整った。
塔は変わらずそこに立っている。
けれど挑む側の条件は、確実に以前とは違っていた。




