お待ちになって
「フェイジョアーダ家が次女、セビーチェ・フェイジョアーダ嬢!私、エンチラーダ家が長男、ランチェロス・エンチラーダは、セビーチェ嬢、あなたに婚約の申し込みをしたい。どうかお受けください!」
僕、ランチェロス・エンチラーダ(18)は、夜会の真っ最中、大勢の人が注目する中、セビーチェ嬢の前に跪き、花束を差し出しながら大声で宣言した。
ああ、こっぱずかしい。
我が国では、どこかの家に婚約を申し込みたいなと思ったら、家長の名において事前にその旨を公示しなければならない。「ナントカ家のナニガシは、何月何日に息子マルマルの婚約者としてカントカ家ダレソレの令嬢ホニャララに婚約を申し込む予定である、条件は以下の通り」ってな具合だ。不服がある場合は「ちょっと待ったー!」することができ、「ウチなら条件はこうだ!是非ウチと、よろしくおねがいします!」と公示する。もちろん、令嬢から子息への場合も同じだ。
他の家が「ちょっと待った」しなかった時点でその婚約に不服はないと言っているも同然となるので、その後つつがなく婚約が調った後から「婚約者の略奪」とか「真実の愛の成就のために一方的に婚約破棄する」とかいうドロドロが起こらなくなるそうだ。
ご想像の通り以前やらかした王族がいて、その際は処刑だの追放だのと凄惨な結果となり、婚約破棄した方のみならず、された方にすら少なくないダメージを食らったことから、このようなルールが生まれたそうだ。そのおかげで、貴族の結婚事情が円滑に運ぶようになったらしい。少なくとも最初のうちは。
だが昨今はこの規則も形骸化しつつある。裏でこっそり取引しておいて、家同士で合意を得てから婚約申し込みを公示する「出来レース」が横行しているからだ。周囲も「こりゃ最初からあの家と縁付くつもりだな」と察するので、「ちょっと待った!」は少なくなった。どうせ裏で決まっている家同士が婚約するのだから、「ちょっと待った」したところで旨みはないからだ。
かく言う僕、ランチェロスにも「出来レース」で婚約申し込みする予定の令嬢がいる。御多分に洩れず、僕も親の決めたことなので、相手の令嬢に会ったこともない。ふたつ年下で趣味は読書ということしか知らない。向こうだって、僕のことなんかランチェロス・エンチラーダという名前くらいしか知らないだろう。
しかしまあ、僕には気になる子がいるわけでもなければ、今後いい人と知り合えるツテを持っているわけでもない。え?学校?同年代の男女が同じ室内で机を並べて勉学する?そんな羨ましいものは我が国には無い。令嬢は大抵、深窓なのでそうそう知り合う機会なんか無いから、結婚相手は親が社交して探すのだ。だから、父が「お前とも気が合いそうだ」と勧める子ならば、と了承した。
ところが、だ。
話が進んでくると、お相手の令嬢、当の本人のセビーチェ嬢が、おかしなことを頼んできた。婚約の公示方法として、大規模な夜会で、出席者全員の前で「よろしくお願いします」してほしいというのだ。つまり公衆の面前での公開プロポーズだ。なんでも、お気に入りの小説の一場面にそのような記述があり、憧れなんだとか。
……大丈夫か、その子。
夜会は多くの方々が出席する。そんな場で私的な申し込みをするのは迷惑だろうし、顔も知らない令嬢にすることでもないし、第一こっぱずかしい。そう言って僕が渋ると、先方の親は「主催者や出席者たちには根回ししておく、娘のたわいない憧れだ、生涯ただ一度のわがままだから聞いてくれと懇願されている、ランチェロス君にはすまないが叶えてやってくれないか」だそうだ。
……大丈夫か、その親。
婚約申し込みの公示前なので、あまり大っぴらに手紙のやり取りをしたり本人に会ったりもできず、詳しい事情もよくわからない。大体なんだ根回しって。そんなことしてまで「出来レース」の舞台を整えたりして大丈夫なのか?それに、なんだか夢見がちな令嬢のようで、本当に父が言う「お前と気の合いそう」な令嬢なのだろうか。そう両親に問いただすと、父は苦笑するだけだが母は眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
波乱の予感しかしないが、僕に拒否権はないらしい。まあ僕も貴族の端くれ、将来エンチラーダ家を継ぐ身なれば、家同士の関係の重要性は理解している。公開プロポーズを取引材料にして、何かもっといい条件を引き出すことにしよう。持参金の吊り上げとか。
そんなこんなでスッタモンダしていたら、あっという間に公開処刑、ではなくてプロポーズの日がやってきてしまった。ここで冒頭に戻るというわけだが。
「ちょっと、その婚約、お待ちいただきたい……!セビーチェ嬢には、ぼ、僕が、申し込む!」
僕が恥ずかしさに耐えながらダンスホールの真ん中で片膝ついてプロポーズをしたら、「ちょっと待った」と制止をする男が現れたのだ。年若い気弱そうな男の出現に僕が呆気に取られていると、なんと。
「ああ、シェハスコ様……!」
僕のプロポーズ相手であるセビーチェ嬢が、こともあろうにその「ちょっと待った男」に駆け寄ったのである。
……は?
これ、どういう状況?
僕は立ち上がるのも忘れて、抱き合う二人を唖然と眺めていた。
周囲も大騒ぎ。セビーチェ嬢の父親、フェイジョアーダ家の当主は、出席者に根回ししておくと言っていた。皆、セビーチェ嬢が僕に無理に強請ってこの場で公開プロポーズする運びになったことを知っている。中にはその花畑的な要望に眉をひそめる者もいたのだ。
それなのに、なぜ他の男が「ちょっと待った」してくる?
そしてその男とセビーチェ嬢が固く抱き合っている?
セビーチェ嬢の父親が慌てて飛んできて、二人を引き剥がそうとしている。遅すぎだ。
さらに、驚きはそれだけで終わらなかった。
ざわめく周囲が同情と幾分かの嘲笑を僕に投げかけていることに気付き、我に返ってゆっくりと立ち上がり、この場をどう収拾しようかと頭を抱えていると。
「あ、あの、あの!お待ちになって、くださいませ!」
小柄な可愛らしい女性が、ぷるぷる震えながら歩み出たのだ。
「げ、現在の状況から、私、拝察いたしますに、セビーチェ・フェイジョアーダ様は、ランチェロス・エンチラーダ様の婚約申し込みはお断りなさり、抱き合っておいでのそちらのシェハスコ・ナチョス様を選ばれるご様子」
「ちょっと待った男」は、シェハスコ・ナチョスというらしい。
ぷるぷると震えるその可愛らしい女性はそこで一旦、言葉を止め、深呼吸をすると、静まり返るダンスホールの真ん中でギュッと目を閉じて叫んだ。
「ですから私、ブリガデイロ家が三女、ボソレ・ブリガデイロは、ランチェロス・エンチラーダ様に、こっ、こ、婚約の申し込みを、いたしますわ!」
ボソレ・ブリガデイロ?知らん女性だ。このぷるぷる震える可愛らしい女性、全く見知らぬこの人が、僕に!?
……覚えているのはワッと湧き返る人々の声だ。驚きの連続すぎて昏倒しなかった僕を、誰か褒めて欲しい。
緊急に関係者、つまり僕と僕の両親、セビーチェ嬢と彼女の両親、そして「ちょっと待った男」のシェハスコ・ナチョス君、そして「お待ちになって令嬢」のボソレ嬢、という面々が、急遽呼ばれた法律家たちの立ち合いの元、話し合いを行うことになった。場所を提供し法律家を手配してくれた夜会の主催者には感謝しかない。野次馬根性が混じってそうだけど。
僕はそれまで手にしていた行き先のなくなった花束を床に投げ捨て(ゴメン)会場を去ろうとしたが、ボソレ嬢は振り返り、「失礼いたしました」と述べて会場の面々にそれは見事な礼を取った。会場から自然と拍手が湧き起こる。僕はちょっと感動した。
通された部屋にはすでに関係者が席に着いており、僕が席に着くと法律家はまずは子供同士で決着させようとセビーチェ嬢に説明するように促した。親同士が出てくると思惑が絡み合いややこしくなるからだ。
が、セビーチェ嬢の説明がそれはそれは振るっていた。あちこちに飛び要領を得ない話をまとめるとこうだ。僕は口を開いた。
「……つまり、セビーチェ嬢は長年、そこの「ちょっと待った男」、いやその、ゲフン!そこのシェハスコ君に憧れていて、彼も満更ではなさそうなのに、今ひとつ煮え切らない。そうしているうちに、君の親は僕との縁談を用意してしまった。業を煮やした君は博打に出た。知らない男(僕だ)に公開プロポーズされている君を見ても、シェハスコ君が何も動かなければ、君は彼をすっぱり諦めて僕に嫁ぐ。彼が「ちょっと待った」すれば君は全力で彼に応える。そういうことかな?あっている?」
セビーチェ嬢は嬉しそうに頷いた。
「ランチェロス様には申し訳ありませんが、私、シェハスコ様が行動してくださって、本当に幸せです」
……あのね。ちっとも申し訳なさそうじゃないけど。
「君ね、僕がどれだけ恥ずかしかったか、わかってる?」
「……え?」
「え?じゃないよ。君の希望で、わざわざ公の場で申し込みをしたんだよ。僕は本当に嫌だったし苦痛だった。でも君の強い希望だから、一生に一度のわがままだからと願われて、将来お嫁さんになる人だから、一度だけ恥ずかしい思いをしてあげようと思って、あんなプロポーズをしたんだよ?それなのにあの仕打ち?」
「ですから、ランチェロス様には申し訳ありませんと申し上げていますが、私の心はシェハスコ様のものなのです。それに、ボソレさんが申し込んだんだから、よかったではないですか?」
セビーチェ嬢は、「お待ちになって令嬢」のボソレ嬢を一瞥するとニッコリと笑った。その視線の中に見下す成分が含まれていたことを、僕は見逃さなかった。
ボソレ嬢を夜会に誘ったのは母だった。僕の公開プロポーズに、何やら「嫌な予感がした」らしい母は、セビーチェ嬢と親交があるボソレ嬢にその場にいて欲しかったのだそうだ。
つまりはそういうことか。僕はがっかりしている自分に驚いた。だが、まずは、元凶のセビーチェ嬢だ。
「君の心がどこにあるという問題じゃない。問題なのはね、君が無理矢理あんなプロポーズを大勢の前でさせたくせに、その僕がどれだけ恥をかくか、全く考えてはいなかったってことだ。他にやり方はいくらでもあったろう。それに、反省の色が全く見えない。ボソレ嬢が申し込んでくれたから僕は道化にならずに済んだが、それは全て僕の母の手配とボソレ嬢の勇気のおかげだろう、よかったじゃないですかとはひどい言い草だとは思わないのか」
セビーチェ嬢は不満げに頬を膨らませた。
「そんな風に自分の母親を礼賛するなんて、さてはランチェロス様は、マザコンさんですね?あなたと縁がなくてよかったです」
僕は呆れ返って彼女の両親を見た。いくら貴族は簡単に謝罪すべきではないとはいえ、一体この娘の教育はどうなっているんだ。
「……君から受けた様々な苦痛に対する賠償については、君の父上宛に正式に申し入れるが、君との会話そのものが苦痛なので、この辺りで切り上げさせてもらう」
僕はセビーチェの父親のフェイジョアーダ氏を睨みながら言った。子供同士の「お話し合い」は物別れに終わった。次は親だ。父親のフェイジョアーダ氏がどこまで娘の意図を把握していたのか不明だが、ガッツリと報いは受けてもらう。ここで舐められるわけにはいかないのだ。しかしエンチラーダ家の後継とはいえ僕はまだ青二歳。貴族の当主にこちらから話しかけることすらままならない身分だ。僕は父を見た。父はニヤリと笑って口を開いた。
「いや、フェイジョアーダ殿。こんな前代未聞な話は、あっという間に大スキャンダルになりそうですなぁ、そのせいで我らエンチラーダ家の者たちは当分、社交に顔を出すことすら叶いますまい。私など明日からは、職場でも針の筵になるでしょうなあ。我が妻など、あのような衆人環視の中で侮辱されて卒倒寸前、息も絶え絶えだった上に、もう恥ずかしくて生きていけない、喉をついて自害するなどと申しておるのですよ」
我が母はそんなことをするタマじゃないし、どこが息も絶え絶えなんだか。怒りに満ちているが健康そのものである。母は注目が集まる中、そっと扇を広げ表情を隠した。そんな母の心情は意に介さず、父はセビーチェ嬢をひと睨みすると続けた。
「フェイジョアーダ殿がご息女をどう処分されるか、お手並み拝見といきましょうか。世間や我らが納得できるものであることを願っておりますよ、お互いのために」
父の言葉をどれほど理解できたかは不明だが、セビーチェ嬢の幸せそうなニコニコ笑いが蒸発した。ようやく自らがヤバいことをやらかしたらしいと気付いたようだ。やっとか。自分がしでかしたことの意味を、しっかり学習してもらおうじゃないか。
フェイジョアーダの一家と、セビーチェ嬢の手を握って離さないシェハスコ君が法律家の一人と退出すると、僕は深くため息をついた。もう二度と会うこともないであろうセビーチェ嬢の背中をチラリと見て、彼女がこれから迎える苦難を思い、ほんの微量の同情を覚えた。これは前途ある若者(二歳しか違わないが)への人としての真っ当な思いだ。子女の教育をおろそかにすると、結局は本人を不幸にする。彼女の両親にはそのことを身に沁みてもらいたい。
だが、だからといって、フェイジョアーダ家への追求の手を緩める気はない。こんな風にやられたら二倍にしてやり返さねば他の貴族から舐められるのである。
法律家たちが出入りして、おおよその方針が固まったらしい。
「エンチラーダ家の諸君にも、無罪放免とはいかないですな。なにしろ、大掛かりな「出来レース」を了承したわけですから。だが皆様は担ぎ出された訳だし、これまでの状況とボソレ・ブリガデイロ嬢の勇気に鑑みて、諸君には厳重注意で済みそうです」
厳重注意。よかった。我が家も婚約公示の規則を破っていることには違いないので、なんらかの罰が課されるだろうとは思っていたけれど。
「婚約申請事前公示の規則は故あって王命によって存在しているのであり、軽んじられて良いものではない。王命に対し今後このようなことがないよう、重々承知おきいただきたい」
え?今のが「厳重注意」?僕ら一家は法律家に対して礼を取った。
「ボソレ・ブリガデイロ嬢には、事前の口裏合わせ等の事実がないため咎めはないものとするが、婚約申込の公示方法が不勉強のようであるため、正しい申し込みを行うための指導が入ることになった」
そう言って法律家はウインクした。つまり正式に僕に申し込みたいなら手伝いますよ、ということだ。ずいぶんと優しい処分だ。ありがたい。
さてと。再度法律家に礼をすると、僕は僕に婚約を申し入れてくれたボソレ嬢に向き直った。だが僕より先に口を開いたのは父だった。
「おまえ、勝手なことをして」
父は母に向かって声を荒げた。法律家の手前もあり、自分が進めた縁談がこんな形になってしまったことへの苛立ちだの後悔だのを、母に八つ当たりしているのである。せっかく母が気を回してボソレ嬢に来てもらったというのに最低な発言だが、母は意に介さなかった。
「わたくし、初めからあのセビーチェとかいうお嬢さんは、よろしくなさそうだと申し上げましたわよね?でもあなた、どれだけ言っても取り合ってはくださらなかったではありませんか。ですからわたくし、万が一を考えて、ボソレさんに事情を全て話して、あの場にいてもらったのですわ。ランチェロスがただ恥をかいただけで終わらずに面目を保てたのは、彼女の勇気と機転のおかげです」
父は黙り込む。当のボソレ嬢は、真っ赤になって下を向いたまま。とてもあんな大胆な行動をとった女性とは思えない様子だった。
「ええと。ボソレ・ブリガデイロ嬢?」
僕が声をかけると、ボソレ嬢はようやく顔を上げて僕を見た。震えている上に涙目になっている。
「あ、あの、エンチラーダ様!あのような不躾な申し込みをしてしまい、ご気分を害されたかと思います、申し訳ございませんでした!」
予想外の謝罪に僕は思わず笑顔になった。
「あのね、ここにはエンチラーダが三人もいるからね、僕のことはランチェロスと名前で呼んでもらえるかな?僕もボソレ嬢と呼ばせてもらうからね」
ボソレ嬢は大きな目をさらに大きく見開いて驚いていたが、こくこくと頷くとまた真っ赤になった。可愛い。
「君の事情は、なんとなくわかるような気がするよ。だからそんなに怖がらなくても大丈夫。君、あのセビーチェ嬢に頼まれたんじゃないか?僕に申し込みをするように」
頼まれただけでそんな真似をする令嬢はいない。脅されたのか断れない事情があるのか、とにかくボソレ嬢は他に道がなく仕方がないので僕にあんな風に婚約申し込みをしたのだろう、と僕は考えていた。だが法律家の手前、「脅されたのだろう」とは言わなかった。
……脅されて仕方なく、か。僕は再度、がっかりしている自分に驚いた。
「い、いえ!違います!!そうじゃないんです!確かに私はセビーチェに頼まれごとをしましたが、それはシェハスコ様を会場まで連れてくるということだったのです!」
ボソレ嬢は握った両手を胸の前でぷるぷるさせながら叫んだ。うん、可愛い。じゃなくて、シェハスコ?ああ、「ちょっと待った男」か。彼を連れてきたのが、ボソレ嬢なのか?
「セビーチェと私は従姉妹同士で、彼女にはよく「頼まれごと」をされていました。今日の夜会も、私がエンチラーダ様……、ではなくて、その、ラ、ランチェロス様のお母様にお誘い頂いたことを知ったセビーチェに、シェハスコ様を一緒に連れてくるように言われました。「絶対にあんたのエスコートじゃないから!」と言ってはいましたが、彼女はシェハスコ様を気に入っているのに、わざわざ私に連れてこさせるなんておかしいと思い、何かあるに違いないと思っておりました。まさかあんなこととは思いませんでしたが、あ、あの場で私がランチェロス様に申し込みをしたのは、そ、その、完全に私の考えです、私の意思です、私がその、ラ、ランチェロス様に申し込みたかったのです!」
必死で訴えつつもぷるぷる震えているボソレ嬢に、僕たち一家は顔を見合わせた。母はすでに上機嫌だし、父も渋い顔ながらボソレ嬢に絆されつつあるのが見て取れる。僕はもちろん、ニヤニヤ笑いを必死で抑えているところだ。
父がため息の後、小さく頷いたので、僕はボソレ嬢の前に進み出た。
「僕ら、知り合いだったかな?」
「いえあの、以前、私の侍女を、ランチェロス様が助けてくださって……。迷っていたところを道案内していただいたとか」
そういえばそんなこともあった。あの使用人風の女性はボソレ嬢の侍女だったのか。
「紳士として当然のことをしただけだよ」
「世の中にはその紳士が少ないのです。侍女は感動しておりました。街中の迷子の使用人など、魔物の森に迷い出たのと大して変わらないと絶望していたんだとか。でも、ラ、ランチェロス様は紳士的で、きちんと名乗られて安心させてから道案内していただいたとか。彼女は私の大切な侍女なのです。本当にありがとうございました」
いやいや。名乗らず立ち去ったらカッコよかったのかもしれないが、怯え切って挙動不審になっている女性に信用してもらうには、名乗るのが一番じゃないか。それにしても彼女がいちいち僕の名を呼ぶのをためらい、口籠るところまで可愛く思えてきた。
「いや。……先ほどは不躾なことを言ってしまったね、セビーチェ嬢に言い付けられたのだろうなどと。せっかく君が勇気を奮って申し込んでくれたというのに、失礼なことを言ってしまった。先ほどの発言は取り消すので、忘れてもらえると嬉しい」
ボソレ嬢はこくこくと頷いた。いちいち動作が可愛い。
「私の母は、ラ、ランチェロス様のお母様のピビル様と、教会の婦人会で交友させていただいているのです。私も稀に会に参加することがあり、ピビル様にはその時にはいつも、大変良くしていただいております」
ああ、そういう繋がりだったのか。
「侍女の件といい、ピビル様のお話から察するご様子といい、私はランチェロス様に、そ、その……、勝手ながら憧れていたのです、それで、先ほどのランチェロス様の窮地に、後先も考えず申し込みをしてしまいました」
僕は微笑んだ。後先を考えないでくれてよかった。
「そうか、そうだったのだな。ありがとう、僕に申し込みをしてくれて。あんな場で発言するだけでも勇気がいることだったろうに。具体的な約束は家同士の相談になるけど、僕自身は是非、受けたいと思っているよ」
そういうと僕は、彼女に歩み寄ってその手を取った。
「な、なにを、その、ランチェロス様!お待ちになって、くださいませ!」
彼女の言葉には耳を貸さず、僕はそのまま彼女の指先に唇を落とした。
キュウ、という可愛らしい声と共に彼女が卒倒してしまったので、慌てて抱き止めたのは不可抗力だ。こういうのを市井ではラッキーなんとかというそうだけど。柔らかくていい匂いだった。
両親も法律家も使用人も、慌てて彼女に駆け寄り、僕は母から扇で頭を叩かれることに相なった。
十年後
「ねーお父しゃま、なんでお母しゃまと結婚したの?」「ハハハ、それは、お母さまの勇気ある行動のおかげさ、あの時のお母さまの勇姿は忘れられないなぁ、ダンスホールの真ん中で高らかに僕への愛を宣言してくれたんだぞ」
「ええええ〜っ」
「いやぁあぁあ!お待ちになって!もうそれを言わないでくださいませー!」
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なーんて。タイトルをこすり続ける作者でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。