『黒潮の記憶 ~車窓に映る想い出たち~』
『黒潮の記憶 ~車窓に映る想い出たち~』
~新聞が告げる変化の兆し~
朝のコーヒーを片手に新聞を開くと、一面に躍る見出しが目に飛び込んできた。
「過去最長・7年継続の『黒潮大蛇行』が終息か? 漁業や気象への影響は」
私は思わず新聞を握りしめた。黒潮大蛇行――この言葉は、この数年間、駿河湾の漁師たちにとって重くのしかかり続けてきた現実だった。
サクラエビ漁の不振、水温上昇による漁場の変化。そして、故郷桜浦町の人々が諦めかけていた豊漁への希望。
記事を読み進めると、海洋研究開発機構の専門家のコメントが続く。
「黒潮の蛇行パターンが正常化すれば、駿河湾の海洋環境も安定し、サクラエビを含む沿岸漁業にも好影響が期待される」
サクラエビ漁も昔のようになるのでは――。
その可能性に、胸が高鳴った。奈緒子さんの故郷が、再び活気を取り戻すかもしれない。
彼女の家族が守り続けてきた加工場の技術が、再び必要とされる日が来るかもしれない。
私は新聞を脇に置き、スマートフォンを手に取った。奈緒子さんに連絡を取りたい衝動に駆られたが、まだ朝の七時前だ。
代わりに、あの日の記憶を辿ることにした。
和歌山からの帰路で、車窓に映る夕暮れの海を眺めながら、彼女が語ってくれた話。それは彼女の人生を物語る、車という記録だった。
~車窓での告白~
特急くろしおの車窓から見える熊野灘が、夕陽に染まって金色に輝いていた。
私たちはパンダ舎での愉快な一日を終え、静岡への帰路についていた。
「今日は本当にありがとうございました」
奈緒子さんが振り返って微笑んだ。その横顔が夕陽に照らされて、まるで絵画のように美しかった。
「こちらこそ。一緒に来ていただけて嬉しかったです」
私は正直な気持ちを伝えた。パンダは確かに愛らしかったが、彼女と過ごした時間の方が、はるかに心に残っていた。
列車の揺れが心地よく、私たちの会話も自然と深くなっていった。
「奈緒子さん」私は思い切って切り出した。「差し支えなければ、お聞きしたいことがあるんです」
「何でしょう?」
「以前、お車で配達や営業をされていたとお聞きしましたが、どんな車に乗られていたんですか?」
奈緒子さんは少し驚いたような表情を見せた後、懐かしそうに微笑んだ。
「車ですか...そうですね。思い返すと、乗ってきた車の変遷が、私の人生そのものだったような気がします」
彼女の目が遠くを見つめるようになった。私は興味深くその話に耳を傾けた。
「最初に乗ったのは、結婚してすぐ、夫と一緒に購入したトヨタのカローラでした。白い、小さな車。まだ加工場も小規模で、従業員も数人だけ。でも希望に満ちていました」
~カローラの時代 ~希望という名の出発点~
「1985年のことです」奈緒子さんが続けた。「父の加工場を継ぐことになって、夫も桜浦町に婿入りしてくれて。二人で新しいスタートを切るために買った車でした」
私は彼女の話に引き込まれていった。
「カローラで駿河湾沿いの魚屋さんを回りました。朝5時には工場を出発して、夜遅くまで営業。最初は断られることも多くて。でも、私たちの桜エビの品質を理解してくださる方も少しずつ増えていって」
車窓を流れる海を見つめながら、奈緒子さんは懐かしそうに語った。
「あの頃は、車の運転も覚束なくて。狭い山道で対向車が来ると、怖くて路肩に寄せるのがやっとでした。でも夫が隣で優しく助けてくれて。私たちは本当に一生懸命でした」
私は彼女の当時の姿を想像した。若い夫婦が、小さな車で夢を追いかける姿を。
「カローラには思い出がたくさんあります。咲良を妊娠中も、お腹が大きくなるまで配達に回っていました。産婦人科への通院も、この車で。休む暇もないほど働いていましたが、充実していました」
~カリーナへの飛躍 ~事業拡大の証~
「1987年、事業が軌道に乗り始めて、トヨタのカリーナに乗り換えました」
奈緒子さんの声に、当時の充実感が蘇っているようだった。
「カリーナはカローラより一回り大きくて、荷物もたくさん積めました。取引先も増えて、静岡市内の百貨店にも卸すようになって。夫婦で毎日12時間以上働いて、車も私たちの成長を象徴するようでした」
列車が駅に停車し、新しい乗客が乗り込んできた。私たちの席の前には、小さな子どもを連れた若い夫婦が座った。
「あの頃の私たちみたいです」と奈緒子さんが小さく笑った。
「カリーナで関東地方まで営業に行ったこともありました。朝3時に工場で商品を準備して、4時に出発。東京の問屋さんを一日で5軒も回って、夜遅くに帰る。高速道路での運転に慣れたのも、この車でした」
「本当に働き者でしたね」
「でも充実していました。桜エビの美味しさを多くの人に知ってもらえる。お客さんに『美味しかった』と言われるたびに、疲れも吹き飛びました」
~シビックでの挑戦 ~新しい風~
「1989年、今度はホンダのシビックを選びました」
奈緒子さんの目が輝いた。
「夫の提案だったんです。『シビックのCVCC機構がカリフォルニアの厳しい環境規制に合格したって聞いたぞ。環境に配慮した車に乗ってみよう』って。当時としては画期的な技術でした」
「環境技術に注目されたんですね」
「ええ。食品を扱う私たちにとって、環境への配慮は大切なことでした。それに、シビックはスポーティで、運転が楽しい車でもありました」
「ホンダという選択も新鮮ですね」
「私も最初は戸惑いました。でも、シビックの軽快な走りが、当時の私たちの気持ちと重なったんです。新しいことに挑戦したい、という」
彼女は少し照れたように続けた。
「実は、この車で初めて県外のイベントに出店したんです。神奈川県の物産展に。桜エビのかき揚げを実演販売して」
「すごいじゃないですか」
「最初は不安でしたが、お客さんに『美味しい』と言っていただけて。シビックの荷台に機材を積んで、新しい販路を開拓していきました」
列車は静岡県に入り、見慣れた風景が窓の外に広がり始めた。
~スカイラインの威厳 ~成功の象徴~
「1991年、日産のスカイラインに乗り換えました」
奈緒子さんの声に、当時の誇らしげな気持ちが込められていた。
「これは、ちょっと贅沢な買い物でした。でも、事業が順調で、取引先も増えて。『社長の車』として、それなりの車が必要だと夫が言って」
「スカイラインですか。格好良いですね」
「高級車に乗るのは初めてで、最初は恐縮してしまって。でも、取引先の方々からの印象も良くて。『桜浦町の加工場も、ずいぶん立派になったね』と言われることが増えました」
奈緒子さんは窓の外を見つめた。
「スカイラインで東名高速道路を走るのが好きでした。富士山を眺めながら、東京や名古屋の取引先に向かう。車内でクラシック音楽を聴きながら」
「音楽を聴かれるんですね」
「ええ。モーツァルトやバッハが好きでした。特に、営業から帰る夕方、疲れた心を癒してくれました」
~サファリという冒険 ~スキーという新しい世界~
「1993年、日産のサファリを購入しました」
これは意外だった。私は驚きを隠せなかった。
「サファリって、あの大型四駆の?」
「そうです」奈緒子さんが笑った。「実は夫の発案でした。夫は雪国の出身で、当時スキーが大流行していて。『たまには夫婦でスキーを楽しもう』と言い出したんです」
「なるほど、スキーのためだったんですね」
「最初は『そんな大きな車が必要?』と思いましたが、実際に志賀高原や野沢温泉に行ってみると、雪道での安定感が全然違いました」
奈緒子さんは楽しそうに話を続けた。
「スキー場までの山道で雪が降り始めても、サファリなら余裕で走れました。スキー板やブーツ、ウェアも余裕で積めて。そして何より、スキーから帰りに温泉に寄る贅沢も覚えました」
「仕事以外の時間も充実していたんですね」
「ええ。でも仕事でも活躍してくれました。山間部の配達でも、雪の日でも関係なく走れて。お客さんにも、『雪の日でも配達してくれるなんて』と感謝されました」
~ランドクルーザーの力強さ ~スキーと仕事の両立~
「1995年、トヨタのランドクルーザーに乗り換えました」
奈緒子さんの声に、当時の充実感が滲んでいた。
「これが、私の車歴の中でも特に思い出深い一台です。事業が最盛期を迎えて、従業員も15人ほどに増えて。そして夫のスキー熱もさらに高まって」
「スキーも続けられていたんですね」
「ええ。ランドクルーザーはサファリより格段に乗り心地が良くて、長距離のスキー旅行も楽になりました。長野だけでなく、新潟や群馬のスキー場まで足を伸ばすようになって」
私は彼女たちの当時の充実した生活を想像した。
「でも仕事面でも大活躍でした。大型の冷蔵庫も積めるように改造して、関東圏はもちろん、関西や中部地方まで配達に回りました」
「両立が大変だったでしょう」
「忙しい時期でしたが、やりがいがありました。平日は仕事に集中して、週末はスキー場で夫婦の時間を楽しむ。ランドクルーザーが、その両方を支えてくれました」
列車の窓から、駿河湾が見えてきた。夕陽に染まった海が、昔の活気を思い出させるようだった。
「ランドクルーザーには、配達用の2トン車トラックとは違う、特別な愛着がありました」
~2トン車での奮闘 ~配達という使命~
「そういえば」と奈緒子さんが思い出したように言った。「2トン車で配達をしていたんですよ」
「えっ、2トン車も?」
「ええ。大口の注文が増えて、配達量も増加して。夫だけでは手が回らなくなって、私も2トン車を運転することになりました」
これは驚きだった。奈緒子さんが2トントラックを運転している姿を想像するのは難しかった。
「最初は怖くて、苦労しました。でも、徐々に慣れて『配達は楽しい』と思えてきました。」
「どんな配達をされていたんですか」
「主に静岡県内の料亭や旅館への配達でした。朝3時に起きて工場で準備をして、4時には桜エビを積み込んで、6時には出発。相手先に合わせて時間通りに届ける。夫も並行して別のルートを回っていました」
奈緒子さんの目に、当時の気概が蘇っているようだった。
「2トン車での配達は、責任重大でした。一度に大量の商品を運ぶから、事故は絶対に許されない。でも、お客さんに『いつも新鮮な桜エビをありがとう』『こんなに早くから働いてくれて』と言われると、疲れも吹き飛びました」
「すごい行動力ですね」
「今思えば、よくやっていたなと思います。でも、あの頃は必死でした。家業を守りたい、発展させたい、その一心で夫婦が一丸となって働いていました」
~アコードワゴンの実用性 ~安定の時代~
「1997年、ホンダのアコードワゴンを購入しました」
奈緒子さんの表情が、少し落ち着いたものになった。
「この頃から、少し経営方針を変えました。拡大一辺倒ではなく、安定を重視するように。アコードワゴンは、その方針を反映した車でした」
「どんな点で安定重視だったんですか」
「荷物は十分積めるけれど、必要以上に大きくない。燃費も良くて、経済的。派手さはないけれど、信頼性が高い」
列車が静岡駅に近づいてきた。私たちの旅も、もうすぐ終わりだ。
「アコードワゴンの時代は、比較的平穏でした。事業も安定して、従業員の皆さんとも良い関係を築けて。咲良も高校生になって、たまに助手席に乗せて配達に行くことも」
「娘さんも一緒に?」
「ええ。『お母さんの仕事を見てみたい』と言って。アコードワゴンの助手席で、私の営業トークを聞いていました」
奈緒子さんの顔に、母親らしい温かさが浮かんだ。
「咲良は、『お母さんって、営業のときはすごくしっかりしてるんだね』と驚いていました。普段の私しか知らなかったから」
~二度目のスカイライン ~変化する市場への対応~
「2000年、再び日産のスカイラインを購入しました」
奈緒子さんの声に、微妙な陰りが感じられた。
「二度目のスカイラインは、正直言うと、見栄もありました。『まだまだ桜浦町の加工場は健在だ』ということを示したくて」
「何かあったんですか」
「この頃から、複数の問題が重なってきたんです」奈緒子さんは少し疲れたような表情を見せた。「まず、漁獲量が激減したことです」
「それは大変でしたね」
「でも、それ以上に深刻だったのは、桜エビそのものの位置づけが変わってしまったことでした」
奈緒子さんは窓の外の海を見つめながら続けた。
「昔は、桜エビはどの家庭の食卓にも並ぶ、手の届く商品だったんです。かき揚げにしたり、ご飯に混ぜたり。庶民の味として愛されていました」
「今は違うんですか」
「漁獲量が年々減少して、価格が上がり続けました。いつの間にか高級品になってしまって。普通の家庭では『特別な日の食材』になってしまったんです」
私は奈緒子さんの悔しさを感じ取った。
「私たちは品質向上に努力を重ねました。夫婦で朝4時から工場に出て、夜遅くまで商品開発に取り組んで。従業員の皆さんも一生懸命働いてくれました。でも、市場全体の流れには逆らえませんでした」
「スカイラインに乗ることで、自分たちを鼓舞しようとしていたのかもしれません。『まだ負けていない』『必ず打開策を見つける』って」
「努力されていたんですね」
「この車での最後の大きな営業が、東京の大手百貨店でした。高級路線での新しい商品ラインナップを提案して、なんとか取引を継続してもらうことができました」
~アルファードの重圧 ~最後の挑戦~
「最後に購入したのが、2005年のトヨタ・アルファードでした」
奈緒子さんの声が、重くなった。
「これが、私たちの最後の新車でした」
私は言葉を失った。
「アルファードは高級ミニバンで、正直、身の丈に合わない買い物でした。でも、『最後にもう一度、大きな勝負をかけたい』という気持ちがあって」
「最後というのは...」
「事業の状況が、かなり厳しくなっていました。漁獲量の減少、価格競争、従業員の高齢化。そして何より、桜エビが庶民の手の届かない高級品になってしまったこと」
列車が静岡駅のホームに滑り込んできた。私たちの時間が終わろうとしていた。
「でも、私たちは諦めませんでした。アルファードで営業に回りながら、夫婦で朝から晩まで新しい販路、新しい商品の可能性を模索していました。従業員の皆さんも最後まで一緒に頑張ってくれました」
「それで、どうなったんですか」
奈緒子さんは悲しそうに微笑んだ。
「結局、2007年に事業をたたむことになりました。アルファードは、2年しか乗りませんでした。でも後悔はありません。最後まで全力で取り組んだから」
~列車を降りて~
静岡駅のホームに降り立つと、夜の空気が頬を撫でた。
「長い話を聞いていただいて、ありがとうございました」
奈緒子さんが頭を下げた。
「こちらこそ、貴重な話をありがとうございました」
私は心から感謝していた。彼女の人生の軌跡を、車という窓を通して垣間見ることができた。
「今日は、本当に楽しかったです」
改札に向かう途中で、奈緒子さんが振り返った。
「あの」
「はい」
「また、お時間があるときに、お話しできればと思います。今度は、私の故郷の桜浦町の話も聞いていただけたら」
私の胸が高鳴った。
「ぜひ、お聞かせください」
~新聞記事への想い~
黒潮大蛇行の終息。それは、奈緒子さんの故郷にとって、希望の兆しかもしれない。
彼女が語ってくれた車歴は、単なる乗り物の変遷ではなく、一つの家族の奮闘の記録だった。カローラから始まった小さな夢が、ランドクルーザーで頂点を迎え、アルファードで終焉を迎える。
でも、終わりは新しい始まりでもある。
愛子さんのゲストハウス「サクラエビハウス」で、かつての加工場の面影を感じながら。
でも、それはまた別の物語だ。
今、私が思うのは、奈緒子さんが語ってくれた車歴の中に込められた、諦めない心についてだ。
カローラで始まった小さな冒険は、アルファードで一旦の終わりを迎えた。でも、その間に築かれた技術、人とのつながり、そして故郷への愛は、決して消えることはない。
黒潮大蛇行の終息が本当なら、桜浦町の海に再び豊かな漁場が戻ってくるかもしれない。そのとき、奈緒子さんの家族が培った技術と経験が、再び必要とされる日が来るかもしれない。
私は窓の外を見た。遠くに富士山が見える。変わらない山の姿が、人の営みの尊さを物語っているようだった。
そして、彼女が愛した様々な車の記憶は、人生の物語を一緒に紡いできた。
車は単なる移動手段ではない。それは人生の伴侶であり、夢の証人であり、希望の象徴でもある。
奈緒子さんの車歴を通して、私はそのことを深く理解した。
そして今、黒潮の変化と共に、新しい章が始まろうとしている。
私たちの物語も、まだまだ続いていく。