虚脱
スカベンジャーの右腕は出血を起こし、武器を持てる状態にない。それどころか頼みの綱であった魔法剣は全て一輝が奪い取ってしまっていた。
「さて、まだやるつもりか?」
「これ以上、続けるつもりなら、命を捨てる覚悟があるのよね?」
一輝とレイラの二人に剣を突きつけられ、スカベンジャーは傷口を左手で抑えながら額を地面に擦りつけた。
「ひぃっ、い、命だけは、助けてくれ!」
「そうやって、命乞いをした人たちを殺して、装備を奪い取ったのがあんただったな。それなら、同じことをされても文句は言えないよな!」
一輝が突き出した切先は、いとも容易くレザーアーマーの肩口を切り裂いた。血が流れ出ると共に、アーマーがはだける。スカベンジャーの苦悶の声が洞窟に響き渡った。
そんな姿のスカベンジャーを見下ろしながら、一輝は素早くスカベンジャーのポーチを切り裂くと、零れ落ちたそれを遠くへと蹴飛ばした。
「……エミリー。こいつを縛る縄。まだある?」
「さっきの偽物の方に使った分で終わりだよ。さっきの爆発で消し飛んでるけど」
レイラが肩越しに振り返りながら問いかけると、エミリーは両手を広げて首を横に振った。
すると、オリビアがロープを取り出して駆け寄って来る。
「あ、あの、私の分なら一本だけ……」
「ありがとう。エミリー、そいつを縛ったら少しだけポーションを掛けてあげて。最低限で構わないわ。また、暴れられたら困るもの」
うずくまったままのスカベンジャーにレイラは魔法剣を突きつけたまま指示を出す。エミリーはそれに従って、スカベンジャーを後ろでに縛り上げると、傷口に瓶の半分にも満たない量のポーションを掛けた。
出血はまだ続いているが、明らかに量が減った。これですぐに死ぬということは無いだろう。エミリーは様子を見ながらギリギリ出血が止まるところを見極めているようで、数滴ずつ垂らしては様子を見て追加が必要かを観察していた。
「……よっし、これくらいなら大丈夫だー。ちょっと、傷口がグロテスクなことになってるけど、大丈夫でしょー」
「おい、そこをどいてくれ。念の為、岩の槍で拘束しておく」
ポーションで魔力が回復したリアムが、気怠そうな表情で倒れたまま杖を握っていた。
エミリーが距離を取ると、小さな岩の槍がスカベンジャーの周囲に出現し、抑えつけるように圧し掛かる。くぐもった声が岩の槍の下から聞こえるが、リアムは一切聞こえないと言わんばかりに、腕を地面に投げ出した。
「ふぅ、何とかなった。まったく、僕らしくない戦いだったよ」
「でも、ちょっと嬉しそうにしてませんか?」
「オリビア、冗談はやめてくれ。こんな戦いを楽しむような戦闘狂になったつもりはない。そんなことに楽しみを覚えたら命が幾つあっても足りないからね」
大きくため息をついたリアムは、横目で一輝とレイラへ視線を送る。
「悪いけど、僕は動けそうにない。誰か、ダンジョンの外に行って火球を何発か打ち上げてくれれば、緊急事態信号と判断して誰か来てくれるだろう」
「じゃあ、魔力に余裕があるあたしが行って来る! オリビア。もしもの時はマリス教の教え通り、思い切りぶっ飛ばしちゃって」
そう告げるや否や、エミリーは元来た道を全速力で戻って行く。
その背中を見送って、レイラもまた大きく息を吐き出した。
「何とか、生き残れたみたいね。私だけだったら、確実に死んでたわ。一輝はもちろん、オリビアとリアムも来てくれてありがとう」
「何のことだか。僕はオリビアの散歩に付き合っただけだ」
「はいはい。そういうことにしておくわ」
リアムの棘のある言い方に苦笑しながらレイラは、一輝へと近寄る。
一輝はそんなレイラに微笑もうとして、視界が斜めになったことに疑問を覚える。
「――あ?」
気付けば魔法剣が手から滑り落ち、地面ギリギリのところでレイラに抱きかかえられていた。
「ちょっと、どうしたの? 急に倒れるなんて、魔力の使い過ぎ?」
「そ、そういえば、さっきから体の感覚が――」
正座をし過ぎた後のように、全身がゴムになってしまった感覚に襲われていた。
レイラの体温は感じるのだが、抱えられているという実感がわかない。触覚が完全に麻痺してしまっていた。
「だ、大丈夫ですか? もしかして、体の感覚が無くなってます? 眩暈は?」
「力が、入らない。視界も、ぐるぐる回ってる」
駆け付けたオリビアの矢継ぎ早な質問に、一輝は何とか口を動かして答える。すると、オリビアの顔が蒼褪めた。
「ポーションを飲んで! 早く! それもできるだけたくさん!」
「どうしたの、オリビア。そんなに慌てて」
「魔力の使い過ぎによる虚脱状態の前兆です。放っておけば心臓が止まりかねない危険な状態。だから早く魔力を回復させないと!」
「何ですって!?」
オリビアの隣でレイラが慌ててポーションを取り出し始める。
「何か、目の前が、暗く――」
「意識をしっかり保ってください。何とかして魔力を回復させますから!」
オリビアは杖を地面に置くと、一輝の胸に両手を添える。
「何をしてるの!?」
「両親から習った虚脱の治療法です。魔力の波長を合わせて、相手に体外から強制的に補給する方法ですけど、私の魔力も少ない。渡せるのは多くないです」
歯を食いしばって魔力を送り込むオリビアだが、その表情はかなり険しい。その表情でレイラも話している場合ではないと、ポーションを一輝の口へと少しずつ傾ける。
入れては様子を窺い、再び瓶を傾ける。それを何度も繰り返してようやく小さな瓶が一つ空になる。しかし、一輝の意識は朦朧としており、一歩間違えればレイラの補給も咽こんでしまいそうだった。
(瞼が、重い――)
一輝の頭がレイラの手から零れ落ちそうになる。すぐにレイラが抱え直すのだが、次第にその頻度が増えていく。全身の力が抜け、人形のように四肢が投げ出されて動かない。
心臓の動きがどこか遠い世界のことのようで、動いているのかと待っているのかさえ分からない。そこにレイラが意識を確認するためか、強めに体を揺するので、余計に認識することが難しい状態にあった。
「魔力の供給ってアレよね。授業で習った緊急時の!」
「えぇ、そうです。でも、魔力の波長が揃えられないと、お互いに危険で――」
オリビアの叫びにも似た声での忠告の途中で、一輝は自分の頭が持ち上がるのを感じた。もう瞼は開いておらず、残っているのは首から上の触覚と聴覚、嗅覚くらいだ。
そんな時に一輝はバラのような香りが鼻腔をくすぐり、頬に幾つもの細い毛が掠めるのを感じた。次いで、柔らかく温かいものが唇を塞ぐ。
「――っ」
心臓が一度、大きく跳ねた。
この感触を一輝は知っていた。このダンジョンの別の場所で、強い衝撃と共に触れて伝わってきた体温。ただ、その時とは違い、その感覚はなかなか唇から離れない。むしろ、さらに、もっとと押し付けられる。
やがて、その感覚は首から下へと伝わり、全身を巡って行く。心臓の拍動が戻り、手と足の指先がわずかに動くようになった。
温かさが注ぎ込まれるのは、口からだけではない。背中に回された掌からも広がり、気付けば全身を毛布に包まれたまま浮かんでいるような気分になる。
「――はぁっ!」
十秒か、二十秒か。或いは一分以上か。どれだけ時間が経過したかわからないほど永遠に感じられた感覚の後、不意に訪れた唇を撫でる冷たい空気を一輝は大きく吸い込んだ。
随分と長い間、呼吸をしていなかった。何度も大きく胸を上下させる。
「し、死ぬかと思った」
「やめてよね。あなたには、まだ返していない借りがあるんだから」
「……今ので、チャラじゃないか?」
「冗談はやめて。それで私の気が済むと思うの?」
ゆっくりと目を開けた一輝だが、霞んだ視界をレイラの手がすぐに覆い隠してしまう。
「おい、ちょっと、前が見えな――」
ポツリ、と頬に何かが落ちた。
「本当に、良かった」
かすかに震える手で、レイラの状態を察した一輝は、鉛のように重く感じる腕を持ち上げる。そして、その手を自分の目の上に置かれた手にゆっくりと重ねた。
先程まで感じていた温かさとは裏腹に、冷え切った手の甲があった。
「ありがとな」
「……どういたしまして、よ」
見えていなくとも一輝にはレイラの表情が脳裏に思い浮かんだ。それにつられて、一輝の口の端が少しだけ持ち上がった。
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