学園ダンジョン
五メートルを超えるだろう大きさの門を潜った先にあったのは、どこまでも続く緑の平原だった。
「ここが学園ダンジョンの第零階層。学園の生徒が最初に入る場所だから、『始まりの平原』なんて呼ぶ人もいるわ」
「――いや、ちょっと待ってくれ。ここダンジョンの中か?」
「そう言ってるじゃない。外に出たように見えるけど、天井や壁はずっと進んで行けばあることがわかってるわ。幻覚系の魔法が展開されてるんだって」
空を見上げれば青く澄み渡っている中に、少しずつ風に流されていく白い雲が浮かんでいる。ただ流されるだけでなく、綿菓子をちぎるようにゆっくりと形を変えていくのはある意味リアルだ。
地球にいた頃には見たことがない大規模な魔法に、一輝は目を輝かせる。
「これを作った魔法使いって、どれだけすごいんだよ……」
「今の宮廷魔術師の人たちが全員集まっても、同じ物を作れないって言ってるよー。もう、作ったのは神様なんじゃない?」
エミリーが一輝の背中を叩き、前へと進む。
「ほら、今日の目標はボス階層である第五階層の門番。ゴーレムを倒さなきゃいけないんだから、パパッと行くよ!」
「その前に軽く一戦やっておきましょう? 私たちの目的はオリビアが久しぶりのダンジョンに慣れることなんだから。幸い、ここの魔物はゴブリンが数体まとまって移動しているだけで、目的地までの道には近付かないから」
一輝は周囲の草原を見渡して、魔物の姿を探す。鮮やかな草の緑に対し、黒ずんだ緑の肌のゴブリンが五、六体の集団で、ゆっくりと歩いている。隠し階層ダンジョンで出会ったゴブリンたちと比べると、生物とは思えないくらい動きが機械的だ。棍棒を持ち、周りを警戒することなく、ひたすら前だけを見て歩き続けるだけ。もはや一種の背景なのではないかと思えるくらいだ。
「じゃあ、とりあえず次の階層の入り口まで行って、何かあってもいいように、そこで一戦でいいわね?」
レイラが示した先にある白い建物に、一輝は既視感を感じずにはいられなかった。
(あの雰囲気、中学校で習ったパルテノン神殿にそっくりだなぁ……)
遠目でも間違えることはない特徴的な柱の形。ただし、ところどころカラフルな彩りがあり、イメージとは違う部分がないわけではなかった。
「建物に着くまで暇だし、カズキンは何か聞きたいことある?」
「か、カズキン?」
「そう、カズキン。何か、あだ名で呼んだ方が仲良くなれそうじゃん」
「あなたね。元の名前より長くしてどうするのよ……」
戦闘の時に困るじゃない、と頭を横に振るレイラだが、エミリーはどこ吹く風と言った様子だ。
対して、一輝は動揺したものの特段嫌な気持ちはしなかった。それもエミリーの明るく、壁を作らない話し方が思いのほか自分に合っていたからかもしれない。
「最初の二階層は洞窟型。ここと違って、見つけるなり襲って来るゴブリンやゆっくり飛ぶ大きい蝙蝠が出る。次の二階層が遺跡型で、狼やスケルトンが襲って来るんだ。あたしとしては、飛んでる蝙蝠や素早い狼が面倒かなぁ」
「蝙蝠とか、変な病気持ってそうで嫌だな……」
「大丈夫だって、ほら、ここに治癒魔法の使い手がいるから」
エミリーは朗らかに笑ってオリビアに同意を求める。オリビアは急に指名されて驚きはしているものの、小刻みに顔を縦に振った。
「た、確かに怪我を直す治癒魔法以外にも解毒や解呪。神官が覚えるべき基本魔法は習得しています」
そのことには自信があるのか、鼻息荒く笑顔を浮かべる。
一輝としては、このような良い娘がどうしてリアムのような不良っぽい男の婚約者になってしまったのか、と少し気の毒に思ってしまった。
「あくまで攻撃魔法を使う勘を取り戻すのが目的だから、戦闘は各階層最小限で行くわよ。上手くいくようなら一気にボス階層まで進むのもアリだから」
「オリビアだったら、すぐに取り戻すでしょ。普段から魔法の鍛錬も勉強も頑張ってるし、緊張が邪魔してるだけなんだからさー」
自己肯定感が低いことは、魔法を使う上では顕著に差が出る。
一輝も曾祖父に魔法を習ってから数年後に教えてもらったことだが、魔法はイメージだけでなく、精神状態にも大きく左右されるものらしい。緊張や不安は魔力の流れを停滞させるだけでなく、魔法のイメージに綻びを生んでしまう。それ故に、歴史に名を残すような大魔法使いは、自己肯定感が突き抜けている人物が多いのだとか。そして、一歩間違えると自己中心的な癇癪持ちの我儘な子供を、そのまま大人にしたようになるとも聞いている。
「良くも悪くも考え方次第ってことだよな……」
その一方で卑屈になりがちな人は、大魔法使いが発見しないような技術の発展に寄与しているとも言われている。上手くいかないから別の方法を探している内に、いつの間にか見つけてしまったというパターンが多いという。
あくまで曾祖父の時代の考え方であり、今のこの世界に合っているかどうかは一輝はわからない。ただ、今日のダンジョンでの戦闘では、オリビアが気持ちよく戦えるお膳立てが必要であることは理解できた。
そんなことを考えている間に、神殿がすぐ近くに見えてくる。
「じゃあ、火球で適当な集団を私が呼ぶわ。オリビアは魔法を使う準備を」
「は、はい。何とかやって見せます!」
杖を両手で力強く握りしめたオリビアは、エミリーの隣で震えていた。やる気を絞り出そうとしているようだが、体は正直のようだ。
「ほらー、オリビア! 肩の力抜きなってー」
「だ、だって、ゴブリンですよ! 倒すのに失敗したら、大怪我してしまうんですよ!?」
「学園ダンジョンは、そうなる前に転移で脱出できるから大丈夫だってば。それに、今まで転移で脱出する事態になったことないでしょ?」
「そうだけどー」
「はいはい。悩みを言うより、唱える方が簡単よ。『燃え上がり、爆ぜよ。汝、何者も寄せ付けぬ一条の閃光なり』」
痺れを切らしたレイラが呪文を唱えて剣先をゴブリンの一団に向ける。
拳大の火球が先頭を歩いていたゴブリンの側頭部に当たり、小爆発を起こした。紅の炎と共に煙が舞い上がる。同時に、後ろを追随していた四体のゴブリンが一斉に一輝たちへと体の向きを変えた。
「来るわよ!」
レイラの掛け声に反応したのか、ゴブリンたちが棍棒を振り上げて駆けて来る。
一輝はレイラの横に距離を開けて立ち、木刀を構えた。
(あの程度の速度なら、後ろに行かれてもすぐに追いついて攻撃できるな。とりあえず一体を足止めして、もう一体を適当な方に蹴り飛ばすか)
一輝は迫りくるゴブリンに備え、わずかに腰を落とした。その時、レイラとカズキの間を一発の火球が通り抜けていった。軌道からして、一輝の後ろから左斜め前に飛んでいく攻撃。恐らくはエミリーが放った魔法だった。それはレイラに迫るゴブリンの胴体に着弾し、弾け飛ぶ。
ゴブリンは悲鳴を上げる間もなく、後ろに数メートル空中を飛んで地面に倒れ伏した。立ち上がる気配はなく、棍棒を手放して痙攣している。
「ナイスヒット! うーん、こういう狙撃が決まると気持ちいいんだよねー」
「今、無詠唱でやった?」
思わず一輝が振り返ると、エミリーは得意気に胸を張る。
「もちろん。無詠唱の連射だけなら、リアムっちにも負けないよ! 凡人は凡人なりに、基礎基本を徹底的に磨き上げるのが一番なんだから」
エミリーの言葉に一輝は内心頷いた。
自身もニコイチ魔法を無詠唱で出来るようになるまでには、かなりの時間を要した。最後の最後は、己の体の中の魔力の流れと感覚だけを頼りに、魔法がどんな形で発動しているのかを掴まなければいけない。それはどんなに熟練の魔法使いにも教えてもらうことができない一つの壁だった。だからこそ、一輝はエミリーの「徹底的に磨き上げる」という言葉が、どれほど大変な物なのかが想像できた。
(――ってことは、リアムも同じくらいの努力はしてることになるか。しかも、エミリーの言い方からすると、その上の技術を使えるっぽい感じだし、その上を行く努力も?)
ただ威張り散らしているだけの男ではないことに気付き、オリビアの言う「リアムなりの事情」というものに興味が湧いた瞬間だった。しかし、今は戦闘の最中。気持ちを切り替えて、迫りくる二体のゴブリンに意識を向ける。
大振りに振りかぶった棍棒を一輝は力任せに横に薙いで迎え撃つ。棍棒は呆気なく両断され、ゴブリンは跳躍して手を振り下ろしたはいいものの、一輝に何らダメージを負わせることなく着地した。
「グッーーゲェッ!?」
次の瞬間、一輝の蹴りがゴブリンの脇の下にめり込んだ。一輝の足の甲に肋骨の折れた感触が返って来る。
一輝の想定通りに横へ吹き飛んだゴブリンを放置して、もう一体のゴブリンに視線を向ける。すると、ゴブリンは掬い上げるように棍棒を振るって来た。蹴り出した脚を狩る一撃。思わず、一輝はヒヤリとさせられながらも、勢いを殺さずに回転――と同時に跳躍。
抱え込むように膝を曲げながら体を捻ると、遥か下を棍棒が通り過ぎていく。攻撃後の隙を狙ったゴブリンだが、逆に自ら隙を見せる形になってしまった。
「ふっ!」
軽く息を吐きながら木刀を振るう。空振りしたゴブリンの棍棒を持つ手に追い縋り、切っ先が手首に届いた。両断には程遠く、骨にすら届かない。だが、人型の生物の構造上、それで十分な一撃になった。
ゴブリンは棍棒を取り落とし、斬られた腕を抑えて悲鳴を上げて蹲る。それを一輝は躊躇せずに着地した膝のばねを使って、その背中を木刀で突き刺した。
(ひい爺ちゃんが見せてくれた幻覚相手に戦った経験のおかげで何とかなってるけど……。何も知らずにこの世界に来てたら、ゴブリン相手でも苦戦してただろうな)
ゴブリンとは言えども、それなりに力はある。身体強化もなしに攻撃を受ければ、骨折も十分あり得るだろう。
足裏で木刀を引き抜いた一輝は、蹴飛ばしたゴブリンの方に視線を移す。ちょうど、立ち上がったところらしく、蹴られた場所を抑えて険しい顔をしていた。
「『つ、集いて、薙ぎ払え。汝、何者も寄せ付けぬ一条の奔流なり!』」
つっかえながらもオリビアの詠唱が響いた。すると、勢いよく青い閃光が一輝の見ていたゴブリンの腹へと命中する。
水属性初級汎用魔法は、圧縮した水を勢いよく放出する魔法だ。杖に触れるような近距離で喰らえば肉体を貫通しかねない威力があり、十数メートル離れた場所であっても金槌で殴られたような衝撃がある。
ゴブリンはその衝撃に耐えられなかったようで、体をくの字に折り曲げるとそのまま動かなくなってしまった。
「や、やった。何とか当てられました!」
後ろで喜ぶ声が聞こえる中、一輝はレイラの方に向かったゴブリンを見る。
「なんのこれしきっ!」
レイラは振り下ろされる棍棒を弾き飛ばした反動で止まった剣を切り返し、ゴブリンの首を斬り飛ばしていた。即座にバックステップで離れると、ゴブリンの首から血飛沫が上がる。
「……グロいな」
魔物とはいえ生物だ。同じ人型の存在を殺したことへの忌避感がないわけではない。その点においては、彼女たちに一日の長がある。
初めて隠し階層ダンジョンでレイラと戦った時は、初めての戦闘と言うことでアドレナリンが溢れ出ていた。だが、冷静になるとやはり辛いものがある。胃が持ち上がるような感覚を何とか抑え込み、一輝は木刀を振って血を払い落した。
「それで、オリビアさんの調子はどんな感じですか?」
「とりあえず、魔法をしっかり撃てたのと、当てれたのとで気が楽になりました。これなら、あと二、三回で去年のように動けると思います」
戦闘前とは正反対の瞳の輝きを放つオリビア。それを横で見たエミリーも嬉しかったのか、彼女の両腕をとってその場で回転し始める。
二人が陽気なダンスを舞う中、ふと一輝がレイラを見ると浮かない表情で立ち竦んでいた。怪我をしたというよりは、何か悩んでいるといった雰囲気だ。
「レイラ?」
「――あ、ごめんなさい。少し考え事をしてたんだけど、何かあった?」
「いや、オリビアがあと数回戦えば、何とかなりそうだって言ってたんだけど……」
「そう。それは良かったわ。それじゃあ、次の階層で警戒しながら進めるかをチェックして、ボス部屋に直行でもいいかもしれないわね」
一輝が説明をすると、レイラは血振りをして剣を納め、オリビアへと寄って行く。肩に手を置いて、賞賛の言葉を投げかけるレイラだったが、その姿に不安を拭えない一輝だった。
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