第1話 クロノ王子
第一王子のクロノ・グランツはとある男に捕らえられた。捕らえた男は、自分と全く同じ顔をしていた。捕らえられたクロノに彼は、こう言った。
「俺はフォーゼ、今は盗賊をやらしてもらってるんだ。とあるお偉いさんから、『この国の第一王子、クロノに成り済ませ』って依頼を受けたのさ」
フォーゼは言葉の通りたった数刻でクロノ王子に成り代わり、優雅な暮らしを得た。対してクロノはボロボロの服を着せられ、とある農村に追いやられたのだ。
「僕は一体、どうしたらいいんだ……?」
これは、王子であるクロノが同じ顔に生まれた盗賊フォーゼとの入れ替わりを強いられた話である。
ここはグラン王国の王城。数十年に渡って国を統治してきたグランツ家は、現王リカルド・グランツと王妃エルザ・グランツの手腕によって支えられている。
その実子の長男クロノは、今朝も定刻通りに目を覚ました。
「おはようございます、クロノ様」
「ああ、おはようハンス」
起き上がったクロノに声をかけたのは、執事のハンスである。ハンスはクロノの姿勢や鍛錬の教師役を務めており、整った白い口髭と黒の執事服が様になっている。
「何か変わったことはあったか?」
「いいえ、平常通りでございます」
「それは何よりだ」
ベッドから出たクロノは着替えて襟を正す。寝起きには必ずボサボサになってしまうショートの青髪を櫛で整える。毎日同じ動きで支度をするのは、幼少期から習慣になっている。真面目なクロノにとっていつもと違う行動を取ると著しくやる気を失ってしまうのだ。
「本日は午前に授業、午後にはユリア様とお食事のご予定がございます」
「いつもやっている、騎士団に交じっての剣術の稽古は無いのか?」
「昨日は倒れるまで稽古をなさったのですから、今日は体を徹底的に休ませる日ですよ。毎日倒れるまで鍛えるのは逆効果だと何度も申しているではありませんか」
クロノは一度やると決めたらやりすぎてしまうきらいがある。父リカルドから『王族たるもの、自身も戦えるよう鍛えておくのだ』と言われてから、鍛錬をサボった事は一度もない。寧ろ休めと止められてしまうほどだ。今もハンスの言葉に納得がいかない様子である。
「そうか……。だが、自主練はしてもいいんだよな?」
「私の話聞いてました?」
ハンスは額に手を当てて大きくため息をついた。クロノが小さいころからの付き合いであるハンスは、時々遠慮のない言葉をぶつけることがある。
「忘れもしませんよ。私が『一晩中剣を振り続ける位の覚悟をお持ちください』と心構えの話をしたら、本当に一晩中振り続けて倒れてしまったあの日の衝撃を……」
「あれは本当に必要だと思ったからやったんだが、まさか物の例えだったとは……」
「人の言葉を真に受けすぎです。クロノ様は時々、常識から外れた行動をなさるので心配なのですよ」
クロノはかなり純粋な人間だ。指示された事は忠実にこなし、教えられた事は着実に身につける。そして自分の信じた事はとことんやるという彼の性格は、教育係であるハンスにとっては信頼できるものだが、それ以上に不安の種ともなっていた。
「大丈夫だハンス。僕は、信頼できる人間の言葉しか聞かない」
「ええ、その点は重々承知しておりますよ。ですがクロノ様。例え身近な人間であっても、嘘や裏切りは起こりえるのですから、常に意識しておく必要があるのです」
「なに、少なくともグランツ家に仕える人間であれば、問題は無いだろう」
「……まあ、そうですな」
クロノの真っすぐな言葉に、ハンスは何かを飲み込んで同意した。
「……しかしハンス、貴方も昔僕と同じように一晩中走り込みをして倒れた事があると聞い――」
「この話は終わりに致しましょう」
「おいこら」
実は昔のハンスも同類なのだった。元騎士団の頃のハンスも突っ走りすぎる性格だったようで、よく暴走しては失敗を繰り返していたらしい。似たような経験をしたハンスは、なおのことクロノを気に掛ける理由となっている。