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文月の陰謀 外伝(早苗)2

 江戸下谷、心形刀流・伊庭道場に免状試合と言うのがある、文字通り免状が与えられる昇級試験である、各級昇級できるのは試合による勝者一名のみ、二級以上は伊庭道場歴代門下生として道場史に名を残すのである。なお免状試合は年に二回しかない、手を抜くと後輩に追い越される為、皆必死でこれに臨むのである。

 試合の二日前、秀康はいつもの下働き後に早苗を呼んだ、勘次郎も控えた。

「早苗、お主は強い心が欲しいと言ったな、主人を守る為に一手と」

「はい、申しました」

「うむ、それを授けよう」

 渡されたのは一本の竹竿、日頃使うハタキも異常に長いモノではあったが、それよりも若干長く八尺程度あった、竿先に無垢の樫木がサラシで巻かれていて振るとバランスの良い振り子のように思えた。

「早苗は薙刀の心得はあるのか」

「ございません」

「よい、わしも剣の技は飽きるほど探ってきたが薙刀の研究は無い、思えば剣の始まりは薙刀、今でこそ武士は刀を持つが昔は薙刀で戦ったモノなのじゃ」

「……」

「歳をとっての、力も速さも若い者には及ばぬ、わしを早苗に置き換えた時この一手が思い浮かんだのじゃ、よいか後二日しかないぞ死ぬ気でついて参れ!」

 勘次郎を相手に秀康の指導が続いた。

「早苗、柄ははじくのじゃ! 矢を射るように弾け! 速さが足らん!」

 しばらく攻撃の基本形が続いた、刀と刀で対する時は足への攻撃は気にならないものだが、薙刀の基本は足を狙うモノ。獲物の長さとシナリが手強いのだ。

「よし早苗、次はわしの鼻を突け、ハタキで埃を落とすのと一緒じゃ」

「しかし間違いがございましては……」

「バカを申せ、お前の突きぐらい躱せるわ、親の敵と思え手加減は許さんぞ」

「ならばお許しを」

 早苗は一瞬の溜めの後気合と共に突き出した、大先生は動かない、思わず顔を突いてしまったと思ったが、手応えは無かった。見ると先生の体の向きはそのままで、顔だけが横を向きその鼻の一寸前で早苗の竹竿の切っ先が止まっていた。

「早苗、今の突きは上々じゃ」

「先生!先生に対し大それたことを、お許しください」

「バカ者、倒すと決めたら情けは無用じゃ!、なにが強い心ぞ」

「……」

「よいか、相手の剣がいかに速かろうとも躱す間はあるのじゃ、無駄な動きが間をなくすだけで、冷静に対応できるものなら恐れる事は無い、面白いのは相手が上級になる程それが言える」

「……」

「相手の剣が正確であるほど躱すことが容易になるのじゃ、早苗の突きも正確であったがゆえに躱すことが出来た。早苗、今度はわしが突くぞ?」

「お、お待ちください、先生に突かれて躱しようがございません」

「何を言っておる、剣を抜いたら命のやり取り、それは相手が誰であろうと、場所がどこであろうと。ここをあの日の寺と心得よ、逃れることは出来ぬぞ!」


(少々くどいですか、大分諄いですねぇ……。この”外伝”は何故かスラスラと筆が進む、もう一人の自分が「ああ書け、こう書け」とうるさいのです)


 江戸は下谷の心形刀流・伊庭道場、免状試合の日である。道場には四代目伊庭軍兵衛秀直をはじめ、免状試合の当人、高木政吉と土屋三郎ほか門下生がずらりと揃っていた、秀直の隣にいた秀康が口火を開く。

「本日の二級免状試合、この秀康が仕切るが異存ないな」

 一同が異存なしと答える。

「高木と土屋には試合の前に一勝負ずつ立ち会ってもらう、これに打ち勝ってこそ免状試合の資格とするが異存ないか」

 二人が顔を見合ったが、すぐに異存なしと答えた。

「よろしい、では早苗入って来なさい」

 一同がざわついた、秀直までが慌てたように大叔父を見た。

「大叔父、これは何事、お戯れが過ぎまするぞ」

「いや戯れではない、立ち合いの中でこの者の本質を見極めるがよい」

「ですが本日は高木と土屋による免状試合……」

「だから、わしが預かると申したではないか。男に二言は無いぞ」

「し、しかし相手は女子、怪我でも……」

「その心配には及ばぬ、これ(早苗)も例え竹刀と言えど剣を抜いた意味は心得ておる者じゃ、遠慮は無用、こちらにも遠慮はない」

「分かりました、大叔父がそこまで言うのなら、高木、土屋、存分にやれ!」

「はは、かしこまりました」

 先ずは高木政吉が前に出た、早苗と一礼を交わしたあと二間の間をおいて相対したのである。高木は落ち着いた正当の正眼構えである、早苗は秀康からもらった薙刀に似た獲物、右手が前の形から流れる様な変化で左手が前になる、剣には無い構えで容易に打ち込めるようでもあり、思わぬ反撃をくらう危険性も感じた。

「やあ!」

切っ先で薙刀の先を払い、様子を探った。瞬間いけると感じ鋭く刀を突いてきた、高木の狙いは顔を襲われた相手が一瞬怯んだスキに袈裟斬りで仕留めると言うものだった。しかし早苗は一歩も動かず、顔を少し動かすだけで突きをやり過ごし、踏み込んできた高木の左肩を獲物の柄で押しバランスを崩させたのである。

 高木と一緒に皆が驚いた、どちらが上級か分からない早苗の気迫である。

 バランスを立て直しまた正眼に構え直した、うかつには出られなくなった。

「やあ!」

 声は出せるが攻めあぐんでいる。早苗は絶えず持ち手を変化させるのでどちらから打ち込んで来るのか分からない、高木は早苗が打ち込むのを待って反撃する戦法に変えたのだ。ただ思わぬ難敵に呼吸が荒くなっていた。

 一方早苗は落ち着いていた、彦根萬年寺にある二十躯の羅漢仏の中に薙刀を構えた像が一体いた、厳しく相手を見下ろす恐ろしい表情の中に無限の慈悲を感じ取ったことを思い出していた。

 わたしが忘れない限り羅漢様はきっと私を見守って下さる……。

「早苗、遠慮しないでよい」

 秀康が声をかけた。

「えい!」

 早苗の獲物が高木の右膝を狙う、竹竿の尻が膝を打つ瞬間に竹刀で受けた、受

けたと思った瞬間に反対の左膝に竹竿の先の無垢の樫木が食い込んだのである。

 ”バシッ!”

 それは素晴らしい速さだった、まるで弓矢が飛んでくるような……。 高木がもんどりうって床に転がった、起き上がれない。

「それまで!」 秀康の声が響いた。

「次! 土屋三郎、前へ」

 今度は土屋が早苗と対峙、薙刀?の見事な技を目の当たりにして攻略法を探っていた、高木の攻め方、待ち方は間違ってないように思えたからだ。

「はじめ!」

土屋も高木と同じ正眼に構えたが、すぐに下段に下ろした、待ちの姿勢である。

 早苗は切っ先を中段に押し出し、左半身で構えをとった。

 道場で日頃の稽古はぶつかり合いの様に激しく竹刀をぶつけ、力で押し倒した方が強いと言う展開であった、それとは全く違う感覚である、土屋も真剣での勝負の経験はないが、これが真剣の勝負かと思うほど新鮮な感覚であった。

 いや、おれはこの女の術中にハマっている、相手に合わせるのではなく主導権を取らなければ、そう思うと下段の竹刀をゆっくり上段まで上げた、男の力強い打ち込みを女の力で受けきれるはずがない、思うように攻めればよいと思った。

 だが上段の構えとはいわゆるハッタリである、大きく見せて相手を委縮させる、胴と足元ががら空きなのだ、ただそこは打ち込んだ瞬間に相打ち覚悟の上段の剣が振り下ろされるため、相手に打たせない構えでもあった。

 早苗は右半身に体制を変えるがその変化中にも全くスキが無かった、スキが無いと言うのは、いつでも薙刀の切っ先が飛んでくる様に思えるのである。

 早苗が上段の土屋を打つのは簡単なように思えた、薙刀の長さと弓矢の速さがあれば相打ちになることはない、土屋の構えは滑稽なのだ。だが早苗は土屋を打ちたくなかった、先程の高木にしても膝は当分使えないハズ……。

「早苗、おまえの後ろには誰がいる、お前の心は誰を思っておるのじゃ!」

 見かねた秀康から厳しい声が飛んだ。

「ごめん!」

 土屋があっけなく転んだ、ただ膝を打ったのではなく足元の床板を撃ち抜かんばかりに叩いたおかげで竿先のさらしが解け樫木が土屋の顔に跳ねたのである。

「勝負あり!」 声を発したのは四代目である。

 さすがの早苗も片膝をつき肩で息をしていた、「剣を抜けば命と向き合う、出来れば剣は抜きたくはない」秀康の言葉が身に沁みるのである。

「よくやった早苗、これがお主の思う強い心だと良いのう」

 四代目秀直も信じられぬ出来事だった、大叔父がどう収めるのか……。

「のう四代目、今回の二級免状は無くなってしまったが、どうじゃろう、早苗を門弟に加えてはくれぬか? ただ早苗は普通の門弟にはちと難しゅうての、特別に出入りの自由を許してやって欲しいのじゃ、掃除が上手で役に立つぞ?」

「ははは、御意! ただ道場ではなく大叔父が会いたいのでございましょう?」



 彦根の茶屋「小幸」で酔った松野宗助はすっかり眠り込んでしまっていた。

 話に聞き込んでいた翔馬が言った。

「ほう、そのようなことがあったのですか、初耳です」

「あら翔馬さん、三月も経って初耳だったのですか?」

「ええ初めて聞きました、でもあの襲撃の時、早苗は家臣に囲まれてはいたが確かに薙刀を持っていました」

「そうです、貴方に何事かある時はわたくしがお守りしようと……」

「あら~ お熱いコト、それで薙刀は振るわれたのでしょうか」

「いえ、薙刀はよっぽどのことが無い限り振ることはありません」

「おい、おい、あの時私は死を覚悟したのだが、”よっぽど”ではなかったのか?」

「はい、三郎さんが屋根にいることが見えていましたので安心しておりました」

「お、お、お、……、ならば早苗の薙刀と立ち会ってみたい」

「出来ません、安易に見せぬ事は大先生との約束でもありますし、立ち会えばわたくしが勝ってしまいます」

「それはそうですよね、江戸伊庭道場大先生の愛弟子なんですもの! 私は早苗さんの味方、翔馬さん、早苗さんを大切に扱わないと大変なことになりますよ?」

「紗代子さんまでが! ならば早苗よりも強くなるよう琵琶を聴かせてくれぬか」

「出来ません、早苗さんの味方と言ったでしょ? 琵琶は早苗さんに聴かせます」

「まいったなぁ~、松野殿の様に私も眠っとけば良かった、流石にその道の達人は上手に女難の相を逃れてござる」

 今まで軽いいびきをかいて心地良さそうに眠っていた松野御大のいびきが急に止まり、うわ言を呟いた。

「ゆるせ奥、わしが悪かった……、ゆるせ、も、もう二度と……」

 三人が顔を見合わせ吹き出して笑った。

「夢の中でも”達人”なのかしら?」

                    文月の陰謀・外伝(早苗) 完


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