3.異界の血
「まずい! あの翼竜を止めないと。美咲、手伝ってほしい!」
アルフが真剣な表情で叫ぶ。
「え? 私たちに何ができるっていうの?」
「君には特別な力がある。さあ、これを」
アルフは小さな杖を差し出した。戸惑う美咲に、彼は優しく微笑みかける。
「大丈夫。君ならできる」
その言葉に、不思議と勇気が湧いてくる。杖を受け取ると、体中に温かな力が満ちていくのを感じた。それは、朝の味噌汁から感じた不思議な感覚と似ていた。
「さあ、行こう!」
アルフに促され、美咲たちは翼竜に向かって走り出した。周囲の人々は、異変に気付いていないようだ。美咲たちだけの世界。それが、少し怖かった。
翼竜はもう目の前にいる。駅前広場で暴れているけれど、幸いにもこの世界に何らかの影響は出ていなかった。
「美咲、杖を掲げて!」
アルフの声に従い、杖を高く掲げる。すると、先端から眩い光が放たれた。
「蒼穹を翔ける者、我が言霊に従い、混沌を鎮めよ」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。光は翼竜を包み込み、その姿を徐々に小さくしていく。
やがて、翼竜は一枚の羽根となり、ゆっくりと地上に舞い降りてきた。美咲はその羽根を手に取った。触れた瞬間、遠い昔の記憶が脳裏をよぎる。空を自由に飛ぶ喜び、そして突然襲ってきた恐怖。それは翼竜の記憶だった。
「や、やっつけた?」
信じられない光景に、美咲は呆然とする。アルフは嬉しそうに微笑んだ。
「すごいよ、美咲! 君ならできると信じてた」
アルフの言葉に、美咲は我に返った。手の中の羽根を見つめながら、彼女は小さく呟いた。
「私、何をしたの……?」
その瞬間、周囲の風景が元に戻り始めた。道路は道路に、電柱は電柱に。笑顔のアルフは、その姿が透き通っていく。そして何も無かったように消え去った。
「美咲!」
後ろからの声に振り返ると、由香が立っていた。
「何やってるの? もうチャイムが鳴るよ?」
「え? あ、ごめん!」
慌てて走り出す。振り返っても、やっぱりアルフの姿はどこにもない。街の風景もいつもと変わらない。ただ、手の中には小さな羽根がひとつだけ残っていた。
*
教室に滑り込むように入ると、すでに担任の先生が黒板に何かを書いていた。ギリギリアウトの遅刻だった。
『異世界との共存』
黒板を見た美咲は目を疑った。でも、次の瞬間「英語57ページ」という文字に変わっていた。
席に着きながら、美咲は深い息をついた。隣に座る由香が、心配そうに彼女を見ている。
「大丈夫? 顔色悪いよ」
「う、うん。ちょっと寝不足で……」
由香の小声の問いかけに適当に答えながら、美咲は頭の中で今朝の出来事を整理しようとしていた。
AR。異世界。アルフ。そして翼竜。全てが『異世界フィルター』と繋がっている。……そして明らかにゲームとは違う。
そんな疑問が頭の中を巡る中、先生の声が聞こえてきた。
「はい、では遅刻ギリギリアウトの星野さん。この文章を和訳してください」
はっとして黒板を見る。
――The key to open the door of light lies within you.
まるで美咲に向けられたメッセージに感じる。
「え、えっと……光の扉を開く鍵は、あなたの中にある」
言葉が自然と口をついて出た。先生は満足げに頷いた。
「その通りです。よく意味を捉えていますね」
クラスメイトたちからどよめきが起こる。でも、美咲にはそれどころではなかった。これは偶然? それとも……。
授業が終わり、昼休みになった。由香が美咲の机に近づいてきた。
「ねえ美咲、今日はどうかしたの? 朝からボーっとしてるし、英語の授業のときの答え方もなんだかいつもと違ったよ」
由香の心配そうな声に、美咲は苦笑いを浮かべた。
「そう? まあ、ちょっと寝不足で……」
「もしかして、昨日教えたアプリで遊びすぎちゃった?」
由香の言葉に、美咲はハッとしてうつむく。
「あ、うん。ちょっとね」
曖昧に答えながら、美咲は由香の反応を窺った。彼女にも同じようなことが起きているのだろうか。でも、由香はいつも通りの様子だ。
「やっぱりぃ! でも、楽しかったでしょ? 私なんて、昨日寝る前まで遊んじゃった。森の中に隠れてる妖精を探すの、すごく面白いんだよ」
由香は楽しそうに話す。どうやら、彼女にとってはただのゲームのようだ。美咲だけが、現実とゲームの境界を越えてしまったのかもしれない。
「そうだね。楽しかったよ」
美咲は微笑みながら答えたが、心の中では様々な思いが渦巻いていた。この状況を誰かに相談すべきだろうか。でも、信じてもらえるだろうか。
そんな考えに耽っていると、突然、頭の中に見知らぬ声が響いた。
『美咲、屋上に来てください。あなたに話があります』
「っ!?」
思わず立ち上がってしまった美咲に、由香が驚いた表情を向ける。
「どうしたの?」
「あ、ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」
慌てて教室を出る。頭の中では、さっきの声が繰り返し響いている。女性の声だ。アルフではない。でも、どこか聞き覚えがある気がする。
屋上への扉を開けた瞬間、私は息を呑んだ。そこに立っていたのは、全く予想外の人物だった。