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美しき栄貴妃と気づいてしまった思い

***


 翌朝目覚めると、何やら大きな温もりに星はすっぽりと包まれていた。

 とても心地良く、星は温もりの中でまどろみ、ころりと寝がえりした。


「ん、あったかい……」


 庸国の布団はとても質がいいのねと思い、かすかに目を開けた時だった。

 目の前に、たくましい男の半裸身がはだけて見えている。ほんのり汗ばんだ裸には見覚えがあった。


「え……」


 慌てて目をこすり、おそるおそる確認する。

 筋骨隆々な体、美しい顔立ちをした人間が星をしっかりと抱きしめている。

 見間違えるはずもない。庸国の皇帝、雷烈だった。

「きゃああ!」と叫ぼうとした瞬間、星の口は大きな手で塞がれてしまった。


「騒ぐな。大声だすと、太監たちがすっ飛んでくるだろう」


 星が叫び声をだす寸前に、雷烈は星の口をしっかりと抑えた。


「決して叫ばぬと約束するなら、手を離してやろう」


 こくこくと頷き、目線だけで星は雷烈に語りかける。


「よし」


 雷烈の手が口から離れると、ようやく一呼吸つけた。状況も把握できたが、雷烈の行動だけは理解不能だった。          


「なぜ陛下が、私の寝台で寝ているのですかっ」


 星は決して叫ばないように注意しながら、雷烈に訴える。


「どうやら寝ぼけていたらしい。むくりと起きると、あちらにほどよい大きさの抱き枕が見えて、つい」

「つい。じゃありませんよっ。死ぬほど驚いたではありませんか」

「死んでおらんではないか。星は生きているぞ」

「そうですが、そういう意味ではなく」

「そう怒るな。せっかく愛らしい顔をしておるのに」

「愛らしい……」


 星の顔がみるみる赤くなっていく。ほめられることに慣れてない星は、雷烈の言葉に素直に反応してしまう。

 やがて雷烈は楽しそうに笑い始めた。

 からかわれていたことに、ようやく気づいた星だった。


「陛下、からかうのはお止めください」

「すまん、おまえの反応が楽しくてな。今日は朝議の後に後宮へ行くから、それまでに着替えをすませておけよ。ここの掃除も星が担当するということにしておくから」


 星が頬をぷぅっとふくらませていても気にならないのか、雷烈は立ち上がって(ほう)の乱れを直し、寝所を颯爽と出ていった。


「男の身なりをしているのに、愛らしいだなんて。あんまりだわ」


 世間知らずな星の反応を見て、雷烈は楽しんでいるだけだとわかっているのに、どうしても顔や体が熱くなってしまう。


「とにかく早く着替えをすませよう。できたら衣も洗っておきたいし」


 着替えはもちろんだが、洗濯もできれば誰かに見られたくない。うっかり見られてしまえば、正体が発覚してしまう可能性がある。人がいない時を隙を狙って水を運び、最低限のものだけ手早く洗った。

着替えと洗濯、寝所の掃除をすませた頃、雷烈が朝議を終えて寝所へと戻ってきた。

 雷烈の姿を見た瞬間、星は思わず息をのんでしまった。

 朝議用の龍袍(りゅうほう)に玉をちりばめた冠、腰の帯には翡翠(ひすい)佩玉(はいぎょく)をつけている。昨夜や今朝の姿とは違い、高貴な威厳を漂わせているのだ。


「天御門星よ。これより後宮へまいる。わたしについてくるがいい」

「は、はい」


 呆けた顔をした星に気づいていないのか、それとも後ろに従えた太監や宦官らの目を気にしているのか、雷烈は落ち着いた声で話している。雷烈の装いと振る舞いに圧倒されてしまう。


(鬼の血を引いていようと、私をからかって遊んでいても。雷烈様は庸国の皇帝陛下なのだわ)


 本来ならば、言葉を交わすことさえおそれ多い方なのだ。

 頭では理解していたはずなのに、雷烈の姿が遠く感じられた。




 雷烈の後ろに従う形で後宮へと入った星は、すぐに違和感を覚えた。


(鬼の気配がするように思うけれど、なぜだか感じとれない。これはどういうことなの?)


 理由はすぐにわかった。妃たちが住まう宮殿から香の匂いが強烈に漂っているのだ。

 おそらくは妖を寄せ付けないよう、魔除けとして焚いているのだろうが、それでもこの匂いは異常に感じられた。


(待って、私でさえこれだけ匂うのなら、鼻が利くと豪語していた陛下は)


 そっと皇帝の様子をうかがうと、雷烈は平静を装ってはいるものの、わずかだが顔をしかめているように思えた。香の匂いが苦痛なのだろう。


(だから陛下は後宮へ行きたがらなかったのかもしれない)


 妃がいる宮殿に通い、夜を共に過ごそうと思っても、あまりに香の匂いがきついと安らぐことは難しい。昼間は政務で大変なのに、夜まで耐え忍ぶのはさすがの雷烈であっても負担になっているのだ。


「妃たちの様子はどうだ。病床の者が多いのか」

 

 後宮を管理する宦官たちに話を聞きながら後宮内を進んでいると、とある宮殿の前で美しい女性が雷烈を待っていた。


「陛下、栄貴妃(えいきひ)がご挨拶申し上げます」


 皇帝への挨拶の後に顔をあげた栄貴妃は、花の香りを漂わせる艶やかな美女だった。白い肌と豊満な胸元を見せつけるような装いなのに、優雅な気品を漂わせている。


「陛下、なかなか来てくださらないのですもの。陛下をもてなす準備も万全ですのに」


 うるんだ瞳で雷烈を見つめる栄貴妃は、上品な大人の女性の色気を感じさせる。

 雷烈はまったく表情を変えてないが、近くにいる宦官たちは頬を赤らめている者までいる。


「すまぬな。政務が忙しい上に、妃たちが次々と病で倒れているので、その対応に追われているのだ」

「病で陛下をもてなせない妃は生家に送り返すか、冷宮に送ってしまえばいいのですわ」


 にこやかに微笑みながら、恐ろしいことをさらりと言う女性だと星は思った。


「そうもいくまい。それよりそなたは何の問題もないのか?」

「はい。おかげさまで。いつでも陛下をお待ちいたしております」

「落ち着いたらまた行く」

「陛下ぁ……」


 今晩の約束をとりつけられなかったからか、栄貴妃は不機嫌そうに口をとがらせた。拗ねる様子さえ、うっとりするほど美しい。

 やがて栄貴妃は、後方にいる星に目をむけた。


「ところで陛下。あそこにいる貧相な男が和国から来た陰陽師とやらですか?」

「そうだ。わたしが招いたのだ」

「男を後宮に入れるのでしたら、宦官にしてしまいませんと。陛下はお優しいから命じられないのですね。わたくしが代わりに言ってやりますわ。あなたたち、そこの陰陽師をさっさと宦官にしておしまい!」


 気品ある佇まいで残酷な刑罰を命じた栄貴妃に、星は血の気が引くのを感じた。

 前にいた宦官たちが一斉に星の肩を掴みにかかる。男であることを捨てた身とはいえ、力は成人の男性と変わらず、星はあっさりと宦官たちに取り押さえられてしまった。


「やめよっ! ただちにその手を離せ!」


 ひと際大きな声で制止したのは、皇帝の雷烈であった。

 

「陰陽師天御門星は、皇帝であるわたしが和国より呼び寄せた客人であるぞ。にもかかわらず、わたしの命なく勝手に捕らえるとは何事か!」


 咆哮(ほうこう)かと思うほどの雷烈の怒声に、星を捕らえていた宦官たちは震えあがった。すぐに手を離し、その場で叩頭(こうとう)した。

 目の前で怒鳴られた栄貴妃も腰を抜かすほど驚いたようで、力なくしゃがみこんでしまった。

 衝撃をうけたのは星も同じで、雷烈の迫力に体が凍りついたように動かなくなった。

 雷烈以外、誰もがおそれ慄いている。


「すまぬ。つい大きな声をだしてしまった。少し疲れているようだ。栄貴妃も皆も、戻って休むがいい。天御門星よ。そなたはわたしと共にこちらへ。見てもらいたいものがある」

「は、はい」


 雷烈に呼ばれたことで、ようやく体が動くようになった星は後ろに従った。

 栄貴妃は女官たちに支えられ、自分の宮殿へと戻っていくのが見える。


(陛下があんなに怒るなんて。本気で怒らせたら、とても怖い方なのかもしれない)


 皇帝ではあっても、星の前では柔和で優しかった。星をからかって遊ぶことはあっても、怒鳴る姿は見たことがない。


(私のために怒ってくださったんだろうか。だとしたらちょっとだけ嬉しいかも……。あら?)


 星の前を闊歩していた雷烈が歩みを止め、苦しそうに息を乱し始めたのだ。


「陛下、どうなさったのですか!?」


 慌てて駆け寄ると、雷烈はかなり辛い様子だ。


「大きな声をだすな。鬼の力が暴走しているようだ。後宮に入ると度々おこる……。星、すまぬが鬼の力を封じてくれ。あそこに無人の宮があるからそこへ……つぅ」

「わかりました。すぐに封印術をおかけします。立てますか?」

「ああ……」


 ふらつく雷烈の腰を支えるように寄り添い、無人の宮の中へ入っていった。

 苦しげな呼吸をくり返す雷烈を横たえ、すぐに封印術の準備を始める。

 息の整え、印を結ぶと、呪文を唱える。


「封印術・天の印」


 呪文の共に『天』の文字が輝いて宙に浮かび、雷烈へと吸い込まれていく。これで少しは鬼の力を抑えていけるはずだ。

 ところが雷烈は胸元を抑えるように苦しみはじめ、うめき声をあげた。これまでとは違う反応だ。

 あえぐ雷烈の髪が赤く光り始め、瞳の色も血の色になりつつある。


(鬼化が進んでいる……。鬼の力が封印できてないの?)


「ああっ!」


 雷烈は星に救いを求めるように、その手を伸ばした。咄嗟に星は雷烈の手を掴む。


「陛下、お辛いなら封印術は中止しましょうか?」


 あまりの苦しみように、星はもはや見ていられなかった。手が震えて、印が結べない。


「かまわぬ。続けよ。これしきの痛み、耐えてみせるといったろう……」

「ですが私では、封印術の使い手として未熟なのかもしれません。もうこれ以上は」

「かまわない。星ならば、オレは何をされてもかまわん。おまえを信じている……」

「私を信じる……? 庸国の皇帝である雷烈様が?」

「星だけなのだ。オレの本当の姿を見せられるのは……だから」


 鬼化しそうになっても必死におのれと戦い、苦しみに耐えながら、未熟な星を励ます。


(この方は、なんてすごい方なのだろう。私を信じるといってくれた雷烈様のために……!)


 自らを奮い立たせた星は霊符をとりだし、印を結ぶ。霊符を手にしたまま、雷烈の体に直接霊符を貼り付ける。


「天の印・封!」


 雷烈の体は異常なほど熱く、星の手も火傷しそうなほどだ。だがどれだけ痛くとも、星は雷烈の体から霊符を離さなかった。


「耐えてください、雷烈様。私が必ず鬼の力を封じてみせます!」


 鬼の力を封じたい星と、鬼の力を内側に押し留めたい雷烈。二人の思いがひとつとなり、鬼化という暴走をどうにか食い止める。

 ほどなくして、雷烈の吐息は少しずつ落ち着き、痛みも消えていったようだ。


「よかった……」


 霊符がはらりと地に落ちる。鬼の力の封印に成功したのだ。


(でもこれもまた鬼の力の一部だわ。これからも封印していかないと)


 星が霊符を拾い上げ、ほっと息をつく。


「雷烈様、大丈夫ですか?」


 雷烈はかすかに笑い、星に向けて手を伸ばす。体を起こしてほしいという意味かと思った星は、雷烈の手を握りしめた。

 すると雷烈は星を自分のほうに引き寄せ、ふわりと抱きしめたのだ。突然のことに、星は雷烈のたくましい胸元に顔をうずめる形となった。


「ら、雷烈様!?」

「ありがとう、星。しばしこのままで。少しだけ休みたい。おまえがいてくれると、よく眠れるのだ。栄貴妃の命でおまえが傍からいなくなったらと思うと、ぞっとした。つい叫んで、しまったよ……」

 

 うわ言のようにささやきながら、雷烈は気持ち良さそうに眠ってしまった。星がいるとよく眠れるというのは本当の話のようだ。必死に鬼の力と戦い、疲れ果てたのだろう。


「雷烈様……」


 雷烈に抱かれたまま共に横たわる星。耳をすませば、雷烈の鼓動が伝わってくる。雷烈が確かに生きているのだとわかり、星はたまらなく嬉しかった。


(ああ、私はこの方のことが、雷烈様が好き……)


 これまで気づかないふりをしていただけだった。

 悲しき過去をもつ星の心を理解し、受けとめてくれたただひとりのお方。

 皇帝としての才覚と覚悟をもち、どんな苦しみにも耐え抜く強い人。


(私、これからも雷烈様の傍にいられたら……。でも雷烈様は庸国の皇帝。身分も国も何もかも違いすぎる。それに私には優の敵を討つという目的がある……)


 好きな人のそばにいたい。ずっと支えてあげたい。

 だがそれは叶わぬ夢のように思えた。

 星は雷烈の腕からそっと抜け出ると、整った容姿を見つめた。


「冷やした手巾をもってきますね。汗をかいておられますから」


 雷烈に抱かれたままであることが辛くなった星は、声をかけてから水を求めて外に出た。


「えっと、お水はどこにあるのかな。後宮内を歩き回るわけにもいかないし」


 周囲を見渡したが、それらしい水場がわからない。誰かに聞く必要があるのかもしれない。


「水なら、わたくしの宮殿にあってよ」


 突如、背後から星に声をかける者がいた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは栄貴妃だった。

 つい先程まで人の気配は感じなかったはずなのに。


「あなた、陛下に何をしていたのかしら。一度、事情を聞かなくてはねぇ……? わたくしの宮殿にいらっしゃい。丁重に、もてなしてあげてよ?」


 栄貴妃の背後には、屈強な宦官たちの気配を感じる。逃げられるとは思えなかった。


(雷烈様に迷惑はかけたくない。私だけで解決しますので、お待ちくださいね)


 雷烈を守りたい。たとえ自分の思いが成就することはなくとも。


「わかりました。御一緒させていただきます」


 この日より、和国より来た陰陽師、天御門星は消息を絶った。




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