男装陰陽師の秘密
和国より海を渡りて陰陽師来たり──。
「陰陽師天御門 星よ。はるばるよく来てくれた。わたしが庸国の皇帝雷烈だ。そなたには後宮に現れる妖を退治してほしい」
「は、はい。精一杯務めさせていただき、ます」
初めての謁見に緊張しながら、星はどうにか挨拶することができた。
「まだ庸国の言葉に慣れておらぬのだな。かまわぬ。面をあげよ」
必死に学んだ庸国の言葉であったが、ぎこちなさが残ってしまうようだ。恥ずかしさで体が熱くなるのを感じながら、星はゆっくりと顔をあげた。
庸国皇帝の姿を見て、『気配を感じた』瞬間。
星は悲鳴を上げそうになってしまった。どうにか耐えることができたが、すぐに手で口を塞がなかったら絶叫していただろう。
若き皇帝が見惚れるほど美しい容姿をしていたからではない。
(この方は、庸国の皇帝陛下は……)
心の声と体の震えまでは抑えられなかった。
(この気配は鬼だ。庸国の皇帝は鬼、なの……?)
皇帝陛下のご尊顔を長く見つめるのは無礼であることも忘れ、星は雷烈から目をそらすことができない。
目を瞬かせる星の様子をじっくりと眺めながら、雷烈は満足そうに微笑えんだ。
「そなたが来るのを待ちわびていたぞ。ようやく会えたな」
若き皇帝の声を聞くと、体が熱を帯びるのを感じる。それだけ力の強い鬼ということなのだろうか。
(たとえ皇帝が鬼であったとしても。『私』は逃げるわけにはいかない。兄の敵を討たなくては)
和国より海を渡ってやってきた小柄な陰陽師。
その正体は、亡き双子の兄の力を受け継いだ少女であった。
***
海に浮かぶ島国である和国には、数々の陰陽師たちが存在している。
陰陽師はそれぞれが得意とする術で流派が分かれており、除霊や祓い術に長けた一族、交霊術に優れた一族、占いを生業とする一族、神寄せをする一族などがある。
天御門家は、優れた封印術を施すことでその名を知られていた。
天御門家当主の家に待望の跡継ぎが生まれたのは、真夜中のことだった。
数日間の難産の末に生まれた子は、男女の双子。双子は天御門家一門にとって不吉の象徴である。
「天御門家に双子はいらぬ。妹のほうを……消せ」
天御門家当主は自らの娘を死なせるという非情な決断をした。
誰ひとり反対できぬ中で、双子を産んだ母だけは夫である当主の足元にすがりついた。
「わたくしはまもなく天に召されます。あなたの妻を哀れと思うならば、どうか娘を生かしてくださいませ」
最後の言葉を遺し、母は静かに息を引き取った。
妻の遺言を無視できなかった天御門家当主は、双子の妹を別宅で秘かに育てることとした。情が移っては困るからか、娘に名前さえつけてやらずに。
一方双子の兄は、「優」という名を与えられ、天御門の跡継ぎとして大切に育てられていった。
***
「星、また夜空を見ているのかい?」
「まぁ、兄様。来てくださったのですか?」
星は夜の空を眺めるのが好きな娘だった。
いつも星々ばかり見ているので、兄の優が「星」と呼ぶようになったほどだ。
「兄様って呼ぶのは止めておくれ。僕と星は双子なんだから。二人きりのときは、名前で呼ぶ約束だろう」
「そうだったわ、優。でもね、時には『兄様』って呼ばせてほしいな」
父と母の愛を知らずに生きてきた星にとって、甘えられるのは双子の兄である優だけだ。優も妹が愛情を欲しがっていることを誰より知っていた。
「いいよ。兄様って呼んでも」
「ありがとう。お空にいらっしゃるお母様にも毎日語りかけているのよ」
秘かに育てられた星は、時折訪ねてくる兄の優だけが世界のすべてだった。
双子の兄の優は妹を慈しみ、陰陽師の知識や術を教え、土産として書物や菓子を運んでくれた。
「星は覚えるのが早いなぁ。僕より優秀だよ」
「優が教えるのが上手いのよ」
「おだてても今日の書物はこれだけだぞ」
「わぁ、ありがとう。これって庸国の本?」
「そうだよ。海の向こうにある庸国はとても大きい国だそうだ。いつか行ってみたい。庸国なら、僕も星も気がねなく暮らせると思うし」
「私も行ってみたい……。優と一緒にどこまでも駆け回りたいわ」
いつか海の向こうに行けることを夢見て、優と星は庸国の言葉を学んだ。天御門家の跡継ぎになる優には叶うはずもない夢だったが、庸国に憧れることが兄妹の希望だったのだ。
閉ざされた館の中だけが星の生きる場所だったが、優がいてくれれば生きていける。いつかきっと優と共に庸国へ。
星のささやかな夢と希望は、鬼の襲撃によって壊されてしまう。
天御門家の本宅が鬼に襲われたのである。突然の来襲に、なす術なく当主は殺されてしまった。どうにか反撃したものの、正式な跡継ぎになっていなかった優には防御するのが精一杯だった。
「兄様!」
「星? どうしてここへ」
「優が危ないって空の星々が教えてくれたの。優、一緒に逃げましょう」
「だめだ、星。危ないっ!」
強い風にあおられたと思った瞬間。星の前に飛び込んだ優が苦しそうに顔をゆがめ、ごぼりと吐血した。鬼が投げた刀が優の体を貫いてしまった。鬼が妹を狙っていると気づき、咄嗟に星を守ったのだ。
「優っ!!」
たったひとりの兄を助けるために、掟を破って館を飛び出してきたのに、逆に守られてしまうだなんて。
星は兄の名を呼び、しがみつくことしかできなかった。
「優、しっかりして!」
かくりと倒れてしまった兄をどうにか助け起こそうとしたが、優の体からは血がとめどなくあふれてくる。動かせばさらに出血してしまうだろう。
「ああ、どうしたら……」
優を助けたいのに、その方法がわからない。涙だけ流れてくる。泣いたってどうにもならないのに。
「星、僕はもうダメだ。君だけでも生きてくれ……」
「いやよ。優が、兄様がいなくなったら私は生きていけない」
「星は強い子だ。兄様はよく知ってる。さぁ、手をだして……」
言われるまま優に手を差し出すと、優は妹の小さな白い手をぎゅっと握りしめた。
「封印術天の印・解」
優の手から星へ、あふれるほどの熱と愛情が力となって流れてくる。体に力がみなぎるのを感じる。
「僕の力を君にあげる。和国以外の国で幸せになれ……」
「いやよ。私と優のふたりで庸国へ行こうって」
「僕はもういけない。僕は空の星となって、母様と一緒に君をまもり……」
星の手を握っていた優の手が、力なくすべり落ちていく。地に落ちた手と、優の体はぴくりとも動かなくなった。
「優? ねぇ、返事をして。ねぇってば」
どれだけ体をゆすってみても、兄は微動だにしない。口元に顔を寄せてみたが、吐息も途切れている。息をしない体が何を意味するのか、世間知らずな星でも理解できてしまう。
ただひとり、自分を愛してくれた双子の兄は天に召されてしまったのだと。
「いやよ。いや~~っっ!!」
たったひとり生き残った星。
半身を失った悲しみと絶望が、星の体を支配していく。
激しい慟哭と共に、自分の力が一気に解放されていくのを感じたが、止めることはできなかった。
その後のことは、星はほとんど覚えていない。
兄の力を受け継ぎ、陰陽師として目覚めた星の力の暴走により、鬼が逃げていったと救助に来た別の一族の陰陽師から聞いた。陰陽師たちに追われた鬼は、海を渡っていったらしい。
生きる希望を失い、力なくうずくまっていた星だったが、やがてゆっくりと顔をあげた。
「兄様を殺した鬼、許せない……。優の敵討ちをできるのは私だけよ」
哀れな少女の悲しき決意だった。
和国では女の陰陽師は跡を継ぐことができないため、どのみち生きる場所はない。ならばわずかな可能性を求めて、庸国へ行こう。兄の敵もおそらく庸国にいる。
ほどなくして、庸国の皇帝が和国の陰陽師を求めていると知り、星はその報せに飛びついた。女ひとりが海を渡るのは危険すぎるため、男の姿に、兄の優の身代わりとなることにした。
「私、今日から男になるわね。天から私を見守っていて、兄様」
兄の敵を討つ。
それがひとりぼっちになった星の、かすかに残った希望であり、生きる意味だった。
***
悲壮な決意を胸に、ただひとり庸国にやってきた星に皇帝雷烈は意外な提案をした。
「天御門 星よ。そなたにはわたしと共に行動してほしい」
「な、なぜでございますか……?」
不敬とわかっていたが、星は思わず雷烈に聞き返してしまった。
(皇帝陛下と一緒に行動するなんてとんでもないわ。しかも鬼の気配がする方なのに)
「妖を退治してもらうため、そなたに後宮を調べてもらいたいのだが、後宮は皇帝以外の男は入れぬ場所でな。だが中に入らなくては調査しようもない。ゆえに皇帝であるわたしと共にいる時だけ後宮に入るという形をとってほしいのだ」
数多の妃がいる後宮に入れるのは、妃たちを世話する宮女や宦官だけだ。宦官とは男であることを捨てた者たち。和国出身の星には馴染みがないが、書物の知識で知っていた。
皇帝が招いた星を宦官にするわけにもいかない。妃たちの名節を守るためには仕方ないということなのだろう。
「わかりました。御一緒させていただきます」
(私は男ということになってるものね。仕方ないわ)
皇帝陛下のずっと後ろに付き従い、離れた形で共に行動するだけだろう。
できるだけ前向きに考えようとした星だったが、事はそれほど単純な話ではなかった。
「し、寝所も陛下と御一緒なの、ですか?」
皇帝の寝所の片隅に、星のため用意された寝台がちょこんと鎮座している。
よもや寝る場所まで皇帝と共に過ごすことになろうとは。想像もしていない事態だ。
「当然だ。後宮に妖が現れるならば、第一に守らなくてはいけないのは誰だ?」
「……庸国を統べる陛下かと思います」
「だろう? だからそなたに守ってほしいのだ。期待しているぞ、天御門星よ」
「は、はい」
言葉巧みに丸め込まれた気がしなくもないが、相手が庸国の皇帝とあっては逆らうのは得策ではない気がした。
皇帝を世話する太監が去ると、星は皇帝雷烈と二人きりとなってしまった。
さすがにこれは気まずい。おそれ多くも皇帝陛下と世間話をするわけにもいかない。
「失礼ではございますが、お妃様のところへは行かれないのですか?」
せめて着替えだけは陛下の目のふれないところですませたい。だから皇帝には妃のところへいってほしい。うまくいけば、寝るのも別にできるはずだ。
「いかぬな」
あっさりと否定されてしまった。
皇帝ともなれば、数多くの妃のところへ通い、子を成すのも大切な務めのはずなのに。
(お妃様のところへいきたくない理由でもあるの?)
なにか訳があったとしても、さすがにそれ以上は聞けなかった。
「なんだ、その顔は? わたしと共に休むことに不都合でもあるのか?」
「い、いえ。とんでもございません」
(着替えは隙をみて手早くすませよう。陛下には朝議があるから、ずっと一緒ではないはず)
心の中で段取りを考えていた時だった。
背後に人の気配を感じた。驚いて振り返ると、端整な顔立ちをした雷烈がそこに立っていた。星をじっと見つめている。
どうかされたのですか? と聞こうとした瞬間。
雷烈は両手をひろげ、星を強引に抱き寄せた。