【第1話】
「シーラ姫!」
「しっかりなさってください!」
「お気を確かに! 姫さま!!」
朦朧とする意識の中、様々な心残りが脳内を過る。
春の野を駆け回りたかった。
夏の日差しをめいっぱい浴びてみたかった。
秋の夜にそっとお城を抜け出して森の息吹を感じてみたかった。
冬の真っ白な雪の中に全身で飛び込んでみたかった。
華やかな舞踏会で殿方にエスコートされてみたかった。
――太陽みたいなあの子と一度でいいから一緒にお茶をしてみたかった。
あぁ……もっともっと生きたかったですわ。
指先に暖かな感覚を感じる。
「姫……」
穏やかで優しい声が囁く。
「……シー……姫……ぎは……らず……」
何を言っているのか上手く聞き取れないけれど、最後の力を振り絞って口許に笑みの形を作る。
シーラ・アルジュラーニ 享年十五歳。
寿命によりこの世を去る。
ここまでが、わたくしの前世の記憶です。
前世のわたくしはアルジュラーニ王家の姫という立場でありながらも体がとても弱く十五歳までしか生きられませんでした。
広々とした豪奢な自室から出ることは殆どなく、体調の良い時に窓辺から外を眺めるのが数少ない楽しみの一つでした。
外の景色はいつだって眩く同年代の子たちの賑やかで楽し気な声を聞いているといつだって元気を貰えました。
その中でも飛び切り明るいあの子の声。
「カイくーん! 次は森の方に行って遊ぼう」
騎士団長の一人娘であるカレン・マーファルちゃん。
「それより今日は遠乗りに行こうぜ!」
先ほどカイくんと呼ばれていた少年は騎士団に出入りしている武器商人の息子さん。
お二人は幼馴染みでいつもお城の中を元気に駆け回っておりました。
当時のわたくしはカイくんのことが羨ましくて仕方ありませんでした。
わたくしもカレンちゃんとお庭を駆け回りたかった。
森を探検してみたかった。
美味しいお茶とお菓子の用意されたテーブルを囲んで二人で仲良くお喋りをしてみたかった。
カレンちゃんに対して好意を持っていましたが、それが恋愛的な好意かと言われたら少し違ってまして。
自分の中で熟考を重ねた結果、これは現在で言うところの『推し』なのではと思い至りました。
そう、カレンちゃんはわたしくの推しなのです!!
「……はぁ。今日もカレンちゃんに会えますでしょうか」
ため息を吐きながら昨日の入学式でのカレンちゃんの姿を思い浮かべる。
現在、わたくしとカレンちゃんは同じ高校に通う一年生。
そう。わたくし異世界転生してしまったのです! この世界では、魔法も魔術もなく精霊たちの織った魔法の絨毯の代わりに車や電車があって、空にはペガサスの馬車の代わりに飛行機が飛んでいたりします。
何より不思議なのは、わたくしのいるこの街には前世でご一緒だった方々がたくさん住んでおられることです。
今の世界でのわたくしは有栖川椎良と申します。有栖川財閥の一人娘です。
前世で王と王妃をしていた両親は今世でも同じで、わたくしが生れた時に二人は泣いて喜ばれたそうです。
その他にも宰相や大臣方や宮廷勤めの皆さまなどがそれぞれの立場や役職を持たれてこの街に住んでおられます。
誠に不可思議ではありますが、皆さま方とまたお会い出来て凄く嬉しいです。
何より今世では、わたくしとっても健康なのです!
駆けっこもジャンプも縄跳びも出来ますし泳ぐことも何でしたら逆上がりもできます。
健康って素晴らしいですわ!
朝から通学路で健康を謳歌していると前方にカレンちゃん(と、カイくん)を発見いたしました。
「はああああ今日も最っっ高に可愛いですわ!!」
朝から推しを目にすることが出来た奇跡に感謝をしてから気付かれないように電柱の後ろに隠れこっそりと聞き耳をたてる。
「カイくん、ネクタイ曲がってるよ」
「あ、ほんとだ」
「もぉ。仕方ないなぁ」
そんな会話をしながらカレンちゃんはカイくんのネクタイを直してあげている。
羨ましいですわ……。
私も制服のリボンを曲げていたらカレンちゃんが直してくれたりしませんでしょうか。
そんなことを思いながら美しく整えられたリボンを少しだけ捻ってみる。
「サンキュ」
カイくんはカレンちゃんにお礼を言うと、こめかみの辺りにちゅっと音を立て口付けをなさいました。
「カイくん!? もお! こんなところで誰が見てるかもわからないのに!」
「ははっ! 誰も見てないって」
……あらあら。わたくしが見ておりましてよ。
薄々勘づいてはおりましたがカレンちゃんとカイくんは、どうやらお付き合いをされているようです。
前世でも仲の良いお二人でしたので納得している自分と推しに恋人がいたという複雑な自分。
けれど、カレンちゃんが幸せで楽しい毎日を過ごされているのでしたら、それが一番です。
世の中にはカップル推しというのもあるそうですし、お二人を推せるような人でありたいですわ。
「おはようシーラ姫。今日も推し活が捗っていますね」
「……はわ!? お、おはようございますハクト様」
突然の声を掛けられたことにびくりと跳ねた胸を押さえつつ振り替えると、見知った顔に安堵する。
ハクト様。現在は鳴海白兎さん。
前世では宮廷魔術師をしておられました。
とても優秀な方で王宮内でも彼の右に出る者はいらっしゃいませんでした。
秀麗で怜悧なお顔立ちは前世と何ら変わらず今世でも女性の皆さまを虜にさせていらっしゃいます。
罪な方ですわ……と考えていたところで先ほどの挨拶を思い出す。
「ハクト様。姫はおよしくださいませ」
「貴女こそ『ハクト様』になっていますよ」
彼の指摘にあらまあと口許を抑える。
「失礼いたしましたわ白兎さん……それとも白兎先輩の方がよろしいかしら?」
うふふっと笑うと白兎さんがそれも良いかもしれませんねと微笑んでくれる。
自然と横に並ぶと二人で朝の心地好い道を進んで行く。
白兎さんは同じ高校に通う一学年上の先輩です。
ご近所に住んおられて小さい頃からお勉強を見ていただいたり遊びに連れて行ってくださったり。よくこうやって一緒に登下校もしておりました。
「椎良嬢は高校生になっても変わらずこうして徒歩で登校するんだね」
「はい。こうして自分の足で歩いて行けるなんて夢みたいですもの」
「……そうだね」
「ええ本当に……。そうですわ、白兎さん。この制服いかがでしょうか?」
ふと今着ている真新しい制服で彼と会うのは初めてだと気付き裾をふわりと翻しくるりと回ってみせる。
品の良い白のジャケットには金糸で各所に刺繍が施されていて中には白いシャツとシンプルな赤いリボン。黒を基調としたチェックのハイウエストのスカートの下にはタイツを着用しております。
少し体のラインの出やすいこの制服は近隣でもとても人気があるそうです。
「……えっと、似合いますでしょうか?」
自分で聞いておきながら白兎さんと目を合わせいると途端に恥ずかしくなってしまい視線を外してしまいました。
「…………」
無言。
いたたまれません。
そんなにも不恰好でしたでしょうか。
恥ずかしさのあまり涙目になっていた時。
「…………とても」
「……え?」
顔を上げると、そこには慈しむような笑みを浮かべた白兎さんがいらっしゃいました。
「とても良くお似合いですシーラ姫」
「……っ」
また姫呼びになっていますと口を開こうとしたけれど、あまりに優しく見つめてくださるから何も言えなくなってしまいました。
「あ……りがとうございます」
今度は自分から白兎さんの隣に並ぶと学校へと続く道を進み始める。
わたくしより随分と背が高く脚も長いですのに歩幅を合わせてくださっている白兎さんの優しさに思わず笑みが溢れてしまう。
「椎良嬢? どうかされましたか」
「ふふ。いえ、白兎さんはいつだってお優しいなぁと思いまして」
笑っていると目を細めた白兎さんの指先がこちらへと伸びてくる。そのまま、わたくしのウエーブがかった長い髪に優しく触れたかと思うと一房つまみ上げられる。
「貴女も、変わりませんね。ふわふわしたところも艶やかな長い黒髪もキラキラした柔らかな瞳も何事にも懸命で細やかな性格も一途に推しを愛でる姿も。昔から何一つ変わりません」
「は? え? あ、ありがとうございます……」
白兎さんってこんなことを仰るような方でしたでしょうか……?
確かに今世では良く面倒を見ていただきましたし、いつだって柔和でお優しくはありましたが。
そこで前世の彼を思い返す。
前世の白兎さんはほとんど笑ったところを見たことがないくらいクールといいますか冷たい雰囲気をお持ちで、能力に長けていた分、誰とも馴れ合わず常に孤高でした。
わたくしは、そんな彼にどことなく寂しさを感じてしまって彼の部屋と自分の部屋が比較的近い場所にあったということもあり調子の良い日には彼の部屋まで行って扉の前にわたくしの部屋に飾られている花を一輪抜き取っては、こっそりと置いてくるようになりました。
ハクト様のことを気にかけている人間がいることを知って欲しかったのだと思います。
そんなことを続けていたある日、突然部屋の扉がノックされて返事をするとハクト様ご本人が現れ驚いた記憶があります。
ハクト様は不機嫌さを隠すことなくわたくしに声をかけていらっしゃいました。
「何のつもりですか?」
その手にはわたくしが置いてきた花が。
「あら。お花は好きではありませんでしたか? お菓子の方がよろしかったでしょうか?」
「いえ、そういう話では……」
わたくしはすぐ側に掛けてあったストールを羽織るとベッドから降りて部屋の隅に置いてあるテーブルへと向かう。
「どうぞ、そちらの椅子にお掛けになってくださいませ」
ハクト様に椅子をすすめますと困惑した様子でしたが、ため息を吐いたあと素直にお掛けになってくださいました。
「ふふっ」
存外わかりやすい方だったことに笑みが溢れてしまう。
テーブルの上に用意されてあった茶器を手に取りお茶の準備を始める。
「こちら、よろしければお召し上がりくださいな」
茶葉を蒸らしている間にお茶菓子をすすめる。今日は色とりどりのマカロンとフロランタンが置いてありました。
「……いえ、結構です。それよりも、これはどういったおつもりですか?」
可愛らしい薄紅色の花が目の前に突き付けられる。
「お嫌でしたかしら?」
「最初は誰かの悪戯かと思いましたが、花から流れるエネルギーが貴女の部屋から続いたので驚きました。病弱な姫君が何のためにこのようなことを……」
「意味などありませんわ。ただのきまぐれです」
そろそろ良い頃合いだろうとティーポットを手に取るが二人分のお茶の入ったそれは想像以上の重さで落としそうになる。
「ひゃっ!? 」
けれど、落とす前にハクト様に手を支えられて何とか惨事を免れる。
「……っ、なにをやっているんですか。そんな細腕で無理に決まっているでしょう? 貸してください」
そう言ってわたくしの手からティーポットを奪うとカップにお茶を注いでゆく。
「あ、ありがとうございます」
「貴女が持つことが出来るのは、せいぜい花一輪くらいのものでしょう」
思いのほか刺々しい物言いをなさる殿方だ。
「……そうですわね」
「――失礼。言葉が過ぎました」
ばつが悪そうにハクト様が呟く。
「構いませんわ。本当のことですし」
互いの席にカップを置くと優しい茶葉の香りが漂う。
「さ。召し上がってくださいな」
ハクト様は僅かに間を置いたあとカップを手に取られる。
「……いただきます」
「お口に合うと良いのですが」
「――これは。美味しいですね」
こくりと飲んだあと感心したようにハクト様が呟く。
「ふふっ。わたくしずっとこんな生活をしていますでしょう? お茶を淹れるのは自室で行える数少ない楽しみの一つなんです」
「へぇ。他にも何かあるんですか?」
あら。まさか興味を持ってくださるなんて……。
意外だと思いつつ、もしかしたらお茶を気に入ってくれたのかもしれないと少し嬉しくなってしまう。
「他ですか? そうですね、読書でしょうか。あとは窓拭きなども楽しいですわ。メイドさんには仕事を取らないでくださいと嘆かれてしまいますが埃も汚れも全くないピカピカになった窓を見るとうっとりしてしまいます。何より磨かれた窓から見える中庭の様子が最高なんですの! ハクト様はご存知かしら騎士団長の娘さんのカレン・マーファルさん! よくお城に遊びにいらっしゃってるのですが、とっても元気で愛らしくて素敵なお嬢さんなんですの!」
「……はぁ」
「楽しそうに中庭を走っているカレンちゃんを見ていると、わたくしも元気になれるんです。いつかこんな風にカレンちゃんと一緒にお茶を飲むことが出来ましたのなら、どれほど幸せなのでしょうね」
「お誘いすればいいのでは?」
「……お声を掛けたいのは山々なのですが、お話しどころかまともに対面したこともありませんし何より緊張してしまいますわ」
顔が赤くなってしまったことを感じて両頬を手で押さえる。
「……必要でしたら協力いたしますよ」
「はい?」
協力って仰いましたか? ハクト様が? なぜ?
理解ができず目の前の美丈夫をまじまじと見つめる。
「ただのきまぐれですよ」
数分前にわたくしの放った言葉。
わたくしは暫し顎に手をやり考える。
ハクト様は容姿端麗、頭脳明晰、王宮一の魔術師。社交性は……あるとは言い難いですが城中の女性が彼の虜といっても過言ではないほど毎日のように侍女やガヴァネスそれにメイドさん方から話をお聞きします。
近寄りがたい雰囲気をお持ちですので皆さん遠巻きに見ておられるだけの様子ではありますが。
彼の協力が得られればカレンちゃんとのお茶会も夢ではないのでは?
きっと自分一人なら何も出来ず、ただただそんな日がくればいいなと夢見るだけで終わってしまうだろう……ならば。
正面に座る美丈夫がお茶を飲み終わるのを待ってから、その手を取る。
想像よりもずっと大きな手だ。両手で握り混み真っ直ぐに見つめると菫色の驚いた目と搗ち合う。
「ハクト様。よろしくお願いいたします」
この時のわたくしの瞳は恐らく人生で一番輝いていたと思います。
それからは、ハクト様と毎日のように作戦を練りましたわ。
部屋に誰も居ない時間を狙って二人でひっそりとこっそりと。
カレンちゃんを如何にさり気無くごく自然にお茶に招くにはどうすれば良いか。
余計な緊張や不自然さがあってはカレンちゃんにとって嫌な思い出となりかねません。そのようなことは決してあってはならないのです!
楽しくて優しくてまた一緒にお茶を飲みたいと思ってくださるような素敵で温かな時間にしたい。
その為にはわたくしでにできることなら何だっていたしますわ!
――なんて、意気込んでおりましたのに。
無理がたたったのでしょうね。
小さな風邪が長引き、それが悪化してしまってそのまま……。
ふと現実に意識が戻る。
あの頃からは考えられないほど尖りの無くなった目の前の美丈夫に視線を戻すと彼は先ほどわたくし自らが捻った制服のリボンを丁寧に直してくれていた。
「――はい。これで、よし」
離れて行く手を両手で取り握りしめる。
「……っ、椎良嬢?」
「白兎さんお願いがあります。あの時果たせなかった夢を今度こそ一緒に叶えてはいただけませんでしょうか?」
真っ直ぐに見つめると菫色の驚いた目と搗ち合う。
――あの時と同じだ。
いや、あの時よりもずっと驚いた顔をしている。
けれど、彼は次の瞬間には破顔していた。
「ええ。よろこんで」
こうして新たにカレンちゃんお茶会お誘い大作戦が発足されました。