ある国民の呟き~エピローグ
仕事から家に帰る。
洗面所で手を洗い、うがいをする。
ジャケットとズボンを脱いでハンガーにかけ、スエットの上下を着る。
冷蔵庫からチャーハンと餃子を出して温める。
缶ビールも出して、ダイニングテーブルに食器を並べ、椅子に座る。
ビールのリングを空け、一口飲む。
フーッと一つ大きくため息をつく。
誰もいない家にまだ慣れない。
無音を嫌って、テレビのスイッチを入れる。
ニュースの時間だ。
今日のトップニュースは、と意識を向けると、プリンセス・マコの結婚の話題らしい。
そう言えば、反対の声が多くて婚約発表のようなものから延々今まで結婚に至っていなかったが、遂に入籍して会見をするらしい、と誰かが言っていた記憶がある。興味がなかったので忘れていたが、今日だったのか。
画面に見覚えのある清楚な感じの若い女性と、きちんと無地のスーツにネクタイを締めているのに何故かチャラく見える若い男が、並んで立ち、深々と頭を下げてから、着席した。
これはニュース番組は時間延長で徹底的に、かなり長めに会見を流すだろう。退屈だ。
消そうかな、とも思うが、また無音になるのも疎ましい。見慣れないバラエティやドラマを選ぶ気力もなく、結局は点けっぱなしになる。
プリンセス・マコが穏やかな、少しハスキーな声で何か言っている。何かこれまでの過ごし方を説明しているようだ。チャーハンを咀嚼していると、言葉の内容はよく聞き取れない。
そう言えば、男の方の母親に金がらみのトラブルがあったとかいう話だった。どうでもいいようなことだし、犯罪で刑事事件として成立してないなら問題はなかろう、と思うが、王室の権威にかかわると言えば、まぁその通りかもしれない。
若い男の方が喋りだした。コムラ・ケンとかいう奴だ。その声と話し方ですぐに分かる。あぁ、本当のことなんか言うつもりは丸でないな、と。
前置きが長い。声にやたらと強弱がつく。しかも、「そもそも」とか「にもかかわらず」とか、特に意味のない言葉ばかりが強く、何度も繰り返される。会社勤めをしていれば、こんな喋りにはしょっちゅう付き合わされる。中身のない言い訳、賠償のない謝罪に使われる話し方だ。
(しかし、チャラいな)
と思う。
この雰囲気が反対派の多い理由かもしれない。もう少し、重量感のある男を選べばよかったのに。
人のことは言えないか。
餃子を食べ、ビールを飲む。聞く価値があるとも思えない男の言葉は、やはり良く聞こえずに耳を素通りしていく。
全てが茶番だ。
彼らは結婚してしまったのだ。もう覆せない。
いや、二人がそう決めた時点で、覆せないのだ。
国民を無視して結婚する王族にも問題はあるかもしれないけど、それが多数派であっても、一部の国民の声で、王族が結婚を諦める前例んど作れない。そんなことを認めたら、今後、王族の行動全て、国民の賛意を必要とされてしまう。政府だって王族の行為を縛る根拠にならないのは分かっているし、国民の意志を確認しようとなんかしていない。
だから茶番だ。
テレビの視聴率稼ぎ、雑誌の販売部数稼ぎの為に、若い二人を犠牲にして、のせられやすい一部の人を煽るだけの茶番だ。
どうやら二人はこのまま、ヤマト王国では儀式も挙式もせず、外国に渡って生活するらしい。
それだけの力があるのなら結構なことだろう。
こんな茶番のネタにされて、安住の場がこの国にあるとは思えない。
とにかく儀式をしないなら、それだけ国の支出は節約できるわけで、その点ではめでたい。しかし祝賀ムードになれば、便乗商法も含めて景気の刺激にはなっただろう。その点ではもったいない。
どうやら会見が終わるらしい。実際はもう少し長かったのだろうが、ニュース番組で編集してもこれだけの長さ。そんな価値があったのだろうか。
画面の中、二人が立ち上がる。
プリンセス・マコの目。その目が自分を真っ直ぐ見つめているようで、思わず息を飲み、語る言葉をはじめて真っ直ぐ受け止めた。
「ヤマト王国国民の皆さま、今日まで真にお世話になり、ありがとうございました。皆さまのこれからのご多幸を心よりお祈り申し上げます」
ごく定型の挨拶の言葉の後、一拍おいて
「さようなら」
記者席が息を呑んだような静寂の中、二人は一礼すると、そのまま退席した。
思い出したように、二人の背中に追いすがってでも、何か質問をぶつけようと騒ぎ立てる記者たちに向かって、
「本日の会見は終了です!」
と司会者が叫び、警備員が退室を促す。
画面が切り替わり、キャスターが感想を述べていたが、耳に入って来ない。
あの目。そして、
「さようなら」
半年前に出て行った妻と同じ目、同じ言葉。
葛藤も怒りも嘆きも心残りもない。それら全てを通り越した後の、本当に最後の別れの言葉だった。彼女は選び、出て行った。絆は解かれ、縁は切られた。もう、戻らない。
我々が追ったのか、彼らが捨てたのか。それももうあの二人にはどちらでもいいことなのだ。関係に終止符が打たれた今となっては。
けれども、これは始まりかもしれない。
そんな気がした。
プリンセス・マコの次は、プリンセス・ケイコが、そしてプリンセス・マイコが、プリンス・ユウトが、同じ目をして、「さようなら」を告げるかもしれない。
それがどれほど恐ろしいことか、あるいは恐ろしくないことか、私には分からない。
ヤマト王国が王国でなくなるだけかもしれない。
ただ、そのようなことが起こるなら、その会見の中継もニュースも、見たくない。
私は、あの目でもう一度見られたくはない。
あの「さようなら」を聞きたくはない。
プリンセス・マコ改めコムラ・マコとコムラ・ケイは、A国で仕事を得て新生活をスタートさせた。
ヤマト王国からの取材には応じないことは予め通告されていた。双方の職場も二人の立場と意向を尊重するとして、取材対応を一切しなかった。そのため、以降の様子は間接的な情報しかないが、それなりの紆余曲折とトラブルを抱えつつも、しっかり二人の生活を築いているらしい。
ヤマト王国では、王族が法で定められた公務以外の公務を大幅に減らしつつある。
これが人数が減り、高齢化の進む王室の負担軽減のためなのか、国民と王室の間に冷却期間を置くための配慮なのか、それとも王室が公務への積極性を失い、自ら辞退することが増えたせいなのかは、よく分からない。
王族が各地で行事を行うことは、王族の豊かな魔力で国の結界を編み上げる効果がある、とする説がある。今まで直撃することのなかった首都への台風直撃が1年に2度もあったのは、そのせいではないかとまことしやかに述べる者もいるが、真相は明らかではない。
本当だとしても、今さらどうすることもできないだろう。
因果応報にしては、何も意見を述べなかった者には気の毒ではあるが。
いじめはそれを黙認していた者も加害者、というのに似ている気もするが、まぁ本当かどうかも分からないことなので…。
「プリンセス・マコちゃん、プリンセス・ユーコちゃん、ただいま」
「もう、いい加減にその呼び名はやめましょうって言ってるじゃない」
「いいじゃない。僕にとっては二人とも永遠にプリンセスだよ」
「本当にぶれないチャラさね」
「ママと私がプリンセスなら、パパはプリンスなの?」
と幼い女の子が訊く。
「そうだよ。パパは海の王子だからね」




