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1883年のwe'll meet again(三十と一夜の短篇第59回)

作者: 実茂 譲

1.


 アリゾナ州ではその首に八千ドルの賞金がかけられたお尋ね者のガンマン、ビル・メロウズはメキシコでもチワワ州の騎馬警官(ルラレス)をひとり殺して追われていたから、いよいよ逃げ場を失って、シャイニング・クリークのそばにつくった芝生小屋(ソッド・ハウス)でボウイナイフを腰に差し、ウィンチェスター・ライフルをかかえ、二頭の馬オールド・ムーンとハニー・ジーンと一緒に隠れ住むことになった。


 そこは周囲にノコギリのような山脈が背骨を立て、陽が暮れるたびにその崖が青灰色の鏡のように光る不思議な土地だった。そうした崖は骨のように白く夜ともなると星の影を映すので、空と山の境はいつだって曖昧だった。陽が昇るとどこまでも広がる草原に灌木の朝露がきらめき、残りの一生かけて奪え切れないくらいのソヴリン金貨を敷いたように見えた(もっとも、その残りの一生とやらもピンカートン探偵社の雇ったガンマンかテキサス・レンジャーどものせいで数週間で終わってしまう可能性が高かったのだが)。


 買い込んだベーコンと豆とコーヒーで一年も大人しくしていればまた駅馬車強盗に戻れるだろうが、いかんせんウィスキーがないのがつらかった。何度かウィスキーを買いに近くの町まで行こうかと思って峠を越えたことがあったが、そうやって一杯のウィスキーを我慢できずに殺された仲間たちのことを思い出し、メロウズは隠れ家に戻った。


 ある日、家の壁につかった芝生付きの土煉瓦が崩れ始めたので、もっと強く芝が根付いたところの土を切ってこようと思い、オールド・ムーンに鞍を乗せて出かける準備をしていると、南の空が曇りだした。最初は音のしない稲妻が山肌を切り裂いていたが、そのうち電気を帯びた草原がうっすら青い炎を立ち上げだした。その何も燃やすことのない熱なき炎はぼんやりと青い色に染まり、クリークの水源から広がって、メロウズのブーツの先に青い光の点が迷信深い船乗りたちが恐れるセントエルモの火のようにまたたいた。

 その夜は雨も風もない嵐が空を閉ざし、メロウズは今まで見たことのない天候に用心を重ねて、家に閉じこもることにした。


 コマンチ族のメディシン・マンなら何か気の利いたことを言いそうな異常気象のなか、メロウズはランプのそばでひとり遊び(ソリティア)をしながら過ごした。ウトウトし始めたとき、サザン・パシフィック鉄道を吹き飛ばしたときよりも大きな音と震動がして、メロウズは椅子から転がり落ちた。長方形に切った壁の穴から生皮を縫いつけただけの窓枠が落ち、ギャングの隠れ家には似合わない写真立てがパタパタと倒れ、その他の家のなかのものも全て倒れた。

 メロウズは床に転がったライフルをつかみ弾を込めるとランプを消して、かつて窓のあった壁のなかに長方形に切り取られた星空へとにじり寄った。彼の死体で八千ドルを稼ごうとするピンカートンのガンマンたちがいるものと思ったが、その後、撃たれることはなかった。そもそもさっきの音は爆発だが、ピンカートンの連中はお尋ね者を殺すのにダイナマイトなど使わない。殺したお尋ね者の顔が吹き飛べば賞金をもらえないからだ。


 メロウズは外に出ると、舌を鳴らして、馬を呼んだ。納屋も何もないなか、好き勝手に暮らさせている馬たちはメロウズが望むときにいつでもやってきた。オールド・ムーンにまたがると、平野の北、昼間に彼が芝生を切りに行こうと考えていた場所に火の手があがっていた。

 インディアンが捕まえた白人を火あぶりにしているのかと思ったが、近づいてみると、メロウズは奇妙な記念碑にも乗り物にも見えるものが地面に突き刺さり、火の手だと思っていたものはその金属らしい材質がオレンジ色のモザイク状に点滅を続けているものだと分かった。


 こんな不思議なものをメロウズはいままで見たことがなかった。

 馬から降り、ライフル片手に不思議な物体に近づいた。高さは二十フィートほどでそれがやや斜めに傾いでいる。鳥の翼を鋳型でつくったようなものが生えていたが、それは一本だけで、左のほうのものは根元からちぎれているようだった。その断面には青い光の象形文字が走った石でできていて、これが機械なのか生き物なのか石碑なのかいよいよ分からなくなってきた。表面は滑らかで切れ目の類はなく、光だけがモザイクの構成を担っていた。


 メロウズはこの謎の物体を撃った。弾は跳ね返り、甲高い風切音の尾を引きながら、星屑に紛れた。弾の当たった場所を手で撫でてみたが、工場から出荷されたばかりの馬車みたいにへこみもかすり傷もなかった。メロウズは短い葉巻をくわえて、マッチを擦り、ちょっと一服すると、ため息をつきながら、ウィンチェスターをムーンの鞍の銃嚢にしまい、代わりにウェストリー・リチャーズ製の八番径のショットガンを取り出した。ボトル・シティの銀行でこれをぶっ放したときは鉄格子の枠ごとピンカートン野郎が吹っ飛んでバラバラになった。だが、八番径の散弾は全てが細かく跳ね返り、メロウズは危うく自分の撃った弾にあばた面にされるところだった。


「まあ、少なくともピンカートンのまわし者じゃなさそうだな」


 メロウズはハンク――彼は謎の物質にそう名前をつけた――を開けるのが至難の金庫のように思えてきた。そういう金庫を開ける手はジェシー・ジェームズ以来ダイナマイトを使うことになっている。メロウズはショットガンを鞍の銃嚢に戻すと、一本のダイナマイトを手にハンクのそばに戻った。葉巻で火をつけ、さあ投げようとする瞬間、メロウズは一世一代のへまをした。アナグマの巣穴につま先を引っかけて転んだのだ。ダイナマイトは目の前に落ち、不良品の導火線がかなりの速度で燃え続けていた。


 彗星の尾のような炎をあげながら炸薬目指して燃え続ける導火線を見て、メロウズは心のなかで毒ついた。くそっ、おれの一生はこんな下らない終わり方をするのか?

 いよいよ火がダイナマイトに点火して、轟音と体をバラバラにする衝撃がメロウズを地獄の底へと吹き飛ばし、彼にかけられた八千ドルは誰の手にも渡らずに終わるのだと思ったそのとき、ダイナマイトが爆発した。


 だが、ダイナマイトは周囲三十メートルのものを吹き飛ばすかわりにリンゴ大の赤い火球となって宙で震えた。まるで広範囲に作用するはずのエネルギーを無理やり閉じ込めているような奇妙な図式は徐々に形を縮めていき、ついに芥子粒ほどの大きさになると、それはそのまま何かに吸い寄せられ、ハンクのなかからあらわれた不思議な少年の持つ不思議な銃のなかに消えた。


 メロウズは咄嗟に横に転がりながら陸軍用のレミントン・リヴォルヴァーを引き抜き、少年の眉間に狙いをつけた。引き金を引いた覚えはなかったが、少年はがっくりと首を落とし、ぶら下がった手から不思議な拳銃が落ちた。

 立ち上がると、ハンクの背側が開いていて、少年はそこに座っていた。顔はうつ伏せにしていて見えないが、銃は手から離れている。その銃を拾ってみたが、どこの国の銃工がつくったのかと頭をひねりたくなるものだった。鉄でできてるわけでも真鍮をつかっているわけでもなく、雷管を使う古いタイプの銃とも金属式の薬莢を使う新しいタイプの銃とも違っていた。銃身は暴発したような形で上下に分かれていて、そのあいだに見たことのない石のようなものがある。八角形に切られていて、先ほどメロウズがへまをして死にかけたあのダイナマイトもここに吸収されたようだ。今は薄く穏やかにオレンジ色の光に染まっていて、ほのかに熱もあった。メロウズはそれをムーンの鞍に入れた(ムーンの鞍袋は何でも入るのだ)。


 少年の頭を銃の先で何度かつつくが、気を失っているらしく目を覚ます気配はなかった。髪はオレンジのモザイク点灯を続けるハンクのせいで分からないが、ひどく薄い色のブロンドのようだ。

 ピンカートンの捜査員にも見えないが、自分の仲間たちに属するタイプの人間にも見えない。

 メロウズは左右を見た。星明りに照らされた鉄青の世界が広がっていて、人影はない。

 メロウズはレミントンの撃鉄を挙げた。そして、撃ち殺す前に一応顔を見ておこうと肩をぐいと、ねじれていた少年の体はハンクのなかの席にぴったり収まり、その顔が見えた。


2.


 少年は翌朝に目覚めた。切り出した芝生を積み重ねてつくったベッドの上で起き上がると、視界がゆれて目の奥の疼痛に呻いた。


「ハロー、サンシャイン」


 アンダーシャツに吊りズボン姿で撃鉄を上げた拳銃を手にメロウズが声をかけると、メロウズがこれまで不意打ちで殺してきた連中と同じ動きをした。つまり、そばにあるはずの自分の銃を探したのだ。


「探し物はこれか?」


 メロウズは銃を叩いた。少年の銃は昨夜、メロウズがちょっと革を切ってつくった簡単なホルスターに入っていた。


「ウェナ! ヘフユーポーロト、ワルニス」

「なに言ってるのか全然分からない。お前、どこの出だ? スペイン語でもないし、コマンチェやアパッチとも違うしな」


 少年は手首につけていた不思議な装置――メロウズはカネになるかもしれんと取り外そうとしたが外せなかった――に二度ほど触れた。すると、空中に見たことのない模様と何かの青図面のようなものがあらわれて、少年が宙に浮かぶ記号に触れると、驚いたことに口から発せられるその言葉は誰にでも分かる普通の英語になっていた。


「銃を返してください」

「今のは何だ?」

「環境適応の補助デバイスです。その銃を返してください」

「まだ、お前に弾の出るものを返していいかどうか決めかねてるんだがな」

「その銃はあなたのものではないでしょう?」

「だから?」

「所有することは不当です」

「いいこと教えてやろう、ハンク」

「ハンク?」

「お前の呼び名」

「僕にはきちんと自分の名前があるのです」

「じゃあ、そいつをきいてみようか」


 少年の顔は少し険しくなったが、環境適応の補助デバイスにはその世界における交渉能力付加の機能もあった。


「ビレネルク・グンネ。マドゥワ宇宙連邦軍(フェデラル・アーミー)、2099戦域方面軍司令部付き特務大尉」

連邦フェデラル? じゃあ、お前は連邦政府のまわし者なのかよ?」

「おそらくあなたの考えている連邦とは違う。もっと大きなものだ。さあ、銃を返してください。こんなところでぐずぐずしているヒマはないんです」

「まあ、落ち着けよ。ハンク」


 だが、腕に巻いたデバイスが光り、その光線がメロウズに当たると、メロウズは驚いて椅子から転がり落ち、うっかり引いた引き金が屋根に四五口径の穴を開けた。


「てめえ、なにしやが――る?」


 メロウズの毒気が抜けたのは当然で少年の手にはたっぷりと琥珀色の液体が入った角瓶が握られていた。


「あなたの頭脳をスキャンさせてもらいました。あなたはいまこれが欲しいようですね。デバイスはこの液体の毒性についていろいろ注意をしてくれますが、でも、この毒が欲しいというのなら差し上げます。ただし、その銃と交換です」


 悪党というのは用心深い生き物だが、ときどき判断にウジウジ悩むくらいなら死ぬ気で飛び込んだほうがマシだと思うことがある。今がそのときだった。

 メロウズは不思議な銃を床に置き、少年にもウィスキー・ボトルを同じように置けと命じた。そして、同時にそれぞれのお宝を滑らせて、メロウズはウィスキーを、少年士官は銃を取り返した。

 早速、蓋を開け、ちょっと煽ると、まるで質のいい葉巻を飲んでいるような素晴らしい芳香で、こういうものはニューヨークのタマニー・ホールの悪徳政治家しか飲めない、そういうウィスキーだった。


「なあ、これ、もっと作れるか?」

「急いでいるんです。すぐに帰還しないと」


 少年はメロウズを無視して外に出た。だが、扉が閉まりきらないうちに少年は戻ってきた。


「ここはどういう土地なんですか?」

「見たまんまだ。なーんにもない」

「リペア・ポイントは?」

「なんだ、そりゃ?」

「第三クラス以上のもののみがアクセスできる機密です。教えることはできません」

「それは秘密だ、でも、どこにあるっておれにきくのか? なかなか間抜けだぜ、それって」

「くっ……」

「まあ、そのリペア・ポイントがあるかどうか分からんが、一番近い町でも五十マイル以上は離れてる。なにがしたいのか知らんが、ここじゃかなわない。あきらめな……って、え?」


 今度出てきたのはヴィクトリア女王の横顔が打ち出されたソヴリン金貨だった。


「お前、金貨も出せるのか?」

「デバイスのこうした利用は許容できるか否かギリギリのところですが、仕方ありません。現地文明の所属体への協力を仰ぐためにあえて使います」

「わかった、わかった。まあ、正直、おれも暇していたところだ。そのリペア・ポイントとやらを一緒に探してやってもいい。ただし、そいつを見つけたら、それと同じものをもう九十九枚もらおうか」

「リペア・ポイントは探索不能。機は独力での修復します。僕をエネルギーが放射される場所へ連れて行ってください」


3.


 機体(ハンク)を修復するには莫大なエネルギーが必要で、そのエネルギーを得られる最も近い場所は南の山脈を不気味に照らす無音の稲妻だった。

 稲妻を吸収するには半径百メートル以内のところに少年の銃を持っていかなければならない。彼の銃は発射するためというよりは吸収するための武器なのだ。

 メロウズは案内人となり、少年にはハニー・ジーンを貸してやった。その手綱さばきは見ていられなかったが、それでも平野を半ばまで横切るころにはコツは飲み込んだようだった、少年はメロウズのシャツとズボン、帽子、それにガンベルトを借りていて、彼がもともとつけていたスーツの上から着こんでいた。

 出発するとき、メロウズが言ったのだ。


「着替えたほうがいいぞ。このあたり、人はいないといっても、たまに通りかかるやつもいる。そういう連中は例外なく銃を持っているし、そういう連中は白人の男の着る服を着ていないやつはみなインディアンとして撃ち殺してもいいと思っている」

「このスーツは脱げません。スーツ自体が体内のナノマシンと連動して、様々な機能を担っているからです」

「ぴっちりしたつくりだなあ。仕立屋に払う生地代ケチったらそんな服をあつらえてもらえるんだろう?」


 山のふもとについたあたりで陽が落ち、メロウズは野営をした。

 矮性の松が生え始めた斜面のそばに涸れた川があり、それは南の山脈の岩肌へと続いていた。闇が全てを閉ざす前、巨礫に囲まれた深くえぐれた白い穴があったので、昔、ここには滝があったのだろう。メロウズが火をつくったのは松の木立からも滝の跡からも見えにくい場所でかすかな土地の隆起で遠くから火は見えないはずだった。

 すでに薄く乾いた木っ端が燃えながらその身をよじり、メスキートの枝が切り口から白い煙を上げ続け、それが流れる炎に変わるころには焚火は立派な野営の主として光の輪の中央に坐した。

 メロウズはフライパンを取り出し火にかけると、小さな玉葱と乾燥トマトを細かく刻んでベーコンと一緒に炒め、トマトがベーコンの脂でしっとりし始めると、少量の水と大量の塩、それに焼いた唐辛子と水煮した豆を加え、とろりとしたチリコンカンを作り出した。

 その隣では少年がウィスキーをつくったのと同じ原理で製造した戦闘糧食(レーション)を食べていた。未来の食べ物は円盤状の容器に入っていて、黄色い煮凝りのようなものが四等分にされてはいっていて、それをスプーンですくっては口に運んだ。


「それ、うまいのか?」

「必要な栄養価を摂取できます」

「つまりマズいんだな」

「……」

「これ、見てくれよ。おれのチリコンカン。こんな土地で暮らしてるとチリコンカンを作るのがうまくなるんだよな。しかも、何度も食べたくなる飽きが来ないチリコンカン」

「……」

「ちょっとやるよ。ほら」


 差し出された皿から少年はチリをすくいとって、パクリと食べる。


「どうだ?」

「まあ、悪くはないです」

「目は口ほどに物を言うってことわざは宇宙にもあるのか?」

「……どうしてもというなら、もう少しもらってあげてもいいですよ。ところで、この料理は何という名前ですか?」

「チリコンカン。略してチリ。こう言っちゃなんだが、お前の国は戦争に負けるんじゃないか? そんなマズそうなもんで士気があがるのかよ?」

「生きて戻れたら、チリを糧食に採用するよう方面軍総司令部に上申します……」

「それがいい」


 その夜、ふたりは毛布をかぶり星空を屋根に眠った。そのとき、少年はメロウズがハンクの名前を何度も呼び、悲し気な声で許してくれと言ったのをきいた。そして、途方もない憎悪とともにキャヴェンディッシュという名を吐き捨てるのもまたきいたのだった。


 次の朝、馬は登りの道を取り、人類がいまだ一度も足を踏み入れたことのない岩棚を刻んだ断崖を左に見ながら、古代の神殿の柱のように荘厳な赤い樹皮の松が何本も立つあいだを進んだ。

 目指す黒雲は山肌に稲妻を転がしていたが、その音はもはや届かぬものではなく、稲光のたびに地面が引き裂け、百人の巨人が鉄板にハンマーを撃ちおろすような轟音が内臓にまで響き、馬は落ち着きをなくしがちになった。


 メロウズは馬の首を叩き、山道を登らせた。山火事が消えたばかりのようになっている高原が広がり、炭と化した松を踏み砕きながら空を呑みつつある黒雲の懐へ進むと、口ひげの先から帯電した空気に向かって火花が散った。


 雨もなく風もなく、ただひたすらに稲妻を落とし、転がし、引き裂き、束ね、地を這う生き物も空を飛ぶ生き物も、そして、ひょっとすればビレネルク・グンネ特務大尉がやってきた異空間までも制圧するようなエネルギーをただ何の目的もなく放射し続けていた。


 神を恐れるものはそこに神の言葉を見出しただろうが、メロウズからすれば、この放電は売ればひと財産の馬の大群を草原に延々と逃がし続けるようなもので、愚かな浪費以外の何物でもなかった。


 黒雲を追ってイエローヘッド湖をまわり、水浸しの遺跡のような峡谷で水を跳ね散らしながら馬を前へと進めた。古代の記憶は陶器の破片や石に刻んだ絵の形で残り、古代の町の広場と思しき場所にはここ十年以内につくられたとみられる祭壇のようなものが見つかった。ボロボロの皮の上に満月のようなしゃれこうべを飾り、生贄の血を受けるための重い石の器や黒曜石をはめ込んだ木の面が無造作に転がっている。

 メロウズは大型拳銃を抜き、祭壇にぴたりと狙いをつけた。撃つとしゃれこうべがくるくるまわりながら、天高く飛び、さらに撃つと、黒い雲を背景にした白い爆発が起き、骨片が死の灰のごとく祭壇に降った。メロウズはエジェクター・ロッドを引いて、空薬莢を取り出し、新しい弾を込めた。


「なぜ撃ったんですか?」

「撃てるかと思ってな。やってみたが、見事撃てた。まさか東部からやってくる説教屋みたいなこと言う気じゃないだろうな?」

「いえ、力の誇示が目的なのですか?」

「運試しだよ。運を信じるか?」

「いいえ」

「まあ、そんな気はしてた。今のおれは運がいい。これが何を意味するか分かるか?」

「あなたがた地球人の思考は予測が難しいです」

「簡単だ。さっきまで運が良かった。だから、明日のおれは運が尽きる。死ぬかもしれんってことだ」

「そのような不確定要素に自身の命を託すのはあまり好ましいこととはいえませんね」

「なあ、ハンク」

「僕はハンクではありません」

「ハンク、人間を殺したことがあるか?」

「あります。僕は軍人ですから」

「おれが言ってるのは、心地よい司令部から誰かにぶっ殺せと命令したとか遠くから狙い撃ったとかじゃない。撃ったそいつの脳みそがこっちにかかるくらいの近距離で、そいつの死に顔がはっきりわかるやり方で殺したことがあるかときいてるんだ」

「……なかったら、なんだと言うんです?」

「運を信じないのは当然だ。それだけだ」


4.


 ついにふたりは断崖に行き着いた。稲光で漂白された崖は垂直に山頂まで伸びていた。メロウズはふもとで待っているから存分に雷を吸い取ってこいといい、毛布を敷いて寝転んだ。


 少年のスーツは手を指先まで覆っていて、その指先をつかむところがない鏡みたいな断崖に吸いつけることができた。彼がそのまま真っ直ぐ上へと登っていくあいだ、雷が何度も破裂して黒雲に亀裂を走らせ、彼のエネルギー銃はチャージの予感に震動を始めた。ときおり光が物質に透明化を強いるときは崖のなかに閉じ込められた太古の動物が生きていたときの姿そのままに浮かび上がることがあった。大きな牙を持つライオンや鎧のような鱗に覆われた巨大な魚、マーシュとコープの『化石戦争』を盛り上げる未発見の巨大肉食恐竜は山頂を目指す途上にあらわれては影だけを残して地中に消えていった。


 山頂に到達すると、その斜面には三百年以上前に死んだスペイン人探検家の骨が赤錆に覆われた鎧のなかでカタカタと音を鳴らしていた。スペイン人の骸骨はあちこちに散らばっていたが、ほとんどの骸骨が他の骸骨の骨をかじっている状態で見つかった。


 少年はエネルギー銃を抜くと、雷が回廊のように立つ黒雲へ向け、トリガーを引いた。ひとつの国と同じくらいの大きさがある雲のなかの全ての雷がうねり、ねじられ、一本のエネルギーとなって、少年へと流れ込んだ。

 その途上で帯電した空気がオーロラのようにたなびきながら誕生の歌を歌い、霊鬼ジンのような雲の波が断崖へ打ち寄せては遠ざかるのを繰り返し、スペイン人たちの鎧が熱のない炎を帯び始めた。

 

 全ての雷が銃に内蔵されたバッテリーに充填されると、標高四千メートルのどこまでも続く青空があらわれ、全ての物事は色を取り戻し、音を取り戻していった。


 崖のふもとで待っていたメロウズが終わったのかとたずね、少年は終わったとこたえた。


「雲がなくなった。来たときと同じようにいなくなるときも急だった」


 その夜、メロウズの家に戻る途中、野営したなか、少年はメロウズにたずねた。


「なぜ、あなたは僕が宇宙に戻る手伝いをしてくれたのですか?」

「手伝いっつったって、道案内しかしてないがな」

「それで、なぜです?」

「そりゃ百人の女王陛下のご尊顔を拝謁したいからに決まってるだろ?」

「あの家に飾ってあった写真、あれは?」


 メロウズはにやりと笑って、焚火に唾を吐いた。


「写真立てだけが倒れたままになっていたので直したんです」

「なるほど。あれはおれの弟だ」

「名前はハンクですね」

「そうだ」

「昨晩ですが、眠っているあなたはハンクに謝ろうとしていました。そして、キャヴェンディッシュという名を憎悪とともにつぶやいた」

「だいぶ前、トゥームストーンの街角にフォン・グラフ博士の寝言抑制剤ってのが売られてて、インチキくせえから買う気もおきなかったが、いまは買っとくべきだったかと思ってる。まあ、いい。教えてやる。1873年、ミズーリ州のセイバートンでおれは十九でハンクは十五だった。バーニーとリルズのフィッシャー兄弟ってワルと組んで、地元の小さな銀行を襲った。だが、賞金稼ぎどもがやってきて、ドンパチが起きた。フィッシャー兄弟は死んで、おれとハンクは捕まった。キャヴェンディッシュはあのときはまだ一介の賞金稼ぎに過ぎなかったが、あのころからクソ野郎だった。殺すならおれを殺すべきだったんだよ。ハンクはおれが無理やり誘ったんだ。だが、キャヴェンディッシュはハンクの頭を撃った。おれは州の刑務所で石切り場に送られて、そこを脱走した。それで西部に流れ着き、気づけば、アウトロー暮らしだ。そして、キャヴェンディッシュ。やつもまた西部にいた。ピンカートン探偵社のバッジをつけてな。やつはおれがムショから逃げると知っていた。わかってたんだ。だから、おれを殺さなかった」

「理由が分からない」

「やつは狩りが好きなんだよ。人間を追い詰めて撃ち殺すのが好きなんだ。逃げるのはうまければうまいほどいい。おれがいたギャング団はキャヴェンディッシュの部下たちとさんざん殺し合いをして、結局、おれが最後に生き残った。今はほとぼりが冷めるまで、あそこで隠れ住んでる。だが、いずれキャヴェンディッシュには引導を渡す。まあ、おれの話はざっとこんなもんだ。写真を見たのなら分かるだろうが、お前はハンクに瓜二つだ。だが、だからって助けたなんて思われても困る。おれはそこまでロマンチックな人間じゃねえからな。まったく、どうしてこんなこと話さなきゃいけないやら。お前の話をきかせろ」

「僕のですか?」

「見たところ十五年くらい生きてるんだから、のろけ話とかなにかあるだろ」

「僕は――生まれたときから兵士として戦うよう育てられました」

「昔のギリシャみたいだな。親は? 反対しなかったのか?」

「僕に親はいません」

「おっと、これはきいちゃいけなかった話か?」

「別に。僕らはみな戦うために生まれ、そして死ぬ。それが当然だと思って戦い、敵を殺し、生きてきました。その生き方を否定するつもりはありません」

「あんなメシ食わされてる時点で相当否定するべきところがあると思うがな」

「そうかもしれませんね。以前からこうやってどこかの星に不時着する兵士はいました。彼らはみな一様に何か新しいものを知り、帰ってきました。それが何か僕には分かりません」

「少なくともお前はうまいチリの味を知って帰ることができる」

「そんなものでしょうか?」

「途方もない自由や戦いのない日々を知るのもいいかもしれないがな、おれに言わせれば、そんなもんはおれのチリひとすくい分の価値もない。男はおんなじチリで百年暮らしても音を上げない強さが必要だ。タフにならないといけない。そうだ。いっそおれも連れてってくれよ。お前らの軍隊とやらに。チリだけじゃない。銃の腕にも自信があるから、軍隊でも大活躍だぜ」

「宇宙における戦争はまったくあなたが考えているものとはまったく違います」

 少年は説明した。宇宙戦艦と人型汎用兵器、光のサーベルと敵を自動で追い続ける兵器、何万光年も離れた場所を瞬時に移動できるワープ理論。

「それくらいどうってことはない。つまり、生きた人間に鉛弾をぶち込むかわりに光の塊をぶち込むってだけの話だ。あ、でも、その変な服着るのはごめんだぜ。着るものは自分で選ばせてもらう。こんな辺境に住んでるからって着るものをおろそかにするほど人間捨ててないからな」

 少年は、ふふっと笑った。

「あ、お前、今笑ったな? 馬鹿にしたな?」

「いえ、笑っていませんよ。馬鹿にもしていません」

「笑っただろ」

「笑ったかもしれません」


5.


 翌朝、平野に戻ったとき、北のほう――少年の宇宙船が落ちたところのそばを砂埃が長い山のように連なっていた。


「あれはなんだろう?」

「……ハンク、家に入れ」

「え?」

「ピンカートンどもがここを嗅ぎつけやがった。いま、お前の船に行けば、十字砲火を食らう」


 芝生小屋(ソッド・ハウス)の戻ると、メロウズはウィンチェスター銃を表のドアのそばに、ショットガンは北向きの窓のそばに立てかけ、二丁のリヴォルヴァーを差したベルトを腰に巻き、さらに弾丸を差したベルトを肩から斜にかけた。


「その銃は人を撃てるか?」

「いえ」


 砂埃のなかから胸に銀のバッジをきらめかせたピンカートン探偵社のガンマンたちが姿をあらわした。その数、二十人。全員がカーキ色のダスターコートを着ているが、ひとりだけ赤いインバネスコートを着ている――それがキャヴェンディッシュだった。


「ビル・メロウズ! なかにいるのは分かってる!」


 キャヴェンディッシュの声が玄関のほうからきこえてくる。

 ドアを少しだけ開き、見た。キャヴェンディッシュは馬にまたがり、そのまわりにはライフルを持ったピンカートンが十二人、馬を降りて膝撃ちの姿勢でこちらを狙っていた。


「キャヴェンディッシュ! 久しぶりだな! 横にいるのはゴードンか? おい、ゴードン! 弟は気の毒だったな!」

「くたばっちまえ、メロウズ!」


 キャヴェンディッシュは手でゴードンを制した。


「両手をあげて出てこい。そうすれば、公正な裁判を受けさせることを約束しよう」

「泣けるね。おれにそこまでしてくれるってか? だが、あいにくさま。こっちには人質がいる!」


 メロウズは少年のほうを向いてウインクした。


「おい、メロウズ。そういった面倒は避けよう。人質を外に出せ。そうすれば、なぶり殺しだけはしないでおいてやる」

「よし、いいだろう。そっちが人質にビビってろくに撃ってこないんじゃ面白くもなんともないからな」


 メロウズは這ってドアの反対側に行き、外に姿をさらさないようにドアを引き開けた。


「行け。お前が安全なところまで行ったら、撃ちまくる。そのどさくさに紛れて、お前は自分の船のところにいって、とっとと修理して逃げるんだ」

「でも、あなたは――」

「死にやしねえよ。こんなことどうってことはない。しょっちゅうあることだ。それにあのキャヴェンディッシュがいる。こんな機会はめったにない――おい、キャヴェンディッシュ! いまから人質を外に出す! おれの気遣いに感謝しろ!」


 キャヴェンディッシュは笑いながら山高帽の縁に指をやった。


「じゃあな、達者で帰れ」

「……あなたも」


 少年がドアから姿を見せる。

 キャヴェンディッシュは銃を構える部下たちに撃つんじゃないと命令した。


 少年が一歩、また一歩と芝生小屋(ソッド・ハウス)のドアから遠ざかる。

 キャヴェンディッシュを見た。

 髭のないつるつるした顎と血色のいい頬を持ち、がっしりとした体つきの小男だ。金時計を垂らした背広の上に赤いインバネスコートを羽織り、ツバの狭い山高帽のリボンには黒い糸で縫いつけた二十七個の×があった。


「さあ、もう大丈夫です。こっちに来てください」


 何か違和感を覚える。

 かすかだが、この男からは外宇宙との接触をした気配が感じられた。


 それに気づき、メロウズのほうをふり返ろうとした直前、キャヴェンディッシュの副官で弟が気の毒なことになったゴードンが二連式のショットガンを持ち上げ、少年の胸へまっすぐ狙いをつけ、引き金を絞った。


 轟音がしたが、倒れたのはゴードンのほうだった。

 こめかみからどす黒い血がふいごで煽っているように吹き出し、たちまち大きな血だまりのなかに横たわる。


「罠だ! 戻れ!」


 メロウズがそう叫ぶ前から少年は芝生小屋(ソッド・ハウス)のドアへ身を低くして走っていた。


 キャヴェンディッシュがスペンサー銃を取り出したが、メロウズが放った四四・四〇弾が馬の首にめり込み、キャヴェンディッシュは鞍から放り出された。


 少年が家に飛び込むと同時に一斉射撃を浴び、芝生小屋(ソッド・ハウス)は穴だらけになり土埃が充満した。


「キャヴェンディッシュ! 今のは悪手だったな! これでピンカートンからの恩給も退職金もパアだ!」

「そんなもんは社長のケツにねじこんでやるさ。メロウズ、手を組まないか? そのガキを連れてこい」

「てめえ、ついにとうとう頭がいかれたのか!」

「そいつは空から降ってきた宇宙人だ。そうだろ? おれのもとにも来たんだよ。そいつが言うには、そのガキを殺したら、この世界をすべておれのものにするそうだ。もっともそいつはそのガキにやられて、幽霊みたいなもんでしかいられなかったが、おれにビジョンを見せるくらいの力は残ってた。わかるか、メロウズ? 本物の力だ。この星にあるもの全て、過去も現在も未来も、全てがおれのものになる。お前も仲間に入れてやる。だから、そのガキを渡せ」


 返事のかわりにメロウズは壁に開いた穴から一発撃ち返した。


「メロウズ。弟を殺したことをまだ根に持っているのか? さっきも言っただろう? 過去も現在も未来も、おれたちのものだ。弟だって蘇る。どうだ? これ以上の条件はないだろうが」


 メロウズは少年のほうを見た。

 死んだ弟に瓜二つの宇宙軍の特務大尉を。

 昨日今日知ったなかの宇宙人を。


「キャヴェンディッシュ。お前の言った条件は確かに魅力的だな。カネも女も何でも手に入る。いや、カネなんてもう必要なくなるかもな。世界か。実にいい。それにハンクも蘇る。こんなそっくりさんよりもそっちのほうがずっといい。だがな――」


 ぐるっと体を反転して、少年へ銃を向け、引き金を絞る。


 弾はしゃがんだ少年の上を飛びぬけ、裏窓から入ろうとしていたピンカートンのガンマンの眉間を貫いた。


「てめえのその趣味の悪いインバネスが気にいらねえんだよ!」


 ドアを足で蹴飛ばして閉める。


 再び銃弾の嵐が芝生小屋(ソッド・ハウス)を叩きまくる。腹ばいになって地面に近いブロックを引き抜くと、ライフルを腰だめに構え、中腰でやってくるピンカートンを狙い撃つ。

 一人、二人、三人とメロウズの狙い澄ました一撃を食らって地に倒れ伏していく。


 鼻先に土が塊で落ちてくる。

 ライフルを捨てて、裏窓のそばのショットガンに飛びつくと、天井目がけて二発撃った。


 崩れた天井と一緒にガンマンがひとり落ちてくる。

 ショットガンの銃床を叩きつけて、その頭蓋を割る。


 愛用のライフルが飛んできたので、それを受け取る。


「再装填しました!」

「よし!」


 ピンカートンはもう数人が体の一部を吹き飛ばされて倒れていたが、頭数が多かった。

 包囲の輪は狭まって、銃撃はますます激しくなってきている。


 ウィンチェスターの弾はあと二発。

 ショットガンは跳弾が当たって引き金が二つとも折れて、使い物にならない。


 あとは二丁のレミントン・リヴォルヴァーとボウイナイフだけ。


「いいですか?」

「なんだ?」

「報酬のことで」

「いまそれどころじゃ――」

「もう金貨をつくることはできないのです」

「あ?」

「リソースはあれが最後でした。もう、このデバイスに何かを製造する力はありません」


 メロウズはあちゃあと頭を叩いた。


「騙すようなことをしてしまいました。申し訳――」

「おれは馬鹿だ! お前にガトリング砲を作ってもらえばよかったんだ! そうすりゃピンカートンなんざ物の数じゃねえ。なんで、もっとはやく気づかなかったかなあ。自分の頭を撃ちたくなる」

「どのみち作ることはできませんでした」

「そうか。……ビレネルク」

「僕はハンクじゃ――え?」

「今、裏の窓にいるのは三人。だから窓の外から飛び出せ。おれが馬を呼ぶから馬が来たら、ムーンでもジーンでも構わん、乗っかって、お前の船まで突っ走れ」

「僕も――」

「残ります、とか言うなよ。足手まといだ。おれひとりなら切り抜けられるが、お前がいたら無理だ。というわけで、お互いお名残り惜しいが――」


 弾がヒューンと甲高い音を鳴らし、ふたりは頭を下げた。


「――お別れだ。こういうとき、お前らの言葉ではなんて言うんだ」

「……ルール・ヴェインゼレン」

「ルール・ヴェインゼレン。あってるか?」

「ひどい訛り」

「ぬかせ」


 ヒューン。頭を下げる。

 お互いを見合わせて、笑い、それが別れになった。


 少年は窓から飛び出すと、メロウズの指笛に呼び出されたジーンにまたがり、オールド・ムーンと一緒に北へと駆けていった。


 かなり手間取って、撃たれるのではないかとハラハラしたが、ピンカートンたちの銃の腕は情けないほどみじめなものだった。人を背中から撃ったり、丸腰のストライキに銃を撃って、メダルをもらうやつらしい見当違いの銃弾。ウィンチェスターに残った最後の二発でふたりを刈り取り、リヴォルヴァーで最後のひとりを撃ち倒す。


 そのとき、正面のドアを蹴破ったピンカートンがピンカートンらしくメロウズの背中に三発浴びせた。激痛に身をよじらせながら、振り向きざまに撃った弾はガンマンの目の下に入って、後頭部に大きな花のような穴を開けた。


 そこで目が光を浴びたように眩んで、何かを手放しそうになった。それが何なのか分からないが、それを持っているのはひどくしんどかった。それを手放せば、体は羽根のように軽くなり、楽しくて楽しくて仕方なくなるとなぜか分かっていたから、はやくそれを手放して空を飛ぼうと思った。


 だが、手放せない理由がなにかあった。大切な理由でそれをいま手放すわけにはいかなかった。


 目を眩ませた光が徐々に戻る。

 ボストン風に革を切った靴の先が見えた。それは血がごぼごぼと泡立つ自分の胸の上に乗せられていた。ああ、おれは踏まれてるのかと気づいたが、見れば、キャヴェンディッシュが見下ろしてきている。

 ピンカートンたちも全員そろっているらしい。


「もてなしてやりたいところだが、コーヒーを切らしててな」

「気にするな、メロウズ」


 皮肉っぽく笑ってやろうとしたら、胸を踏む足に体重がかかり、口のなかで血があふれた。

 激しく咳き込み、ようやく息が細くつながった。


 最後に見るものがキャヴェンディッシュの顔では死んでも死にきれないなと思い、ショットガンで開けた天井の大きな穴を見た。深く青い空。おれは死んだら、あそこの穴を通って空へ行くのか。それともこのままクソ野郎に踏まれたまま地面にめり込み地獄に行くのか。地獄に落ちるのは間違いないが、キャヴェンディッシュが八千ドルを手にすると思うと、いや、それ以上のものを手にすると思うと――。


 轟音とともに空が溶鉱炉みたいに輝き、続いてやってきた地響きで穴だらけの芝生小屋(ソッド・ハウス)が揺れた。壁が滑って、その後に天井がついてくるような危険な揺れ方だった。

 その場にいた全員が天井に開いた穴を見上げていた。


 メロウズは腰の後ろに差してあったボウイナイフを引き抜くと、キャヴェンディッシュの脛に突き刺し、痺れた手で筋と逆の方向にねじった。


 キャヴェンディッシュが叫びながら倒れ、胸を押さえつけていた足が退く。

 よろめきながら立ち上がるメロウズの背に何発も弾が浴びせられたが、それはそのまま勢いになり、メロウズの体は芝生小屋(ソッド・ハウス)の南東端へ肩から突っ込んだ。

 気づけばメロウズの体は外に飛び出し、投げ出されたカーペットバッグのように転がった。


 限度をむかえた芝生小屋(ソッド・ハウス)はメロウズが壁をぶちぬいて、ついにとうとう崩れた。

 壁が斜めに傾いで、キャヴェンディッシュと部下たちは断末魔の叫びをあげながら、芝生のブロックでつくった屋根の下敷きになった。


 出血で雪のように白くなったメロウズは過去と現在と未来を一度に認識しながら、濃く眩い白い雲を引きながらそらを昇っていく船を見た。


「我が弟ながら誇らしい」


 メロウズの広がった瞳孔のなかで船は雲の王国の銀の王冠のように輝いた。






 巡行戦艦〈ジュメトウス〉の人工AIであるトヌク大佐のサーバー・ルームへビレネルク・グンネ特務大尉が入室すると、消費ユニットの検査と交換を担う液状金属生命体が一時的に動きを止めて、また作業を再開した。

「特務大尉ビレネルク・グンネであります」

 立体投影装置上に女性士官の姿が浮かび上がる。

「ご苦労だった。大尉。貴官のもたらした情報により、我々は壊滅的な打撃を受けることを避けることができた。じきに昇進の知らせが来る。さらに励んでくれ」

「はっ」

「それで上申があるときいたが」

「はっ。我が軍の士気を戦闘糧食の観点から向上させるべく作成した資料があります」

「わたしのサーバーにアップデートしろ」

 少年はメディアを液状金属生命体に渡す。

 無法者ガンマンの特製チリコンカンのレシピが。

 もしまた会うことができたら、いかにこのチリコンカンが我が軍の兵士にとって人気のある食べ物になったということを自慢しよう。

 ルール(友よ。)ヴェインゼレン!(また会おう!)

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[良い点] 男の男による男のための西部SF(´;ω;`) メロウズの最期が、悲しくて潔くてカッコいいです……!  チリコンカン、宇宙で流行ってるぜ、メロウズ!!
[良い点]  漢気と火薬と土の匂いのする物語、堪能いたしました。中南米や北米の中西部には詳しくないので、ふえ~んとなりながら、冒険を追っかけていました。  ビレネルク大尉もウイスキーをあおるようになる…
[一言] むうこれはッ!ハイブリッドです星雲賞とかじゃないの?最初から文章は走っているのでしたが素晴らしい見晴らしさあ☆どこへでもお行きなさいてな心持ちになるのが2~3ぐらいで(驚くのと会話が入ってき…
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