和葉・その4
『和葉さぁん、明日お昼一緒しない?』
他支社の同僚である鳥羽ちゃん――鳥羽壱果から、そんなメッセージを受け取った。ちょうど明日は仕事の都合で、同じく同僚である安西知花と一緒にこっちの支社近くまで来るのだという。
わたしと鳥羽ちゃん、そして安西は入社時期がちょうど同じで、研修生時代から仲良くしている。
わたしだけ違う支社への配属になったものの、三人で集まることはプライベートでも実は結構多い。家自体はそう遠くないので、月に一、二回くらいは食事へ行ったり一緒に服を買いに出かけたりするのだ。
三人で過ごすのは、共通の話題もあるし楽しくて好きだ。
それに――わたしたちは、互いの秘密も知っている。
そんな旧知の仲である同僚からの誘いを断る理由もないので、わたしは『いいよ』という了承の言葉とともに、何時ごろにどこで合流するか約束を取り付けた。
「明日、鳥羽ちゃんたちと一緒にご飯行くんです」
喫煙室で携帯片手に中主任へその旨を報告すると、
「よかったじゃん」
と無表情をほんの少しだけ緩めてくれた。
「明日確か、午前中は外出の用事あったよな? ついでだしちょっと長めに休憩取ってきな」
「いいんですか? ありがとうございます」
へにゃり、と笑ってみせれば、やさしく笑って頭を撫でてくれた。
中主任に抱かれるのも嫌いじゃないけれど、何よりその大きな手で撫でてもらえるのが好きだった。ソファの上でとろとろとまどろみながら、寝転がるわたしの髪を梳いてもらう、この時間がお気に入りだ。
たまに、利津にも同じことをしてもらうことがある。
ぎこちない利津の手つきもそれはそれで愛おしいのだが、やっぱり余裕のある手慣れた中主任の手つきがわたしは好きだ。利津には、どっちかというとわたしが膝枕して頭を撫でてやる方がしっくりくる。
利津を甘やかしてやる時間も、それはそれで好きだ。
けれどわたしは――少し、依存が過ぎるところのあるわたしは。程よく甘やかしてくれる、中主任との時間も大切で。
奥さんには悪いと思っているし、こんな時間が長く続くわけもないって分かってるんだけれど。
それでも今のところはまだ、なかなか手放してあげられそうにない。
「……そろそろ帰るか」
わたしの腕時計を一瞥し、中主任が言う。
わたしは中主任に手を引っ張られて起き上がると、名残惜しく思いながらもそっと中主任から離れ、脱ぎ散らかされた自分の服を手に取った。
◆◆◆
「――まぁそれはそれは、昨日もお楽しみだったわけだ」
くすくす笑いながら、鳥羽ちゃんがわたしに言った。その横で同意するように、安西もうなずく。
「和葉ってすました顔してるのに、結構やることはえげつないよね」
だってそれって不倫だもんねぇ、と安西はあっさり宣う。彼女のこういうさっぱりしたところは周りに嫌われる所以でもあるのだが、わたしは彼女のこの物言いをわりかし気に入っていた。
「でも安西、あんたには言われたくないかなぁ」
ふふ、と笑って言い返してやる。
「元彼は親との同居が嫌だからって理由で婚約破棄、その前の彼氏は……? 何だっけ」
「『三週間連絡取れなかったから』っていうたったそれだけの理由で、一方的に自然消滅宣言、でしょ」
鳥羽ちゃんとともに彼女のぶっ飛んだ恋愛遍歴を暴露してやれば、ここは昼下がりのファミレスという公共の場であるにもかかわらず、安西はけろっとした顔で
「だってぇ、耐えられないじゃん。親との同居も、三週間連絡ないのも、あたし絶対無理ぃ」
と可愛らしく首を傾げてみせた。
「でも私も、三週間連絡取れないのは無理かな」
「でしょお?」
鳥羽ちゃんは同意しているが、わたしには正直よくわからない世界だ。
「けどおかげで今の彼氏と出逢えたわけだし、結果オーライ的な?」
「次はいつまで持つかなぁ」
「大丈夫だもん!」
もう三ヶ月続いてんだからね、と胸を張っているが、多分そのくらいは当たり前なんだろうな……。
「まぁ安西先生はね、なんてったってわが社の営業のエースだから」
「今の彼も、契約取ったらもうサヨナラなんでしょ」
「知ってるぅ。今までもそうだったし」
「今の彼には営業しないもん! ……多分」
そんなことを言いながら、ランチは順調に盛り上がる。
「ところで鳥羽ちゃんはどうなの? 彼氏とは相変わらず?」
それまでおとなしくランチを食べていた鳥羽ちゃんが、ほんの少し気まずげに手を止めた。
「あー、それね……」
「聞いてくれました! 何と壱果ね、ついに……」
鳥羽ちゃん本人よりも、何故か安西が嬉しそうに報告してくる。
「あのクズ彼氏と別れる決意がついたらしい!」
「そうなの!?」
びっくりして鳥羽ちゃんの方を見れば、気弱に笑って
「そうなんだ、実は」
と言った。
鳥羽ちゃんは同い年の彼氏と長いこと続いており同棲までしているが、この彼氏――しかも彼女の元ストーカーだったりする、何故付き合ったのか自体謎だ――が結構やばい。
束縛激しいだのパチンコ好きだの、周りから借金重ねてるだの、クズ街道をまっしぐらに駆け抜けているような奴で、同僚総出で『別れろ』の大合唱だったのだが、それでも別れることなく続いていた。
「何でまた、このタイミングで」
「こないだ家からさ、消費者金融のレシートが何枚か出てきて」
「え、やば」
「私とか友達とかから借金してるだけならまだしも、そういうとこにまで手出してるって分かって……しかもまだパチンコやめてないし……なんかもう、急にプツッてきちゃって」
ちょっと三ヶ月前くらいから一人暮らし用の部屋探してたんだ、と彼女は疲れた表情で言った。
「そうなんだ……」
「安西が結構協力してくれてるし、助かってる。和葉さんにももしかしたら何かヘルプ頼むかもだけど、その時はよろしくね」
「もちろん、協力するよ」
うなずきながら、正直どきどきしていた。
当事者である鳥羽ちゃんには申し訳ないが、そういう修羅場は客観的に見て結構大好きなのだ。これだから恋愛沙汰は面白いと思う。
……自分は、できないけれど。
いや、まともな恋愛ができないからこそ、か。
話し足りないのでまた夜に居酒屋で、と新たな約束を取り付けて、わたしは二人と別れて会社に戻った。
「さっき昼休み、久しぶりに中主任の奥さんが来てたよ」
喫煙室で一服してからオフィスに戻ると、集まっていた同僚の一人が少しニヤつきながらそんなことを報告してきた。
内心動揺しつつ、「そうなんだ」とうなずく。
「結構若くて美人さんだった」
「歳は確か……二十五って言ってたっけ。中主任より結構歳離れてるよねぇ」
「高峰より一個下?」
話を振られて、首を横に振る。
「ううん。わたしは同期達より一つ年上だから、今年で二十七なの」
「あぁ、そっか。じゃあ奥さんよりは二個上だ」
「そうなるね」
わたしは訳あって、高校を卒業するのが一年遅れている。だから同期達――それこそ鳥羽ちゃんや安西より、一つ年上なのだった。
それを引け目に感じたことは、何度もある。
今もそんなことおくびにも出さないが、本当は奥さんの年齢の話になって、少しだけ焦っているし気まずい。
「急いでたらしくてすぐに帰っちゃったけど、高峰にも会わせたかったなぁ」
「そうそう、ちょっと残念だったよね――……」
「ちょ、ちょっとトイレ行ってくる」
本当はわたしに聞かせたい話だったんだろうけど、この場所に居たくなくて、慌てて言い訳しながらその場を離れた。
なんとなくその話を、もうこれ以上聞きたくなかったのだ。