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間違えた紫陽花  作者:
19/21

佳苗・その10

「遅かったね」

 高峰さんの結婚式前日、久しぶりに日をまたいで帰ってきた悠真に尋ねると、特に何事もないかのように

「残業してた」

 と返ってきた。

「ほら、高峰が明日結婚式でそのまま新婚旅行行くだろ? それでしばらく来ないからさ……ある程度、あいつの仕事を片付けとかないといけなくて。手伝ってたの」

「そうなんだ」

 もう高峰さんの名前を出されても、以前みたいにはさほど動揺しなくなった自分がいる。

 だって明日は高峰さんの結婚式。彼女は別の人のものになるのだから、わたしだって不安なく存分に悠真を自分だけのものと言い切れる。

 今までの不安は、何だったのだろうと思ってしまうほどに。

「じゃあ、寝るか」

「うん」

 揃って寝室に入り、同じベッドに入る。

 お休み、といつもの大きな手が頭を撫でてくれて――普段からの疲れもあったのだろう、わたしは心地よさにすぐ眠たくなってしまって、うとうとと目を閉じた。


    ◆◆◆


 そして翌日。

 高峰さんの結婚式には、二月にあった友人の結婚式のためにおろしたグレイッシュピンクのドレスを着て行った。ダークグレーのスーツに身を包んだ悠真と揃える形で、落ち着きがありつつ可愛らしいピンク。我ながらこれはかなりのお気に入りで、なかなか似合っていると思う。

 尚哉は明るいグレーを基調としたジャケットに、ハーフサイズのスラックスで揃えてもらった。首にはストライプの蝶ネクタイを付けて、ちょっとだけ大人っぽく。

「お兄ちゃんっぽい?」

 妹であるいづみを連れているからか、しきりにわたしや悠真だけでなく、義母たちにまで無邪気に尋ねる尚哉を、わたし達は微笑ましく眺めながら時間になるまで待っていた。


 結婚式自体は神前タイプのもので、十二単に身を包んだ高峰さんと袴姿の彼氏さん――もとい、旦那さんを中心に、会場全体が厳かな雰囲気に包まれる中、粛々と執り行われた。

 和楽器のゆったりした演奏の中で、何と言っているのかは分からなかったけれど、古めかしい台詞――祝詞といって、神父さんが言う誓いの言葉のようなものらしい――を神主さんが読み上げ、三々九度……だったか、二人が日本酒の入った杯を何度か傾けた後に飲むという儀式が行われる。

 いづみはまだ赤ん坊のため式中は預かってもらっていたものの、尚哉が飽きて騒ぎ出さないか少し不安だった。けれどそんな心配も杞憂で、幼心に何か思うところがあるのか、それともただ単に見惚れているだけなのか、ずっと高峰さんが着ている色鮮やかな十二単の方をじぃっと見つめておとなしくしていた。

 悠真は……相変わらず、何を考えているのか分からなかった。

 部下の結婚式に呼ばれて淡々と参加している、ただの上司。事実そうなのだけれど、その心の中では何を思っているのか、そこまでの踏み込みをさせてくれない。

 そういう人だと分かってはいたけれど、やっぱり寂しかった。


 披露宴は厳かな雰囲気から一転して、明るい雰囲気のパーティー調。

 旦那さんは白いタキシードで、高峰さん自身は明るいグリーンのパーティードレスに身を包んでいた。

 会場全体は新郎新婦二人の共通の好みであるらしいアンティーク調でまとめられていて、所々にはアリスをモチーフとしたキャラクターや文様が散りばめられている。

 わたし自身の結婚式や、二月に出席した友人の結婚式ともまた違った雰囲気が楽しめて、にぎやかで楽しかった。

 余興の時間は、尚哉もはしゃいでいる。広い会場なので、ある程度走り回っても大丈夫だが、時折注意して見ていないといけないので大変だ。

 高峰さんのことをショッピングモールで会ったお姉ちゃんだと覚えているらしく、とてとてと高砂の方へ行って

「お姉ちゃん、きれい!」

「あら、ありがとう。尚哉くんもばっちり決まってるね」

「ほんと? かっこいい?」

 などと、高峰さんと嬉しそうに話していた。

「和葉お姉ちゃんにほめてもらった!」

 屈託なく笑う尚哉の頭を大きく撫でて、

「じゃ、俺もそろそろお祝い言ってこないとな」

 どこか楽しげに笑った悠真は、高峰さんに手を振りながら高砂へと歩いていく。そんな後ろ姿に、ぐっとこぶしを握り締めた。


 分かっていた。本当は、悠真が元々わたしを好きになって結婚してくれたわけではないことを。

 酒の勢いとはいえ、わたしが未成年であるうちに手を出してしまった、その罪滅ぼしとして一緒にいてくれているだけなんだってことを。

 それでも今はちゃんと、本当に愛してくれているって。

 わたしや子供たちのことを、心から大事に思ってくれているって。

 ……信じたかっただけなのかもしれない。そうであって、欲しかっただけなのかもしれない。

 でも、それでも構わなかった。一緒に居られれば、わたしだけの悠真でいてくれるのであれば、それだけでよかった。

 本当は今でも、わたしに隠れて煙草を吸っているのだとしても。

 心の片隅に存在しているのが、わたしじゃなくて高峰さんなのだとしても。


 ――全て、今となってはもうどうでもいいことだ。

 悠真の様子がどこかおかしいような気がしていたことも、高峰さんに対してあんなにも強く抱いていたはずの、嫉妬のような焦りのような感情も。


 だって今、悠真はここにいる。

 わたしの夫として、そして尚哉といづみの父親として。変わらない顔で、今でもずっと、彼はわたしの隣にいてくれる。

 わたしは高峰さんや、ほかの女性たちとは一線を画している。

 わたしは彼の妻だ。妻という、確固たる地位がある。

 だから今後も、それ以上の詮索はしない。

 きっとこれからも悠真は遅く帰ってくるのだろうし、わたしに隠れて煙草を吸ったり、高峰さんと会ったりするのかもしれないけれど。

 ――今更証拠を掴んで、どうこうしようというつもりはなかった。


「ほら、佳苗もおいで」

 せっかく招待してくれたんだし挨拶しないと、と悠真がわたしのところへ戻ってきて、微笑みながら手を伸ばしてくる。

「うん」

 今度は躊躇いなくその手を取って、わたしはしっかりと立ち上がった。


「いつも主人がお世話になってます。中悠真の妻、佳苗です」

 愚鈍だと思われて構わない。哀れな妻だと、思われたっていい。

「本日は、誠におめでとうございます」


 だってわたしにとっては、今のこの状況だけが事実なのであって。

 それだけがわたしにとっての確かな幸せなのだと、そう感じているのだから。

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