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間違えた紫陽花  作者:
18/21

和葉・その9

 全員に招待状を出し終わり、結婚式の準備もある程度進んできた。

 最近は休みのたびに式場へ足を運び、利津やプランナーさんと込み入った話をする方が多くなって、中主任のことを気にする暇がほとんどない。そもそも何かしら気にする方がおかしいのであって、これが普通だと言われてしまったらそれまでなのだけれど。

 出産祝いは、ちょっと遅れたけれどちゃんとあげた。

 ただ、子供の名前はどうしたんだろうとか、男の子と女の子どっちだったんだろうとか、そういえばそこまで聞いてなかった気がする。……というか、話す機会がなかった。

 そんなことを思っていたところで、忘れた頃と言うべきか、中主任から内祝いをもらった。

「俺も忘れてたし」

 お互い様だな、と笑う彼に内祝いの包みを受け取って、せっかくだからと家に帰って開けてみる。中身は普通に洋菓子の詰め合わせだったが、『命名 いづみ』と書かれた小さなカードが入っていた。

「いづみちゃん、かぁ」

「可愛い名前だね。ちょっと、古めかしくて」

 一緒に箱を開けて中身を見た利津が、僅かに明るい声を上げる。思わず表情を曇らせたわたしに気づいたのか、慌てて口を噤んだ。

「まぁ、いいけど」

 他人様の子供だしね、と小さく吐き捨てる。別に嫌味とかではなかったけれど、利津は少し気にしたようで、「ごめんね」と謝られた。

「大丈夫だよ。……気にしてないから」

 そうだ、今更気にすることじゃない。

 けれど子供の話題が出るたびに、申し訳なさそうな顔をする利津のことが、わたしは少しだけ嫌だった。


 利津が、いつかわたし以外の女性と子供を作る日が来ても、わたしは構わない。……気にしては、いけない。

 どれだけ綺麗ごとを並べても、自分の子供が欲しいと思うのは当然のことなのだし。わたしには、それを叶えてあげることができない。

 利津がいつか他の女性に走っても、わたしには止める権利がないのだ。

 ……それに、お互い様だし。


「ごめん、ちょっと煙草吸ってくる」

 普段、こうやってわたしが利津にあからさまな喫煙タイムを申し出ることはない。利津が嫌な顔をするのが、分かっているから。

 利津は案の定、眉をひそめて「……うん」と渋々うなずいた。


    ◆◆◆


 そうこうしているうちに年が明け、結婚式の日取りも近づいてきた。

 結婚式と入籍の日は五月の大安吉日。ジューンブライドだとかそういうのを気にするのであれば六月にする方がいいんだろうけれど、あいにくここは日本である。六月は湿っぽいし十中八九雨なので嫌だ。

 何故五月にしたのかと言えば、別に理由なんてなかった。強いて言えば、空いている日付でちょうどいいところがその日だったから、とかそんな感じである。

 でもまぁ、何でもない日でも記念日になれば特別なんだから、それはそれでいいんじゃなかろうか……なんてよくわからないことを考えてみる。


 最近は少し、周りを気にする余裕が出てきた。

 中主任は二人目の子供が生まれてから早めに帰ることが増えたらしい。いいパパしてるんだろうな……と思うのだけれど、その実わたしがそもそも先に帰っちゃうから、『残業』の理由がさほどないのかもしれない。

 そういえば結婚が決まってから半年以上、中主任とそういうことをしていないな、と気づいた。

 利津とは月に一回、するかしないか。子供を作れないので特別する理由がない、というのもあるけれど、そもそも利津自身がそういうことに淡白な方で、一緒にいるだけで満足するような超草食系なのだ。

 だからといってわたしからも、求めたりはしなかった。

 利津との行為が気持ちよくないわけじゃない。ただなんとなく、利津とするのは違うかな、と……理由は、分からないけれど。


 ――そして、時は流れて。

 その日、わたしは久しぶりに残業をしていた。

 明日が結婚式で、明後日からは新婚旅行に出かける。しばらく会社に来ないので、ある程度自分の仕事を片づけておかなければならない。

「……まぁ、こんなところかな」

 あとは他の人に引き継がなければいけない内容に関してはメモを残しておくだけ、というところまできた。先にタイムカードを押し、少し煙草を吸ってこようと喫煙室へ向かう。

 利津にはあらかじめ、今日は遅くなると言ってあった。

 結婚式前日に一緒にいられないのは残念かもしれないが、どうせ明日からしばらくの間は嫌でも一緒にいるのだし、これから夫婦なのだから少しくらい構わないだろう。

 今の時刻は十時前。十時半くらいまでには帰れるだろう、と考えながら、携帯を開いて利津にメッセージを送ろうとする。

 そこで背後から、ガチャリ、と喫煙室のドアが開く音がした。

 ――こんな時間に、わたし以外誰かいるとしたら。

「中主任……」

 お疲れ様です、と声を掛けると、少しうつむきがちだった中主任は顔を上げて、小さく「お疲れ」と返事してくれた。

「お煙草ですか」

「あぁ」

 わたしが持っていた煙草の箱とライターを差し出すと、箱の中から一本取ってライターで手慣れたように火を点けた。

 煙をくゆらせる中主任の姿を見ながら、ちらりと窓へ目をやる。

 まだ五月なので、窓の外の紫陽花はやっと蕾がついたというくらいのところだ。なんとなく、中主任とする時はいつもあの場所が目に入っているはずだが、春夏秋冬問わずずっと満開の花が咲いているような気がしていたので、改めてまじまじと見ると季節の流れを感じる。

 わたしが彼に初めてを捧げた日は、確か六月頃だった。そのままのイメージがわたしの中で定着しているのだろう。

 傍から見れば、きっと不毛なことを何度も繰り返してきた。

 けれど、わたしは……。

 ふぅ、と深く煙を吸い込み、吐き出す。そろそろ帰ろうか、と煙草をもみ消したところで、こちらを見ていたらしい中主任と目が合った。

「明日だっけ?」

 それまで無言だったのに、いきなり話しかけられて――多分、結婚式の話だろう――どきっとしながら「はい」と返事をする。

「式自体は十二時からで、披露宴が十三時からだよな」

「そうです。奥さんやお子さん達も来ていただけるんです?」

「まぁな」

「楽しみです」

 よろしくお願いしますね、と小さく首を傾げてみせれば、中主任は僅かに表情を曇らせた……ような気がした。


「……なぁ」

「はい」

 そのまま中主任は黙ってしまった。

 手に持っていたまだ長めの煙草を躊躇なくもみ消し、出て行こうとした……かと思うと、ドアの前で立ち止まって、こちらを未練がましげに振り返る。

 互いに言葉がないまま、しばらく見つめ合った。

 それだけなのにだんだん身体が熱くなってきて、全身から何とも言えない気持ちがこみあげてくる。


 わたしももう、結婚するのだから。

 きっぱりと、未練なく。こんな関係、すぐにでも終わらせなきゃいけないはずだった。その、つもりだった。

 中主任だって、二人目のお子さんが生まれたばかりなのだから。今までみたいな馬鹿げたことしてないで、今度こそ家庭を一番に大事にしないといけないはずなのに。

 そんな目で見られてしまったら、逸らせなくなってしまったら。

 ――もう、駄目だった。


 コツコツコツ、と自分の靴の音が喫煙室の床から響く。

 わたしが中主任へと全身でぶつかっていくように抱き着いたのと、わたしの身体を受け止めた中主任がカチャリとドアの鍵を閉めたのは、ほぼ同時だった。

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