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間違えた紫陽花  作者:
12/21

和葉・その6

 これからお昼ご飯を食べるという中主任とご家族に別れを告げ、歩きながらわたしは大きく溜息を吐いた。

 よかったら一緒にどうかしら、と奥さんに誘われたけれど、あいにくわたしたちは一足先に昼食を済ませてしまっていたのだ。それに、せっかく家族水入らずでのお出かけなのだ、こっちが水を差すわけにもいかなかった。

「あー……焦ったぁ……」

 中主任の前だったので気が抜けてしまい、ついいつもの調子で喋ってしまった。危うくあの場で、中主任が煙草を吸っていることをバラしてしまうところだった。

 各方面に色々と、隠し事をしている――もちろん、奥さんに対する煙草のことも含めて。わたしたちは元々、そういう関係だ。口が滑ってしまうと、自分だけならまだいいが、相手方の人生を壊してしまうことになる。

 中主任は顔にこそ出さなかったものの、奥さんや利津が気付かないところでさりげなく足を踏まれてしまった。今度会社で土下座する勢いで謝らないとまずいよな……と、つい気が重くなってしまう。

 絶対、一発は蹴られる。パワハラとかじゃなくて普通にこっちが悪いので、こればかりは覚悟しておかないとまずい。

「まぁ、こんなところで上司に会っちゃうと焦るよね」

 わたしが溜息を吐いている原因はそうじゃないんだけれど――バレるとまた面倒だから言わないが――利津は上手いこと解釈してくれたらしい。ここは話を合わせて「もう、ホントそうだよ」とうなずいておくことにする。

「こっちは仕事モードじゃなくてプライベートだっていうのにさぁ……しかも、ご家族にまで気遣わないとだし」

「特に和葉さん、子供苦手だもんね」

「……まぁね」

 利津の言葉に、曖昧にうなずく。

 彼の言うとおり、わたしは子供が苦手だった。中主任の息子さん――尚哉くんを前にして、その実緊張してもいた。まぁ、すぐ傍に中主任がいたことと、思った以上に尚哉くんが中主任に似ていたから、意外と周りに察されることなく接せたとは思うのだけれど。

 とはいえ可愛いと思わなかったり嫌いだったりするわけじゃなくて、単純に一人っ子だったから扱い慣れていないのだ。

 その点利津は年の離れた弟と妹がいて――二人とも今は中学生か高校生くらいだと聞いており、わたしも何度か会ったことがある――昔から両親の代わりにその世話を任されていたこともあったらしく、子供の扱いはお手の物だった。

「……でも」

 囁くように、利津が呟く。

「やっぱり、子供っていいよね」

 それはどちらかというと独り言に近く、特段わたしに聞かせたくて言っているわけではなかったのだろう。

 けれど、わたしの心には少しだけ、暗雲が立ち込めて。

 隣で羨むように呟いた利津がどんな顔をしていたのかなんて、ちゃんと見ることができなかった。


 実を言うと、今日は少し警戒していた。

 だって昼前に待ち合わせた時からずっと、利津の様子がなんとなく、いつもと違うように感じていたから。

 言っても、ほんの少しの違和感だったけれど。

 利津はいつも穏やかで、だからと言ってふわふわしているわけじゃなく、ある程度は冷静なところがある。頭は良いんだけど、如何せんどうしても根がマニュアル人間だからアドリブに弱い。

 いつも彼が立てるデートプランは分単位まできっかり計画通り。アドリブに弱いため昔は計画が少しでも狂うとよくパニックに陥っていたものの、最近は経験を積んだことで少しは柔軟になってきたみたいで、『計画通りにいかないこと』すらもある程度『想定内』の上でスケジュールを組むようになった。

 だから昼間の中主任ご一家との邂逅も、どうやら想定の範囲内に収まったらしく。利津が以前のようなパニックに陥ることはなく、その後も順調にデートは進んだ。

 昼間は、少し様子がおかしかったとはいえまだいつも通りだったのだ。

 それが夕方に近づくにつれ、利津は目に見えてそわそわと落ち着かなくなってきた。

 多分今日は、何かしら大きなことを計画しているのだろう。おそらくサプライズ的な『何か』を。

 利津の言動の節々からそんな『何か』を感じ取るにつれ、わたしは心に少しずつ、嫌な予感を募らせ始めていた。


 夕方前にショッピングモールを出てから、言われるがままに寄ったアパレルショップのような場所で、わたし達はお互いに仕立てのいいネイビーのスーツと小洒落たワインレッドのパーティドレスに着替えた。

 化粧もそれなりに整えてもらって、エスコート的なことをされたまま利津に連れていかれたのは、いつもなら行かないだろうという、ちょっといいレストランの最上階。

 シチュエーションがあまりにベタ過ぎて、この時点でもうある程度お察しなのだが、わたしは利津の意向に大人しく従った。


 ――で、まぁ。これである。

「和葉さん」

 お約束の夜景が綺麗に見える窓際の席で、いつもよりお高めの食事に「やっば……」なんて乙女らしからぬ感想を抱き、委縮しながらフォークを突き立てていたわたしは。

「僕と、結婚してください」

 緊張の極みといったガチガチの表情でダイヤモンドの指輪を差し出した利津から、プロポーズというものを受けたのだった。


 よろしくお願いします、と素直に言えばいい。ただ、それだけのことだった。

 ……というか、そうするより他に選択などないはずだった。利津だって、わたしの口から出る返事はそれしかないと思っている。

 それなのに、固まってしまったわたしは何も言うことが出来なくて。

「……駄目、かな」

 沈黙に耐えきれなくなったように、眉を下げた利津がおずおずと、不安そうな声を上げる。

 あぁ。そんなことないよって、嬉しいよって、たとえ嘘だったとしても言わなきゃいけないはずなのに。

 中主任が奥さんにプロポーズした時もこんな感じだったのかなとか、あれこれどうでもいいはずのことに意識を逸らしてしまう自分が嫌だ。

「……利津は」

 ようやく出た声は今にも掠れそうで、目の前の利津にうまく聞こえたかどうかすら怪しかった。

「利津は……やっぱり、子供が欲しい?」

 息が切れそうになりながらもなんとか紡いだ、わたしの精一杯の質問に、利津は困惑したように答えた。

「そりゃあ……まぁ、ゆくゆくは」

 こればかりは授かりものだから、と利津は何事もないように答える。

 ずくり、と胸が音を立てる。吐きそうになりながらも、わたしは利津をまっすぐ見つめて、言った。

「わたし、あなたに一つ隠していたことがある」

 わたし自身と、家族しか知らない。中主任にすら話していない、わたしの大きな隠しごと。

 どうしたって誤魔化せない、たった一つの事実。

 ――許してもらえない限り、わたしは一生、結婚なんてできない。

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