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間違えた紫陽花  作者:
10/21

和葉・その5

 次の日が休みだったからって、つい深酒をしすぎた。

 それと、たぶん。

 余計なことも、たくさん言った。


『結局さ……和葉は中主任と彼氏くん、どっちが大事なわけ?』

 あれから仕事終わりに、しっかり残業も残さず――現金なもので、楽しみな予定さえあれば仕事はいつもより爆速で終わらせられる――わたしたちは約束通りいつも使う居酒屋に集まった。

 それからはしごした先の何件目かのお店で、いつもより酒が入ってさらに饒舌及び遠慮のなくなった安西からそう聞かれたわたしはつい、言葉を詰まらせてしまった。

 ついさっきまで鳥羽ちゃんの話で盛り上がっていたから、油断していたのもあったかもしれない。

『それ、わたしも聞きたかった!』

 普段はおとなしめなのに、酒が入ってかなりハイテンションになった鳥羽ちゃんも、興味津々に聞いてくる。

 普段ならきっと、適当なこと言ってのらりくらり躱してた話題なんだけど。

 その時のわたしも大概、酔っていた。

『……どっちも、大事だよ』

 嘘は吐いていなかった。中主任のことも、彼氏である利津のことも、同じように大好きなのは変わりない。わたしは恋愛感情を持てないから、二人のことをそういう意味で好きだというわけではないけれども……それでも傷つけたくないし、幸せであってほしいと思う。

 一緒に居たいとも、もちろんちゃんと思っている。

 それが単なる依存的感情で、普通の人から見れば狂ったようにも思えるような感覚だとしても。

『じゃあ、質問変えようかな』

 にやり、と安西が笑う。

 少しだけ嫌な予感がしたけれど、ここまで言ったらもう、隠すこともない。何だって答えてやろう、という意気込みで次の言葉を待った。

『一緒にいて、より落ち着くのって?』

 ぶっちゃけちゃうよ、と事前に宣言していた通り、この日の安西はいつもよりしつこかったし、ずかずか踏み込んできた。……うん。あんたのそういうとこ、嫌いじゃないよ。

 本音を話すのに抵抗があるわけではない。相手がこの二人なら、なおのこと。けれどなんだか少しくすぐったくて、話しながらも時折口ごもってしまう。

『中主任、かな』

 そんなわたしの話を、二人は急かさず聞いてくれた。

『例えば、中主任がしてくれるのと同じことを、利津にもしてもらう。わたし、抱きしめてもらったり、頭撫でてもらったりするの好きだから。……だけど、やっぱり、中主任にしてもらう方が落ち着くの』

 一気に話し終えて、ふぅ、と息を吐いたわたしに、それまで黙っていた二人が――やはり反応的には安西の方が先だった――順番に、半笑いで口を開く。

『彼氏かわいそ~。自分より他の男のハグが落ち着くなんて』

『ほんと、和葉さんってば性悪』

 そうやって茶化してくれて、少しだけほっとした。

『あはは、自分でも分かってるよ』

 性悪にも、ほどがある。

 唯一の人として選んだはずの利津よりも、既に相手がいて完全に間違った関係を築いている、中主任の方が落ち着くだなんて、ひどすぎる。

 それなのに、今の関係を維持しようとしているだなんて。

 ――わたしは、最低だ。


 二日酔いで痛む頭を抱え、ベッドに倒れ込んだまま夕方頃まで究極に堕落した休日を過ごした。

 その間にも瞼の奥にちらちらと、女性の影がよぎる。

 昨日会社に来ていたという、中主任の奥さん。時間が合わなかったのか、顔を合わせることは終ぞなかったけれど。

 彼女と実際に会ったことは、記憶が正しければ確か一度もない。

 ただ、顔を知らないわけではなくて。

 一度だけ、中主任がロックもかけずに置いていった携帯電話の画面が、ちらりと見えたことがある。最近流行りの加工アプリで可愛らしくなった中主任と奥さん、そしてお子さんが、三人で仲睦まじく寄り添っている写真だった。

 一瞬だけ、もやっとした何かがよぎって。

 わたしは依存先を間違えているんだと、改めて実感させられてしまった――その時のことは、今でも鮮明に覚えている。


 彼の奥さんしか知らない表情なんてたくさんあるだろう。

 例えば、我が子を可愛がる時の甘い顔とか。

 情事の時だって、わたしに対して掛けるよりもずっと優しい、愛のこもった溶けるような囁きを掛けてみたり。とろとろに溶けた甘ったるい瞳の色を、奥さんに向けているのかもしれない。

 そんなものを欲しいとは、これっぽっちも思いやしないけれど。

 ……思っていない、はずなのだけど。


 例えば、中主任が家族と仲睦まじく写った写真を見ただけで胸の奥がもやっとしてしまったわたしが。

 実際に彼が家族と一緒にいるところをこの目で見てしまったとしたら、どう思うのだろう。

 気が狂ったり、するのだろうか。

 ……醜いほどまでの嫉妬の感情を、彼の家族に向けるのだろうか。


 ただ少なくとも、彼の奥さんは知らないのだ。

 慣れた手つきで煙草を挟む、長い指も。落ち着いた知的な言葉を発する少し厚ぼったい唇から、ふぅ、と色気を伴いながら煙を吐き出す様も。紫煙に包まれながら、妖しげに微笑む姿も。

 そして。

 普段子供の身体を抱く腕が、小さな頭を撫でる手が、気遣うように掛ける声が。すべて奥さんではない別の女に向けられ、気兼ねなく触れられていることも。

 自分の夫が何食わぬ顔で自分と子供を裏切っている。そのことを、彼の奥さんは――佳苗さんは、きっとまだ知らない。


 既婚か未婚かだけでなく、見た目や性格、境遇、その他にも様々な面で、わたしは佳苗さんより女として劣っていると自覚している。

 自分には一生、手に入れられない幸せを、あの人は持っている。

 ……けれどその幸せを、彼女の知らないところで、わたしは壊している。

 それは優越か? それとも憐れみなのか?

 そんなことは、わたし自身にも、知る由のないことだった。

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