隙間
その女性が生まれ育った家は東北の田舎にある曾祖父の代からのもので、改築や増築を重ねてきた古くて大きなものだった。
家族も曾祖母が健在で、祖父母に父母、そして弟妹がひとりずつと、彼女を含めて八人という大所帯だった。
常に家族の誰かしらが傍にいるのが普通であり、部屋の出入りも頻繁だったから、そのことに彼女が長らく気づかなかったのは当然だったかもしれない。
きっかけは彼女が高校生になり自分の部屋を持ったことだった。
それまでは四つ離れた妹と同じ部屋だったのが、彼女の進学を機に別々の部屋になったのだ。
彼女は一抹の寂しさを感じたが、自分だけの空間があるということが嬉しいのも事実だった。
季節が過ぎて寒さが厳しくなってきた初冬のある日、彼女が自分の部屋で机に向かっていると、ふと肌寒さを感じた。
部屋の入口に目をやれば襖がきちんと閉まっておらず、ほんの僅かだが隙間が空いている。
この家にフローリングの部屋というものはなく、彼女の部屋も和室だった。
また妹がちゃんと閉めなかったのかと思ったが、そうではないことにすぐに思い至る。
妹は何かしらの理由をつけてよく来るが今日は顔を見せていないし、他の誰かが訪ねて来たわけでもない。
ということは自分がちゃんと閉めなかったことになるが、エアコンをつけているので暖気が逃げないように気をつけたはずだった。
そうはいっても自分の閉め忘れ以外に説明がつかない。
彼女は腑に落ちないものを感じながらも立ち上がって襖を閉めた。
しかしその後も同じことが度々おきた。
これからは絶対に気をつけるぞと注意しているあいだは隙間は空いていない。やっぱり気のせいだったかと忘れた頃になると再び隙間が空いている。
その繰り返しだった。
そういえば昔から似たようなことがあった。
冬に居間で皆が集まってテレビを観ていると隙間風が入ってくる。すると父が、彼女か弟に襖を閉めるように言ってくるのだ。
炬燵から出たくない彼女と弟は、お互いにそっちが行けと炬燵の中で足を蹴り合う。するとたいがい母か祖母が立ち上がって襖を閉めに行くのだ。
あの頃は家族の誰かがちゃんと閉めなかったのだろう、もしくは古い家で建て付けが悪いのだろうと思っていたが、本当にそうだったのだろうか?
妹と同じ部屋だった頃も隙間が空いていることは度々あった。
ただその時は妹の閉め忘れと決めつけていた。妹はちゃんと閉めたと言い張ったし、その事で喧嘩をしたこともあったが、あれも今思えば同じ状況だったのではないだろうか?
彼女は背筋が寒くなるのを感じた。
そして学校が冬休みに入った年の瀬。彼女は夜中にふと目が覚めてトイレに行きたくなった。
あれ以降いっそう襖を閉めることには気をつけるようになっており、最近では隙間が空いているのを見たことはない。
それでも夜中にトイレに行くのは恐いものがある。
時計に目をやるとまだ二時だ。さすがに朝までは我慢できない。
意を決して布団から出るとカーディガンを羽織り、襖をきちんと閉めてから部屋を出た。
トイレはリフォームしているのでノブの付いたドアである。彼女の生まれる以前は引き戸で汲み取り式だったというがちょっと想像ができない。
用を足して部屋に戻ると、襖はきちんと閉まっていた。
それに安堵しつつ、やっぱり気にしすぎなのかもしれないと思って布団に入り目を閉じた。
すぐに眠りに落ちたはずなのに、再び目が覚めたのは何故だろう?
時計を見るとトイレに行ってから三十分ほどしか経っていない。
彼女は半分眠っている頭で考えた。ああ、目が覚めたのは寒いからだ――そこで完全に覚醒した。
布団に寝たまま部屋の入口を見る。
豆電球に照らされたオレンジ色のそこは僅かに隙間が空いていた。
素早く考えを巡らす。
トイレに行く時には襖を閉めていったし、戻ってきた時にもしっかりと閉まっていた。だが部屋に入ってからはどうしただろう?
あの時は安堵のあまりきちんと確認しなかった。ということは自分の閉め忘れだろうか?
だがここ最近は習慣になってちゃんと閉めているはずだ。それを今回だけ忘れることがあるだろうか?
いくつもの疑問が頭を駆け巡り、そのあいだも目は隙間から離れないでいた。
そこで彼女は気づいた。
最初は気のせいだと思った。
だが間違いない。
僅か三センチにも満たない隙間。
そこから彼女のことをじっと見ている目に。
彼女の悲鳴を聞きつけ家族が駆けつけてきた。
泣き叫ぶ彼女がようやく落ち着いた後、話を聞いた家族は半信半疑ながらも家中を探したが不審者は見つからない。
母親は警察に知らせるべきだと言ったが、父や祖父は気のせいだろうと相手にしなかった。
彼女にしても警察に話して頭のおかしい娘だと噂が立つのは御免だった。
彼女は両親に妹と同じ部屋に戻して欲しいと頼んでみたが、肝心の妹にひとり部屋がいいと断られた。
その日以降、彼女は閉め忘れをしないように病的なまでに確認をするようになった。
そして月日が経ち、彼女は大学に合格して上京することになった。
初めてのひとり暮らし用に借りた部屋はワンルームで、廊下と部屋のあいだはドアだったが、クローゼットは引き戸だった。
だが彼女は気にしなかった。考えがあったのである。
彼女が引っ越して最初にしたことはクローゼットの戸を外すことだった。
隙間が怖いのなら、初めから隙間など作れないようにしてしまえばいいのである。
べつにクローゼットの戸がなくてもエアコンの効きには大差がない。来客があった時に多少見栄えが悪いが、そのくらいは何とでもなるだろう。
新生活初日ではあったが、彼女は穏やかに眠りにつくことができた。
その夜、彼女はふと目を覚ました。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
だがすぐに引っ越したことを思い出す。
廊下へと目をやるがドアはちゃんと閉まっている。
戸が外してあるクローゼットには、服と片付けていないダンボールが重ねてあるのが見えた。
そこで彼女は凍り付いた。
クローゼットの中に何かがいる。
その何かはクローゼットのへりに手をかけると声を発した。
「ようやく出られる」