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運命に抗う生成の女浪人の話。

 熟れた果実の匂いが鼻につく。

 活気ある姿を見せながら市場を賑わせる商店街の商人あきんどたちは、今日も今日とて声を張って客を呼び込んでいた。


 ……しかし、その声にはどこか欠落したものがあるように、私の耳には聞こえていた。

 なんといえば良いだろうか。

 声だけは大きいのだが、そこに伴うべき感情の温度が真逆なのである。


 威勢はいいが元気がない。

 それどころか、どこか疲れているようにも聞こえる。


 ……なんだかこの声はむず痒い。


「腰に刀差してるだなんて、珍しいお嬢さんだねぇ!

 綺麗な顔が物騒に見えるぜ?」


 初めてこの商店街で声をかけてきたのは、果物を売っていた一人の中年の男だった。


「そうかな?

 まぁ確かに私のようなモンは珍しいだろうね。

 ……その林檎、一つ貰えない?」


「はいよ、銅二枚だ」


「ありがと」


 私は銅貨二枚と交換して林檎を受け取ると、皮の表面を着ていた羽織の袖で拭って一口齧った。


「うん、これ美味しい!

 明日もまた買いにこようかな」


 銅貨二枚ってめっちゃ安いし。


 冷えた果肉の、やや硬い食感とジュワッと溢れ出す甘みの強い果汁が口いっぱいに広がっていくのがわかる。

 果実は小さいが、身はぎゅっとしまっていて人間が食べるには噛みごたえのあるいい食感だ。


 ……生成・・の私には、ちょうどいい柔らかさとも言えるけれど。


 ──と、更にもう一口齧ろうとしたその時だった。

 私の後の方から、何やら騒がしい声が近づいてきた。


「どけどけどけどけぇ!

 どかねぇと刺し殺すぞぉッ!」


「誰かその泥棒を捕まえてくれぇッ!」


 どうやら、こちらに向かって走ってきているのは泥棒らしい。

 ……いや、刺し殺すぞと言っているから、泥棒ではなく強盗か。


「はぁ、全く……」


 どうしてある種の人間というのは、こうも心が貧しいのか。


 私は小さくため息をつくと、ちょっとカッコをつけて食べかけの林檎を宙に投げ、腰に差していた刀を鞘ごと引き抜いた。


「どけどけぇ!

 どかねぇと刺殺しちまうぜ尼ァ──ッ!」


 そして今度は、その勢いのまま流れるように右足を軸に体を半回転させながら、突進してきたその泥棒のこめかみを、その鞘ごと刀で打ちつけた。


 ──パァン!!


 その動きは、上から見ればまるで和傘を翻すような太刀捌きであったと言えるだろう。


 うん、綺麗に決まったね。


「──ぐぼぁッ!?」


 衝撃で、泥棒の体がその場で空中で斜めに数回転ジャイロし、地面に叩きつけられた。


 鞘に使われた黒壇が人間の頭部に衝撃を与え、およそ普通に生活していれば聞くことのないような衝撃音が市に響き渡る。


 その威力は、大概にして人間の出せる膂力の限度を超えていたが、しかしまぁ大丈夫だろうと目を瞑ることにした。


「安心しな、鞘打ちだよ」


 私は左手を腰のあたりに突き出して、先程宙に投げた林檎をキャッチすると、決め台詞のようにそう吐き出した。


(……いや、これほんと、鞘から抜いてないとか関係ないくらいの威力だったけどね?

 ほとんど反射的だったから手加減とかできてるかほんとに不安な威力だったけど大丈夫かな?)


 カッコつけてちょっと言ってみたけど、私は内心冷や汗をかきまくっていた。

 そりゃもう盛大に。


 すると、そんな見た目とは裏腹に内心超ビビってる状態だった私に、声を掛けてくる人物がいた。


「姐さんさっきは泥棒捕まえてくれて助かったぜ、礼を言う。

 何かお礼をさせてくれないか?」


 話しかけてきたのは、地味で薄い色合いの茶色い小袖を着た商人だった。

 礼を言ってきたことを鑑みるに、たぶんこの人が被害を受けた商人さんなのだろう。


「いえいえ、当然のことをしたまでですよ」


「いやいや、そんなことを言わないでくれよ。

 恩人になんの礼もしないで返したとあっちゃ、俺が女房に殺される。

 ……ここは、俺を助けるとでも思って、礼を受け取ってはくれないだろうか?」


 あー、この人嫁さんの尻に敷かれてるのかぁ。

 やっぱりどの時代にもこう言う人っているもんだなぁ。


 前世でも、お父さんよりお母さんの方が家での力関係が上だったし。


 私は苦笑いを浮かべると、『そう言うことなら』と彼のお礼を受けることにした。


──────


 彼の名前は一之助と言う。

 先先代の頃にこの葦宮あしのみやの町にやってきた行商の一族らしく、その先先代がここで嫁をもらって居着いたのが始まりらしい。

 始まりっていうのは、つまり彼のお店の話だ。

 彼は例の先先代の頃という時代から続いている、商店街の宿屋で働いているのだとか。


「一階には食堂も兼ねてあるんだ。

 なんでも祖母──先先代の妻が考案したらしくて。

 あぁ、最初はただの八百屋だったんだ。

 それがいつの間にか食堂も兼ねるようになって、ついでに宿まで作っちまったんだ」


 得意げに言いながら、引き戸を開けて建物の中に入る一之助。

 私はそれに続いて建物の中に入り、辺りを見渡した。


 そこには、いくつかの木の椅子と机が並べられており、入って左側の奥の壁には、厨房らしき部屋も見て取れた。

 おまけに、厨房の前にはカウンター席まで設置されている。


「どうだい、ちゃんとしてるだろ」


「そうですね、建て替えたわけではないように見えますし……もしかして、元は結構広い八百屋さんだったんじゃないですか?」


「さぁ、そこまで詳しくは。

 あ、そういえば朝食は食べたのか?

 今ならこの店自慢の親子丼を出してやれるが。

 あぁ、無論お代はタダでいいぜ、助けてもらったお礼だ」


「じゃあ、お願いします」


「あいよ、少々お待ち」


 実は今朝の林檎を朝食の代わりにしようとしていたけど、食べ損ねてしまったしね。


 私は小袖の袖袋に仕舞ってある齧りかけの林檎を布越しに触りながら、作り笑いで一之助に答えた。


──────


「そういえば、姐さんは刀を持ってるみたいだが、もしかして侍か何かなのかい?

 女が侍というのも珍しいと思うが」


 親子丼を平らげて少しした頃。

 藍色の前掛けを腰に巻いた一之助が、真向かいの席に腰を下ろしながら尋ねてきた。


「似てるけど違いますね。

 私は流浪の身ですから」


「通りで強いわけだ。

 さっきの泥棒、思いっきり気絶していたみたいだからな」


 一之助は笑いながらそう言った。


 流浪の身──つまり浪人というのは、もともと仕えていた君主がいたが、改易などなんらかの理由によって解雇され、各地をさまよっている武士のことである。

 しかし、私の場合は少し違う。

 私は先程流浪の身とは言ったが──まぁ、たしかに放浪しながら用心棒や傭兵などをしているので違わなくもないが──厳密には違うだろう。


 そもそも、私は誰かに仕えていたことなんてない。


 生きていくために誰かの用心棒となって護衛をしたり、依頼を受けて悪人の討伐をしたりすることもあったが、基本的にはそれは金銭のためだ。

 この時代に言う侍などとは少し違う。


 ──私は、この世界で物心ついた時から孤児だった。

 親には捨てられたのか、それとも死んだのかは知らない。

 覚えている中で一番古い記憶は、姉と呼び慕っていた人間の少女と複数の孤児と共に暮らした、あの廃寺の日常である。


 いつの頃からそこにいたのかは知らないけれど、私たちはいつも姉と一緒にいた。


 野山に分け入っては山菜を採り、弓を自作しては猪なんかを狩ったりして生活していた。

 いつも姉が孤児たちに指示を出して、私たちはそれに従って姉の手伝いをする。

 肉がとれた日には鍋を沸かしたし、自分たちで採ってきた山菜の味は、今でもたしかに覚えている。


 ──そんな日常が、唐突に終わりを告げた日も、はっきり覚えている。


 もう十数年前になる頃だろうか。

 私たちが暮らしていた廃寺のあった場所が、戦場になった。


 鏑矢が上がって、馬に乗った侍たちが、槍や刀を振り回して敵の軍隊と斬り殺し合う。

 山の麓にあった村は馬の蹄に踏み荒らされ、泥の飛沫が廃寺までやってくる。

 火矢が飛んで家屋から煙が上がり、斬り殺された侍たちの血の臭いや焦げた肉の臭いに噎せる孤児たちの息づかいが鼓膜に張り付いて離れない。

 終いには山火事に呑まれた姉や孤児たちは、煙に巻かれて死んでいった。


 そんな中で、なぜか私だけが生き残った。


 悔しかった。

 みんなと一緒に死ねなかったことじゃない。

 みんなの命を奪っていった、あの戦からみんなを連れて逃げられなかったことがだ。


 私は傷ひとつない四肢で立ち上がると、怒りを胸に一人、戦場へと躍り出た。


 それからのことはよく覚えていない。

 剣に切り裂かれた傷の痛みや、仲間を失った心の痛みだけが、私を蒸気で包んでいた。


 頬に飛び散った赤い液体は自分のものじゃないことはなんとなくわかっていた。

 いつの間にか握りしめていた二本の刀が、それを証明するように赤く照らされていた。


「──ねさん?

 姐さん、聞こえているかい?

 姐さん?おーい?」


 目の前で揺れる黒い影に、はたと私は我に帰った。

 どうやら記憶の渦にでも呑まれていたらしい。


 私は、『すみません、少し考え事をしてました』と一言謝ると、『それで、何の話でしたっけ?』と言葉を続けた。


「──恩を仇で返すような形になってしまうかもしれないのだが、もう他に頼る術もねぇ。

 姐さんは強い奴みたいだから、少し頼みたいことがあるんだ」


 途端、彼は真剣そうな顔つきになって、私にそんな台詞を吐いてきた。


「頼み事ですか?」


 こくり、と一之助が頷く。

 誰もいないはずの食堂に、僅かにざわつくような空気が流れた。


 頼み事……。

 一体、何の話なのだろうか。


 話の流れからして、用心棒か何かを依頼されるのだろうか。


 そう思って彼の話を待ち構えていると、ようやくそのカサカサの唇が上下に開いて、その頼み事とやらを吐き出した。


「単刀直入に言うと、鬼を退治して欲しいんだ」


「……鬼、ですか?」


 鬼。

 この世ならざる者の代表格と言ってもいい存在で、人のような姿に頭から角が生えている、怪力をもつ怪物。

 有名な話だと、泣いた赤鬼や桃太郎などで登場し、その体の色で赤鬼やら青鬼やらと呼ばれたりする、あの虎の毛皮でできたパンツを履いている怪物である。

 ……まぁ、実際は虎のパンツなんて履いてないし、よく前世で見た屏風に描かれてあるようなごついものでもないのだが。


 なぜそう言えるかって?


 私は浪人で、用心棒や傭兵として働いてはいるが、本職はそれではなく、所謂ところの「怪物退治」だからだ。


 私があの日──廃寺が戦火に包まれて生成としての自分を自覚した日から、私はずっとそうやって生きてきた。


 昔から、私は力持ちだった。

 一番の年長者である姉でも運べないような重い荷物を、当時まだ二桁にもならない私は片手で担いで運んでいたし、傷だってすぐに治った。

 初めは、単に私がすっごく力持ちで、傷の治りが早いんだと思っていた。

 きっと、周りの孤児たちも同じように思っていたのだろう。

 だから、異物を排除しようといじめられることなんて無かったし、みんなといる時間はとても楽しかった。


 私が生成の力を自覚したのは、あの山火事の日だ。


 私はたった一人で戦場を駆け抜け、どこを斬られようがすぐさま治る体とその怪力を以って、バッサバッサと敵兵の首をねじ切り、刀を奪っては鎧ごと斬り斃した。


 今となってはぼんやりとしか覚えてはいないが、確かに私はあの日、自分は異常なのだと気がついていたのだ。


 ……そういえば、あの頃からだったか。

 私が「生成の般若」と呼ばれるようになっていたのは。


 鬼にもなりきれず、しかし人にもなりきれない半端者の生成。


 その力を買って用心棒やら傭兵やらと手元に置きたがる連中はいたが、しかしそう言う奴らに限ってどこからともなく現れた怪物たちに襲われてしまう。


 これは呪いなのかと思った日もあった。

 これは、戦でもないのに人を斬り殺した罰なのかと思ったこともあった。


 だから私は、少しでもその罪を滅ぼすために、今日これまで怪物狩りを続けていた。


 断る理由なんて、今更──ない。


「外から来た人にゃ、信じちゃもらえんかもしれんが、出るんだ、この町には」


 真剣そうな目で、一之助が私を見る。

 私は食器を端に追いやると、その話を詳しく聞くことにした。


──────


 葦宮の町は夜に賑わう町である。

 入り口の商店街のさらに奥まったところへと向かえば色町があり、枝垂れ桜や夜になれば蛍が綺麗な川や、朱に塗られた橋が架かっている場所に出る。


 そんな色町に、いつの日からか鬼が現れ、人を見かけてはとって食うようになった。


 鬼は夜にだけ現れるものだから、毎夜酒池肉林と踊る色町にとっては大損害で、町の賑わいの殆どを占めていた場所に人が入れぬとなると、町に来る人の数は減少するばかり。


 このままでは町が死んでしまうし、そうでなくても夜に出歩けば鬼に食われるという恐怖がいつも町の人々の精神をごりごりと削るのだ。


 おまけに、朝に色町へ出てみれば、たまに死体が転がっている事だってあるものだから、不気味でたまらない。


 つまり要約すれば、夜になると鬼が出て怖いから退治してくれと、そういう事だった。


「なるほど、そういう事でしたか」


 私は一之助の話を聞き終えると、腰の刀の柄に触れた。

 カチャリ、と刀が金属の音を立てる。


「そういう事でしたらお任せください。

 まぁ、お代はちゃんともらいますけどね」


──────


 日が西に沈んで、代わりに月が登る頃。

 色町にしては暗い夜道を、私は歩いていた。


 街灯も何もない時代というわけでもないので、そこまで暗くはない。

 といっても、その街灯というのはただ蝋燭に火を灯した程度の明かり。

 普通の人間には足下が暗すぎる暗さである。


 ここは色町で、普段ならばそこら中に娼館から漏れる明かりで賑わっているのだろうが、今ではそうもいかない。


 まぁ、半分鬼の私には、月明かりだけでも十分明かりは足りているのだが。


 ざっ、ざっ、ざっ。と、草鞋が地面の砂を擦って鳴らす音だけが、誰もいない色町の中に響く。


 一応、一之助さんの計らいで、何かあったときのために住民の避難は完了しているし、私は思う存分戦える状況にはなっているのだが、できれば家屋とかは壊したくない。


 私は昼間は見繕っていた、敢えて鬼に見つかりやすく、そして戦いやすそうな広い場所へ赴くと、鞘から刀を抜いて自然体に構え、鬼の来訪を待った。


「……今日もよろしくね、常若丸とこわかまる


 緋色の柄巻きがなされた柄を握りながら、いつもの仕事仲間に挨拶するように刀の銘を呟く。


 広場に植えられた枝垂れ桜が風に揺れ、向かいの橋の下を流れる川の水面が、僅かにざわめいた。


 ──と、その時だった。

 私を照らす月明かりが遮られるのを見て、視線をあげた。


「女が我輩を討ちに来るとは、舐められたものだなぁ」


 見ると、そこには私の何倍もの背丈を持った、まるで筋肉の山とでも形容できそうな姿の鬼が私を見下ろしていた。

 いや、もうこれは私の何倍だなんてスケールじゃない。

 なんたってしゃがみこんで私を見下ろす奴の肩の高さが、二階建ての娼館の屋根の高さを超えているのだから。


「あなたがこの色町を襲ってるっていう鬼?」


 私は臆することなく、夜空を覆う奴の頭に向けて尋ねた。


 緋色の着流しの和服、はだけた襟の隙間から見える、筋骨隆々とした褐色の肌、ボサボサの白く長い髪を携え、額からは真っ白な二本の太い角が生えている。

 一体、こいつは今までどこに隠れていたのだろうか。


「そうだ、我輩がこの色町に住む鬼が一人──女呑童子にょてんどうじよ!」


「ふぅん、女呑童子。

 わらべと言う割には、その体は大きすぎない?」


「生憎、育ち盛りでな。

 食っても食っても食い足りんのよ」


「それで、夜な夜な人を見つけては取って食べてるってわけ?」


「その通りさ。

 そしてそれは──貴様も例外ではない!」


 突如、私の両側から褐色の巨大な手が、ものすごい勢いで迫ってきた。


「ッ!」


 どうやら、合掌するように私を両側から挟み込んで押し潰そうとでも思ったらしい。


 私はそれを屈んで回避すると、ちょうど頭上に鬼の太い手首があったので、左手を鉋手に添えた刀を左腰に構えて、左下から上、右下へと弧を描くようにその手首を圧し斬った。


 しかし。


「甘いわッ!」


 女呑童子はその傷を意に介すことなく、合掌させた手を地面に向けて弾き落とした。


 迫る両手。

 天が落ちるような圧迫感から、私は即座に背後へと跳んでそれを回避した。


 ──パァン!


 先程まで私がいた場所を中心として、同心円状の地割れが走り、岩石が飛び跳ねる。


 普通の人間であれば、反応すらできずに押し潰されているところだったが、しかし生憎私は生成である。

 私の動体視力に掛かれば、その攻撃はまだ遅い方だった。


 私は飛来してきた岩石の悉くを回避すると、刀を八相に構えて、続く右手の突きを縦に斬り伏せた。


「ぐぅッ!?」


「もう少し図体が小さい方が戦いやすいんじゃない?」


「喧しいッ!」


 しかし、どうやら聞く耳は持っていないらしい。


 私は、続く左手の突きをくるりと身を翻して回避すると、先程斬ったはずの腕が蒸気を上げながらみるみる間に癒えていくのを横目に女呑童子の懐へと入り込んだ。


「王手」


 私は、身を翻す勢いのまま女呑童子の心臓の真下あたりまでくると、前屈みになって近くなった鬼の胸部に向けて、問答無用で力一杯、その刀を槍のごとく突き上げた。


「ぐぼは……ッ!?」


 やや硬い胸骨を、刀がすり抜ける感触が柄越しに伝わる。

 しかし、その感覚が伝わった頃には既に、私の刃は奴の心筋を捉えており、その異常なまでの鬼の膂力を以ってして突き上げられた刀は、さながら破城槌が門を突き破るように、突風を伴って鬼の胸に風穴を開けた。


 どれほどの治癒力があろうと、心臓を破壊されては生き返れまい。


 私は風穴から蒸気を上げながらズドンと大きな音を立てて崩れ落ちる巨人の風穴を抜けて這い出ると、念のためと言わんばかりに、その巨大な頭を破砕した。


 ──グシャリ。


 およそ、生物の頭部が上げてはならない音を上げて、私の身長ほどもある巨大な鬼の頭部がトマトのように潰れ、その跳ねた脳漿やら血液やらが、パタタと私の頬に飛び散った。


「初めから本気を出してれば良かったのに」


 私はポツリとそう呟くと、刀についた血糊を払って鞘に戻そうとして──急速に接近してくる足音に気がついて、振り返りざまに刀を薙いだ。


 ──ギィン!


(重い……ッ!)


 鋭い金属音が、ゴーストタウンと化した夜の色町に反響し、何者かの攻撃を受けた私の足元に円形の地割れが走る。


「ぐッ……!」


 先の女呑童子とは比べ物にならない威力に、私は思わずグッと奥歯を噛みしめた。


「ほぅ、これを防ぐか小娘」


 襲撃者はニィと笑うと、反動を利用して後方へと飛び退る。


「チッ、新手か……」


 黄金の髪に、黄金の瞳。

 小さな体躯に、額から生える二本の角。

 そしてその手には怪しく鈍色に輝く、棘の生えた金棒が握り締められている。


「随分立派な金棒だね」


 刀とは相性が悪い武器に、私は思わず歯噛みした。


 女呑童子が『この色町に住む鬼が一人』と言っていたから一応警戒していたけど……。


(まさか、これ程とは予想外だったなぁ)


 せいぜい、女呑童子より少し強いくらいかと思っていただけに、あの膂力と敏捷力にはかなり驚かされた。


 私は刀を正眼に構えると、金色の鬼の一挙手一投足を見逃すまいと意識を集中させた。


「カカッ、笑わせおって。

 が弟では物足りなかろう、小娘や。

 褒美に面白いものを見せてくれよう」


 弟……?

 え、あのデカいのあいつの弟だったの!?


 鬼は衝撃の事実を口走ると、片手に持っていた金棒をぐるりと回して逆手に持ち替え、立っていた地面に向けて思いっきりその金棒を打ち付けた。


「ッ!?」


 ──カァァン!


 鋭い音が、無人の色町に響き渡る。

 かと思えば次の瞬間、私を取り囲むようにしていくつもの異様な気配が湧き上がってきた。


(何?

 何をしたの?)


 私は、チラリと気配の一つへと視線を向けた。

 するとそこには、見覚えのある茶色い小袖を着た人物の喉笛に、青白い肌をした幽鬼が長く鋭い爪を立てているのが見えた。


「一之助さん!?」


 見知った顔が幽鬼に捕らえられているのを見つけて、思わず私の口から悲鳴が漏れた。


「ほぅ、知り合いだったのかぇ?

 野山に隠れておったのでな、ちょうどよいと思うて連れてきたのよ」


 私はその言葉を聞いて、サッと血の気が引いていくのを感じた。


(なるべく住人を巻き込まないように避難させたのが裏目に出たのか)


「……それで、この人たちをどうするつもり?」


「そうよのぅ。

 そのまま殺して食ってやってもよいのじゃが、それじゃと面白味に欠ける。

 ──そこでじゃ、小娘よ。

 この夜叉童子やしゃのどうじと力比べせぬかえ?

 其方そちが勝てばこの人間どもは解放してやろう。

 じゃが、あれが勝てば──どうなるかわかるよの?」


 カカッ、と、夜叉童子と名乗った鬼女が、こちらを馬鹿にするように笑う。


 おそらく、私のような鬼を殺しに来た存在が面白くて、からかっているのだろう。


(全く、悪趣味な……)


 どちらにしろ、引けばそもそもの鬼退治という目的も果たせないし、逃げたとしてもあの膂力と敏捷。

 正直、逃げ出してしまいたいくらいビビってはいるけど、たとえ逃げ出したとしてもすぐにでも追いつかれて、あの金棒で叩き殺されるだろうし、それに何より、一宿一飯の恩がある一之助さんを、わざわざ見殺しになんてできない。


「……」


 やるしか、ないみたいだね……。


 私はゴクリと生唾を飲み込むと、いつの間にか滲んでいた手汗を感じながら、刀の柄を握りしめた。


 苦戦するかもしれないけれど、私は生成だ。

 頭と心臓さえ残っていれば、ちゃんと再生する。


 それにまだ、あの鬼たちには私のこの異常な自然治癒能力を見せていない。


 なんとかなるはずだ。


「……わかったよ。

 その勝負、受けて立つ」


 私は一度荒れた心を落ち着かせると、再び構え直して夜叉童子に向かい合った。


「その意気やよし、かかって参れ!」


──────


「ぜぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」


 夜叉童子の咆哮が終わるや否や、私は雄叫びを上げながらその生成の膂力に物を言わせて金色の鬼へと斬りかかった。


 既に割れていた地面がさらに砕け散り、ちょっとしたクレーターを残して、音の速さに届かんばかりの豪速の剣が、夜叉に迫る。


「……ッ!」


 対して、彼女はそんな一撃を眉ひとつ動かさずに、その巨大な金棒で受け止めてみせた。


「ほぅ、今のはなかなか重かったぞ」


「そりゃ、どうも……ッ!」


 一瞬の鍔迫り合い。

 しかしすぐに私は、相手の方が力が強く、かつ単純な力技では負けることを確信してしまう。


「チィ……ッ」


 私は、迷わず夜叉の一撃をそのまま刀を回して地面へと流し、その隙に空いた胴へ向かって手加減無しの剣戟を放つ。


 しかし──


 ──ズダァン!


 ──およそ、剣風が立ててはいけないような轟音を響かせながら、その横薙ぎの斬撃は、夜叉が後方へ宙返りしながら回避したことで空を切った。


 橋の下を流れる川の水が、爆ぜるように陸へと跳ね上がる。


 あの攻撃を回避されるなんて、いったいどれほどの敏捷があれば成せることのできる技なのだろう。


 私はそんな恐るべき夜叉の動きに戦慄しながらも、しかしすぐに八相の構えをとって鬼との距離を詰めた。


 奴は速い。

 速い上に膂力もある。

 反応速度だって私より圧倒的に速いだろう。


 しかし今の彼女はそれを分かっていて手を抜いて私と相対している。


 であれば、今ここで彼女が油断している間に倒しきるしか、勝つ方法はない!


 ──と、私が刀の間合いに夜叉を捉えたその時だった。

 奴は私を弄ぶように、私が反応できるギリギリの速度で金棒を振り下ろしてきた。


「ぐぅ゛ッ!」


 私はそれを刀で弾きながら反撃を入れる機会を伺うが、しかし奴はまたしてもすぐに立て直し、再び私の反応できるギリギリの速度で金棒をこちらに振るってきた。


 ──ガンッ、ゴンッ、ゴンッ、ガンッ!


 一撃、また一撃と金棒を払う度、奴は角度を変え、緩急をつけ、いやらしい角度から私を狙い、重い金棒を打ち付ける。


 その激しい打ち合いは人間の目が追えるような次元のものでは決してなく、そして生成である私の目にとっても、その剣戟を視認するのがようやくな速さであった。


 囚われた町人の閉じたまなこが見つめる中、月明かりのみに照らされる夜の色町に重い金属同士がぶつかる音だけが響き渡る。


 ──そして、そんなことをたかが木でできた橋の上で行なっていたものだから、当然のようにギシギシという、今にも崩壊しそうな橋の悲鳴が二人を包んでもいた。


(このままじゃ圧倒的に不利だ。

 まずはどうにかして夜叉の武器を封じないと……ッ!)


 そのチャンスは、幾合かの剣戟を果たした頃にやってくることになった。


「ッ!?」


 不意に、それまで上か横からの攻撃しか繰り出さなかった夜叉童子が、私の足下を狙ってその金棒を薙ぎ払ってきたのである。


 私はそれをチャンスと見るや、軽く飛んで上方に回避すると、今度は足を地面に向けて突き下ろし、金棒の上に着地して動きを封じた。


(今だ!)


「フンッ!」


 そして、義経の如くその金棒を封じた私は、続けざまにその鬼女の首元を狙って本気の突きを放った。


 ──パァン!


 あまりの衝撃に大気が割れ、まるで落雷のような破裂音が橋の上に響き渡る。


 ──しかし、私としても、その一撃が夜叉童子に傷を負わせる程のものではないことは理解していた。

 そして案の定夜叉童子は、その突きを見事に回避してみせていた。


 それも、手にしていた金棒を手放して。


(そう上手くはいってくれないよねぇ……)


 夜叉童子は私の突きをバク転の要領で回避すると、橋の上についた手をぐっと撓めて、さらに後方へと飛び跳ねた。


 ──ピシリ、と夜叉の頬に一筋の切り傷ができる。

 しかしそれも案の定、傷口から上がった蒸気とともに、瞬く間に癒えてしまった。


「ほぅ、あれの顔に傷をつけるとは、なかなかやるのぅ。

 じゃが、残念よな。

 この程度の傷、傷のうちには入らぬゆえ」


 ──カカッ。


 またしても、金色の夜叉は私を小馬鹿にするように笑い声をあげる。


「それに、妾から武器を奪ったのも見事じゃった。

 妾にこんな事が出来たのは、天下広しと言えどお主ただ一人よ」


「そりゃどうも」


「カカッ、喜ばんのよな?

 其方ならば、もしかすると妾を斃せるかもしれんのに」


 まぁ、だって私はまだ、あの鬼が本気を出していないってことくらい見抜いてるからね。

 あの口上はつまり、私を慢心させた後に自分の力を見せつけて、私の心を折ろうという腹づもりなのはわかりきっている。


 私は、刀を八相に構え直すと、そんな夜叉に構うことなく接近して──一瞬だけ左手を小袖の袖袋へと忍ばせ、掴み取った球状の物体を夜叉に向けて投げた。


「フン、小賢しい」


 投擲したそれは、その投擲のあまりの勢いによって発生した高気圧に負けて空中でぐにょぐにょとまるでゴムボールのように歪み、夜叉の目と鼻の先で破裂した。


 夜叉の視界が、一瞬その破裂した甘い液体に覆われて、塞がれる。


 夜叉童子はそれを手刀で斬りはらうと、ついでその向こう側にいるであろう私に向けて、少しだけ本気を出して突きを放った。


 空気の渦を纏った鬼女の拳が、目の前に広がった林檎の果汁の幕ごと打ち破り、轟音とともに竜巻が突き抜けていく。


 ──しかし、そこに私はいなかった。


「ッ!?」


 そこで初めて、鬼は自分に迫る危険を感じた。

 これまで感じたことのない、背筋を泡立たせるようなそんな危機感に、鬼は咄嗟に屈んで背後から斬りかかる私の横薙ぎの斬撃を回避した。


 バギリ、と橋の支柱が折れる音が二人の鼓膜に届く。


 鬼はその横薙ぎを屈んで回避すると、その姿勢から私の足を狙って低い回し蹴りを放った。


 私はそれを跳んで回避すると、崩れゆく橋の上で刀を逆手に持ち替え、続く手刀、回し蹴り、足刀打ち、前蹴り、貫手、肘打ち、突きを寸でのところで受け止めて、回避し、流し、首を横に傾けて回避し、体を捌いて刀でうけながし、弾き、後方へと退避した。


 この戦闘始まって以来、初の彼女の猛攻に私は辛うじて対処しきると、橋の対岸にて刀を正眼に構え直した。


 同時期に、橋が轟音をあげて全て川の中へと崩落していくのが鬼女の背後に見えた。


あれは少し、お主の事を過小評価しすぎていたようよの」


 夜叉童子が、ニィと口端を歪めながらそう告白する。


「ゆえに、褒美にもう少しだけ実力を解放してやろう」


 夜叉童子はそう宣言すると、右手を空に突き上げて、何やらボソボソと呟いた。


「これはまさか、妖術……ッ!?」


 妖術。

 私が狩ってきた怪物の中でも、特段腕の立つ怪物が用いていた特殊な能力。

 簡単に言えば化け物だけが使える特殊能力のようなものだ。


 これほどの鬼なら使えるはずだとは思っていたが──まさか、使わせることになるとは。


 妖術とはつまり、怪物を怪物たらしめる証でもある。

 つまりそれを使うということは、彼女は今から手加減無しの本気を出して向かってくるということである。


(くそぅ、本気出す前に斃しきる作戦は失敗か……)


 私は刀を構え直すと、ならばその妖術が発動する前に斃してしまえと、生成の膂力に物を言わせて突撃し、精一杯本気の横薙ぎを放とうと両脚を撓ませた──が、判断が遅かったようだ。


「──くあれ、武甕雷タケミカヅチ!」


 次の瞬間、彼女の突き上げた右手に雷が落ちたかと思うと、その時には既に私の体は木よりも高い空へと弾き飛ばされていた。


「グハッ……!?」


 パックリと横一文字に割れた腹部が、猛烈な勢いで蒸気を上げながら再生していくのがわかる。


 しかし私にわかるのはその結果だけで、あの金色の鬼が一体私に何をしたのかまでは全く理解できなかった。


 私は鉄臭い味に顔をしかめながら、混濁する意識の中で脳裏に響く警鐘に口元を歪めた。


 大丈夫だ、これくらいの傷、すぐに癒える。


 私はその勢いに任せて体を捻り、宙返りして近くの木の天辺に刀から離れた左手をつけると、力任せに後方へと身を弾いた。


 刹那、自分の視界に上半身から分離した下半身が血液と蒸気を撒き散らして、先ほどまで私が左手をつけていた杉の木に一閃の雷光が迸ったのが映った。


「ッ!?」


 ──違う。

 あれは雷光なんてものじゃない。

 あれは──。


 あまりの轟音に、私は奥歯をギリギリと噛みしめた。


 全く、なんて威力なのだろう。

 私が雷光に見間違えたのは、恐ろしいほどの速さで振り下ろされた、夜叉童子の妖刀だった。


 もし私の下半身ではなく上半身がアレにぶつかっていたなら、確実に私は命を落としていたに違いない。


 私は、目の前で真っ二つに割れて焦げた樹木と、塵すら残らなかった自分の下半身に戦慄を覚えながら、このままでは不利と山の斜面に降り立って、更に上空から振り下ろされる夜叉の妖刀を間一髪のところで回避してみせた。


(腕一本じゃ、これがギリギリか……!)


 私は頬に走る痛みに顔をしかめながら、蒸気を上げて急速に再生を始める下半身の痛みに悪態をついた。


 妖刀の衝撃が山の斜面を波打たせ、生えている木々が耐えられず根ごと斜面を崩れ落ちていく。


 私はまだ筋肉の再生しきっていない細い足で流れてきた木の上に飛び乗り、続きざまに放たれる夜叉の横薙ぎを重力に任せて体を倒れるように回避すると、地面に両手をついてそのまま詰め寄ってきた夜叉童子に下から上へ向かって両足蹴りを見舞った。


 ──ガンッ!


 まだ再生しきらない両足から伝わる反動が重い。

 正直、骨が砕けているかもしれない。


 夜叉はそんな私の蹴りを片手でむんずと掴み取ると、砲丸投げのごとく振り回して、天高く放り投げた。


「ィイイッ!」


 空中で回転して姿勢を立て直すが、しかしそれとほぼ同時に下から何か巨大なものが打ち出されてくるのを私は視認した。


「なッ!?」


 それは、先程土砂崩れで流されてきた杉の木だった。

 それもただの丸だではない。

 地面から引き抜いたままの、本当にそのままの杉の木だった。


「ッ!」


 私はそれを足場にすると、続けざまに飛んできた岩石や樹木を殴って弾き、刀で斬り伏せ、更に膝をたわませると、地上に向かって木を更に上空へと蹴り上げた。


「せやぁぁああ!!」


 未だ山の上から木や岩を投げてくる夜叉のそれを、時に足場に、時に斬り伏せ、私は地上へと駆け下りる。

 そして、だいたい夜叉までの距離が五十メートルほどを切ったころ、私は完全に復活した下肢の膂力を以って、彼女目掛けて精一杯の突きを放った。


 ──ドゴォン!


 雷が空気を割るような音とほぼ同時に、私の剣先が山をえぐり、数メートルばかりのクレーターを穿つ。


(あの突きを受け流した!?)


 しかし、その刺突は一寸たりとも夜叉に届くことはなく、彼女はそれを地面へと受け流し、かつ、それに加えて無防備になった私の脇腹を蹴り飛ばした。


「グハッ!?」


 私の体は数十本ほどの木をへし折りながら山を抜けると、やがて色街の朱色の橋が架かっていた川の縁に背中を打ち付けた。


「カハッ……」


 むち打ちになった頭が壁に強打して、意識が一瞬だけ飛んだ。


 私の体はドサリと橋の瓦礫の上に落ちると、ちょろちょろと流れる川の水に頭が触れて、髪が流れに従って揺られ始めた。


「ふむ、もう終わりかえ?」


 水の冷たさに失っていた意識が取り戻された頃、上の方から夜叉童子の呆れたような声が降りてきた。


「まぁ、人間の身にしては、かなり善戦したとは思うがの。

 ……無理もない、これが自然な運命よ」


「……運命、だって?」


 霞んだ意識の中に滑り込んできたその言葉に、ふつふつと湧き上がってくる感情を感じて、私は蒸気をあげる両腕を水底について首を持ち上げた。


「ふざけ……ないで……!」


 その目は、あの日の山火事の日の情景を映し出すかのように赫赫と輝いていた。


「私の手はまだ動く……!

 私の足はまだ動く……!

 私の心臓は、まだ鼓動してる……!

 私はまだ、戦える……!

 だから、まだ……!

 まだ負けちゃいけないんだ……ッ!

 そこにまだ救える命がある限り……ッ!」


 心臓の鼓動が、煩いほどに耳に纏わりつく。

 治りゆく傷の痛みが、まだ痛いほどにジンジンと皮膚を焼いてくる。


 だけどそれは私が負けている証じゃない。

 まだ私が、生きるのを諦めていない証なんだ……!


「運命なんかに、負けてたまるかぁぁあああ!!」


 私は死力を振り絞ると、蒸気の上がる全身で雄叫びをあげながらその場に立ち上がり、目の前で驚いた顔をしていた夜叉童子の顔面を思いっきり殴りつけた。


「ごぶふッ!?」


 術理も技も作戦も何もない、ただの力任せの殴打。

 そのただの力任せの、死力を振り絞った打撃が、まともに鬼の顔面へとヒットし、錐揉み回転しながら向こう岸の崖へとぶち当たった。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 まともに攻撃が当たったのは、この殴打が初めてではないだろうか。


 私は、クラクラする頭を抑えながら、蒸気がだんだんと薄れゆく体で夜叉の方を注視した。


「カカッ……。

 全く、愉快よのぅ小娘や……。

 まさか、何の技もないただの力任せの殴打に一本取られるとは……。

 全く、夜叉の名が聞いて呆れるわ……」


 夜叉童子は崖に埋まった自分の体を引きずり出すと、悲しそうな表情で河原の上に胡座をかいた。


「……良い、あれの負けじゃ。

 こんな醜態、生き恥にしかならぬよ」


 夜叉童子は諦めたようにそう呟くと、崖にもたれかかったまま、持っていた妖刀を私の方へと投げてよこした。


 カランカラン、と鬼の刀にしては何か物寂しい金属音が、静まり返った川辺に木霊する。


「なんだか、随分とあっさりしてるんだね」


 私は、興が醒めたと言わんばかりの彼女の態度に少々面食らいながらも、夜叉が放り捨てた妖刀を拾い上げた。


「なんじゃ、不満かえ?」


「いいや、ちっとも」


 ニタニタと笑いながら問いかける夜叉に、私は刀の刃先を夜叉の首元に突きつけながら短く答えた。


 ……これで、ようやく終わりか。


「……そういえば、私まだ名乗ってなかったね」


「ふんっ、そんなもの、知りたくもないわ。

 なんせ、あれの恥じゃからのぅ。

 根の国に持っていったところで、土産話にもならんわい。

 せいぜい、恥を書かせてくれた生成の小娘がいたというくらいじゃしの」


「あっそ、なら別にいいんだけど……あ、あともう一つあったんだった」


「なんじゃ。まだ殺してくれんのかえ?」


「もうこれで最後だよ、夜叉童子。

 ──お前が捕らえた町の人たち、ちゃんと解放してくれるんだろうね?」


「それには心配に及ばん。

 あれが死ねば、眷属であるあの幽鬼も道連れに死ぬし、捕まえたあの一之助とやらも無事解放されよう」


「ならよかった。

 それじゃ、せいぜいあの世では大人しくね」


「できればごめんじゃがの」


 私は最後にそう伝えると、少しの躊躇いもなくその白く細い首を切り落とした。


──────


 後日談、というか経過報告。


 結局、その後一之助たち葦宮あしのみやの町の住人たちは、それぞれの家の中で目を冷ますという形でちゃんと返してもらうことはできた。

 これは後で聞いた話だが、どうやら彼らは山の中で鬼に捕まったことは全く覚えていないらしい。


 これは僥倖だった。

 なぜなら、もし覚えていたとすれば、彼らにもそれなりにトラウマが植え付けられていたかもしれないし、悲しいことにそんな鬼たちを討伐してみせた私を怖がって、例えば中世ヨーロッパに見られた魔女狩りのような現象が起きかねないと危惧していたからだ。


「本当に、ありがとうございました!」


「いえいえ、当然のことをしたまでですよ」


 あの戦いは、私にとっても避けて通れないものだった。

 逃げるにせよ留まるにせよ、どちらにしろ私は異形の怪物を寄せ付けてしまう。


 ならば、被害を拡大しないためにも、あそこであの鬼どもは退治せねばならなかったのだ。


 “当然のこと”とは、つまりそのことである。


「いやいや、そんなことを言わないでくれよ。

 町を救った英雄になんの礼もしないなんてことがあっちゃ、俺が町の人たちに殺される。

 ……ここは、俺を助けるとでも思って、俺たちに姐さんを労わせてはくれないだろうか?」


 まぁ、全部言う必要もないのだけれど。


 ていうか一之助よ、お前の殺される発言はお前の中で流行っているネタなのか?

 だとしたら全然面白くないからやめておいた方がいいぞ。


 …….まぁ、言わないけど。


 たとえ言ったところで、これはこの人の持ち味なんだ。

 それを否定したところで、何がどう変わるわけでもないだろう。

 ……それに、私が言わなくてもこの人の女房ならなんとかしてくれるだろう。


 私は壊れた橋の修理をしている大工さんの方を見ながら、そんな様子の一之助に苦笑いを浮かべた。


 ちなみに、橋の修理には一ヶ月もあれば完了してしまうそうだ。

 ただ、それは橋だけの修理で、その他治水工事やら何やらを合わせれば、足してあと半月くらいの時間を要するらしい。


 この被害がもし娼館にまで響いていれば更に色町の修復には時間がかかったそうだが、今回は戦闘の主な場所が、町外れの山とこの川辺だけで済んだものだから、この程度の工事期間で済んだらしい。


 あぁ、それと戦闘といえばなのだが、女呑童子や夜叉童子の死体は、朝日に照らされたのと同時に塵となって消えてしまった。


 あいつらが昼間に活動せず、日の落ちた夜にのみ行動していたのは、どうやら弱点が日光だったからのようだ。


 まるで前世に観た映画『ドラキュラ伯爵』のような弱点だ。

 もしかしたら十字架を切っても倒せていたかもしれない。

 と言っても、私にはキリスト教の聖書の内容なんてわからないし、そもそもこの世界にそんなものがあるかどうかすら怪しいんだけどね。

 あったとして、案外南無阿弥陀仏と唱えるだけでも対処できたかもしれない。


 ──と言っても、そんなものは後の祭りである。


 こういうのは、もし次があれば試してみようと心に留めておくのが一番だ。


 私は一之助の一家が経営している宿の部屋で、夜叉童子から貰い受けた妖刀を研ぎながらそんなことを考えた。


──────


 しばらくして夜になった。

 私は依頼料で買った新しい小袖を身につけて、色町の大きな宴会場へとやってきていた。


 小袖を新しく買い替えたのは──まぁ、言わずともわかるだろう。

 私の再生能力は肉体の治癒であって、装備していた服や武器までは修復されないのである。


 あー、つまり。

 あの夜叉童子の妖刀・武甕雷で下半身をぶった切られたあの頃から、実は私は下半身丸出しで戦っていたのだ。


 だからあんなシーンも、こんなシーンも、実は下半身が丸見えの状態でやっていたということだよ!


 あー恥ずかしい!

 こんなこと私に言わせるな!


 閑話休題。


 とまぁ紆余曲折あって、私は今宴会場にいるのだが、これがまた楽しい。


 美味しい料理に快い音楽。

 それに合わせて踊る芸者に、隠し芸を披露する商店街の面々。


 こんな時間を過ごしている時、私はふと思うのだ。


 あぁ、この平和を私が守ったのだ、守りきることができたのだな、と。


 私は面白涙に混ぜて嬉し涙を流しながら、この一時の平和を楽しむのだった。


 あぁ、お姉ちゃんや廃寺の兄弟とも、この時間を共有したかったなぁ……。


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