6.みんなで情報共有
ピンポーン、とチャイムの音が家に響いた。
玄関の前に立っていたのは、案の定執事さんだった。その隣に立っている田中は予想通り制服姿だ。
「荷造りに人手が必要かと思いまして、少々早めにお迎えに上がりました」
「上がりましたー」
よく分からないが、とりあえず二人をリビングに案内する。田中は何度か来たことがあるので慣れた様子だ。
二人をソファに案内するとお茶を出した。
「これはこれは……坊ちゃまにお茶を入れていただけるとは、恐縮でございます」
「いただきまーす」
執事さんと田中の差が著しい。
執事さんは一口お茶を飲むと話し始めた。
「翠様は悪い方ではないのですが……坊ちゃま方にはわざと詳細を伝えずに事を進め、楽しんでおられる節がございます。翠様が今考えていらっしゃる件につきましては、さすがに坊ちゃま方に何も知らせないわけには参りません。そこで、僭越ながらこの私めに説明をさせていただきたく存じます」
それから執事さんが語った内容は驚くべきものだった。
翠さんが僕達を夕食に招いた真の目的は……雅の体験入学が終わる一週間後まで僕達と暮らすこと、らしい。
何に対しても興味を示し、何を教えてもすぐに理解し吸収していく雅を見て、できるだけ多くの時間を使ってさらなる知識を与えたい、知識を共有したい、と思ったのが理由の一つだそうだ。他の理由としては「面白そうだから」が大部分を占めており、雅の隠された事情を知ることができればいいな、という淡い期待もあるらしい。
……そう考えたとしても、僕達と暮らそうという結論には普通ならないと思うが。
「……というわけでございまして、坊ちゃま方にはご協力をお願いしたいと思っております。どうか、翠様のご希望を叶えてくださいませんでしょうか。坊ちゃま方にはけして不自由な思いをさせることがないよう、私めが誠心誠意尽くさせていただく所存です」
翠さんも執事さんも、普通に接する分には良い人なのだろうが、やはりまともな人達ではないと改めて思う。
「……もし、断った場合はどうなりますか?」
「……ご納得いただけるまでお話をさせていただきたく存じます」
ここまでお願いされて断るつもりはなかったが、この執事さんの説得にはけして勝てない気がしたので素直に了承した。
僕達のやり取りを見ていた田中が神妙な顔をしている。
「俺、断ろうと思ったんだけど……無理だった」
すでに説得されていたようだ。おそらく一週間分の荷造りも済ませて来たのだろう。
「雅様のお姿が見えませんが、雅様にも了承していただけるでしょうか?」
「雅なら大丈夫ですよ。むしろ喜ぶと思います。雅と一緒に荷物をまとめてくるので、少し待っていてください」
荷造りを手伝おうとする執事さんをなんとか断って、雅が待つ僕の部屋へと戻った。
すぐに雅へ簡潔な説明を済ませる。
「うむ。是非もない」
やはり雅は快諾だった。
雅と手分けして急いで荷造りを進める。雅の荷物は貸し出された制服と自前の衣装くらいだが、僕はいろいろと必要だ。雅に必要な物を買わなきゃいけないなと考えつつ、二人がかりでスーツケースにどんどん荷物を詰めていけば、思いの外早く終わった。
雅を連れてリビングに戻ると、執事さんは僕が出したお茶の後片付けを終えていた。人様に片付けをさせてしまい少し申し訳ない気分になる。
「皆さん準備が整ったようでございますね。では、参りましょう」
執事さんが車に荷物を積み終わると、すぐに出発となった。
見ただけで高級だと分かる長い車の後部座席に、雅、僕、田中と並んで座っている。
「田中って寮生だよね? 寮の部屋に執事さんが来たの?」
僕が尋ねると、田中は顔を青くして何かに怯えるように語り始めた。
「あの人が一人で部屋に来て、雪兎と同じようにお願いされたんだ。でも、最初は断った。なんか怖かったし、許可もらってるけど授業サボってるし、これ以上変なことするのはまずいかなって。……そしたら、執事さんの淡々とした説得が延々続くんだよ。なんだか聞いてる内に思考力が低下してきて、思わず承諾した時には……」
思わせぶりに言葉を溜める田中。怪談のように語るのはなぜだ。
続きが気になるので先を促す。
「承諾した時には?」
「……もう俺の荷造りは終わっていて、全て運び出されていたんだ。……怖くね!? 俺、荷造りしてないんだけど! 運んでないんだけど! 運ばれた荷物確認したら、必需品だけじゃなくて、一番お気に入りの漫画とゲームまで入ってて、毎晩一緒に寝るぬいぐるみも荷造りされてたんだよ! 誰が荷造ったの!? 荷造った人はなんで俺の趣味知ってるの!? 超怖ぇ!」
……たしかにそれは怖い。いろいろな意味で怖い。毎晩ぬいぐるみと寝る男子高校生というほっこり要素が吹き飛ぶくらいには恐ろしい怪談だった。
適応力の高い田中をここまで恐怖させるとは。
僕は執事さんの申し出を断らなくて良かったと心底安堵した。
「ははは、田中殿は楽しそうだな」
「怖がってんだよ!」
田中は青褪めた顔のまま勢い良く叫んだ。
さすがは雅。こんなに恐ろしい話を聞いても動じない。
車で三十分ほど走った頃だろうか、翠さんの家に着いた。
平均的な一軒家よりも二~三倍大きな家だったが、広大な庭付きの城のような家を想像していたので、思っていたよりも小さく感じた。そんなことを考えていると、この家は翠さんの一人暮らし用で、実家は別だと執事さんが教えてくれた。恐ろしいと思ったが、もしここが実家であったなら、翠さんの父親である理事長と顔を合わせることになったかもしれないと思い至り、一人暮らしをしていてくれて助かったと思った。
執事さんに案内された部屋に入ると、大きな食卓に人数分の椅子と食器が並べられていた。着席して静かに待っていると、シンプルなワンピースを纏った翠さんが現れた。
「ようこそ我が家へ。やっと来てくれたのね。楽しみすぎて待ちくたびれたわ」
僕達が軽く挨拶を交わし終えると、執事さんが報告を始めた。
「翠様、坊ちゃま方には事情をお伝えしたうえでお越しいただいております。お荷物はそれぞれのお部屋まで運び終えました」
「まぁ、爺が話してしまったのね?」
「申し訳ございません。少し間違えれば、翠様が坊ちゃま方を誘拐したように思われてしまいますので」
「あら、それは困るわ。では、仕方がありません。爺、よくやってくれました」
爺と呼ばれた執事さんは一礼して下がると、翠さんの後ろに控えた。
誘拐の一つや二つ、この執事さんなら何とかできそうな気がする。誘拐云々はただの建前で、きっと僕達に負担を掛けないように行動してくれた結果だと思う。
「さぁ、まずは食事にしましょう」
翠さんの一声で、次々に料理が運ばれてきた。
僕と田中は少し緊張しながらも、上品で美味しい料理を味わった。カトラリーの扱いがわからず首を傾げていた雅に教えようかと思ったが、翠さんが食事する様子を少し観察しただけで理解できたらしい。それからは、見慣れない料理を純粋に楽しんでいた。さすがは皇太子。このラグジュアリーな空間で緊張しないとは。
お腹も膨れてきた頃、デザートが運ばれてきた。それが何かの合図だったのか、室内にいた数人の執事は、爺と呼ばれる執事さんだけを残して退室した。
翠さんはデザートを一口食べて味わうと、楽しそうに口を開いた。
「お腹も落ち着いたし、最低限の人払いもしたし、そろそろ今日のことを話し合ってもいいわよね? 人が少ない方が話しやすいでしょう? デザートと紅茶を味わいながら、気楽にお話しましょう」
僕もデザートを一口食べてから話す。
「翠さん、雅は全てを話すつもりで来ました。雅も僕も、信頼している翠さんと田中になら全てを話してどう思われても後悔はありません。話を信用してもらえるかは分かりませんが、聞きたいことがあればできる限り何でも答えます」
「信頼……」
ぽつりとそう呟いたのは田中だった。嬉しそうで何よりだ。
翠さんはきょとんとした顔で執事さんに尋ねた。
「……爺、わたしは彼らに信頼されるような心当たりがありません。わたしについて、彼らに何か話したのかしら?」
執事さんは優し気に微笑んだ。
「いえ、私めは何も。坊ちゃま方は翠様のことをよくご理解くださっているようですね」
「振り回した相手に信頼されるというのは、なかなか不思議な心地になるものなのね」
どこか呆けたように翠さんが言った。人を振り回している自覚はあったらしい。
翠さんが質問するのを待ちきれなかったのか、田中がおずおずと手を挙げる。
「はい、田中。質問があるならどうぞ」
「あ、ずるいわ」と翠さんが言ったがこういうのは早い者勝ちだ。
指名された田中は無駄に大きな声でハキハキと発言した。
「雅殿は何者ですか!」
本日三度目の質問にして、ようやく正直に答える時が来たようだ。
翠さんも興味があるようで、田中と一緒に僕を見てくる。なぜ雅ではなく僕を見るのだろう。僕が雅に視線を向けると、早くもデザートを食べ終えた雅が立ち上がった。
「それは私の口から語らせてもらおう。先生、田中殿、今まで素性を隠していてすまなかった」
そうして、雅は異世界の「日本」についてと、これまでの経緯を語って聞かせた。僕で一度経験したせいか、説明は上手くまとめられていて分かりやすかった。
雅と入れ違いで異世界に行ってしまった妹に関することも、異世界へ行く方法を探すために情報収集をしていたことも、雅は全て説明した。
「……この世界では、このような話は夢物語の類らしいな。全てを信じてもらえなくとも構わぬ。それでも、無理なお願いかも知れないが、明日からも仲間として協力してもらえないだろうか」
真剣な思いを瞳に込めて懇願した雅は、翠さんと田中がただ黙っているのを見て力なく笑い肩を落とした。雅は拒否されたと受け取ったようだが、僕から見れば二人の顔に浮かんでいるのは拒絶や否定ではないように思う。
しばらくすると、二人が口を開いた。
「雪兎……小雪ちゃんが消えちゃったのに、いつも通り振る舞ってたのか」
「なんて……なんて面白い話なのかしら」
田中は僕の心配を、翠さんは溢れ出る好奇心を口にした。
雅の表情は明るくなり、今度は期待を込めた瞳で二人を見た。やはり、二人の心にあるのは拒絶ではなかったようだ。
「田中、ありがとう。今の僕は落ち着いてるから大丈夫だよ。もちろん小雪が心配だけどね。でも小雪なら絶対に、どこにいても上手くやってるはずだから。僕は雅と一緒に、異世界に行く方法を探し出すことだけ考えてる。……翠さんは、笑い事ではない部分もあるので自重してください」
「あら、ごめんなさいね。わたしも小雪ちゃんがとても心配だとは思っているの。本当よ? けれど、異世界というものに関われた現状に、喜びも大きくて……」
翠さんが興奮気味にそう言った。
分からなくもない。翠さんは良くも悪くも自分の気持ちに正直な人だ。
しかし、二人がここまで素直に話を受け入れてくれるとは思わなかった。翠さんの後ろに控える執事さんにも聞いてみる。
「あの、執事さんは……今の話をどう思いました? 正直にどうぞ」
執事さんは顎に手をやりしばしの間考え込んだ。
「率直に申し上げますと……失礼ながら、信じられないという思いが大きくございます。しかし、私の直感がこれは虚構ではないと告げており、戸惑っているのが正直な心境です。そうですね……何か、物珍しい異世界の品などはございませんでしょうか。話した内容を証明しろというわけではございません。私めの固い頭を解きほぐすきっかけが欲しいのです」
「まぁ、爺の直感が外れることなんてないのに、まだ信じきれていないのね」
翠さんはそう言うが、執事さんの反応が一番まともなんじゃないかと思う。むしろ、全否定しないのはかなり理解のある対応だろう。
「では、私の世界の品を皆に見せようではないか。荷物を取ってきたいのだが、どこにあるだろうか」
「雅様、お待ちくださいませ。そういうことでしたら、皆さんすでに食事を終えられたようなので場所を移しましょう」
執事さんの案内で、全員で雅に用意された部屋へと移動した。
部屋に入るなりすぐさま荷物を探って服を取り出した雅。幾重にも重ねて着ていた着物のひとつだ。
雅は片手で着物を持つと、もう片方の手で着物の内側をまさぐるような動作をする。僕達が不思議に思いながら眺めていると、まさぐるように動いていた雅の手に金色の何かが現れた。
雅は誇らしそうにそれを突き出して見せた。