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4.翠さんと司書室


 翠さんの後に付いて司書室に入ると、室内は想像以上に広く、想定外に異様な空間だった。まず目に付いたのは綺麗に整えられたベッド。そして座り心地の良さそうなソファセットにテーブル。冷蔵庫やテレビまであった。

 翠さんに促されて皆でソファに座る。

 壁際には司書の執務用とは思えない立派なデスクもあり、そこで書類を書いていた男性が顔を上げてこちらを見た。

 翠さんの他にいた司書はこの人じゃなかった気がするけれど、一体誰だろう。


 「わたしはこれから彼らと食事を取ります。後はお願いね」

 「かしこまりました」


 翠さんに一礼して部屋を出る男性。翠さんの代わりにカウンター業務を引き受けたのは理解できたけれど、今のやり取りは謎すぎる。


 「あの者は側仕えだったのですね」


 雅の言葉に翠さんはクスリと笑った。


 「側仕えという言い方はあまりしないけれど、あれはわたしの執事の一人よ。よく分かったわね」


 「皇太子だからな」と僕が言いたい気分になった。男性の動きや翠さんとのやり取りを見て、自分の側仕えのことでも思い出したのだろう。

 そして、今僕が驚愕しているのは、翠さんが司書室だけでなく、司書業務全般を自分の思うままにしているということ。翠さんはこの高校の理事が溺愛する一人娘らしいのだが、翠さんが職権濫用しているという噂はこのせいかと納得できた。


 「……職権というか、親の権力を最大限濫用してますね」

 「わたしにとっては濫用ではなく適切な権力の行使です」


 僕の感想に飄々と答える翠さん。


 「前にいた他の司書さんはどうしたんですか?」

 「ここより待遇のいい職場を推薦状付きで紹介したら喜んでくださったわ。クビにして放り出したとでも思ったのかしら? わたし、そこまで酷い人間じゃないわよ」


 翠さんはくすくすと笑った。恐ろしい答えが返ってこなくて良かった。

 

 「そろそろ食事を取りましょう。お腹が空いているでしょう?」


 翠さんは豪華で高価そうなお弁当でも食べるのかと思えば、購買で買ったと思われるサンドイッチを取り出して食べ始めた。


 「翠ちゃんも購買のパンとか食べるんだね」


 田中が僕の思っていることを言ってくれた。


 「あら、意外? 図書室にいる間は片手で食べられる食事しか取らないの。そうじゃないと本が読めないでしょう?」


 本を汚さない食べ方は心得ているが、万が一図書室の本を汚すことがないよう、食事中は私物の本を読んでいるという説明も付け加えられた。さすが「本好き翠ちゃん」とみんなに言われるだけはある。権力の濫用はともかく、本に対する執着は立派な司書だ。


 「それで、調べ物をしたいという『雅殿』はあなたよね?」


 翠さんから本題に入ってくれた。突然話しかけられ、パンを急いで飲み込もうとする雅を抑えて僕が答えた。


 「彼は壱乃宮雅。体験入学生です」

 「見慣れない生徒だと思ったら、やっぱりあなたがそうだったのね。話は聞いているわ。わたしはこの図書室の司書、立花翠(たちばなみどり)です。以後お見知りおきを」


 翠さんの言葉に、パンを飲み込み終えた雅は綺麗な礼をして見せた。


 「改めまして、壱乃宮雅と申します。先生から丁寧なご挨拶をいただき恐縮です。よろしくお願いいたします」

 「こちらこそ、もったいないくらいに丁寧な挨拶をありがとう。雅くんと呼んでもいいかしら?」

 「勿論です」

 「では早速だけれど、雅くんの調べたいことは何なのか聞かせてくれる? 協力させてもらうわ」


 「本好き翠ちゃん」の噂には、図書室にある本の内容を全て暗記している、というものがある。本当に全て暗記しているのかは分からないが、全蔵書の内容をほぼ把握しているというのは事実らしい。そんな翠さんなら雅の目的を達成するのも容易いだろう。


 「先生のお手を煩わせるのは忍びないのですが、お言葉に甘えさせていただきます。簡単に言えば、この世界について知りたいのです。世界の歴史、経済、政治、文化、宗教など、あらゆる学問と、人々の暮らしに関するあらゆる情報を望みます」


 ぽかんとする田中。目をぱちくりとさせる翠さん。無駄にキリっとした雰囲気を纏っている雅。翠さんはどう対処するんだろうと他人事のように考える僕。


 雅が高校へ行きたいと言い出した一番の目的は図書室だ。ここの図書室は国内でも有数の蔵書数を誇ると話したのがきっかけだ。

「さすがにここの図書室にも異世界へ行く方法が書かれた本はないと思うよ」と伝えても、「あらゆる情報を集めれば自ずと答えは見えてくるものなのだ」と、雅は意に介さなかった。

 PCを使って多くの情報を得られると学んだ雅だが、ネットの情報は乱雑でまとめにくく、真偽の判断も難しいというデメリットをすでに理解している。ネットだけでなく書籍からも情報収集を行う姿勢には僕も同意する。


 少しの間驚いていた様子の翠さんだったが、雅に向けて挑戦的な笑みを見せた。


 「ふふふ……いいでしょう、受けて立ちます。この図書室とわたしの手にかかれば造作もないことだわ。最低限の冊数で、最高の内容のものを用意してみせましょう。……雪兎くん、悪いけれど、本を取りに行くのを手伝ってくれる?」


 翠さんは食べかけのサンドイッチを置いて手を拭くと、僕の返事も待たずに部屋の外へ向かう。雅の情報収集は僕のためでもあるので喜んでお手伝いさせていただこう。

部屋を出る前に後方から、「私は先生に勝負を挑んだつもりはないのだが……」という雅の声がぼそりと聞こえた。


 司書室を出ると、ワゴン役に任命された。翠さんが選んだ本をワゴンに乗せて運ぶ係だ。

 翠さんはほとんど迷いなく、しかし時折両手に本を持って悩みながら本を選び出していく。移動の仕方に無駄はなく、本を開いて内容を確認することもない。あらゆる本の場所も、その内容も、噂通り記憶しているのだと理解して感服する他ない。


 「ねぇ、雪兎くん。雅くんは何者なのかしら?」


 唐突に翠さんに尋ねられ、思わずどきりとしてしまう。


 「他の先生方から雅の家庭の事情を聞いてませんか? 変わった生い立ちなので知識が少なく常識に疎いところがあります。そのせいで、いろいろなことを学びたいという欲求が人一倍強いみたいですね」


 なんとか動揺を見せずに答えられたと内心ほっとする。けれど、翠さんはやはりただ者ではなかった。


 「雅くんの抱える事情は、すでに全ての教師と職員が耳にしていると思うわ。わざわざ周知させたり、大っぴらに話題にしていい内容じゃないけれど、みんな誰かに話さずにはいられないみたいよ」


 それはそうだろなと思う。盛りすぎた感も否めない「可哀想な雅くん」設定だ。良くも悪くも人と共有したくなる内容だろう。


 「勿論、わたしも全て聞いたわ。でもね、雪兎くん。わたしが知りたいのはそういうことじゃないのよ。分かるでしょう?」


 にこりと微笑んでいる翠さんだが、なんだか恐ろしさを感じる。


 「彼は、壱乃宮雅は何者なのかしら?」


 正直に全てを話すことは到底できないが、翠さん相手にこれ以上嘘を重ねるのも無理そうだ。


 「……言えません」


 そう伝えるのが精一杯だった。

 翠さんは僕の答えに不満を見せることもなく、恐ろしさを感じる謎の凄みも引っ込めてくれた。


 「ふふ、その言葉が聞けてよかったわ。そんな誤魔化しがわたしに通用すると思われたくないもの。特に雪兎くんにはね」

 「正直に話せなくてすみません」

 「気にならないと言えば嘘になるけれど、深く聞くのはやめておきましょう。ただ、隠し事は構わないから嘘は吐かないでくれると嬉しいわ」

 「……はい」


 翠さんが大人で助かった。

今のやり取りを他人にべらべら話すような人ではないし、情報収集の協力者としてありがたい存在だし、嘘を吐かなくていいのは僕としても少しやりやすくなった。


 たくさんの本を積んだワゴンを押して翠さんと司書室へ戻ると、田中がスマートフォンの画面を雅に見せながら何やら熱弁していた。


 「この店のハンバーガーは本当に美味いんだ。今度、雅殿も一緒に行こう」

 「なんと、それはありがたい」


 司書室では僕達を待つ間に食べ物談義が催されていたようだ。

 雅は本が積まれたワゴンを見て目を輝かせた。


 「こんなに多くの本を短時間で選んできてくださるとは、感謝と尊敬の念に堪えません。先生、ありがとうございます」


 翠さんはワゴンに積まれた本を並べながら説明をする。


 「久しぶりにやりがいのある頼まれ事で楽しかったわ。……ここからここまでの本が、雅君の欲しい情報がまとめられている本。補足として役立つのがこの数冊ね。雅君の注文は幅が広すぎて少し悩んだけれど、できるだけ多くを網羅できて、なおかつとてもわかりやすい本を選んだの。満足してもらえるはずよ」


 誇らしげに翠さんが言うと、雅はすでに満足気な表情を浮かべながら、どれから読もうかと本を選び始めた。


 「ちょっと待って、雅くん。あなたが優先して知りたい情報を教えてくれたら、わたしが本を使いながら教えるわ。全ての本、全ての文章に一人で目を通すよりも効率的でしょう?」


 その提案に雅は難色を示す。


 「いやしかし、先生にそこまでしていただくわけには……」

 「あら、遠慮しなくてもいいのよ? こんな面白いことなんて滅多にないから、わたしが協力したいんだもの」


 しばしの交渉の後、結局翠さんにご教授いただくことになった。

 しかし、そう決まった時にはすでに昼休みの終わりは近かった。もうすぐ教室に戻らなければならないと名残惜しそうにする雅を見て、翠さんはとんでもないことを言い出した。


 「戻りたくないなら、戻らなければいいじゃない」


 どこのアントワネットだろう。

 呆気に取られる僕達に構わず、どこかに電話を掛けながら執事に指示を出し始めた翠さん。少しすると、教室に置いていた僕達の鞄を翠さんの執事らしき人が運んできてくれた。最初に会った執事とは違う人だったけれど、どこから現れたんだろう。


 「雅君の体験入学が終わるまで、あなた達は好きな時だけ授業に出席すればいい、ということになりました。登校してから下校までずっとここで過ごすことも可能です。司書室への自由な出入りを許可します」

 「すごいこと言う……」


 権力濫用スキルを駆使して楽しそうな翠さんの宣言に、田中が小さく声を漏らした。

 僕は構わないが、雅と田中はどうだろう。そう思って二人を見ると、呆然としていた田中は既に立ち直り、雅と共に喜んでいた。


 「いいの?」


 僕の問いに二人が答える。


 「雪兎と雅殿と一緒に、正式に授業サボれるなんて何の文句もない」

 「もとより情報収集が一番の目的だからな。高校を一目見て、制服を着ることができ、生徒として扱ってもらい十分楽しんだ。後は本来の目的を果たそうではないか」


 雅の答えに不可解そうな顔をする田中はひとまず放置しよう。

 こうして、僕達はしばらく翠さんのお世話になることが決まった。


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