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1.数学的変態と謎の男



吾輩は健全な変態である……。

 そんなことを脳内で呟きつつ、僕は現在数学の問題を解いている。


 数学は素晴らしい。なぜなら、エロスに満ちているからだ。

 あらゆる数字、記号、式が僕の妄想を掻き立てる。直線と曲線が織り成す美しさは、神秘的な魅力を醸し出す女体に通じるものがある。


 数字の中でオススメを選ぶのなら、やはり「9」だろうか。

 デジタル上の書式において、「9」の下半身は艶めかしい曲線を描いている。しかしながら、ほとんどの人間が筆記の際には「9」の下半身を直線で表すのだ。

 ここから具体的にどんな妄想が繰り広げられているのか、僕の脳内を詳しく語るのはやめておこう。語らずとも「9」の持つ二面性、小悪魔的魅力はきっと伝わるだろうから。

ちなみに、僕は数学に感じる性的魅力に惹かれるだけで、問題を解くのはあまり得意ではないと明言しておく。


 コンコン、と室内に響いた音で妄想から引き剥がされる。音のした方に目をやれば、部屋の入口、扉の向こうから声が届いた。


 「雪兎、まだ起きてるよね? 入ってもいい?」


 どうやら我がシークレットラボ(自室)に招かれざる客(妹)が来たようだ。

 面倒なので机に向き合ったまま返事をすると、ガチャリと扉を開けて招かれざる客(妹)が入って来た。


 「また数学の勉強してるの? 好きだね」


 机を覗き込んだ妹は少し呆れたように笑うと、僕のベッドに遠慮なく腰掛けた。


 「小雪こそ、また暇してるの? 暇だからって、しょっちゅう兄の部屋に来る女子高生は珍しいと思うよ」

 「そうだねぇ。でも勉強が終わったら寝るまで暇なんだもん。友達はみんなネットやテレビで暇潰しするらしいけど、わたしは雪兎と話す方が楽しいから」


 妹はクスリと笑った。


 ……あぁ、可愛い。

僕の妹は世界一可愛いのかも知れない、と結構本気で思っていたりする。先ほど脳内で招かれざる客扱いをしておいてなんだが、僕は妹が大好きなのだ。

 安心してほしい。僕は健全な変態だ。この感情は禁断の恋などではけしてなく、単なるシスコン精神だ。

 妹に近付く男は許さない、なんて思わない。それでも、健全な変態であることと、妹を幸せにするため努力できる男、という条件は外せないけれど。

 健全な変態を条件に入れているのは、世の中には2種類の男しか存在しないからだ。健全な変態と、健全じゃない変態。後者は勿論妹の相手としては論外だ。


 ふと妹を見れば、本棚から小説を取り出して読み始めていた。僕の買う本は全て妹も目を通す。いつしかそれが当然のことになっていた。

 話をするんじゃなかったのかと少し寂しく思うが、楽しそうに小説を読む妹の邪魔はできない。僕も再び数学の問題に目を落とした。


 「ね、ねぇ……雪兎」


 しばらくの間お互い無言で過ごしていたが、妹が突然不安気な声を上げた。何事かと思って視線を向けると、本当に何事かと思うことが起きていた。


 妹が光っている。

厳密に言えば、ベッドに座る妹の足下から光が放たれており、その光が妹を包んでいるように見える。ベッドに隠れて全体は見えないが、光は円形のようで、記号のような不可思議な模様も床に浮かび上がっている。


「……魔法陣?」


僕の口から思わず漏れた呟きに、妹の体がびくっと小さく揺れた。


「怖いんだけど……。雪兎のいたずら、とかじゃないよね?」


 妹に頷きだけを返し、じっと魔法陣のような光を観察する。よく見れば、妹の体が足先から徐々に透けていっているように見えた。

何が起きているのか分からないが、なんだかまずいという焦りが込み上げてくる。

妹が消えて二度と会えなくなる気がして、急いで妹へと駆け寄った。妹の手をぎゅっと握り、早口で語りかける。


「信じられないけど、テンプレ通りに行くならこの魔法陣から異世界に飛ばされるかも知れない。こうして手を繋いでいても、小雪だけどこかに飛ばされたり、お互い別々の場所に飛ばされる可能性もある」


僕の本棚の一部にある、「異世界転移・転生系」の小説たちを一瞥した。それらの小説は少なくはない数が本棚を占めているが、妹も全て読破している。だから、小雪も僕と同じように想像し、同じように焦っているはずだ。

どんどん妹の体が薄くなっていく。けれど僕の体に変化は見えない。

僕は妹が消える恐怖と焦りをできるだけ押し殺し、涙目で困惑している妹に語り続けた。


「小雪がどこに行っても、僕が必ず迎えに行く。小雪は賢い子だから、知識、経験、想像力、全てを総動員すればどこでも絶対に生き残れる。信じてるから。僕が迎えに行くまで無事でいて」


 今や妹は首から上だけしか視認できない生首状態だ。それすらもどんどん薄れていく。

 強く握りしめていたはずの妹の手はいつの間にか消えていたけれど、僕の手は見えない妹の手を掴むように力が込められたままだ。

 

 「……わたしも、雪兎を信じてる」


僕の思いが十分に伝わったのか、妹は自分の全てが消える前に、にっこりと笑ってみせた。その瞬間に妹の目から涙が零れたけれど、涙は床に落ちる前に妹と共に消えた。

 

部屋に残るのは眩く光っている魔法陣と、妹へ差し出した手を下ろせないでいる僕だけだ。眩しくて、苦しくて目を閉じた。

ゆっくりと光が収まっていく中、僕の手が何かの温もりを感知した。


「……小雪!?」


 妹は消えずに済んだのかと、必死にその温もりを掴んでみたが、それは僕の知る温もりではなかった。

 目の前にいたのは謎の男。僕は、謎の男の手をがっしりと握っていた。

 男の顔には驚きが浮かんでいたが、なぜか喜んでいるようにも見えた。

僕の心は急速に冷え、男の手を払って心以上に冷めた視線をぶつけた。


 「……誰。小雪はどこ? 今すぐ返せ」

 「……ふむ。私は壱之宮流雅だ。小雪というのは知らぬ。よって其方に返してやることはできぬな」


 男はそう言いながらもキョロキョロと部屋中に視線を動かし、やはりどこか楽しそうに瞳を輝かせていた。


 ……突然現れた、とてつもなく信用できない怪しすぎる男。なのに、なぜか悪い奴ではない気がするのが癇に障る。

 僕が深く溜息を吐いて椅子に腰を下ろすと、男はキラキラとした目で話し出した。


 「ここは……異界だな? もしかしなくてもそうであろう。やはりあれは転移の方陣だったか。どこに転移させられるか分からなかったのでな、私の法術で少し干渉したのだが……面白そうな地に来られたようだ。興味深い」


 すこぶる怪しいが悪い奴には見えない不思議な男。どうやら、小雪同様こいつも無理矢理飛ばされたようだ。……男の言を信じればの話だが。


 男はずっとベッドの上に座り込んだままだ。床を見ても魔法陣のようなものは何もない。男が現れると同時に消えたのだろうか。

 

本棚から小説を取り出してパラパラと読み始めたマイペース男を見つめる。

 男の口調も胡散臭いが、なにより服装が奇妙だ。

 ……どう見ても束帯だ。平安貴族の衣装と言えば分かりやすいだろうか。笏こそ持っていないが、それ以外はとても酷似している。

布を重ねすぎて重そうだし動きにくそう。それが正直な感想だ。

黒髪黒目で日本語を話し、平安貴族のような恰好とはいえ自分の記憶にある日本的装いをしているため、この男が異世界人だと言われても納得できない。


 「どうしてそんな格好を?」


 他に聞くべきことはたくさんあるだろうが、つい口を突いて出た質問だった。

 男は小説に落としていた目を僕に向けて答える。


 「あぁ、異界にこのような衣服は無いのだな? 私の国では身分が高い者ほど豪奢に、華美に、無駄に、着飾らねばならぬという面倒なしきたりがあるのだ。簡潔に言うならば、身に纏う布が多ければ多いほど偉いということだ。よく分からぬ理屈だろう?」


 ははは、と笑う男。手を動かしてひらひらと着物の袖を揺らした。


 「権力を示すために使う布切れに何の意味があると言うのか。その分の金銭を民に回した方が、国が豊かになるであろうにな」


 男の瞳が少し物憂げになったのに気付いたが、気にしないようにして質問を続ける。


 「あなたは異世界からここに飛ばされたようなことを言っていたけど、あなたが来る前に消えた僕の妹はどこに行ったのかな。あなたがいた世界? 何か分かるなら何でもいいから教えてほしい」


 男は顎に手を当てて考え込む。少しして、ハッとしたように目を開いたかと思うと、なぜか申し訳なさそうに僕を見てくる。


 「……先ほど言っていた小雪というのが妹の名か? 私の法術ではないので確かなことは分からぬが、転移の方陣によって姿を消したのであれば、おそらく私の国に転移したのだと思うぞ。何らかの目的で術者に呼ばれたのではないか?」

 「何らかの目的って何?」

 「私は小雪と同じく強制的に転移させられた身だぞ。推測はできるが答えは分からぬ」

 「小雪が消えた原因に、あなたは関係しているの?」


 男の表情がぴしりと固まった。


 「……正直に話すが、怒らないでくれると嬉しいのだが。其方とは協力関係を築きたい」

 「答え次第かな」


協力とは何なのか、気になるが今はそれどころではない。僕が睨むように見つめていると、男は小さく息を吐き、観念したように口を開いた。


 「まずは、一から事情を語っても良いだろうか」


 長話が始まる予感がしたので待ったをかける。


 「ちょっと待った。先にこれだけ聞いておきたい。……小雪は無事かな。殺されたり、酷い目に合う可能性は? 小雪が帰って来る方法、もしくは、小雪を迎えに行く方法はある?」


 男は思考をぐるぐると巡らせているのか、目を閉じて話し始めた。


 「術者の正体も目的も確かなことは分からぬが……どちらも心当たりはある。私の推測が当たっていて、なおかつ最善の事が起こっているのであれば、小雪に危険は及ばないはずだ。保護されて丁重な扱いを受けるか、それがなくとも安全な場所にいるだろう」


 その答えは曖昧すぎて安心できるものではないけれど、縋って信じたくなるものだった。

 続けて男は話す。


 「小雪が丁重に保護されている場合、おそらく自力でこちらの世界に帰還するのは無理だろう。保護されていない場合も、よほどのことがなければ帰還は難しい。私が帰還する方法を探し、其方も私と共にあちらの世界へ行かぬか? それが小雪と再会できる可能性が一番高いのではないかと思う」


 男が言っていた協力関係とはこの事かと納得する。

 僕はまだ男の全てを信じてはいない。元の世界へ帰るための協力者として僕を利用したいだけで、本当のことを話している保証はない。妹は自力で帰還できるかも知れないし、妹が丁重な扱いを受けるはずだとか、安全な場所にいるはずだとか、嘘かも知れない。

けれど、否定する根拠も理由もない。今はこの怪しい男しか、妹に繋がる道はない。


「一から十まで、詳しく話を聞かせてもらうよ。僕は小雪を迎えに行く」


尋問じみた長い事情聴取が始まった。


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