第1話 「#ハッシュタグ」
日が落ちて、雲の隙間に月が見え隠れする夜更け。私はその日も終電で会社を後にした。
「ただいまぁ……」
ぼそりと呟き、誰もいない玄関をくぐると、学生時代に修学旅行のお土産で意味もなく買ったマーブル柄のガラス皿に部屋のキーを放り、いつだったかの騒がしくも充実していた若かりし頃の日々を振り返る。
「はぁ……さむぃ」
スマートフォン片手に暗がりを進むと、そこではじめて留守電に気がついた。チカチカと冷たいLEDのライトが寂しく光っている。
現在お預かりしているメッセージは二件です。と機械が喋り、あっそうですか。と返してみたり。くだらないと分かっていても、こうでもしないと気がくるってしまいそうな。そんな。
……そんな日常。
冷蔵庫から痛いほどに冷たくなったビールを取り出して、缶のタブに指をひっかけると、何とも表現しがたい美しい音をワンルームの部屋に響かせる。グイッと喉を鳴らして乾いた心を潤し、空っぽの体をアルコールで満たす。気の抜けた吐息をつまみに景気よく流し込まれたビールは気持ちよく現実を溶かしてくれる。
「ッかぁ! うんめぇなぁ~オーイ!」
そんな感じで、生きる目的を見失った私はボーッとパソコンの起動画面を眺めながら無意味に時間を消化していく。
疲れきった私は飲みの誘い、後輩からの連絡、録り溜めた深夜番組さえも、どれも魅力的で胃もたれを起こしそうなほど重く感じてしまって、壊れそうな私を現実から逃すまいと息が出来ないほどきつく絡みついてくるのが、全部ウザったい。
右手にビールで左手にスマホ。ああネットがある時代に生まれてきてよかった。それがせめてもの救いだなぁ……。こういうとき長い社畜で培った特技『マルチタスク』は非っ常に役立つ。モニターで動画観ながらタイムラインパトロール、その上コメントだって打てちゃう。
ジャンルは音楽、カテゴリ別の新着動画に並ぶサムネイルとタイトルから作曲家と歌い手だけを確認してお目当ての物を見つけると、私はすぐにそれをクリックする。
「あっ……、もう好き」
そして、最初の一音が鳴る前に私はゼロ秒コメントを打ち込んだ。
私みたいな玄人となるとまず最初に好き一回、サビに入る中盤に好き二回目、それから最後に三回目の好きには大を付けて大好きと、最低でも三回はコメントを打ち込むわけ。
「ハイっスキ。はいっマイリスっ! いっつも名曲あざますっ!」
ループ再生される新曲をBGMで垂れ流し、SNSにハッシュタグ付きで感想を投稿。
『疲労に疲れ、目の汗枯れ、彼とは切れ、バッテリー切れる前に充電器に刺し、十二時指した時計は歯車まわして、その意味も知らないまま虚しく今日を数える #sm21289127』
てな感じで、私はフォロワ二桁の自分のSNSに愚痴や理想を言葉にしてつぶやいた。これが私流のつぶやき。私にとって『感想』とは感じたことを想いのままに綴ることである。
ともあれ、そんな具合で一通り新着動画の巡回を済ませた私は残ったビールを一気に飲み干して気合を入れる。
「くぅ~っ、さてと……メイク落として今日のよごれも落とすかぁっ」
浴室のハンドルを捻るとシャワーヘッドから暖かいお湯が吹き出した。はねた水滴がきめ細やかな肌に伝い緩やかなくびれを撫でるように……っぷくすくす
「ぶぁああかァ! 残念でしたぁー現実はそんな甘かねぇえんだよ! こちとらアラサーじゃい! 女子力? なにそれおいしいの笑」
ガニまた歩きでぬれたタオルをペシンと背中に叩きつけてガハハと笑う残念なシャワータイム。
「これがリアルってもん、みんなこんなんよ~っ!」
こんな風な生活を送るようになったきっかけ……はじまりは学生時代だ。
当時一個下の親友に教えてもらったネットの動画。俗にいう歌ってみた動画ってやつ。
もうね。衝撃だったよね。だってそれまで私、ネットの動画なんて頭の悪いガキが自己満足で馬鹿みたいな動画撮って、皆さん笑ってください~。みたいなのを想像していたからさ。
でもみせてもらった動画は全然違ったの。動画を通して関わった人たちが一人一人見えてきたっていうか、なんだかキラキラして見えて、なんていうんだろ……超っ活き活きしてる! みたいな。まぁそれからハマったよね。それはもうドップリと。
いまじゃ歌ってみた系に関しては、私の方が親友よりもだいぶ詳しくなってるよね多分。歌い手さんに、作曲家さんと作詞家さん、それから動画師さんやイラストレイターさん……すぐわかっちゃうもん。
とまぁ長くなったけど。パッとしない学生時代を送り、映画のヒロインみたいな衝撃的な恋もしたことなければ、目的持って夢を追いかけるようなこともなかった。見失ったまま社会に出てみれば、理不尽な要求ばかりされる社畜な日常。繰り返す生活。その壊れてしまいそうな私に唯一残された心のオアシスが歌ってみた動画ってわけ。だったらいいなぁと自分に重ねてみたり、クリエイター気分で痛いつぶやきしてみたりしてますよっと。詰まる所さ、
「お父さんお母さん、あなたの娘はこんな立派なオタになりましたよ。笑」
って感じ。ヤバいわ……口に出しちゃうところらへんがホント……。
浴室から出ると裸足のままペタペタとクローゼットに直行。部屋着に着替えてから、ネイルの剥げたつま先を隠すように裏地の付いたスリッパに差し込んだ。それからクッションに腰掛けドライヤー使って、暇で仕方ない時間を仕様もない思いに耽ってやり過ごす。
「ったくさぁ、ねえ聞こえてる? 君さぁ疲れも落してくれるんならきっと好きになれるとおもうんだけどなぁ? よごれだけじゃなくてさ? 聞こえてますかシャワー君? いくら出せば心癒してくれますかぁ~? お金だけはありますんで~。……はぁ……お金しかないな私……おわってんなぁオイ」
浴室のシャワーヘッドに聞こえるように、独り言をぶつくさ垂れながら、濡れた髪をブラッシング&ドライヤー。両手塞がるし音煩いし動画も観れないしでホントこの時ばかりは退屈すぎる。とはいえ濡れたまま寝たら朝起きて頭がX JAPANになってて、それからは渋々乾かしてる。
髪切ろうかとも考えるけど、ドライヤーいらない長さってベリーショートとかボーイッシュぐらいじゃないかと思うし、さすがにそこまでにする勇気も行動力も私には無いよね。だからボツ。
要するにこの乾かすプロセスが億劫でシャワー浴びるのがそこまで好きになれないってだけの話。独り言には特に意味は無い。もしあったらヤバいでしょ。知らんけど。
髪が乾ききる頃には夜更けも過ぎて、マンションの住人が寝静まった深夜。長かった一日が終わろうとしていた。
ビール飲んでメイク落として部屋着にも着替えた。……でも寝れないんだなぁ。何故ならだって、寝る前にまだやることが残っているからっ!
…………。
……。
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