人間、魔王と戦う!
……おかしい、おかしすぎる。
「あ〜コレ超美味しい〜」
「やんな!なんぼでもイケるで!」
「あぁ、食べた瞬間から鼻を抜けるハーブの香りがまた、この紅茶と絶妙にマッチしている!」
「……お、お前ら…」
ナギ、ティファナ、チハリートの三人は呑気にティータイムと洒落込んでいた。
つい数十分前まで、緊張感をまとっていたのにこの有様は無いだろ?
「なんだ、アッシュ君は食べないの?」
「そーだそーだ!せっかく用意してくれたんだし、もらえばいいんだよ」
「うっさい黙ってろナギ!お前ら、分かってるのか?目の前のコイツは……!」
そう言って、アッシュバルは対面して逆さ吊りされている彼を指差した。
「魔王なんだぞ!?」
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ほんの、三日前。日が真上に昇る頃のこと。
「いいか?魔族は総じて真昼の時間が一番弱体化する。逆に真夜中だと活発になるんだ」
「知ってるよ、だから真昼の今に攻め入るんでしょ?」
「それで、攻める作戦は?」
「あぁ、まず正面突破だ。門番はほとんど下っ端の仕事だからな、城の連中でも最弱の奴を置くのが定石だ。物音を立てるなよ?」
茂みの影から魔王城の入り口を見て、誰もいないのを確認する。運が良ければ、誰にも遭遇せずに侵入出来るハズだ。
「そん後は?」
「裏庭からキッチンに入る。あとは、中で暴れればどうにでもなるだろ」
「うわ、アッシュバルが知略を使ってない!」
「情報が少なすぎるし、それにこの時間っていうのもあるな。短期決戦を決めたいから、中まで入ったらナギ、暴れていいぞ」
「うわっほーい!」
バトルジャンキーは放っておいて、俺たちは魔王城に突撃した。その直後、どこからか声が聞こえる。
「………シンニュウシャ、カクニン」
「くっ…!簡単に行かないとは思ってたけど……!」
「アッシュ!上だ!」
門の支柱の上、石像に見えたそれが動き出し、赤く光る目をこちらに向けた。
「よし、聖騎士協会の調べた情報通りだ!奴は動きが遅い、目線を合わせると石化させられるから、警戒して抜けろ!」
「うわっ、目から魔光線が!」
「コッチヲミロォ!」
当たれば焼き切られる光線を避け、中庭に出る。裏口から侵入し、作戦通り魔王の元を目指す。
「よし、侵入成功」
「で?どないするん?」
「部屋の中に隠れながら進もう。これだけ広ければ、無人の部屋がいくつか……」
そう言ってアッシュバル達は手近な扉に手をかける。ゆっくりと中を確認し、無人を確認してその中に潜んだ。
「目指すのは、一番上の階なんだよね?」
「あぁ、そこに魔王がいるそうだ」
「なら、最初は上に向かう階段を探すのか?」
「せやけど、それ絶対に見つかるやろ?」
「窓の外から上の部屋を目指すといいよ」
「…そうか!それならまず中からは見つからないし、騒ぎにもならない!」
「なるほど!名案だな!」
「ちょおまち。鍵はどないすんの?」
「窓の鍵は古くて脆いから、叩けば外れる。それに、三階より上は鍵が設置されてない」
「……よし、それで行こう。じゃあ窓から登って最上階まで…」
ふと、アッシュバル達の頭に違和感がよぎった。俺、ナギ、ティファナ、チハリート……その四人のはずだ。うん、間違えてない。なのに、なぜ、俺は五人目と会話している?
「「「「誰だお前は!!」」」」
「え?」
直視して、気がつく。目の前の存在は異形の者だったのだ。肌は浅黒く、髪は白金髪。鼻筋は通っているが、目尻がつり目のせいで爽やかには見えない。瞳は紅く、爬虫類のようにタテに伸び、犬歯は異様に長い。そして何よりその頭には、山羊のような角が二本、生えていた。
「俺?俺はアスラ」
「アスラ……って、魔王やん!」
「クソッ…!戦闘態勢を取れ!」
「応!」
アッシュバルは自分の武器を構え、アスラに向ける。勝てる気はしないが、死ぬ気配は無かった。
「お?俺と遊ぶ?いいぜ、そんじゃあ『俺の空間』にご招待しちゃいまそ?』
刹那、魔王が手を叩くと、部屋の壁が吹き飛んだ……いや、別空間に飛ばされた。
「転移魔法!?」
「いや、聖素濃度と魔素濃度が均等になった。これは転移というより、もっと上位の……次元生成の魔法だ」
「次元生成って……伝説級やん!」
俺は背中に大量の冷や汗をかき、絶対的強者を見た。魔王は楽しんでいるのか薄ら笑いを浮かべ、その手に魔力の塊を生成する。
「さ、やろうぜ!ムナイトとばっかだと、飽きちゃってさぁ……剣は苦手だから、魔法だけで勘弁な」
明らかに、舐められている。一対四と数では勝っていても、所詮弱者は弱者でしかなく、強者には勝てない。そう、思われている目だ。
「…だが、そこなんだよ。絶対に負けないって思い込んでいる……そこに勝機はある」
「ど、どうするよ、アッシュ」
「………攻撃的防御、だ」
そう言ったあと、アッシュバルは聖闘術を展開。ナギよりは劣る性能だが、それでも能力値は数倍になる。
「場所が違うからって、迷うな!いつも通りにやるぞ!」
「応!」
「んじゃま私がやんなきゃ、ね!」
息を吸うように聖闘術を展開させ、ナギは音を置き去りに魔王の背後へ。魔王の目線はアッシュバルに向いたまま、ナギの動きを捕らえられていない。が、その初撃を魔障壁で防ぐ。
「おぉ!?びっくりしたぁ…」
その言葉から推察するに、防いだのは動物的勘か、訓練による賜物か。どちらにせよ、強者には変わりなかった。
しかし、それで十分。ナギの速さは折り紙付きだが、いかんせん一撃の瞬間的火力に欠ける。溜めれば大ダメージなナギの攻撃方法は、ことこの場においては邪魔でしかなく、ダメージが入れば御の字、目的は目線を俺たち三人から逸らすことにあった。
「ティファ!」
「行くで!ーー〈其れは赤、闘志を燃やす赤、煮える聖力を糧に色を現界せよ!〉」
ティファナが詠唱を終えると、俺たちの内側から熱いものが爆発する。心臓が速い脈動を打ち、血流と共に聖力が全身を駆け巡った。
「チハリート!」
「わかってるっつーの!おっるぁ!」
その場から魔王に向けて一足飛び、大剣を振るう。床を打ち砕く勢いで振り下ろされたが、魔王は易々とそれを避ける。
「まだ、まだぁ!」
大剣が実際に床を打ち砕き、そのままチハリートは跳ねた。宙で身動きの取れない魔王に、もう一太刀振るった。
「そぉい!」
「チィッ!」
魔王は魔障壁でチハリートの動きを封じる。ナギと比べて速度は遅いので、止められて当たり前だが……それでいい。
「もう一発なら、どうよ!」
「あっぶね!」
再び視覚外からの一撃。チハリートの攻撃の瞬間に、ナギも強化済みだ。通れば、勝ち目はあったが。魔障壁の複数展開は、やっぱりお手の物なのだろう。
「あぁもう!硬いなあ!」
「ふふん、そう簡単には割らせないよ」
こちらが攻撃に攻めあぐねていると、魔王は準備運動のつもりか魔力の塊をジャグリングし始める。
「じゃあそろそろ反撃しようかなーっと、まずは火!」
「っ!聖障壁展開!」
魔力の塊が赤い色を帯び、まっすぐこちらに向かってくる。速度はまだ目で追える程だ。
「おお、いいね。じゃあこう言うのは初めてなんじゃない?」
魔王がそう言った刹那、火炎弾は赤から青に変化、さらに幾重にも分裂を始めた。最初は属性が変化したのかと思ったが、その熱量が倍増したのを肌で感じた瞬間、頭に警報が鳴り響く。すなわち、俺たちの聖障壁では防げない事を直感した。
「ぜ、全員障壁を解除!回避しろ!」
すぐさま解除と回避を行い、火炎弾を避ける。アッシュバル、チハリート、ティファナは紙一重で避けることが出来た…が。
「……あっ」
「ナギィィィィィィ!」
誰が悪い訳でもない。避けた先に別の火炎弾が迫っていたなんてよくある話だ。戦場でも味方の流れ弾で死ぬ奴は山ほどいる。だから、誰も悪くない。
ーーごめんね、失敗しちゃった。
死が目の前に迫っているのに、ナギは絶望しない。いつだって明るく、底抜けのバカさ加減で俺たちを励まし、真面目なんて言葉がここまで似合わないやつだけど、それでもまぁいいや、と許せる何かを持っていた……そう、俺たちは思って。
「………いいわけ、あるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
迫る火炎弾がナギの目前で停止する。そこには、聖障壁で耐えるチハリートがいて。
「チハリート!?」
「ナギィ!てめぇ何を死ぬ気でいやがる!こんなもん、ナギの足なら逃げられるだろ!」
「で、でも…」
「いいから黙って!走れ!じゃねぇと夜道を一人で歩けなくしてやるからな!」
「う、え、変態!」
「いいから、行けっ!」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
ナギは全速力でその場を離れる。その光景を、俺は見てるしか出来なくて。ナギを受け止めて、我に帰った俺は、チハリートに手を差し出す。
「チハリート!もう大丈夫だ!逃げろ!」
だが、チハリートは動かない。そこに立ち、火炎弾を抑えている。その場へ、次の火炎弾がチハリートを襲った。
「チハリートォォ!!」
その火炎弾すらも、チハリートは受け止めて。その次も、その次も、受け止める。
「……オレはよぉ、アッシュ…壁役なんだぜ?オレが逃げたら、一体誰がお前らを守るってんだよ」
「なに、を……いいから!こっちに来い!」
「あぁ……いい人生だったよ全く。アッシュに会えて本当に良かった」
「チハリート!早く!」
「お前らの事、大好きだったぜ」
チハリートの聖障壁が崩壊し、火炎弾はその中心に強襲する。耳が割れる音と目が眩む光の跡には何もなく、青い火炎弾と一緒に、チハリートは消えて無くなった。彼は俺たちを守った…文字通り、命を賭して。
ふつふつと、腹の底から何かが駆け上ってくる。
「いやぁ、すごかったね、今の。ちょっとムキになって全部ぶつけたのに相殺するんだもんね」
「………魔王…」
「じゃあ、最初から本気でやろっか」
魔力の塊が雪の塊に変化する。唖然とする俺は、その襟首を誰かに引っ張られた。
「……ティファ」
「バルバルがそんなんで、どないすんねん!あたしらの司令塔やろ!またヤバそうなもん使うて来よったんや、あたしらは、どないしたらええ!」
そうだ、今は感傷に浸っている場合ではない。チハリートには悪いが、考えるのは後だ。
「ナギ!一旦距離を取れ!その塊は、触れるだけでアウトだ!」
「うん!」
「ティファ、支援聖法だ。水と風、それから火の加護を」
「やるでーー」
詠唱を終え、俺とナギに三つの加護が付与される。ティファ自身にも、その加護を付与しようと……詠唱を始めた時。
「その距離なら……まぁいいや」
雪の塊が地に落ち、その形を崩した瞬間。辺りは冷気と突風に包まれる。気付いた時には、俺は氷の中に入っていた。
「な、これは…!」
捕らわれたのかと思って氷に触れると、それはいとも容易く砕け散り、厚い氷かと思っていたそれはただの膜のように薄い。だが、同時にそれは知らない方が良かった現実を直視する事になる。さながら卵の殻を破り、非情な世界へ足を踏み出す雛鳥のように。
「ティファ!ティファ!なんとか言ってよ、ティファ!」
「………おい、ナギ」
「アッシュ!大変なの、ティファが返事しないの!」
「…………いや、だからナギ」
「氷は割ったの!なのに、なのにっ!」
「……………」
自分は底抜けに明るいくせに、他人のことになると取り乱す。本当にナギは素直で良い子だよ。けどな、ナギ。
「………ティファは、もう…」
ティファは右腕と左肘を失い、その上半身と下半身を繋ぐ腰が粉々に砕け散り、顔は詠唱中の口を開けたまま、脆い彫刻のように横たわっている。思わず触れてみれば、その体は本当の氷のように固く冷たく、少し力を入れただけでうっかり壊してしまいそうだ。実際、ナギがティファを揺さぶる度に、ボロボロと崩れていっている。
「すごいね!とっさに水と風だけじゃなく、火の加護を付与するなんて!まぁ、水と風だけならどのみち彫刻で死んでたんだけどさ?それでも綺麗な粉雪になるよりは形が残った方がいいよね?」
「………魔王アスラァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
「よせ、ナギ!戻れ!!」
怒りで我を忘れたナギは、未だかつてない速さで、魔王の懐に飛び込む。
「アァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
振り抜いた拳は魔障壁に阻まれ届きはしない。が、ナギはそれでも殴るしか出来なくて。
「うぉっ!危ねえ!」
展開される魔障壁の隙間という隙間に、拳を叩き込み続ける。その速さは、徐々に加速を始めた。
「……おいおい、ウソだろ」
魔王の障壁展開速度が、段々と遅く……いや、ナギの速度が展開速度を超え始めた。
「あ、た、れぇぇぇ!!!」
「………っ!」
そして、ついにナギの体は魔障壁の内側にたどり着く。もちろん、振り抜いた拳は阻まれる事なく、魔王の右頬へと吸い込まれた。
「ぶふっ!」
「当たった!?」
バランスを崩した魔王に対し、ナギは続く二打目、三打目を打ち込む。
「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」
「ぶっ!ちょ!ま!まっ!まって!」
「ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラ!!!!!ウラァァァァァァァッッッッッッッッ!!!!!!!」
「ブッホアァ!?」
およそ同年代とは思えないラッシュが続き、魔王はボコボコにされて吹き飛ばされる。音を付けるなら『ドグゥオーン!』みたいな感じで。
「はぁ……はぁ……やった…やったよ、ティファ………仇は…私が……」
聖力を使い果たしたのだろう、ナギはその場にへたり込む。慌てて駆け寄り、常備薬の聖力回復薬を飲ませた。
「しっかりしろ、ナギ」
「………アッシュ…」
「全く、無茶しやがって。だけど、良くやったよ、ナギは……まさかあの魔王を倒すなんて…」
「……えへ、えへへ…いえーい」
力無く笑った俺たちを、再び絶望が襲う。倒されたはずの魔王が起き上がったのだ。
「……いやぁ、本当、すごいよ」
「そ……そんな…」
魔王は折れた歯と血を吐き捨て、その目でジッとナギを見た。
「………へぇ、最初より上がってるね。殆ど倍じゃないか…熟練度とか関係してるのかな」
「な、何を一人でブツブツ言ってるんだ!」
「…そっちの君は、大して変わってないね。まぁ、震えて動けなかったから当たり前だけど………あぁ、思考力が上がって進化してる。やっぱり強い奴と戦うと良いことあるな」
そして、魔王は魔力の塊を風の刃に変え、気付いた時はすでにナギの首が空を飛んでいた。
「……あぁ……あぁあ…………ああああ!!」
「最後はコレだね。どう足掻くのか見ものだよ」
魔力の塊が茶色く変化し、それは地面に吸い込まれる。その瞬間、俺は割れた地の中を落ち続け、見上げた状態のまま……閉じ行く地面にプチッと潰された。
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「…………シュ……バル……」
誰かが、俺を呼んでいる。誰だろうか。どこかで聞いたことのあるような……?
「バルバル!」
「アッシュ!」
「起きないとオレから目覚めのキスを……」
「うわぁぁぁぁぁ!?」
野郎からのキスとかマジで悪夢だよ!最悪の目覚めだ!腐った人の餌食とかマジで嫌だ!
「あぁぁぁぁ………あ?」
目覚めるとそこは、何処かの部屋の一室で、俺はベッドに入っていて、周りにはチハリートとナギとティファナがいて。
「………はぁ…」
「どうした、アッシュ?腹でも痛いか?」
「いや、痛くはない……」
今でも鮮明に覚えてる。溶けて融解したチハリート、凍化して砕けたティファナ、鎌鼬で首を飛ばされたナギ。そして、左右から迫る圧力に耐えきれず、全身を粉々に潰された俺。
……悪夢だったけど、同時に夢で良かったと、そう思った。
「………?」
ふと、部屋の一角……ひとつしかない出入り口に目を向けた。
「いや、なんでもない……ちょっと人が来るような気がしてな…」
「お?…おう……」
気の所為かと、出入り口にから目を逸らそうとした時、突然扉が開き人ならざる者が現れた。
「魔族!?」
「あら、目覚められたのですね」
まるで様子を見に来たと言った風に、魔族の女は口を開く。およそ女性らしい、胸元がはだけた服装に、切れ長の目は妖艶な色気を醸し出すが、その肌は死人のように青白く、魂を絡め取られそうになる。
「あ、ホノヤクさん。はい、この通り、どこも怪我はしてないみたいです」
ナギが敬語……だと!?何者なんだこの魔族は……!
「そう、それは良かったわ。その子だけ魔王様の寵愛を受けて三日も眠っていたんですもの、羨ま………心配だったのよね」
………今確かに、羨ましいって言われなかったか?気の所為か?
「ま、なんにせよ。おいアッシュ、体は動くか?」
「あぁ、なんとか……」
「じゃあ…」
「いや、自分で歩く。それで、客間ってのはどこだ?」
謝罪の茶会なんてのはあまり聞かないが、この魔族が攻撃をしてくる事は無い。まぁ、参加しても大丈夫だろう。
「……そやな、まず…」
「了解、行こうか」
場所を聞き、扉に手を掛けようとしたその時。後ろからナギが殴りかかって。
「うぉっ!…………お?」
来ない。ナギは構えただけで、実際には襲いかかって来ていなかった。
「…どう?殴れた?」
「……多分、避けられてる。私の行くはずだった場所に、もうアッシュは立ってないし」
「……はぁ、やっぱりかぁ…」
意味がわからない。チハリートは頭を抱え、ナギはちょっと自信なさげだ。ティファナはため息を吐くし、ホノヤクと呼ばれた魔族は和かに微笑んでいるだけ。
「なんだよ、お前ら。俺が何かしたってのか?」
「……ちょっと変だと思ったけど、確信した。ムクロさんに聞いてなきゃ、想像も出来なかったけど」
おいおい、一体何の話だ。何も変じゃ無いだろ?今だってナギが殴りかかって来たから避けようとしただけだし、他にした事と言えば客間の場所を聞いて行こうとした事くらいだろ?
「さっきからアッシュおかしいよ?『誰も答えてないのに知ってる』し『聞かれても無いのに答えてる』し『襲われても無いのに避けてる』んだよ?」
「……は?」
「まぁ、オレはその理由を知ってるけど……今はとりあえず、客間に行く方が先決だな」
そう言い残してチハリートは部屋を出る。ナギとティファナも「お先に」と言って出て行った。
そして、俺はずっと気にしていた事に触れる。
「……えっと…たしか、ホノヤク…さん?」
「はい、なんでしょう?」
「とりあえずその、背中に隠した包丁を手放してもらっていいですかね?」
「あら、見抜かれてましたか」
「ええ、そりゃあもう……」
何しろ彼女は部屋に入ってから、既に六回『分岐した未来で』衝動的に俺を殺しにかかっているのだから。
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「コイツは、魔王なんだぞ!?」
そして、話は冒頭まで戻る。
茶会に招かれて、最初に出迎えたのは黒鳥の魔族だった。ムクロ、というらしくこの屋敷の執事長だそうだ。そのまま流れるように目に入ったのは、麻縄でぐるぐる巻きにされ、天井から逆さ吊りされている魔王の姿だった。
「……まぁ、魔王なんだけどね?流石にこの姿を見たら、拍子抜けっていうか…」
「あたしらから見れば強敵やけど、実際に殺されたわけちゃうし?」
「むしろ強くなってるから感謝しなきゃいけないっていうか……」
三人はムクロさんをチラリと見て。
「「「ムクロさんの方がもっと強かった」」」
「意味がわからない……」
なんだか聞きたい事が山ほどあって、頭の思考か追いつかなくなっている。ともかく、頭を働かせるために甘いものが欲しくなって、差し出されたクッキーと紅茶に手を出した。
「……まず、いくつか聞かせてくれ。俺たちは一度死んだのか?」
「はい、大変申し上げにくいのですが。一方は灰も残らず焼死、一方は骨まで凍死、一方は慚死、貴方様は圧死されました」
全然、申し上げにくくなかった。さも当然の様に言い放ったよ、この魔族。
「じゃあ、なんで俺たちは生きてる?強くなったって、何の事だ?」
「貴方様方が生きておられるのは偏に、若様……魔王アスラ様の力にございます。アスラ様の作られた空間に取り込まれた貴方様方は精神体となり、その空間で起こった事を現実の世界に反映させる事となったのです。更に申し上げますと、空間内で発生した事はアスラ様が全て操る事が出来、その結果貴方様方の『死』という現象のみ削除されたからにございます」
……やはりか。つまり俺たちは最初から魔王の手のひらで踊らされていて、その命すら、魔王に救われたって事か。
「おい、魔王」
「もぐもぐ……んぐ、アスラでいいよ」
ホノヤクさんに食べさせてもらっているクッキーを咀嚼しながら、魔王アスラはさも興味津々とした目を向ける。
「アスラ、お前はなんで俺たちを助けた?」
「そんなの、決まってるじゃん」
運ばれるクッキーを頬張りながら、当然のように言う。
「殺して、なにか楽しいことでも起きる?」
「はい、魔王様。あーんしてください」
「あーん……んぐ、もぐもぐ」
魔王が道徳的になってるんですけど。というか、さっきからホノヤクさんといちゃいちゃ鬱陶しいです。
「殺して生まれるのは、無だよ?無くなったら楽しくないし、楽しくなくなったら詰まんないよね」
「いやいや、魔王だろ!?もっと魔王らしくしろよ!『下等で下劣で劣等種な人間』とか『世界を我が手に』とか!勇者が攻めてきたら『世界の半分を貴様にやろう。配下にならないか?』みたいな勧誘してみろよ!」
「………」
「おいコラ黙って引くな!い、今のは魔王がいいそうな事をだな……」
「「「うわぁ……」」」
「お前らも引くなっ!」
なんなんだよ、アスラが魔王らしくないからそれっぽくしろって言ったら引かれるし、まるで俺がそう考えてるみたいな捉え方されるし、ムクロさんは何故か涙目で感動してるし、本当にどうなってるんだ!
「というか!アスラ、お前の目的は何なんだよ!」
「え?目的?」
「それはもちろん、私と子どもを作って魔王軍を量産する事です」
「ホノヤクは黙ってて。というかしないし。俺は目的なんか無いよ?楽しければそれでいいし、平和ならそれでいいと思う。殺し合いで誰かが死ぬのはもう嫌だからね」
ただ、とアスラは言葉を続ける。
「話し合いで魔族の土地と環境が返ってこないかなって思うのは、ある。住む場所を追われて、人間を襲うしか無くなった魔族をどうにかしてあげたいからね」
「……アスラ、お前…」
何という、甘い。それでいて優しいのだ…こいつは。命を失う事を極端に嫌っているし、だからこそアスラは今ここに魔王として存在している。その圧倒的な戦闘力を持ちながら行使する事はせず、今までの魔王とは全然違う。
「……じゃあ、アスラ以外は、人間を侵略する気があるのか?」
「まぁね。でも、それは俺が絶対にさせない。それに、侵略っていうのはあまり好きな言い方じゃ無いな」
アスラは自力で縄を解き、ホノヤクさんの用意した椅子に座る。まるで縛られてやっていたみたいに。
「表裏一体化した世界を侵略したのは人間側だし、俺たちは防衛していたにすぎない。だから、魔族側が動く時は『奪還』になるんだよ」
「……っ」
▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎
「じゃあなー!また遊びに来いよー!」
「また来てたまるか!」
帰路、魔王城を後に、ついでにお土産のクッキーと茶葉も貰って、俺たちは樹海の中を進む。
「いやぁ、しかし凄かったな」
「何が?」
「いやいや、あの魔法だよ。死ぬかと思ったぜ?死んだけど」
「そやなぁ……あたしも、まさか伝説級になるとは思っとらんかった」
「何だっけ?私が『韋駄天』でティファが『無詠唱』だよね?」
「オレが『多重障壁』な。んで、一番強いのがアッシュの『予知』だろ?オレも欲しかったなぁ、予知」
「……そんなに良いもんでもねぇよ」
予知。その力は言葉通り未来を知る事が出来る。だが、使いこなせていないのか気をぬくと『今』と『未来』が重複して見えるし、同じように音も重なって聞こえる。しかも、見える未来は最大で五秒先くらいで、五秒先を見ると吐き気とかめまいとか、今はとにかく気分が悪くなる。
「見える未来も可能性の高い一つだけだし、未来がズレるなんてザラだ。使い勝手が悪すぎる」
「それでも、知ってるのは得だろ?まず奇襲が効かないからな。司令塔としてはこれ以上無い武器だぜ?」
「………そりゃ、そうだが」
はぁ、と俺はため息をつく。そして思う、つくづく俺は戦力として換算できない事に。策を講じ、計画を立てて、その通りに動いて動かす。計画が全部成功する事は無く、常に二手三手先を考えて分岐する策を講じる。さらにその計画を成功させる為に、布石と下準備をしなくてはならない。そんな大変な準備をしても成功率は半々で、そう思う度、自分が嫌になった。
「そういえば、最後のアレは何やったんやろな」
「アレ?」
「ほら、侵略がどうとか防衛がなんとかって……」
「あぁ……さぁ?アッシュならわかるんじゃ無い?ね?」
「……………さぁな。俺も意味がわからねぇよ」
ナギたち三人は揃って首をかしげる。そりゃそうだろう。なにせ、一般に習う千年戦争の歴史には『魔族が人間を侵略し始めて来たが、人間はそれを全て押し返した。終戦後、魔族が人間側に再び侵略出来ないように、大気に含まれる魔素を聖素に変換させた』と表記されている。
だが実際には『世界の資源が倍になったので、当代人王が侵略した』のが真実。
そして、この話は一般に普及していないし今後普及することも無い。この事実を知るのは俺と聖騎士協会の歴代神殿長だけだ。
「……?」
「どうした?」
「…いや、なんでも無い」
ふと、視線を感じて魔王城を振り返る。そこには陽に照らされて古びた古城となった魔王城が見下ろしているだけだった。
▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎
「どうだ?」
「………はい、本当に彼らだけです。こちらを大軍で攻める動きはありません」
私は一度目を閉じ、魔力の流れを元に戻す。ゆっくりと目を開け、明滅する視界を調節した。
「……っ」
「おっ…と。大丈夫か、アイコン」
軽い貧魔症状で倒れかけた私の体を、ムクロさんはそっと抱きとめる。
「…すまないな、アイコン。こんな事を頼んで」
「……いえ、私たちモノアイ族はこれくらいしか出来ません。魔王様の助けになるなら、この程度で音は上げられませんもの」
体を巡る魔力の流れが不安定のままだけど、私はにっこりと微笑んで見せる。
単眼を持つモノアイ族は目に魔力を集中させ、遠くを見る事が出来た。昔はこの力を狩りに役立てていたそうだけど、ことこの時代では無用の長物と言えた。
「……でも、あの人…アッシュバルという人物には気をつけた方が良いかもしれません」
「何故だ?あの人間はそれ程大したことは無かっただろう?」
「…確かに、保有する聖力は乏しく身体力も劣っていました。しかし……」
あの時私は、ちょっと本気を出して一人くらい屠れないかと思い、アッシュバルに仕掛けようかと思いました。しかし、魔王様の命令によってそれは禁止されています。すぐに殺る気を無くしたのですが、その一瞬の殺意をあの距離で気取られたのです。それどころか、私自身が殺される気配すら感じさせて。
「……しかし、あの人間には底知れぬ何かを感じます」
「ふむ………なるほど、分かった。その本質を見抜くと云われる単眼一族の言うことだ、頭に入れておこう」
「……ふふっ」
「何が可笑しい?」
「いえ、ムクロさんでもそんな確証の無い伝承を信じるんだなって。ちょっと意外です」
「…もう体調は戻ったようだな。協力感謝する、通常業務に戻りたまえ」
「ふふふっ……かしこまりました」
そうして、今日もまたいつもの日々が戻ってくる。願わくば、この日常が永遠に続きますように。