08 魔法認定の更新
エイスニルの朝を告げる人工水路の潺と小鳥の囀りで目覚めると、俺の隣では美少女が安らかな寝息を立てていた。
「………………ん……」
「…………寝言か」
8月という夏の暑い盛り、まさか肌寒いなどと言う事も無いだろうが、アリスはシーツにしっかりと包まってすやすやと眠っている。
俺はそんな美少女の寝顔を暫く眺めていたが、ふと彼女が世間的には美少女ではなく美女に属する17歳だったという事を思い出した。
どういう事かというと、我がラシュタル王国では15歳を超えれば成人と見なされるので、J国(仮)の国内法は通用しませんよという一般常識の再確認である。
そんな念押しをしなければならないほど美しいアリスは、外見的には幼く見えるが雰囲気では大人っぽく見えるというアンバランスな女性だ。
外見が幼く見えるのは垂れ目で童顔、華奢で肌が瑞々しく、栄養が足りていなかったのか細身だからだ。
大人っぽい雰囲気は、転落の人生と転生者という由来を併せ持っているからだろう。
(しかしアリスの場合は、そんなアンバランスさよりも綺麗さばかりに目が行く。これは祝福の効果か?)
ここ数日の間に、アリスが持っている祝福が不老以外にも最低6つ以上ある事が判明した。
読者の皆様は祝福数が不老を含めて7つもあるのは多すぎると思うだろうか。
だが倍率20倍は不老だけで、他は2倍から様々にあるのだ。俺はアリスが老化と6つの祝福以外にもさらにいくつかの祝福を隠し持っていると思っている。
まずは確実に持っている6つの祝福から説明しよう。
2つは回復系で『マナ回復2』と『疲労回復2』。
これは回復速度が「種族基準値×(1+格)」となるもので、アリスの持っているマナ回復2や疲労回復2は回復速度が通常の3倍となる。すなわち1時間にMPが3回復したり、2時間睡眠で6時間分の回復効果が得られる訳だ。
正直羨ましい。それがあるだけで戦闘や野営がどれだけ有利になる事か。
残る4つは全て耐性系で、『物理耐性3』『魔法耐性3』『疾患耐性4』『状態耐性4』。
これは「種族基準値の格-格」の耐性が得られる。
例えば棒術3の技量を持つ者が殴りつけて、アリスの物理耐性3があれば「棒術3-物理耐性3」で受ける衝撃が0格に落ちる。
剣術2の相手の力を3段階下げて-1の威力に落とせば、子供の浅い斬り付けくらいになるだろうか。
もっともドラゴンの攻撃が直撃すれば、0格や-1格に下げたところで致命傷を免れるはずも無い。10メートルのドラゴンに蹴られても5メートルのドラゴンに蹴られても死ぬ時は死ぬ。
(耐性の祝福を4種類とも高位で所持していると言う事は、当然美容系の祝福も持っているだろう。美容を取らない女は居ないだろうし、ptが足りなければ耐性を全て3格までに抑えれば済むわけだし)
そのような祝福もあるらしい。
そして様々な祝福を持っている女性が、美容系の祝福だけを持っていない事はあまり考えられない。物理耐性や魔法耐性も重要だが、女性の優先順位は男性と異なる。
こういう水面下の白鳥のバタ足を暴くのはマナー違反なので聞かないが。
それとアリスは祝福を除くステータスの方は人間の女性から逸脱しないように調整していたらしく、MP24だけは突出しているが、HP・腕力・体力・耐久は全て7らしい。
ようするに彼女は天使への質問で人外が有り得ると理解していた事になる。
まさかステータスと同じ人生まで歩まされるとまでは思っていなかったようで、社交界での反撃用に取ったという闇属性3に辿り着くような壮絶な経験をしてしまったところは最後の詰めが甘かったと言える。
だが闇4を得ていたならばさらに酷い人生が想像できるので、まだこの程度で良かったと考えるべきだろう。そんなものを得ていたら、今よりもっと精神を病んでいる。
今ですら彼女の心は完全に折れていて、もうこれ以上傷付きたくないと言う状態だ。
前世の彼女の反撃に手心を加えようとの良心が、最後の救いだけはもたらしたのかも知れない。
「やれやれ。さて、どうやってベッドから這い出るかな」
2日目までは寝ている時にも手を出した俺だったが、ようやく自己抑制が働くようになってきた。
そして流石にこのまま引き籠もっていてはダメだと思ったので、今日こそはアリスを俺と同じ冒険者へ登録するために動き出そうと思う。
すなわち『借用書の返済期限切れ作戦』から『懐柔作戦』への切り替えを行い、アリスの社会的立場を確立する。
各地でハーレム天国を築いておられる読者様には「何を甘い事を」「借用書の期限切れまで束縛しろ」とお叱りを受けそうである。
だがアリスは既に手に入れている上に、この数日はむしろ「フランツさんは私を捨てないのですよね?」と俺に再確認を求めているような状態だ。
割と悲惨な人生を送った彼女に対する取扱説明書には、いくつかの禁則事項が記されているらしい。
ここ数日で俺が察した『アリス取扱説明書』には、彼女が体験した「両親と死別」「家と財産の消滅」「回復4が必要な重症」「256万Gの借金」「再建した生活の崩壊」「理解者の喪失」「叔母の裏切り」のいずれかに相当する行為を禁ずると書かれてあった。
具体的には「死なない」「生活基盤を損なわない」「危険な依頼を受けて重症を負わない」「借金を作らない」「生活を破綻させない」「無理解にならない」「アリスを裏切らない」という制約を受けるらしい。
そして言外に「フランツさんが裏切らなければ」と前置きした上で「私は貴方を裏切りません」と俺に訴え、対価としてその身を差し出している。
「………………重い」
しかしアリスは、転生ポイントで能力や技能のみならず様々な祝福まで得ている才色兼備の女作者だ。
手放すのはとても惜しいので、俺は女性作者への懐柔作戦へと打って出る事にした。
すなわち自由に振る舞ってから許して貰うのでは無く、先にアリスを懐柔して自由に振る舞うお許しを頂く。
まさに策士、自分が怖い。
いや、怖いのはアリスだが。
「フランツさん、私は重くないですよ」
俺の重いという言葉に反論が帰ってきた。
「わざと寝た振りをしていたのか」
「どうしてそう思いました?」
しれっと誤魔化すアリス。
可愛いと言う言葉を聞き流し、俺をベッドから出さず、重いと言うには即反応。
図星にポーカーフェイスで素早く切り替えし、これで「今起きたばかりです」と言うのには無理があるだろう。
「お前は中々の策士だな……っと」
「わわわっ!?」
俺はアリスを抱きかかえると、勢いよくベッドから起き上がった。
アリスから驚き混じりの抗議の声が上がるが、俺の身体に腕を回してバランスを保つ辺りを見ても覚醒直後の反応では無いだろう。
柔らかい感触と視界に映る薄いネグリジェに負けてベッドへ反転したい欲求に駆られるが、なんとか理性を保って道を違えずに彼女を解放した。
「今日はお前の治癒師免許に記載されている魔法認定を更新して、それから冒険者免許を申請する」
アリスの治癒師免許には闇2・麻痺2・幻覚2と記載されているが、彼女が転生時に割り振ったのは闇3・麻痺3・幻覚3らしい。
おそらく治癒師免許を取った後に難民生活で闇と自衛手段が上がっているのだろう。麻痺は手術時に便利で、強い幻覚で患者は落ち着かせる事も出来る。だがそれらは襲ってくる相手を麻痺させ、あるいは容姿や人数を惑わすような使い方もできる。
それらが冒険者免許に記載される事には充分メリットがあるので、いずれにしても認定は受けておいた方が良い。
「魔法認定の更新と、冒険者免許の申請ですか?」
「そうだ。魔法認定所に行けば直ぐに認定してくれるからな」
魔法認定所とは、人々が持つ8属性の力をどれだけ上手く扱えるのか調べて認定してくれる国立の組織だ。
8属性とは言うまでも無く「火・水・風・地・雷・光・闇・無」の事であり、魔石に魔力を込めて割れば属性の大きさ自体は直ぐに分かる。
そんな魔石はどこから得られるのかと言うと、魔力を持っている生物が体内からだ。
例えば俺もMPが24なので、俺が死んで力が抜けきったら死体からMP24の魔石が採れる。検査で用いる魔石は世界に溢れている魔物の物を使っているので、魔石が足りなくなるようなことはありえない。
現在の俺は「水3、光1、闇1、無2」なので、MP7の魔石で充分な検査ができる。
なお俺の最大MPは24なので、これから属性の合計値が24まで伸びる可能性は残っているのだが、15歳を過ぎるとなかなか属性の力が上がらないので過度な期待は出来ない。
俺が28歳で光と闇の属性を同時に得られた時など本当に驚いたものだ。
だが属性の大きさは単なる才能の大きさであって、いくら才能が大きくてもそれを扱う事が出来なければ才能の持ち腐れだ。
例えば水属性3があっても俺が水魔法の練習をしていなければ水魔法の技能は0のままと言う事である。そして取得しただけの光や闇の魔法は一切訓練していないので、その系統の魔法は何一つ扱う事が出来ない。
アリスのように属性の才能を充分に活かせる神殿勤めのような環境にあってこそ伸びていくわけだ。
「それに俺が遠出の依頼を受けても、アリスが冒険者として俺と一緒に依頼を受けて行動すれば何も問題ないだろう?」
そもそも俺が冒険者依頼を受けなければ、いずれ生活費が尽きてこの生活が破たんする。
「それもそうですね。分かりました」
さすがにアリスも元作者だけあって将来への想像力はあるのか、認定更新と免許申請の話がとてもスムーズに進んだ。
魔法認定所は、まるで闘技場のように広い検査場と、牢獄のように高く分厚い壁で囲まれた建物だ。
そんな検査場の中央に立つ一人の女性の指先から、強いマナの輝きがゆっくりと離れていくのが見えた。
『土矢3』
魔力によって世界への具現を命じた受験者の意思に従い、輝きを放つマナは土矢に形を変えて3方向へと突き進んだ。
そして3つの的へ吸い込まれるように伸びていき、的の中心を次々と貫いていった。
バンッバンッバンッ……
実体化した土矢に貫かれた的が、殆ど間を置かず全て割れた。
的は一定の力で割れる耐久にされており、あれらを一定以上離れた距離から撃って割れば魔法矢の認定が貰える。
そして別々の3ヵ所に置かれた的を一定以上の速度で同時に割れば魔法矢の認定3だ。
魔法弾なら速度の代わりに軌道修正能力を試され、命中精度の代わりに破壊力を試される。
暫く的が割れるのを興味深そうに眺めていたアリスだったが、全ての的を割り終わった受験者が、それを確認していた黒髪の若い女性試験管と会話を始めたのを見てこちらへ視線を戻した。
「ラシュタル王国式は、とても分かり易いですね」
なおアリスの出身国であるリグレイズ王国では「身体からどれだけ離れた位置でマナを具現化できるか」「具現状態を何秒持続できるか」「魔法弾や魔法矢の形は綺麗か」など細かい上にあまり意味の無い事まで調べられる。
全く意味が無いとは言わない。
身体から離れた位置での具現化は、予想外の位置からの攻撃として敵に有効だ。
具現状態を長引かせる事が出来れば、火矢などをそのまま敵の身体に突き立てておける。それに具現化が長ければ長いだけ相手の身体のマナを乱して魔力創傷を負わせる事も出来る。
また小さく尖端が鋭い矢なら、それだけ小範囲高密度のマナを突き立てて敵の魔法抵抗力を簡単に突破できる。むろん小さいほど遮蔽物自体も上手くすり抜けられる。
だが綺麗な矢の形を作れないものの4ヵ所へ同時攻撃できる認定1の人間が居たら一体どうするのか。
評価基準に例外を作らなければならない試験というのは、そもそも試験として不備だ。
一見するとリグレイズ王国の方が厳しくて優秀な試験に見えてしまうが、明確な基準の無い主観や、情勢に基づく評価の不公平を許している時点で、リグレイズ王国の試験は我がラシュタル王国より劣っている。
…………などと、リグレイズ王国民のアリスに言ったりはしないが。
「ああ、ラシュタル王国ではリグレイズ王国のように細かい事は言われない。アリスの試験も単純明快だぞ」
そう言いながら俺が視線を扉の奥に向けると、施設内部から3つ目の台車付きの檻が布を掛けられて運ばれて来るのが見えた。
台車を運んできた銀髪の男はアリスの試験を担当する事になったクヴルール試験官で、彼が運んできた台車の布をサッと取り払うと、3つの檻の中には首枷と足枷で拘束された3匹のゴブリンが醜悪な表情でこちらを睨んでいるのが見て取れた。
「あれは何ですか?」
「見ての通りゴブリンだ。アリスの闇魔法3は魔石を割って簡単に証明できるが、麻痺3や幻覚3は魔石を割っても証明できない。だからゴブリンに掛けて確かめるわけだ」
「リグレイズ王国では、年を取って処分する家畜などを使った試験でした」
病気になった家畜は肉として売れないので殺処分するしかないが、悪質な業者はどうせ分からないだろうと考えて市場へ売ってしまう事もある。
リグレイズ王国ではそれらを国が安価に買い取って魔法試験に用いる事で、市場へ病気の家畜が流れる事を防いでいる。
病気の家畜は光魔法で治せるかどうかを確かめられるし、わざと骨を折って創傷治癒の試験に用いる事も出来る。光魔法の受験者が居なくても、火の魔法で焼却処分すれば良い。
「知っている。リグレイズ王国の試験はとても効率が良い」
「ラシュタル王国の試験方法は、残酷ではありませんか?」
「…………何がだ?」
「殺処分するしかない家畜で試験をするのは仕方がない事ですけど、魔物を捕らえて試験に使うのは残酷では無いかと思います」
どうやら俺とアリスには、お国柄の違いから生じる価値観の違いとやらがあるらしい。
あまりにも短期間でこういう関係になったので、今頃になってそのような発覚したわけだ。
俺が借用書を買い取っただけなら主従がハッキリしているので文句を言わなかっただろうが、アリスは婚約者のつもりでいるから意見してくるのだろう。俺も指輪を贈ったので、態度に文句を言う意思は無い。
それに相手に理があれば、その部分は俺と考え方が異なっていても認めるつもりだ。現実問題としてどう対処するのかはまた別問題であるが。
「リグレイズ王国も家畜の骨をわざと折って治せるのかを確かめたり、生きている状態で呪いを掛けたりしているだろう?」
「…………そうですけど、でもわざわざ自然から生物を捕まえてきて鉄格子に監禁して、死ぬまで魔法攻撃の的にしたりはしません」
そう言ってアリスは、檻の中に閉じ込められているゴブリンを嫌そうに眺める。
ゴブリンは醜悪な表情ながらもこちらに恐怖と憎悪を込めた瞳を向けていた。
牛馬とゴブリンのどちらに魔法を掛けるのが嫌かと問われれば、確かに絶対の答えは無いかも知れない。両者を比較すればゴブリンの方が賢く、感情表現も豊かだ。
もっとも我々が目にするゴブリンが笑う時は人に襲い掛かり、あるいは獲物を仕留める時などであるのであまり見たいものでは無いが。
「魔物を捕まえて試験に使えば、その分だけ周辺の魔物を減らして人々の安全に寄与できる。リグレイズ王国のように病気の家畜を買い取って業者が市場に流すのを防ぐのも、ラシュタル王国のように魔物を捕らえて人々が脅かされるのを防ぐのも、どちらも人々のためになるぞ」
「言っている事は頭で理解できますけど」
「感情で納得し難いか。するとゴブリンに麻痺や幻覚を掛けるのもダメか?」
「…………いえ、傷は付かないので大丈夫ですけど」
「冒険者として活動すれば、ゴブリンを殺す機会もあるぞ」
「野生の魔物を倒すのは大丈夫です。食べるために殺すのも構いません。監禁して切り刻むのが嫌です」
「なるほど」
同じ転生者同士でも、転生した国ごとの常識や生活環境の影響を受けると許容できる範囲が大きく異なってしまうらしい。
もしも俺がアリスと同じリグレイズ王国に生まれていたならば、動物を用いた方が遙かに文明的だと肯定した上でラシュタル王国方式が野蛮だと思ったかもしれない。
これは各々が生きていくために必要な環境適応なのだろうか。
すると前世の環境と異なれば異なるほど価値観が変化すると言う事になり、アリスよりも俺の方が前世の常識からずれているのかも知れない。
「まあ、アリスが嫌に思う事は教えてくれ。無理強いしないように計らうし、我慢して貰う時でもなるべく事前に説明して心の負担を減らすようにする」
「はい、分かりました」
こう言っておけば同じ事をさせるにしても、かなり心証が変わる。この辺りの俺の打算的な行動は、前世であろうと今世であろうと変わりなさそうだ。
試験官の銀髪男性は俺たちの話が終わるのを待っていてくれたのか、タイミングを見計らって声を掛けてきた。
「よし、では先に幻覚を掛けてくれ。明らかに幻覚が掛かっていると分かれば何でも良い」
「分かりました。では…………」
頷いたアリスの右手が3つの檻の中のゴブリンへと真っ直ぐに伸ばされた。そして間を置かず、3本の指先から黒い輝きが放たれる。
『幻覚3』
ゴブリンの瞳に黒い輝きが映った瞬間、3匹のゴブリンが突然怯えて叫びながら暴れ始めた。
「グルガァァッ?」「クホーグア!」「イーギガーヴ!?」
3匹は必死に檻の端へと逃げ出し、足枷で格子を蹴りながら必死に見えない何かから逃れようとしている。何らかの幻覚効果が3ヵ所のゴブリンへ同時に掛かったようだ。
幻覚とは五感である「視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚」を惑わして、「幻視・幻聴・幻肢・幻嗅・幻味」を体感させる闇魔法である。
幻覚1で1グループに1種類の体感をさせる事が出来て、幻覚3なら3グループに1種類の体感をさせるか、1グループに3種類の体感を同時にさせる事が出来る。
アリスの正面と左右の3方向に離れているゴブリン達は、現在アリスから同時に何らかの幻視を見せられている。
しかし一体何に怯えているのだろうか。ゴブリンを食う大蛇か、あるいはオーガなどだろうか。
これが1グループのみであれば、オーガの雄叫びや足音が聞こえる幻聴や、殴りつけられた時に痛みを感じる幻肢まで感じる事になる。
ゴブリン達に見えているのは自らの脳が生み出した幻であり、オーガの声はこうだと自分で認識している通りなのでそこに違和感を覚える事は無い。
夢あるいは白昼夢だろうか。実際にはオーガなど居ないが、ゴブリン達はオーガが居ると本当に信じ込んでいる。
この魔法を掛けられた時の対抗手段としては、掛けた者の知性を掛けられた側が上回って効果や持続時間を軽減させるか、祝福の『状態耐性』を得るしかない。
アリスの場合は状態耐性4を持っているので、闇魔法5という最高位の実力者が掛けてきたとしても1に落とした上で知性である程度防ぐ事が出来る。だが俺の場合は、掛かり放題である。アリスが難民生活で自分の身を守れたのも道理であろう。
(アリスは怒らせない方が良いかな)
俺の知性は16でアリスは14だそうだが、幻覚3を掛けられると自力で解くまでに死んでしまう可能性すらある。
そうでなくとも軽い痴話喧嘩でマッチョのお兄さんに襲われる幻覚などを掛けられれば、それだけでトラウマを一生抱える事になってしまうかも知れない。
俺が戦々恐々としていると、クヴルール試験官は手を上げて試験合格を伝えた。
「充分だ。次は麻痺を掛けてみてくれ」
「分かりました…………『麻痺3』」
再びアリスの右手から黒い光が迸る。
黒い霧のようなものが3方向に広がったと同時に、ゴブリン達がガシャンと音を立てながら檻の中で崩れ落ちていった。
(先に優しくしておいて、痴話喧嘩はなるべく起こさない方向で行こう)
魔物学はあるのに女性学が無いのは何故だろう。
男性にとってこれほど危険な存在なのに、世の学者どもは一体何をやっているのか。
俺が恐れを成している頃、クヴルール試験官はゴブリンを檻の外から観察して槍先も突き入れ、ゴブリン達に確実に麻痺状態である事を確認した。
そして真っ直ぐに手を伸ばして合格を認める。
「合格だ……ビオンダ、ゴブリンに状態回復魔法を掛けてくれ」
「えー、ゴブリンなんて勝手に治るまで放置しておけば良いのに」
銀髪の試験官が声を掛けたのは、アリスより前に土矢3を飛ばしていた受験者に付いていた黒髪の女性試験官だった。
その女性試験官は不満そうにクヴルール試験官の所へ掛けてくる。
「わたし、MP20しか無いんだよ?」
「俺は10だ」
「オーラスは剣士だから良いじゃ無い。ああ、ポイントをMPをもっとMPに割り振っておくべきだったわ」
「「転生者?」」
「あら、同郷なの?」
俺とアリスが同時に声を上げると、黒髪の女性はこちらを振り返って笑みを浮かべた。
そして銀髪の試験官を無視してこちらに駆け寄ってくる。
「こんにちは。初めまして。わたしはビオンダ・ベルトラーミ・クヴルールです」
我が国では女性が結婚すると、フルネームの後ろに夫の名字を付けるようになる。つまり名字が二つある彼女は、既婚者と言う事だ。
それも、銀髪の試験官と同じ名字である。
「同じ名字だな?」
「あ、こっちのオーラス・クヴルール試験官はわたしの夫です。わたしが18歳の時に彼と結婚して、23歳で転生を自覚したからビックリだよね」
「それは確かにビックリだな。俺はフランツ・アイレンベルクという」
「アリス・フォン・バークレイです」
転生を自覚したと思ったら夫が居たなんて、それはさぞ驚いた事だろう。
ちなみに女性の結婚適齢期は、統計を取っているラシュタル王国正規国民以上なら十代後半で、学歴が低いほど結婚年齢が早い傾向がある。
冒険者ギルド窓口嬢で16歳のシンシアなどはそろそろ適齢期で、アリスは上等女学校に通い続けていれば卒業の18歳辺りで結婚となっただろう。
女性が23歳で転生自覚にすれば、結婚しているほうが普通だ。
なお男性の場合は家族を養う財を得てから結婚するのが一般的で、金持ちや親の財産を継承できる俺の兄貴のようなケースなら早く結婚するし、弟の俺のように実家を放り出されてのんびり上等学校まで行っていた男だと結婚が遅くなる。
俺の場合は転生自覚時に妻が居なかった。
別に悔しくは無いので、そっとしておいて欲しい。
「良いからさっさと掛けてくれ。幻覚と麻痺の重ね掛け状態を長引かせると、ゴブリンの精神が壊れて使い物にならなくなるかもしれない。仕入れもタダじゃ無いんだ」
「もう、仕方がないなぁ…………『状態回復3』」
勿体を付けてから従ったビオンダは、サッと手を振ると白い光を3方向に飛ばして霧状に展開し、そのままゴブリンたちの身体に浴びせかけた。
するとゴブリンたちの震えが収まっていく。
「ミスト系か。しかし展開が早いな」
「何の魔法が掛かっているのか分かっているから、簡単……『状態回復3』」
言葉を続けるよりも魔法投入のタイミングを優先したらしきビオンダが新たな光を3方向へ放つと、今度はカーテンのように薄く展開された光の壁がゴブリンの身体を通り抜けていく。
どうやら今度はウォール系を放ってみせたらしい。
「前世は看護師だったの。ねぇ、このあと時間ある?」
ビオンダは頭を振って起き上がるゴブリン達には目もくれず、目を輝かせながら俺とアリスの手を握った。
俺は夫であるクヴルール試験官にサッと目線を向けたが、彼は首を横に振って諦めの意を返してきた。
どうやら本日このまま冒険者ギルドに寄ってアリスの免許を申請する予定は、完全に潰れたらしい。